天上の月影

勅命のほかに領解なし

カーナビ

2017年09月03日 | 水月随想

 車で知らないところへ遠出をするとき、カーナビはとても便利です。目的地を設定さえすれば、どこへでも連れていってくれます。カーナビさまさまだと思うことがしばしばあります。
 けれども、カーナビを信用したせいで、切符を切られたこともあります。何年か前、大阪の貝塚市のお寺に布教のご縁をいただいた帰りのことです。「次の道を大きく右に曲がって」といいますので、どういうことだろうと思って、回りの風景とカーナビの画面とを見比べながら走っていますと、どうやら「大きく右に」というのはユーターンせよという意味であることがわかり、そのとおりハンドルを切りました。すると、どこにいたのか知りませんが、パトカーがサイレンを鳴らして追いかけて来て、制止するように指示し、お巡りさんがいうには、「あそこはユーターン禁止です」と。
 また何ヶ月か前、京都の右京警察署に行かねばならない用事があって(何も悪いことをしたわけではないでよ)、目的地をそこへ設定しますと、「この地域は盗難多発地帯です」というのです。「えっ?」と思いました。警察署に設定しているのに、盗難多発地帯とは。「この周辺が」と理解しても、警察署の周辺が盗難多発地帯だったら、何のための警察やねん。機械は機械やなあと思いました。プログラムされていることしかいわないのです。注意を促してくれるのはありがたいですが、ちょっとねぇ。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

酒はこれ忘憂の名あり

2017年09月02日 | 水月随想

 仏教では「人生は苦なり」と喝破します。人生は苦しみに満ち満ちているというのです。そしてその苦しみを整理して、生苦・老苦・病苦・死苦の四つを数え、さらに愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五蘊盛苦の四つを加え、四苦八苦と申します。そのなかで愛別離苦ほど厳しいものはありません。愛しい人と別れねばならない苦しみです。私たちはこれまで多くの人と別れてきました。またその苦しみを噛みしめておられる方々と出会ってきました。そのとき私たちは何と言葉をかけているでしょうか。いや言葉など必要なく、悲しみに寄り添い、ともに涙するだけで充分なのかもしれません。さらにいえば、それしかないのかもしれません。
 ただ親鸞聖人は次のような言葉を残されています。「悲しみに悲しみを添えるような見舞い方をしてはなりません。場合によれば、酒でも勧めて、ちょっと笑みがこぼれるくらいに心を引き立ててあげなさい」と。そのとき「酒はこれ忘憂(ぼうゆう)の名あり」といわれています。仏教では「不飲酒戒」といって、酒を飲むことを禁止されています。それは飲み過ぎると理性を失い、何をしでかすかわからないからです。けれども親鸞聖人はそのことを承知のうえで、酒の憂いを忘れさせ、心を軽やかにさせる効果を評価されているのです。そこに人々と喜びや悲しみをともにして生きられた親鸞聖人の面影がしのばれます。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ちょっとしたことで

2017年09月01日 | 水月随想

 これは性分(しょうぶん)でしょうか。私はあまりまとめ買いをすることがありません。たとえばタバコ(お嫌いなかたには申し訳ありません)ですと、一つか二つ買うくらいです。そうするとほぼ毎日、コンビニに行くことになります。
 家から車をちょっと走らせると、いくつかコンビニがあります。よく増えたものです。いつも同じ店に行くということはありませんが、だいたい決まってきます。店に入ると、店員さんが「いらっしゃいませ」、お金を払うと「ありがとうございました」、気持ちのいい声です。
 ところがある日のこと、近くのコンビニでタバコを一つ買いました。店員さんは話したことがないけれども、顔なじみです。お金を出して、お釣りをもらおうとしたとき、隣りに立っているほかの店員さんと喋りながら、お釣りのお金を私に差し出すだけで、お喋りをつづけています。私はそれを受け取ったものの、何ともいえない嫌な気分になりました。別に「ありがとうございました」といってもらいたいわけではありません。ただその一言があれば何ともないのに、それがないと嫌な気分になります。私の器量の小ささといえばそのとおりとはいえ、ちょっとしたことで人の気分を左右します。二度とこの店には来るかと思いましたが、あとで考えてみると、私自身がそのような気分を人さまにさせていないか、注意しなければならないと思いました。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

