天上の月影

勅命のほかに領解なし

H29年度.研究発表要旨

2017年09月04日 | 法本房行空上人試考

  法本房行空上人と天台本覚思想

 前稿まで法本房行空が立てた一念義の内容について試考してきた。最後に天台本覚思想との関連を問題としたい。先行研究において一念義はその影響下に成立したという趣旨の指摘があるからである。行空の場合も類似する点が見られる。ただ私は、行空が「念とは思ひとよむ也。されば称名には非ず」といったのは本願成就文の「乃至一念」の「念」のことであって信の一念であり、無疑の信を重視し、「寂光土の往生」等という寂光土義は、念仏に信・不信を分明にし、信具の称名によって往生即成仏すると説いたものと考えている。ところが鎮西派の良心や妙瑞は念仏に理念理解と称名念仏の二種を立てたとする。その理念理解が何を指すのか必ずしも明らかないが、たとえば『真如観』に「今我等は骨もくだかず、命をも捨ずして、只我真如なりと思ふ計りの事によりて、須臾に仏に成ると云ふ」という「我真如なりと思ふ」ことであるとすると、「念とは思ひとよむ也」に通じ、「須臾に仏に成る」は即成仏に通ずるであろう。真宗の住田智見氏や山上正尊氏は寂光土義を一益法門になるといわれるが、それでは『三十四箇事書』などの一念成仏説と変わらない。第一「寂光土」の語を用いることが三重七箇法門に整備されたなかの常寂光土義を連想させる。しかし、そうした本覚思想に対して法然は、絶待的一元論から相待的二元論に立ち、現実肯定から現実否定をなして、娑婆から浄土への往生を説いた。にもかかわらず行空が本覚思想的教説を勧進したとすれば、興福寺から「偏執、傍輩に過ぐ」と訴えられ、思想の上で弾圧を受けた理由がわからないし、なぜ元久三年二月三十日まで破門されなかったのか説明がつかない。「如来と等し」とはいっても決して「同じ」といわなかった親鸞が『西方指南抄』「七箇条制誡」に「行空」と記名している事実に照らしても、行空の一念義は本覚思想と一線を画し、法然教学を徹底したものと見るべきであろう。

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行空上人研究の問題点(3)

2017年08月05日 | 法本房行空上人試考

  そうすると、いまの方法論では内藤氏が警鐘を鳴らされているとおりになってしまう。佐藤氏のいわれる「砂上に築く楼閣」であり、花野氏のいわれる「独りよがりの信仰(信念)告白のような論文」である。行空はこのようにいわれているけれども、親鸞が「行空」と記している以上、そうではないという論法であるからである。客観性が欠如している。それでは単なる推測であって立論にならないといわれるであろう。しかしながら、文証を示そうにも資料が少なすぎて示せないのである。またそのわずかな資料もどこまで正確なことを伝えているのかわからない。あるいは何を意味しているのかわからないものもある。前節に述べた行空研究の壁である。そこに立ち止まってしまえば従前どおりで、前に進めない。「義に依って文を捌く」という姿勢になることは充分に承知している。たとえ独りよがりと批判されても前に進もうと思う。先の花野氏の文中に、

識者の批判を覚悟の上で、その時点で、自分があたう限りの資料や文献を駆使して、勇気を出して自分の主体的な「思い」を客観化(論文化)してこそ学者の価値があります。

といわれているのを目にしたからである。この一文が私を突き動かしている。「あたう限りの資料や文献を駆使」しよう。ただそこに生まれる主体的な「思い」は、親鸞の「行空」という記名を鍵としているとはいえ、理証・文証をそろえた立論ではないから、あくまで試論にすぎない。そこで「試考」と題しているのである。

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行空上人研究の問題点(2)

2017年08月04日 | 法本房行空上人試考

 また花野充道氏は「私自身の研究方法論を確立するに当たって、最も影響を受けたのは佐藤哲英先生の方法論でした。それは一言で言えば、学問の客観性ということです。客観性の欠如した単なる主観的な論文は、砂上に築く楼閣のようなものである。これが佐藤先生の学問信条でした」といわれている。そして自身の学問信条は「研究態度は客観的に、しかも主体的に」であるとし、『論語』の「学んで思わざれば則ち罔(くら)し、思いて学ばざれば則ち殆(あや)うし」という言葉を引き、「学問をする場合、『学ぶ』ことと『思う』ことが大切であるということです。『学ぶ』とは、先学が残した書物や資料を読んだり、先生から教わったりして、要するに、客観的な知識を習得することです。これに対して『思う』とは、自分自身で主体的に思考し、思索していくことです。私は、学問をする場合、この二つが車の両輪のようにバランスをとって進んでいくことが望ましい、と考えています」といわれたあと詳述し、

われわれが学問をする場合、まず資料や文献を正確に理解し、先学の学説を謙虚に学んだ上で、自分の主体的な学説を構築していくという態度を心がけることが大切です。学ぶだけで、主体性がなければ、先学の論文の丸写しになってしまいますし、反対に、思うだけで、客観性がなければ、独りよがりの信仰(信念)告白のような論文になってしまいます。私が「研究態度は、客観的に、しかも主体的に」と言う意味は、そういうことなのです。

とまとめられている(1)。

(1)花野充道氏「本覚思想と本迹思想─本覚思想批判に応えて─」(『駒沢短期大学仏教論集』九、二○○三年)

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行空上人研究の問題点(1)

2017年08月03日 | 法本房行空上人試考

       第三節 問題点

 しかしこれには問題もある。内藤知康氏は『龍谷教学』第四八号(二○一三年)の「巻頭言」において、恩師と仰がれる村上速水氏が龍谷大学の定年退職に際しての最終講義で述べられた、
 

昔から、「文に依って義を立て、義によって文を捌く」と言われてきたが、最近は文に依らずに義を立てる人が目立つようになってきた。

という言葉を引用し、その指摘は「文証の無い立論が目立つようになったということである」といわれている。最近の学徒の風潮を憂いておられるのである。なぜなら、内藤氏はいわれる。

