天上の月影

勅命のほかに領解なし

ありがたい町名

2017年08月21日 | 水月随想

 この二月のことです。赤穂市の先輩のお寺に永代経法要の布教のご縁をたまわり、行かせていただきました。ただそのお寺の法座は三日間あり、昼(二席)・夜(一時間)・昼(二席)・夜(一時間)・昼(二席)と、お話をさせていただきました。さすがにそれだけの時間お話をするというのはたいへんで、毎日車で通いましたが、車のなかで何をどう話すか、考えながらの運転になりました。
 赤穂市までは、あるインターから中国道に乗り福崎で下りて播但道を走り、姫路から山陽道に乗り、赤穂インターで下ります。だいたい一時間四十五分くらいで行けるのですが、何が起こるかわかりませんので、余裕をもって拙寺を出ておりました。それで助かったのです。
 というのは、二日目の往きのときです。いま申しましたように播但道から山陽道に入らねばならないのに、考えながら運転していましたから、あっと思ったら山陽道の入り口を通り過ぎてしまいました。慌てて次のインターで下り、ナビのいうとおり下道を走るのですが、ナビの示す道がよくわかりません。どこをどう走っているのかわからなくなり、気づくと高砂市になりました。そしてしばらく行くと、歩道橋があり、そこに「高砂市阿弥陀町阿弥陀一丁目」と書いてあります。まあ、何とありがたい町名か。その町の人はみなお念仏申しているのだろうか。そんなことを思いながら、やがて山陽道に入り、何とか間に合いました。それにしても、いろいろな町名があるものですね。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加