一子のごとく

2017年08月28日 | 水月随想

 私にはあまり縁がないのですが、龍谷大学にAという先生が教鞭をとっておられます。浄土真宗のお寺の御住職でもあるのですが、学問は天台学を専攻なさっています。心の芯は浄土真宗にありながら、天台の学問を教えていらっしゃるということです。そこで教え子のなかには天台宗のお坊さんもたくさんおられます。あるとき、その天台宗の教え子の一人が晋山式をおこなうというので、恩師として挨拶をしてほしいと頼まれたそうです。そして、いざ晋山式になり、儀式が終わったあと、先生が演台の前に立ちました。前に座っているのはみな天台宗の檀家さんです。その方々を前にして先生は何を言ったらいいのか、迷ってしまわれたそうです。自分は浄土真宗、天台宗の人に何をいうか、思い悩んだあげく、思わずおっしゃったそうです。「みなさん、天台宗の教えに生きようとするなら、いますぐ出家してください!」
 浄土真宗は出家も何もありません。ただただ聞かせていただく教えです。何を聞くのか、阿弥陀さまの仰せです。そこで図示しますと、
  阿弥陀さま→自分
となります。決して、
  阿弥陀さま←自分
ではありません。この矢印の方向を間違えたら、いくら聞いても浄土真宗はわかりまん。誤解するだけです。阿弥陀さま→自分をよく心に入れておいてください。そして、その「自分」とは、あなたです。阿弥陀さまと、あなたの関係です。一対一です。
  そのうえで、阿弥陀さまはあなたを、「一子(いっし)のごとく」ご覧くださいます。
一子とは、ひとりご、かけがえのない、大切な大切な如来の子よ、といつくしんでくださっています。その阿弥陀さまのましますことを聞かせていただくのです。天台宗のように出家して修行せよというのではありません。いつも阿弥陀さまが自分に、ひとりごのごとく寄り添ってくださる、そのことに安心させていただくのです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

本当に愛しているのは

2017年08月27日 | 水月随想

 お釈迦さまがインドにお出ましになられたということは、どなたも御存知のことでしょう。ただ、その年代についてはよくわかりません。いちおう日本の学者のあいだでは、紀元前四六三年から三八三年というのが定説になっています(異説もありますが、いまは省略します)。
 当時のインドは、十六の国に分かれていたそうです。そのなかで、もっとも強力であったのは、マガダ国とコーサラ国です。両国はライバルでありながら、ともに両国の国王とお妃はお釈迦さまに帰依していました。いま、マガダ国のことは略し、コーサラ国についていうと、王の名前をパセーナディといい、お妃をマツリカーといいました。ある日の夜、宮殿の二人の部屋で甘い時間を過ごしていたとき、バルコニーに出て、王が聞きました。「マツリカーよ、そなたが一番愛しているのは誰だ?」するとマツリカーはしばらく考えたのち、「王さま、よく考えてみたら、私が一番愛しているのは自分でございます。王さま、あなたはどうですか?」そこで王もしばらく考えこみ、「私も自分が一番かわいい」 本当はお互い愛しあっていることを確認したかったのに、お互い一番愛しているのは自分だということに気がつき、こんなことでいいのだろうかと思い、その足でお釈迦さまをたずね、ことの次第をを話し、教えを請いました。するとお釈迦さまは、「実は私も自分が一番かわいい」とおっしゃって、そして、「人間というものは実はみな自分がかわいいのだ。だから自分を大事にしたいと思ったら、自分がかわいいと思ったら、他人をそこなってはならない」とおさとしになられたというのです。私たちもお互いにみずからをかえりみ、お釈迦さまのおさとしに耳をかたむけ、心がけたいものです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

如来大悲の恩徳

2017年08月26日 | 水月随想

 誰が詠(うた)ったのかわからない、よみひと知らず、といわれていますが、「もろびとよ 思い知れかし おのが身の 誕生の日は 母 苦難の日」という歌があります。子供たちは自分の誕生日になると、親や回りの人から、いろいろなプレゼントをもらって祝ってもらいます。しかし、よくよく考えてみると、自分の誕生日というのは、母親が死ぬほどの苦しみをした日なのです。それゆえ本当は、誕生日は自分が祝ってもらう日ではなく、母親に感謝をささげる日なのではないでしょうか。
 いま、わたくしたちが、お浄土を目指しながら、お念仏の道を歩ませていただいているのは、阿弥陀さまの、はかり知れない御苦労があったからです。またそれを受けついで教えてくださった七高僧や親鸞聖人はじめ、数かぎりない御先祖のかたがたの御苦労があったからです。わたくしたちは何とも思わず、「如来大悲の恩徳は 身を粉(こ)にしても 報ずべし 師主知識の恩徳も 骨をくだきても 謝すべし」と歌っていますが、身を粉(こ)にしても、骨をくだきても、報ずべき、謝すべき、御恩をいただいているのです。そのことに思いをめぐらし、ありがたい、もったいないと、お念仏申させていただきましょう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