古来、立義(現代的表現をとれば立論)に際して、理証と文証とが必要であるといわれてきた。(中略)現代的表現をとれば、理証とは立論に際しての論理的な根拠、文証とは立論に際しての文献上の根拠ということになるであろう。

そこで立義(立論)にあたっては理証(論理的な根拠)とともに、とくに文証(文献上の根拠)の提示を強調されているのである。それは最後の「江戸期の先哲から近現代の諸先輩にいたるまで、多くの学僧の研鑽成果として、現在の教学が成立しているのであり、それら先輩の立論は緻密に文証・理証を提示したものである。後に続くものはその姿勢に学ばなくてはならないと私自身の戒めとすると同時に、会員諸氏の研究発表及び論文が、文証を無視した立論にならないよう念じて擱筆したい」という言葉によくあらわれている。

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行空上人研究の方法論(2)

2017年08月02日 | 法本房行空上人試考

 そこで私は、親鸞が『西方指南抄』所収の「七箇条制誡」連署名の最後に「行空」と記名していることに着目したい。『西方指南抄』や「七箇条制誡」の詳しいことは次章・次々章で述べるが、その連署名を『親鸞聖人真蹟集成』で示せば次のようである。
    信空  感西  尊西  證空
  源智  行西  聖蓮  見仏
  導亘  導西  寂西  宗慶
  西縁  親蓮  幸西  住蓮
  西意  仏心  源蓮  蓮生(レンセイ)
  善信  行空   已上
     已上二百余人連署了(7)  (傍線筆者)
この「行空」について、梯實圓氏は「親鸞にとって彼は忘れることのできない重要な意味をもち、法然門下の一人として確認し、記録しておかねばならない人物であったからではなかろうか(8)」といわれている。とすれば、親鸞は行空を高く評価していたのである。それを示すのが「行空」という記名である。私が前に従来の行空観に対して大いに疑問を持っているといったのは、これによるのである。後述するように親鸞は、「二百余人」(現存する原本は百九十名)のなかから二十二名だけに省略し、原本では第四十番目にあった「行空」を順序を繰り上げてまで第二十二番目に記しているのである。また安楽房遵西などの名も記そうと思えば記せるほど充分な余白がありながら「已上」と締めくくっているのである。この二字こそ、親鸞が私たちに行空の実像を伝えようとしたメッセージではなかろうか。たとえそれが過言であったとしても、私たちは親鸞が「行空」と記している事実に目をそらしてはならない。もし行空が古来いわれるように背師自立の邪義を唱えたのなら、親鸞がその名を記すことはなかったであろう。記しているということは、そうでなかったからである。また行空が造悪をほしいままにしたのなら、親鸞はその名を記すことはなかったであろう。記しているということは、そうでなかったからである。このように「行空」という二字を鍵として、それに照らしてみれば、新しい視野が開けてくる。目の前の資料を読み解くという直接的な方法論では資料そのものが乏しいのであるから行き詰まるしかない。そこで私は間接的であるが、親鸞が「行空」と記している事実を方法論として用いたいと思う。親鸞に聞いてみるということである。ゆえに「親鸞聖人に聞く」という副題をつけたのである。それは方法論を示しているのである。

(1)『西方指南抄』巻中末「七箇条制誡」(『親鸞聖人真蹟集成』五・四○二~四○三頁。『真宗聖教全書』四・一五五~一五六頁)
(2)梯實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』(永田文昌堂、一九九四年)二二頁。

 

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行空上人研究の方法論(1)

2017年08月01日 | 法本房行空上人試考

    第二節 方法論

 行空について真正面から取り上げた研究はこれまでほとんどないとないといっていいであろう。私の書いた諸論文(1)を除いて、花田玄道氏の「法本房行空について」(『仏教論叢』三五、一九九一年(2))があるくらいではなかろうか。ただ法然の専修念仏教団が大弾圧を受けた承元(建永)の法難を語るなかで、あるいは法然のほか門弟の親鸞や幸西や弁長の思想を研究するなかで、あるいは親鸞の『一念多念文意』の背景になっている一念多念の諍論を述べるなかで、あるいは凝然(一二四○~一三二一)の『浄土法門源流章』の記述を解説するなかで、あるいは異義異安心を問題として考察するなかで、少しばかり言及される程度であろう。その理由は第一に生涯の面でも教学の面でも資料がわずかしかないからである。そこから行空の姿を浮かび上がらせるのは容易なことではない。行空研究はこの資料不足が壁となって進みようがなかったのである。第二に従来の行空観が固定観念として定着していて、ことさら取り上げようとされなかったとも考えられる。なかには松野純孝氏のように、先に述べた弁長の伝える「法本房の云く、念とは思ひとよむ。されば称名には非ずと〔云云〕」について考察をめぐらし、行空の一念義を「源空の異端とすることは困難となる」と結論づけられている(3)。また詳しく展開はされていないが、梯實圓氏は三条長兼(生没年不詳)の『三長記』に「沙門行空、忽(たちま)ち一念往生の義を立て、故(ことさら)に十戒毀(教カ)化の業を勧め、恣(ほしいまま)に余仏を謗り、其の念仏行を願(ママ)進す(4)」とあるのをもって、「行空の一念義が、『三長記』に記されているとおりであるとすれば、むしろ法然聖人の教えに忠実な人であったというべきでしょう。(中略)師説に背くような異義としての一念義ではなかったと思います(5)」といわれ、「念とは思ひとよむ」について「行空の一念義は、口称よりも心念に重きをおく一念義であったかもしれない」といわれたあと、本論第五章で考察する寂光土義についても「行空が称名よりも信念を重視したというのと対照すると称名のなかに信と不信を分けて、不信の称名は有相の浄土(化土か)へ往生し、信心の称名は寂光浄土(弥陀の報土か)へ往生すると説いたものであったかもしれない。もしそうならば幸西や親鸞聖人との親近性も考えられる」と述べられている(6)。こうした行空を好意的に見ようとする見解は注目すべきであるが、その後も変わることなく、行空を再考しようとされることはなかった。

