天上の月影

勅命のほかに領解なし

幸西の聖道門観(2)

2016年10月11日 | 小論文

        二

 幸西の聖道門観をうかがうにあたっては、まずその教判論を見ておかねばならない。「聖道門」という語は、たとえば『選択集』に「いまこの浄土宗は、もし道綽禅師の意によらば、二門を立てて一切を摂す。いはゆる聖道門・浄土門これなり(1)」というように、法然が道綽(五六二~六四五)の『安楽集』によって教判に用いた語であるからである。それは浄土門以外の全仏教を指している。具体的には従来の天台・真言等の諸宗である。幸西もその聖浄二門判を踏襲することはいうまでもないが、のちに述べるように善導(六一三~六八一)の『観経疏』等を用いて、さらに詳しい教判論を展開している。それを示しているのが凝然(一二四○~一三二一)の『浄土法門源流章』に引用されている『略料簡』である。すなわち、

学法に九十六種の道有り。束ねて二と為す。九十五種は外道にして一種は仏道なり。仏道に八万四千の門有り。亦た二と為す。声聞蔵と菩薩蔵となり。菩薩蔵に二つ有り。漸教と頓教なり。頓教に二つ有り。聖頓と凡頓となり。聖とは十聖、凡とは五乗なり。今我れ菩薩蔵頓教に依るは正しく凡頓教と為す也。  或は横超断四流と云ひ、或は速証無生身と云ひ、或は即証彼法性之常楽云ひ、或は証彼無為之法楽と云ふ。是れ皆、報の高妙の土、五乗斉入を以ての故也(2)。

とある。ここに幸西の教判論いいかれば仏教観が端的に要約されている。いうところは、すべての宗教思想に九十六種ある。そのうち九十五種は外道であり、一種は仏道である。その仏道に八万四千の法門があるが、それは声聞蔵と菩薩蔵に分かれる。また菩薩蔵は漸教と頓教に分かれる。さらに頓教は聖頓と凡頓に分かれるというのである。外道・仏道、声聞蔵・菩薩蔵、漸教・頓教、聖頓・凡頓と二分類していくわけである。そこに伝統の聖浄二門判を明示していないが、配当すると、聖頓までが聖道門であり、凡頓が法然相承の浄土門である。つまり法然がいう聖道門を声聞蔵・菩薩蔵、漸教・頓教、聖頓と詳しく開き、浄土門を凡頓といいあらわしているのである。そのなか声聞蔵・菩薩蔵、漸教・頓教は他の人もいうが、とくに善導によったものである。そして聖頓・凡頓は幸西独自の用語である。幸西が法然を承けて、さらに展開していった様子がうかがわれる。

(1)『選択集』二門章(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一一八五頁)、そのほか『和語灯録』巻一「往生大要鈔」(『真宗聖教全書』四・五六五頁)、『同』巻二「浄土宗略抄」(『同』四・六○九頁)などに示されている。
(2)『浄土法門源流章』(『浄土宗全書』一五・五九二頁)

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