蓮位夢想の段から

2017年08月25日 | 水月随想

 昨日・一昨日と、聖徳太子の憲法十七条について少しお話をしました。浄土真宗の開祖・親鸞聖人(一一七三~一二六二)が聖徳太子(五七四~六二二)を非常にお敬いされたからです。
 ところが、親鸞聖人の曾孫にあたる覚如上人(一二七○~一三五一)が親鸞聖人の伝記を書かれ、『御伝鈔』と呼ばれています(本当は絵と詞〈ことば〉が交互に書かれた絵巻物で『親鸞聖人伝絵』といいますが、その詞だけを取り出して上下二巻の書物にしたのが『御伝鈔』です)。そのなかに、親鸞聖人の弟子で蓮位(れんい)という人があるとき夢を見たというのです。それは何と、聖徳太子が親鸞聖人に対して、お敬いをし、お礼をされたというのです。これを「蓮位夢想」の段といいます。
 ここからいえることは、親鸞聖人は聖徳太子をお敬いした。また夢のなかとはいえ、聖徳太子も親鸞聖人をお敬いをした。互いに敬いあった。人を敬うからこそ、人から敬われる。さらにいえば、人をほめるからこそ、人からほめられる。人をけなせば、相手は嫌な気持ちになり、けなしてくる。人を助けてあげれば、人は嬉しくなって、助けてくれる。人を傷つければ、人は腹を立てて、傷つけてくる。自分のした行動や言葉は、必ず自分にかえってくる。これを「ブーメランの法則」というそうです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

憲法十七条(2)

2017年08月24日 | 水月随想

 聖徳太子が西暦六○四年に制定された憲法十七条は、憲法とはいうけれども、現在用いられているような法制上のものではなく、聖徳太子の政治理念・政治哲学を表明されたものです。その根本にあるのは、仏教理念です。たとえば、昨日月申しました第一条の「和をもつて貴(とうと)しとなし」というのがそれをあらわしておりましょう。
 そして第二条には明確に、「篤(あつ)く三宝を敬ふ。三宝は仏・法・僧なり」といわれています。要するに、仏教を敬えということです。これを憲法のなかでいわれるのです。日本に仏教が定着するようになったのはこの聖徳太子の功績といっていいでしょう。それゆえ親鸞聖人は聖徳太子を「和国の教主」、日本のお釈迦さまと仰がれたのでした。
 そして第十条には、「われかならず聖(ひじり)なるにあらず、かれかならず愚かなるにあらず、ともにこれ凡夫(ただひと)ならくのみ」といわれています。私たちが人と争いになるのは、いつも自分が正しい、相手が間違っている、そう思うから争いになるのです。でも聖徳太子はいわれるのです。自分が必ずしも正しいわけではない、相手が必ずしも間違っているわけでもない、ともに「ただひと」なんだよ。この、ともに「ただひと」という地平に立たねば争いは絶えません。よくよく心したいものです。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

憲法十七条(1)

2017年08月23日 | 水月随想

 浄土真宗の開祖・親鸞聖人(一一七三~一二六二)は「七高僧」と呼ばれるインド・中国・日本の七人の方々(龍樹菩薩・天親菩薩・曇鸞大師・道綽禅師・善導大師・源信僧都・法然聖人)を崇められました。
 それと同時にまた、聖徳太子(五七四~六二二)もたいへんに崇められました。昔の一万円札ですね。なつかしく思い出されるかたも多いでしょう。ただ、聖徳太子には謎が多く、架空の人物であろうと主張される方さえおられます。けれども、親鸞聖人の時代には実在の人物として疑われることはありませんでした。架空か実在か、いまは抜きにしておきます。親鸞聖人は、たとえば「多々(=父)のごとくにそひたまひ阿摩(=母)のごとくにおはします」と、父のようだ、母のようだと慕われたのでした。それで浄土真宗のお寺には、聖徳太子のお姿を描いた掛け軸を本堂の余間というところに安置しております。拙寺にはありませんが、なかには、太子堂というお堂が境内にあって、法要をいとなむお寺もあります。
 西暦六○四年、聖徳太子は憲法十七条を制定されたといわれています。その第一条には「和をもつて貴(とうと)しとなす」といわれています。「和」、それを第一にしなさいというのです。憲法の最初にまず、そのようにいわれているのです。わたしたちは決して忘れてならないでしょう。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