(1)拙稿「法本房行空上人と親鸞聖人」(『行信学報』二四、二○一一年)、「法本房行空上人と造悪無碍」(『龍谷教学』四八、二○一三年)、「法本房行空上人の教学試考─邪義の評価と『三長記』に見られる教学の基本─」(『行信学報』二八、二○一五年)、「法本房行空上人の教学試考─弁長上人『浄土宗要集』の断片をめぐって─」(『龍谷教学』五一、二○一六年)、「法本房行空上人の教学試考─とくに寂光土義をめぐって(その一)─」(『行信学報』二九、二○一六年)、「法本房行空上人の教学試考─とくに寂光土義をめぐって(その二)─」(『行信学報』三○、二○一七年)
(2)ただしこの論稿には疑問がある。本論第二、第三章で詳述するであろう。
(3)松野純孝氏『親鸞─その生涯と思想の展開過程』(三省堂、一九五九年)一一七~一一九頁。
(4)三条長兼『三長記』元久三年二月三十日条(『増補史料大成』三一・一八二~一八三頁)
(5)梯實圓氏『親鸞聖人の生涯』(法蔵館、二○一六年)一一八頁。
(6)梯實圓氏『玄義分抄講述─幸西大徳の浄土教─』(永田文昌堂、一九九四年)二二~二三頁。なお平雅行氏『鎌倉仏教と専修念仏』(法蔵館、二○一七年)二三○頁のほか、四○九頁にも「親鸞・行空・幸西・証空の四名はいずれも信心の重視派という共通点がある」といわれている。

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行空上人研究の目的

2017年07月31日 | 法本房行空上人試考

  〔序  論〕

   第一章 行空上人研究にあたって

    第一節 研究の目的

 日本の仏教史上に行空という名の僧は複数いた。そのなかでいま取り上げようとするのは浄土宗を開いた法然房源空(一一三三~一二一二)の高弟の一人・法本房行空(生没年不詳)である。のちに浄土真宗の開祖と仰がれる善信房親鸞(1)(一一七三~一二六二)の兄弟子にあたる。法然門下では成覚房幸西(一一六三~一二四七)とともに一念義の代表的人物として知られている。ただ一念義は法然の正統を自認する鎮西派において派祖の聖光房弁長(弁阿、一一六二~一二三八)以来、蛇蝎視されてきた。多念の称名を否定し、さらには造悪無碍に陥る傾向をもっているからである。とくに行空については弁長自身、「法本房の云く、念とは思ひとよむ。されば称名には非ずと〔云云〕答ふ、此は念仏を習はざる也(2)」と、行空の名を出して批判している。称名の念仏を廃したと映じたのであろう。江戸時代になると、たとえば鸞宿(一六八二~一七五○)は法然門下を「面受親聞の人」「背師自立の人」「従他帰入の人」と分類するなかで「背師自立の人」に入れ(3)、妙瑞(?~一七七八)は「正義」「不正義」「邪義」と分類するなかで「邪義」と判じている(4)。真宗においても同様で、古くは了祥(一七八八~一八四二)の『異義集』に「法本が計は(中略)悪無碍をつのり、放逸無慚に至るか」といい、「邪見放逸なるは、おもに法本とみゆれども」等といっている(5)。 近年においても住田智見氏は「一向専修を心得あやまりて造悪を恣にせんとし(6)」といわれ、山上正尊氏は「行空は造悪を孕む邪念義である(7)」と断定されている。一般にも平成二十二年(二○一○)に第六十四回毎日出版文化賞特別賞を受賞した五木寛之氏の小説『親鸞』のなかで安楽房遵西(?~一二○七)とともに悪役に設定されている(8)。それはあくまで小説であるから問題とすべきではないかもしれないが(9)、そのような人物設定は古来からの行空観が根底にあるからであろう。こうして行空は八百年来、背師自立の邪念義を唱えた弟子とされてきたのである。しかしはたしてそうであろうか。私は大いに疑問を持っている。そこで行空の実像に迫ろうと思うのである。それは単に行空の解明を目的とするのではなく、名誉回復を目指すものである。

(1)親鸞自身は法然の浄土宗のほかに浄土真宗を開こうとする意志はなかった。むしろ浄土真宗を開いたのは法然であるといっている。たとえば『高僧和讃』「源空讃」に「智慧光のちからより 本師源空あらはれて 浄土真宗をひらきつつ 選択本願のべたまふ」(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』五九五頁)とあるごとくである。また浄土真宗という宗名については、門外からの批判に対して法然の浄土宗こそ真実の仏法であると顕彰し、門内の誤解に対して浄土宗の真実義を開顕するという意味をもっていた。梯實圓氏『教行信証の宗教構造〈真宗教義学体系〉』(法蔵館、二○○一年)五頁参照。そのほか桐渓順忍氏『教行信証に聞く』上巻(教育新潮社、一九六六年)一○○~一○一頁などがある。
(2)弁長『浄土宗要集』第五(『浄土宗全書』一○・二二八頁)
(3)鸞宿『浄土伝灯総系譜』巻下(『浄土宗全書』一九・一一八頁)
(4)妙瑞『徹選択集私志記』巻上(『浄土宗全書』八・一一五頁)、同『鎮西名目問答奮迅鈔』巻第一(『同』一○・四三三頁)
(5)了祥『異義集』巻一(『続真宗大系』一九・四、九頁)
(6)住田智見氏『浄土源流章解説』(法蔵館、一九二五年、一九八二年再刊)二二七頁。
(7)山上正尊氏『一念多念文意講讃』(為法館、一九五六年)九二頁。
(8)五木寛之氏『親鸞』(講談社、二○一○年)
(9)五木寛之氏自身「あとがき」のなかで、「安楽房その他の登場人物は、私の想像の中でさまざまにふくらませてもらった。実在の人物とは異なる物語りの登場人物としてお許しをいただきたい」といわれている。
Note

