天上の月影

勅命のほかに領解なし

法然聖人の念仏弘通

2017年08月06日 | 水月随想

 昨日、滋賀県大津市にある滋賀県立図書館へ行きました。『玉桂寺阿弥陀如来立像胎内文書調査報告書』(一九八一年)を見るためです。その一部は他の文献で紹介されていますが、それでは孫引きになるので、現物を見ておこうと思ったのです。
 昭和四十九年(一九七四)、文化庁美術工芸課と滋賀県教育委員会とが湖南地方とよばれている栗太郡、野洲郡、甲賀郡一体を対象として「文化財集中地区特別総合調査」を行いました。そのなかで滋賀県甲賀郡信楽町の玉桂寺(真言宗)地蔵堂脇壇に安置されていた一躯の阿弥陀如来立像が発見され、鎌倉時代初期の安阿弥様の三尺弥陀像であると断定されました。そして昭和五十四年(一九七九)に解体が行われ、胎内から造像願文や結縁交名など大量の納入品が発見されました。その造像願文によると、建暦二年(一二一二)十二月二十四日に源智(一一八三~一二三九)が先師・法然聖人の恩徳に報いるために、師の一周忌を期して三尺の弥陀像を造立し、像内に数万人の姓名を納め、これら衆生の極楽往生を願ったことが記されています。
  とくに願文中、注目したいのは、「先師只だ化物を以て心と為し、利生を以て先と為す」(『報告書』一七頁)という言葉です。法然聖人常随の弟子であった源智が聖人を「只だ化物を以て心と為し、利生を以て先と為す」といっているのです。何よりも人々に念仏を説くことを心とし、先としたというのです。このことは『十六門記』に法然聖人が東大寺大仏の再建にあたって大勧進を要請されたとき固辞した言葉として、「源空が好所は念仏勧進の行なり、起立塔像の大勧進は其器量にあらず」(井川定慶氏集『法然上人伝全集』七九九頁)と伝えているところにもあらわれておりましょう。なかでも「見聞書勢観房(=源智)」とある『法然上人伝記(醍醐本)』には法然聖人が流罪となったとき、「其の時、一人の弟子に対して一向専念の義を述ぶ。西阿弥陀仏と云ふ弟子、推参して云く、此の如きの御義、努々、有るべからざる事にて候、各おの御返事を申さしめ給ふべからず云々。上人云く、汝、経釈の文を見ずや。西阿弥陀仏云く、経釈の文は然りと雖も、世間の譏嫌を存する許り也。上人云く、我れ頸を截らると雖も此の事を云はざるべからず云々」(『同』七七六頁)といわれたということです。これを源智は聞いて非常に感動したのでしょう。そこで願文に「先師只だ化物を以て心と為し、利生を以て先と為す」と記したのだと思います。

 なお西阿弥陀仏と法然聖人の逸話は『四十八巻伝』(『同』二二七頁)など諸種の法然聖人伝に掲載されています。

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