かがやきタイム

2017年08月22日 | 水月随想

 先日、組(そ)の行事として拙寺で「キッズサンガ」が開かれました。予想していた以上にたくさんの子どもたちが集まってくれました。ある人が靴の数を数えたところ、55あったそうです。本堂でのおつとめや法話などのあと、境内に出て、かき氷や綿菓子などをふるまい、また本堂に戻って、簡単なクイズとビンゴゲームをして楽しみました。おつとめや法話はちょっとしんどかったようですが(組内の住職さんが行いました)、最後のビンゴゲームは盛り上がりました。景品をもらって、みんな笑顔で帰っていきました。
 昨年は小学校の先生から地域の勉強をする「かがやきタイム」ということで、小学三・四年生に何か話をしてあげてほしいという依頼がありました。いくつか地区内の工場などを見学したあと、二十人くらいでしょうか、三十人くらいでしょうか、拙寺に来てくれました。けれども、子ども相手の話というのはやっかいで、正直難しいです。いろいろ考えた末に、まずお寺の数とコンビニの数とどちらが多いかというところから入り、拙寺の歴史、合掌・礼拝の仕方、「ありがとう」という言葉を聞けば相手は嬉しい気持ちになるということを実際に示し、最後にお決まりの『阿弥陀経』に出てくる「共命之鳥」の話をして終わりました。
 けっこう長い時間でしたが、子どもたちは真剣に聞いてくれました。そして話のあと、先生が感想を述べるよう促すと、何人かの子どもが手を挙げて立ち上がり、思ったこと、感じたことを話してくれました。一番多かったのは、最初に話したコンビニの数とお寺の数でした。意外かもしれませんが、お寺のほうが多いのです。おそらく子どもたちも驚いたのでしょう。また「共命之鳥」の話もインパクトがあったようです。喧嘩をしてはいけないということがよくわかったといってくれました。後日、子どもたちから御礼の手紙をいただきました。
 子どもたちの耀く未来を願ってやみません。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ありがたい町名

2017年08月21日 | 水月随想

 この二月のことです。赤穂市の先輩のお寺に永代経法要の布教のご縁をたまわり、行かせていただきました。ただそのお寺の法座は三日間あり、昼(二席)・夜(一時間)・昼(二席)・夜(一時間)・昼(二席)と、お話をさせていただきました。さすがにそれだけの時間お話をするというのはたいへんで、毎日車で通いましたが、車のなかで何をどう話すか、考えながらの運転になりました。
 赤穂市までは、あるインターから中国道に乗り福崎で下りて播但道を走り、姫路から山陽道に乗り、赤穂インターで下ります。だいたい一時間四十五分くらいで行けるのですが、何が起こるかわかりませんので、余裕をもって拙寺を出ておりました。それで助かったのです。
 というのは、二日目の往きのときです。いま申しましたように播但道から山陽道に入らねばならないのに、考えながら運転していましたから、あっと思ったら山陽道の入り口を通り過ぎてしまいました。慌てて次のインターで下り、ナビのいうとおり下道を走るのですが、ナビの示す道がよくわかりません。どこをどう走っているのかわからなくなり、気づくと高砂市になりました。そしてしばらく行くと、歩道橋があり、そこに「高砂市阿弥陀町阿弥陀一丁目」と書いてあります。まあ、何とありがたい町名か。その町の人はみなお念仏申しているのだろうか。そんなことを思いながら、やがて山陽道に入り、何とか間に合いました。それにしても、いろいろな町名があるものですね。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