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続・寂光土義の論文(18)

2017年02月08日 | 法本房行空上人試考

               六

 以上、寂光土義を弁長の所伝と良心・妙瑞の釈を合わせて整理すれば次のようになるであろう。

  信具の称名……体の浄土……常寂光土……報土……即成仏……殊勝、深
  不信の称名……相の浄土……九品浄土……化土……方便か……初心の人

すなわち、行空は伝道者として安心門を徹底して信を強調し、本願を憑む念仏によってのみ最高の浄土に生まれ、即成仏する。われわれにとって仏道を完成する道はそのほかにない。唯一の成仏道である。『法華経』に「女身は垢穢にして是れ法器に非ず」と説かれる女性にも成仏までの救いを開いていく。誰一人として漏れるものはない。まったく極善最上の法である。ゆえに本願を憑み念仏せよと民衆に説いたのであろう。しかしそれは逆にいえば聖道門を否定することになる。行空は「七箇条制誡」の四十番目に署名しているから(1)、聖道門を誹謗するつもりはなかったにせよ、結果として誹謗することになる。それで興福寺より名指しで訴えられ、法然はやむなく破門という措置をとった。もっともそれは名目上である。その証拠に翌年の承元(建永)の法難(一二○七)では法然門下として佐渡へ流罪になっている。行空破門の理由を造悪をほしいままにしたという見解があるが、それは誤解であろう。造悪無碍を厳しく誡めた親鸞が『西方指南抄』の「七箇条制誡」に行空の名を記しているからである(2)。行空の破門は民衆に浄土宗こそ唯一の成仏道と説いたところに非難が集中した措置と思われる。しかしそれは右図のように法然の教えを素朴な形で整理・深化させたもので、とくに即成仏を説くのは親鸞の先駆として注目すべきであろう。ただ常寂光土という名目を用いたのはやはり問題である。本覚思想と混乱するからである。良心や妙瑞が信具の称名を「理解」「理念理解」と釈しているのがそのあらわれである。そこで次稿に行空と本覚思想について述べることにしたい。

(1)二尊院本「七箇条制誡」(井川定慶氏集『法然上人伝全集』九七四頁)    
(2)『西方指南抄』巻中末「七箇条制誡」(『真宗聖教全書』四・一五六頁)、拙稿「法本房行空上人と造悪無碍」(『龍谷教学』四八、二○一三年)を参照されたい。

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続・寂光土義の論文(17)

2017年02月07日 | 法本房行空上人試考

 しかも法然は、弁長の所伝によると「予(=法然)が如きは、已に戒定慧三学の器に非ず(1)」という自覚をもって求法し、善導の指南によって回心を遂げたのであった。『西方指南抄』「法然聖人御説法事」には、

    おほよそ諸宗の法門浅深あり、広狭あり。すなわち真言・天台等の諸大乗宗はひろくしてふかし、倶舎・誠実等の小乗宗はひろくしてあさし。この浄土宗は、せばくしてあさし。しかればかの諸宗はいまのときにおいて機と教と相応せず、教はふかし機はあさし、教はひろくして機はせばきがゆへなり。(中略)たゞこの浄土の一宗のみ、機と教と相応せる法門なり(2)。

といっている。法然が焦点を合わせていたのは機の問題であり、その機と相応する法門を求めたのである。それが浄土門であった。『四十八巻伝』にはいわゆる大原談義の折りを回想して、

    大原にして、聖道浄土の論談ありしに法門は牛角の論なりしかども、機根くらべには、源空かちたりき。聖道門は、ふかしといへども、時すぎぬれば、いまの機にかなはず、浄土門はあさきに似たれども、当根にかなひやすし(3)。

といったと伝えている。

 さらにそれは『西方指南抄』「十一箇條問答」に、

    十方衆生の願のうちに、有智・無智・有罪・無罪・善人・悪人・持戒・破戒・男子・女人、三宝滅尽ののち百歳までの衆生、みなこもれるなり(4)。

といい、『西方指南抄』「津戸三郎に答ふる書」にも、
 

   十方衆生のために、ひろく有智・無智・有罪・無罪・善人・悪人・持戒・破戒、たふときもいやしきも、男も女も、もしは仏在世、もしは仏滅後の近来の衆生、もしは釈迦の末法万年ののち、三宝みなうせての時の衆生まで、みなこもりたる也(5)。

というように、万機を摂する法である。平等の慈悲に催されて建立された本願であるから、むしろ当然である。

 そうすると聖道門は機教不相応であって一切の衆生を救えない法門ということになる。そこで法然は『選択集』二門章に、

    道綽禅師、聖道・浄土の二門を立てて、聖道を捨ててまさしく浄土に帰する文(6)。

と標し、三選の文にも、

    はかりみれば、それすみやかに生死に離れんと欲はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣きて選びて浄土門に入るべし(7)。

といい、三輩章に廃助傍の三義を挙げるなか、

    初めの義はすなはちこれ廃立のために説く。いはく諸行は廃せんがために説く、念仏は立せんがために説く。(中略)いまもし善導によらば、初め(=廃立)をもつて正となすのみ(8)。

といって、聖道門(行体は諸行)を捨てることを示し、『拾遺語灯録』「浄土随聞記」には、

    明らかに知んぬ、念仏往生の外、皆方便の説と為ることを(9)。

といいきっているのである。幸西も『玄義分抄』に「故に聖道は方便也(10)」といっているから、過激な廃立を説く行空であればなおさらであろう。そのうえ即成仏を説けば、唯一無二の一乗法となり、真に極善最上の法と顕彰することになる。これが第二重の意図である。

