天上の月影

勅命のほかに領解なし

承元(建永)の法難の結末(5)

2017年08月15日 | 小論文

 次に流罪について平雅行氏は、死罪四名説の確定によって「とすれば、流人においても、その可能性が大である。『愚管抄』の史料的限界が浮き彫りになるとともに、『法水分流記』『歎異抄』の記事の信憑性がきわめて高くなった。親鸞・行空らの流罪を否定する森氏の主張を受け容れることはできない」といわれる。そして前の『教行証文類』後序の文を引き、

自分が流罪になったという親鸞の発言を森氏が否定する以上、親鸞は嘘をついたことになる。つまり森氏によれば、親鸞は弾圧が目前に迫る中、臆病にも越後に逃亡した人物であり、また逃亡した事実を隠蔽して、流罪者の一人だと虚言を弄したことになる。虚言癖のある臆病者というのが森氏の親鸞像だ。氏が親鸞を好まない理由がよく分かるが、これを果たして、学説と呼んでいいのだろうか。流罪・処刑者に関する森氏の想定は、根本から破綻している。

と批判されている。文中の「氏が親鸞を好まない理由」というのは、森氏が「後記」において自身の学問遍歴を述べるなかで、

中世思想史研究の大家の著書を手にとり、後記を開くと、自分は学生時代に親鸞の思想に心惹かれて、というようなことがよく記されている。しかし私は、どうにも親鸞が好きでなかった。当時の直感がどこまで当たっていたかは分からないが、とにかく日本思想と言えば鎌倉仏教、それも親鸞、というような風潮に慊らぬものがあった(1)。

というものである。それを平氏は「よく分かるが」といちおうの理解を示されながら、そうした好き嫌いで親鸞像を構築し、「予はその一つなり」と明言しているのを否定するのは「果たして、学説と呼んでいいのだろうか」といわれる。至極当然といわねばならない。親鸞は事件の当事者である。その親鸞が、「門徒数輩」が死罪、遠流に処せられたといっているのであるから、信憑性はきわめて高い。それを否定すれば、何を資料とするのであろうか。「予はその一つなり」を「自主疎開」などというのは、憶測過ぎている。少なくとも後序によって、法然以外に親鸞も流罪になったと見るのが通常の理解であろう。そして『歎異抄』『法水分流記』などによって、行空たちの流罪も認めるのが穏当である。

 つまり、承元(建永)の法難の結末として、安楽・住蓮・善綽房西意・性(聖)願房の四名が死罪、法然および親鸞・行空・浄聞房・禅光房澄西・好覚房・幸西・證空の八名が流罪ということになる。ただし證空は慈円の身柄預かりとなり、幸西は問題があるが、おそらく流罪になったものと思われる。

(1)森新之介氏『摂関院政期思想史研究』(思文閣出版、二○一三年)三二二頁。

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