努力と天才

2017年08月20日 | 水月随想

 元WBC世界バンタム級チャンピオン・辰吉丈一郎選手に初孫が生まれたと聞きました。辰吉選手といえば、かつて「浪速のジョー」と呼ばれ、一世を風靡しました。私も大ファンでした。
 その辰吉選手がかつていわれました。
  努力に勝(まさ)る天才なし。
  この汗なくして結果なし。
そういえば、発明家のエジソンも、
  天才とは1%のひらめきと
   99%の努力である。
もうひとついえば、巨人の王貞治選手も、
  努力は必ず報われる。
  報われない努力があるとすれば、それはまだ努力とは言えない。
天才といわれる人ほど、はかりしれない努力を重ねてきたのですね。
 私が恩師と仰ぐ梯實圓(かけはし・じつえん)和上も天才としかいいようのない人でした。けれどもまた、努力の人でもあったのです。
 その努力の様子は、門下生のあいだでいろいろと語り草になっています。
 先輩から聞いた話を一つだけ申しましたら、和上は若いころ、「あかつきの梯(かけはし)」と呼ばれたそうです。それには二つの意味があって、夜明けまで勉強しつづけるから、「暁(あかつき)の梯(かけはし)」と、勉強に没頭して風呂に入らないから、「垢(あか)つきの梯(かけはし)」だったそうです。この努力あって、あの博覧強記の天才が生まれたのでした。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

阿弥陀経の無量寿仏

2017年08月10日 | 水月随想

 『阿弥陀経』には鳩摩羅什訳と玄奘訳がありますが、通常、所依として用いられるのは鳩摩羅什訳です。正宗分のはじめには、次のように説かれています。

    そのとき、仏、長老舎利弗に告げたまはく。「これより西方に、十万億の仏土を過ぎて世界あり、名づけて極楽といふ。その土に仏まします、阿弥陀と号す。いま現にましまして法を説きたまふ。(『註釈版』一二一頁)

『阿弥陀経』は阿弥陀さまをあらわすのに「阿弥陀」という訳語を用いています。そして、

    舎利弗、なんぢが意においていかん、かの仏をなんのゆゑぞ阿弥陀と号する。舎利弗、かの仏の光明無量にして、十方の国を照らすに障碍するところなし。このゆゑに号して阿弥陀とす。また舎利弗、かの仏の寿命およびその人民〔の寿命〕も、無量無辺阿僧祇劫なり。ゆゑに阿弥陀と名づく。(『註釈版』一二三~一二四頁)

と光明無量・寿命無量なるがゆえに阿弥陀と号すと説明されています。ところが『大無量寿経』には、

    仏、阿難に告げたまはく、「無量寿仏の威神光明は、最尊第一なり。(『註釈版』二九頁)

等と「無量寿仏」という訳語を用いています。「阿弥陀」の光明無量・寿命無量のなか、「寿命無量」から「無量寿仏」といわれているのです。この『阿弥陀経』の「阿弥陀」と『大無量寿経』の「無量寿仏」が同じ阿弥陀さまを指していることはいうまでもありません。

 何年か前、行信仏教文化研究所の研究発表会の休憩時間のとき、喫煙所におりますと、若い学生さんが「あのう」と質問してきました。自分はいま『阿弥陀経』を勉強しているのだが、六方段における西方の諸仏のなかに「無量寿仏」と出てくる、これは阿弥陀仏と同じか別かという内容でした。素朴に疑問に思ったのでしょう。私はいちおうの答えをし、詳しい研究書として藤田宏達氏の書物を紹介しました。「わかりました」ということで別れましたが、しっかり勉強してほしいと思いました。

 というのは、それよりもっと何年か前、あるお寺の報恩講法要にお参りをし、おつとめが終わったあと、休憩所で他の住職さんたちと雑談していますと、どういう流れだったのか忘れましたが、ある住職さんが先ほどの西方の無量寿仏について、「おかしいやないか」と発言をはじめました。それは、私だけが感じたのかもしれませんが、自分がはじめて発見したような言いぶりでした。しかしこの問題は昔からいわれていることです。厳密に調べたわけではありませんが、親鸞聖人以前にも遡りましょう。そして先哲・先学の議論もあります。にもかかわらず、自分が発見したように発言するのは、勉強していない証拠です。その傍若無人さにあきれました。私たちはお聖教に接して疑問に思ったら、まず先行研究を学ぶべきです。たいていはすでに議論されていることに驚くことがあります。それを踏まえてさらに思索し、自説を展開すべきでしょう。先行研究を無視することはただの独りよがりです。若い学生さんに「しっかり勉強してほしい」と思ったのはそのことです。