(1)『徹選択集』上(『浄土宗全書』七・九五頁)
(2)『西方指南抄』巻上本「法然聖人御説法事」(『真宗聖教全書』四・三六~三七頁)
(3)『法然上人行状絵図(四十八巻伝)』第六(井川定慶氏集『法然上人伝全集』二八頁)
(4)『西方指南抄』巻下本「十一箇條問答」(『真宗聖教全書』四・二一七頁)
(5)『西方指南抄』巻下末「津戸三郎に答ふる書」(『真宗聖教全書』四・二五五頁)
(6)『選択集』二門章(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一一八三頁)
(7)『選択集』三選の文(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一二八五頁)
(8)『選択集』三輩章(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一二二○頁)
(9)『拾遺語灯録』巻上「浄土随聞記」(『真宗聖教全書』四・七○○頁)
(10)『玄義分抄』(梯 實圓氏『玄義分抄講述』付録・四五八頁)

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続・寂光土義の論文(16)

2017年02月06日 | 法本房行空上人試考

 こうして浄土教は親鸞を除き、「浄土三部経」をはじめ伝統的に往生浄土を目指す教えとして説かれてきたのである。その往生後は正定聚、不退転地、あるいは一生補処の等覚とも説かれ、円教の初住、別教の初地とも示されている。そうすると成仏までのあいだに段階があることになる。それについて龍樹の「易行品」には、

    かの国のもろもろの衆生、その性みな柔和にして、自然に十善を行ず(1)。

といっている。善導は『往生礼讃』に、

    かしこに到り華開けて妙法を聞けば、十地の願行自然に彰る(2)。

といい、『般舟讃』にも、

    十地の行願自然に成ず(3)

といっている。初地から第十地までのなすべき願と行が「自然」に実現するというのである。また先に述べた源信の『往生要集』「欣求浄土」のなかの第十楽には「増進仏道の楽」があり、

    かの極楽国土の衆生は、多くの因縁あるがゆゑに、畢竟じて退せずして、仏道に増進す。(中略)もろもろの衆生において大悲心を得、自然に増進して、無生忍を悟り、究竟してかならず一生補処に至り、乃至、すみやかに無上菩提を証す(4)。

と述べている。浄土に往生すれば「自然に」仏道が増進するというのである。

 法然が西方指南抄』「念仏大意」に、

    まづ弥陀の願力にのりて、念仏の往生をとげてのち、浄土にして阿弥陀如来・観音・勢至にあひたてまつりて、もろもろの聖教おも学し、さとりおもひらくべきなり(5)。
といい、『同』「要義問答」に、

    まことに観念もたえず、行法にもいたらざらむ人は、浄土の往生をとげて、一切の法門おも、やすくさとらせたまはむは、よく候なむとおほえ候(6)。

といい、

    とくとく安楽の浄土に往生せさせおはしまして、弥陀・観音を師として、法華の真如実相平等の妙理、般若の第一義空、真言の即身成仏、一切の聖教、こゝろのまゝにさとらせおはしますべし(7)。

というのは、「自然に」仏道が増進することをいっているのであろう(8)。『西方指南抄』「四箇条問答」には、

    蓮台に詫して、往生已後の増進仏道をもて用とす。これは極楽にての事也(9)。

といって、仏道の増進は往生以後であると述べている。こうした仏道の増進について隆寛は『極楽浄土宗義』に、

    次位を論ずと雖も、永く瓔珞経等に異なり、彼は自力の断証を説く、此は他力の断証を明かす故也(10)。

といっている。自力で断証するのではなく他力の断証であるというのである。それが「自然に」ということであろう。そこで寓宗的浄土教のように、まず悪縁のない浄土に生まれて、自力の修行をやり直すというものではなく、浄土に生まれれば、おのずと仏道が増進し、仏果に至るのである。隆寛は「自然依入の徳」といっている。しかしながら自力・他力という本質的な相違があるとはいえ、浄土往生→他力断証→成仏とすれば、寓宗的浄土教と形式上は変わらないであろう。そこへ即成仏を語ると、寓宗的地位から離脱して独立し、本願の念仏による完全な仏道となる。行空はそれをいおうとしたのではなかろうか。

(1)『十住毘婆沙論』「易行品」(浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一七頁)
(2)『往生礼讃』日中讃(浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』七○二頁)
(3)『般舟讃』(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』七九○頁)
(4)『往生要集』巻上・大文第二・欣求浄土(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』八八五~八八六頁)
(5)『西方指南抄』巻下末「念仏大意」(『真宗聖教全書』四・二二四頁)
(6)『西方指南抄』巻下末「要義問答」(『真宗聖教全書』四・二三八頁)
(7)『西方指南抄』巻下末「要義問答」(『真宗聖教全書』四・二五四頁)
(8)なお法然における浄土の修行について浅野教信氏「法然上人の証果観について」(『真宗学』三五・三六、一九六七年、のち同氏『親鸞と浄土教義の研究』〈永田文昌堂、一九九八年〉所収)は得果以後の自悟楽の風光を示すといわれている。
(9)『西方指南抄』巻中末「四箇条問答」(『真宗聖教全書』四・一七六頁)
(10)『極楽浄土宗義』巻中(平井正戒氏『隆寛律師の浄土教』遺文集・二五頁)

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続・寂光土義の論文(15)

2017年02月05日 | 法本房行空上人試考

 しかし法然の開いた浄土宗は、往生浄土宗の略で、浄土に往生することを本旨とする教えという意味であった。所依の経典である『大経』の第十一願には、

    たとひわれ仏を得たらんに、国中の人天、定聚に住し、かならず滅度に至らずは、正覚を取らじ(1)。

と誓い、その成就文には、

    それ衆生ありて、かの国に生るるものは、みなことごとく正定の聚に住す。ゆゑはいかん。かの仏国のなかにはもろもろの邪聚および不定聚なければなり(2)。

と説かれている。願文には正定聚に住することと滅度に至ることの二つの願事が誓われているが、成就文には浄土に邪定聚や不定聚はなく、みなことごとく正定聚に住していると、正定聚に住することだけが説かれている。そこで第十一願は浄土に往生して正定聚に住せしめようという願であることが知られる。かならず滅度に至るといっても、それはのちのことであるといわねばならない。これを「必至滅度の願」と見たのは親鸞独自の第十一願観である。また『観経』においても、往生人が即座に成仏するとは説かれていない。上品上生の人でさえ、

    かの国に生じをはりて、仏の色身の衆相具足せるを見、もろもろの菩薩の色相具足せるを見る。光明の宝林、妙法を演説す。聞きをはりてすなはち無生法忍を悟る。須臾のあひだを経て諸仏に歴事し、十方界に遍して、諸仏の前において次第に授記せらる。本国に還り到りて無量百千の陀羅尼門を得(3)。

とあるのである。このなかとくに「授記せらる」に着眼すると、「無生法忍を悟る」といっても、それは菩薩の相であるといわねばならない。さらに『阿弥陀経』には、

    極楽国土には、衆生生ずるものはみなこれ阿鞞跋致なり。そのなかに多く一生補処あり。その数はなはだ多し。これ算数のよくこれを知るところにあらず。ただ無量無辺阿僧祇劫をもつて説くべし(4)。

と説かれている。浄土に往生した人はみな不退転の位にあり、そのなかに一生補処の等覚の菩薩が数多いというのである。このように「浄土三部経」で浄土に往生して即時に成仏するとはいわないのである。

 そして龍樹の『十住毘婆沙論』「易行品」では「人よくこの仏の無量力威徳を念ずれば、即時に必定に入る」などといって、現生に正定聚に入ることを説くが、浄土往生後は、「三趣および阿修羅に堕せず」「人天の身相同じくして、なほ金山の頂の如し」「天眼耳通を具して、十方にあまねく無碍なり」等といい、「かの土のもろもろの菩薩」「かのもろもろの大菩薩」といって(5)、成仏するとはいっていない。

 天親の『浄土論』は近門・大会衆門・宅門・屋門・園林遊戯門の五功徳門を説き、「菩薩はかくのごとく五門を修して自利利他す。速やかに阿耨多羅三藐三菩提を成就することを得るゆゑなり」と説くが、それは浄土において「漸次に五種の功徳を成就す」と説いているのである(6)。五功徳門を漸次に修行して、仏果を成就するのである。

 ただそこに「速やかに得る」とある。これに注目したのが曇鸞の『往生論註』であるが、しかしその冒頭には、

    「易行道」とは、いはく、ただ信仏の因縁をもつて浄土に生ぜんと願ずれば、仏願力に乗じて、すなはちかの清浄の土に往生を得。仏力住持して、すなはち大乗正定の聚に入る。正定はすなはちこれ阿毘跋致なり(7)。

といって、浄土に往生して不退転地に住すると述べている。

 善導は『法事讃』に、

    畢命してただちに涅槃の城に入らん(8)

といって、畢命後ただちに涅槃に入ると見られる表現がある。しかしこれは浄土を「涅槃の城」と表現し、その浄土にただちに往生することをいったものと思われる。善導は「他方の凡聖、願に乗じて往来す。かしこに到りぬれば、殊なることなく斉同に不退なり(9)」とか「九品ともに回して不退を得よ(10)」というように、浄土に往生して不退転地に至ることを述べている。『往生礼讃』には、

    かの厳浄国に至れば、すなはちすみやかに神通を得て、
    かならず無量尊において、記を受けて等覚を成ず(11)。

といって、等覚を成ずることを示すところもある。しかし往生と同時に成仏は決して語らない。「玄義分」には、

    第五に別時意を会通すいふはすなはちその二あり(12)。

として、成仏別時意と往生別時意を分けて論じている。法然や行空は見ていないが、『般舟讃』には、

    一たび〔浄土に〕入りぬれば不退にして菩提に至る(13)               
といって、浄土に生まれれば不退転の位に入り、そして菩提に至ることを述べている。『往生礼讃』にも、

    前念に命終して後念にすなはちかの国に生じ、長時永劫につねに無為の諸楽を受く。すなはち成仏に至るまで(乃至成仏)生死を経ず(14)。

といっている。往生と成仏のあいだには「乃至」があるのである。

 源信(九四二~一○一七)の『往生要集』は題号を示すとおり往生浄土をテーマにした書であり、とくに大文第二の「欣求浄土」には「いま十の楽を挙げて浄土を讃ずる」といって、「一には聖聚来迎の楽、二には蓮華初開の楽、三には身相神通の楽、四には五妙境界の楽、五には快楽無退の楽、六には引接結縁の楽、七には聖聚倶会の楽、八には見仏聞法の楽、九には随心供仏の楽、十には増進仏道の楽なり」と標している(15)。それをみると明らかに浄土に往生して即時に成仏するとは説かれていない。

 法然もまた『西方指南抄』「法然聖人御説法事」に、

    浄土者(は)まづこの娑婆穢悪のさかひをいで、かの安楽不退のくにゝむまれて(16)、

などと、浄土を不退の国といっている。そして前にも述べた法然教学の帰結である「名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆゑなり」では往生までしかいっていない。それは醍醐本『法然上人伝記』に、

    或る人問ひて云ふ、真言の阿弥陀供養法、是れ正行なるべきや。云何。
    答ふ、然るべからず。(中略)彼は成仏の教也、此は往生の教也(17)。

とあり、真言宗を成仏の教とし、浄土宗を往生の教と規定するからであろう。また法然は天台座主・顕真(一一三一~一一九二)の問いに対して、

    成仏は難しと雖も往生は得易き也(18)。

と答えている。往生と成仏を分け、難易を示しているのは注意される。

 法然門下は先に見たように九品平等を説くが、その平等の果を隆寛は初住(円教の所談)、幸西は初地(別教の所談)と見ている。證空は『定散料簡義』に、

    当得往生、是は発三心の上の益を顕はす。捨命の後、正に見仏聞法して即悟無生する時、(中略)仏も衆生も不二一体にして、遙に凡聖の境を超へ、色身の都を出でて等覚の眠を醒ます位なり(19)。