 ただし私の行空研究は、先哲・先学が遺してくださった成果を尊い遺産と崇めながら、なお疑問に思い、再考することからはじまっています。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

阿波の介

2017年08月09日 | 水月随想

 良忠上人の『徹選択鈔』上には、あるとき弁長上人が法然聖人から智者の称名と愚者の称名に功徳の勝劣があるかと問われ、本当はわかっていたが、あえて愚者の念仏がどうして上人(=法然)の念仏に等しいであろうと答えたところ、法然聖人は「あの阿波の介が念仏も源空が念仏も只だ同じ事也」と弾じたといいます(『浄土宗全書』七・一一三~一一四頁)。自身がほめられたことならともかく、叱られたことまで伝えているのは興味深いです。弁長上人の真摯さがうかがわれます。同じく良忠上人の『決答授手印疑問鈔』巻上には「阿波の介とは陰陽師なり。上人(=法然)に志し深くして独り僧徒の中に交わり常に御前に候せし人なり」(『同』一○・三四頁)といっています。阿波の介は元・陰陽師で、法然聖人に帰依し、他の僧と交じって常に聖人の御前にいたという人ということです。関通の『一枚起請文梗概聞書』には「彼の阿波介は極めて性鈍に、其の心愚かなるもの也」(『同』九・二一四頁)とあります。その愚者である阿波の介が称える念仏と智者が称える念仏を表面的に比較をすれば、どうしても見た目が先に立って、愚者の念仏のほうが劣っているように思います。けれども、念仏は阿弥陀さまが平等の慈悲に催されて衆生往生の行として選択された行法です。誰がいつどこで称えようと変わりはありません。念仏に違いはないのです。弁長上人が本当はわかっていたが、というのはそのことです。法然聖人は常々それを語っていたのでしょう。けれども、信心が同じだとまでは語っていなかったのです。そこで親鸞聖人が思索をめぐらし、「善信(=親鸞聖人)が信心も聖人(=法然聖人)の御信心も一つなり」と発言し、有名な信心一異の諍論となったのでした。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加

ありがたいこっちゃね

2017年08月08日 | 水月随想

 八月五日、大津の滋賀県立図書館へ行ったとき、せっかくここまで来たのだから龍谷大学の大宮図書館にも寄ろうと考えていましたが、ふと気がつくと、あろうことか図書館利用のカードを持ってくるのを忘れていました。とんだ、うっかりものです。しかたないので、そのまま帰路につき、京都市内の五条通りを走っていました。どのあたりだったでしょうか。二車線の道が一車線、工事中で封鎖されていて、トラックが一台止まっていました。その横を通ろうとしたとき、ちょうど赤信号になって、私は先頭で停車しました。目の前を横断する人たちが行き交います。すると私の車がゆっくりと前進しはじめたのです。危ないっ!。私は思いっきりブレーキを踏みました。けれども私の車は前進をつづけます。もう一度ブレーキを踏むのですが、止まりません。ブレーキが壊れたんだろうか?横断中の人とぶつかったらどうしよう、と焦りました。本気で焦りました。ところがよく見ると、何のことはない、私の車の横に止まっていたトラックがゆっくりと後退しているのです。それで私の車が前進しているように錯覚したのです。ちょっと疲れていたのでしょうね。でも、錯覚でよかった~。ほっとしました。しばらくして青信号になったので、アクセルを踏み、車を走らせました。そして自宅まで、あと十五分くらいのところまで帰ってきたとき、坊守からラインがありました。○○あたりに大雨洪水警報が出ているとの知らせでした。その○○は京都から少し西へ行ったところです。私はすでに通り過ぎていたので、難は逃れていました。ただ、もし龍谷大学の図書館に寄っていたら、大雨のなかを走ることになっていたでしょう。カードを忘れたことが幸いになりました。しかし、坊守はそれを知らず、滋賀県立図書館のあと龍谷大学の図書館に行くと言って自宅を出ましたので、ちょうど今ころ○○を通るのでは、というので、心配してラインをくれたのでした。これをあるところで話をすると、「錯覚はよくあるなあ」と同感され、「それにしても、心配してくれる人がいるというのは、ありがたいこっちゃね」といわれました。坊守に感謝ですが、実は阿弥陀さまも私のことをいつも心配してくださっているのでした。「ありがたいこっちゃね」とお念仏申さずにおれません。

コメント
この記事をはてなブックマークに追加