といって、等覚と見ているようである(20)。ただ凝然の『浄土法門源流章』證空の段には、

    既に是れ同一念仏の所生なり。自余の諸善雑行に由らず。如来の出世成道説法は凡夫を度し浄土に生ぜしめて直爾に無上菩提を得せしめんが為なり(21)。

とあり、浄土に往生して直爾に成仏するという記述がある。しかし往生即成仏を明確に説くのは親鸞である。「証文類」冒頭に、

    つつしんで真実の証を顕さば、すなはちこれ利他円満の妙位、無上涅槃の極果なり(22)。

といい、「信文類」末にも、

    念仏の衆生は横超の金剛心を窮むるがゆゑに、臨終一念の夕べ、大般涅槃を超証す(23)。

といい、『浄土和讃』「大経讃」にも、
 

   念仏成仏これ真宗(24)

などというのがそれである。古来、親鸞の己証といわれてきた。

(1)『大無量寿経』巻上(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』一七頁)
(2)『大無量寿経』巻下(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』四一頁)
(3)『観無量寿経』(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』一○九頁)
(4)『阿弥陀経』(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』一二四頁)
(5)『十住毘婆沙論』「易行品」(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一六~一七頁)
(6)『浄土論』(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』四一~四二頁)
(7)『往生論註』巻上(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』四七頁)
(8)『法事讃』巻上(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』五一二頁)
(9)『法事讃』巻上(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』五○八頁)
(10)『法事讃』巻下(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』五六三頁)
(11)『往生礼讃』初夜讃(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』六七四頁)
(12)『観経疏』「玄義分」(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』三二一頁)
(13)『般舟讃』(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』七四三頁)
(14)『往生礼讃』前序(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』六六○~六六一頁)
(15)『往生要集』巻上・大文第二・欣求浄土(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』八五五頁)
(16)『西方指南抄』巻上末(『真宗聖教全書』四・一一九頁)。ほかに『同』巻下末「黒田の聖に遺す書」に「不退の浄土」(『同』四・二二一頁)、『同』巻中末「四箇条問答」に「無漏の報土」(『同』四・一七五頁)といった用例もある。
(17)醍醐本『法然上人伝記』(井川定慶氏集『法然上人伝全集』七七八頁)。同じことが『拾遺語灯録』巻上「浄土随聞記」(『真宗聖教全書』四・六九九頁)にも記されている。
(18)醍醐本『法然上人伝記』(井川定慶氏集『法然上人伝全集』七七四頁)。同じことが『拾遺語灯録』巻上「浄土随聞記」(『真宗聖教全書』四・六九三頁)にも記されている。
(19)『定散料簡義』(森英純氏編『西山上人短篇鈔物集』七一頁)
(20)これをもって等覚とするのは那須一雄氏「法然門下の『往生』理解─特に浄土往生後の菩薩の階位の問題を中心として─」(『印度学仏教学研究』五八─一、二○○九年)による。しかし石田充之氏『法然上人門下の浄土教学の研究』上巻(大東出版社、一九七九年)三六九頁には「無上の証果」といわれている。
(21)『浄土法門源流章』(『浄土宗全書』一五・五九七頁)
(22)『教行証文類』「証文類」(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』三○七頁)
(23)『教行証文類』「信文類」末(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』二六四頁)
(24)『浄土和讃』「大経讃」(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』五六九頁)

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続・寂光土義の論文(14)

2017年02月04日 | 法本房行空上人試考

                五

 行空の意図の第二重は最高の浄土に往生するだけでなく、即成仏するということにあったと思われる。法身、妙覚の所居である常寂光土に往生するというからである。その背景として、第一に天台・真言、とくに本覚思想に説かれる即身成仏説があるであろう。第二に伝道の対象に女性がいたことはいうまでもないと思うが、その女性について説かれてきた五障説が考えられる。『五分律』などにも示されているが(1)、一番有名なのは『法華経』である。「又た如人の身には猶ほ五障有り。一は梵天王と作ることを得ず。二は帝釈、三は魔王、四は転輪聖王、五は仏身なり(2)」と説かれている。女性はとくに仏に成れないと示されているのである。第三に存覚(一二九○~一三七三)の『六要鈔』に「証は即ち果也。果に近遠有り。近果は往生、遠果は成仏なり。証に分極有り、分証は往生、究竟は成仏なり(3)」といって往生と成仏を近果と遠果、分証と究竟に分けている。極善最上の法に対する果を往生というだけであったら近果・分証であり極善最上とはいえないであろう。第四に仏道がそもそも成仏を目指すものであれば遠果・究竟の成仏まで至らないと、なお諸宗の寓宗的浄土教の域を出ないことになる。このようなことから行空は成仏までを意識して真に極善最上の果とし、「寂光土の往生」といって、法然が独立した浄土宗を完全なる仏道として女性たちに説いていったと思われる。

(1)『五分律』巻第二十九(『大正新脩大蔵経』二二・一八六頁上)、『中阿含経』巻第二十七(『同』一・六○七頁中)、『中本起経』巻下(『同』四・一五九頁中)、『増一阿含経』巻第三十八(『同』二・七五七頁下)
(2)『妙法蓮華経』巻第五・提婆達多品(『大正新脩大蔵経』九・三五頁下)
(3)『六要鈔』第一(『真宗聖教全書』二・二○五頁)

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続・寂光土義の論文(13)

2017年02月03日 | 法本房行空上人試考

 さらに法然教学のなかから論理を推測してみると、『漢語灯録』「大経釈」には、

天台・真言、皆な頓教と名づくと雖も、惑を断ずるが故に猶ほ是れ漸教也。未だ惑を断ぜず三界の長迷を出過するが故に、此の教(=浄土の教)を以て頓中の頓と為る也(1)。

といって浄土の教を漸教でなく頓中の頓とする。そして『大経』流通分の「それかの仏の名号を聞くことを得て、歓喜踊躍して乃至一念せんことあらん。まさに知るべし、この人は大利を得とす。すなはちこれ無上の功徳を具足するなりと(2)」とある文を『選択集』に釈して、

この「大利」とはこれ小利に対する言なり。(中略)また「無上の功徳」とはこれ有上に対する言なり(3)。

といい、『西方指南抄』「法然聖人御説法事」にも、

大利と云(いふ)は、小利に対する言(ことば)なり。無上と云(いふ)は、この功徳の上する功徳なしと云(いふ)義也。(中略)念仏はすなわち大利也、余善はすなはち小利也。念仏は無上なり、余行は又た有上也。すべて往生を願ぜむ人、なんぞ無上大利の念仏をすてゝ、有上小利の余善を執せむや(4)。

といって念仏の行を小利有上でなく大利無上とする。さらに『法事讃』に「極楽は無為涅槃の界なり。随縁の雑善おそらくは生じがたし。ゆゑに如来要法を選びて、教へて弥陀を念ぜしむることもつぱらにしてまたもつぱらならしむ(極楽無為涅槃界 、随縁雑善恐難生、故使如来選要法、教念弥陀専復専)(5)」とある文を『選択集』には、

雑善はこれ少善根なり、念仏はこれ多善根なり。(中略)また大小の義あり。いはく雑善はこれ少善根なり、念仏はこれ大善根なり。また勝劣の義あり。いはく雑善はこれ劣の善根なり。念仏はこれ勝の善根なり(6)。

といい、念仏を多・大・勝の三義をもって釈している。『西方指南抄』では「少善根なる雑善をすてゝ、もはら多善根の念仏をとけるなり(7)」というだけであるが、いまの『法事讃』の文で注意すべきは「要選法」である。法然が「選択」という語を採用するにあたって指南になったと指摘されているからである(8)。法然教学において重要な文といえる。そのはじめに阿弥陀仏の浄土を「無為涅槃の界なり」といっているのである。「定善義」にも、

帰去来、魔郷には停まるべからず。曠劫よりこのかた六道に流転して、ことごとくみな経たり。
到る処に余の楽なし、ただ愁歎の声を聞く。この生平を畢へてのち、かの涅槃の城に入らん(9)。

とあって「涅槃の城」といっている。『法事讃』にも二ヶ所に見られる(10)。『選択集』の有名な、

まさに知るべし、生死の家には疑をもつて所止となし、涅槃の城には信をもつて能入となす(11)。

という信疑決判の文はこれによるのであろう。『漢語灯録』「観経釈」にも同じ文があるが(12)、前に述べたようにのちに加えられたもので、他に類するものはまったくないから、行空が知っていたかどうかわからない。ただ行空は「念とは思ひとよむ、されば称名には非ず」といい、成就文の一念を信の一念と見て無疑の信を重視したと考えられる(13)。その信は本願を憑む心であり、本願において念仏が選択されていた。極善最上の法であり、頓中の頓教であり、大利無上の行である。それを正定業と疑いなく憑んで往生する浄土が「無為涅槃界」「涅槃の城」とすれば、最高の浄土に往生するということになるであろう。すなわち極善最上の果である。これが第一重の意図である。

(1)『漢語灯録』巻一「大経釈」(『真宗聖教全書』四・二六四頁)
(2)『大無量寿経』巻下・流通分(『浄土真宗聖典〈註釈版〉』八一頁)
(3)『選択集』利益章(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一二二四~一二二五頁)
(4)『西方指南抄』巻上末「法然聖人御説法事」(『真宗聖教全書』四・一一四頁)
(5)『法事讃』巻下(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』五六四~五六五頁)
(6)『選択集』多善根章(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一二七四~一二七五頁)
(7)『西方指南抄』巻上末「法然聖人御説法事」(『真宗聖教全書』四・一一四頁)
(8)梯 實圓氏『法然教学の研究』(永田文昌堂、一九八六年)二一七頁。
(9)『観経疏』「定善義」水観(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』四○六頁)
(10)『法事讃』巻上(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』五○七、五一二頁)
(11)『選択集』三心章(『浄土真宗聖典 七祖篇〈註釈版〉』一二四八頁)
(12)『漢語灯録』巻二「観経釈」(『真宗聖教全書』四・三五三頁)
(13)『浄土宗要集(西宗要)』第五(『浄土宗全書』一○・二二八頁)。拙稿「法本房行空上人の教学試考─弁長上人『浄土宗要集』の断片をめぐって─」(『龍谷教学』五一、二○一六年)

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続・寂光土義の論文(12)

2017年02月02日 | 法本房行空上人試考

『維摩経文疏』では四土すべてでなく凡聖同居土のみ浄穢を語るが、往生・来生を論じないとした次に、

若し分に常寂光土を明さば、下の寂滅忍は十地にして二生在ること有り。中の寂滅忍は等覚地にして一生在ること有る也。或ひは云く、円教の初住に分に無明を破し仏性の理を見て亦た分に生ずるを得。乃至等覚に皆な分生の義有り。但し無明と変易生死の果報の拘する所有り。故に果報に住すと云ふ也。妙覚は永く尽く。故に一人のみ浄土に居すと言ふ也。前の四十一地は若し果報の土をいはば名けて果報土に生ずと為す。若し分に真寂の理を見るは名けて常寂光土に生ずと為す也(1)。

といっている。そこには二説が出され、第一説は、下の寂滅忍を十地、中の寂滅忍を等覚位とする。そのいうところは十地の菩薩の居する所を下の常寂光土、等覚の菩薩の居する所を中の常寂光土、そこに言葉はないが、妙覚位の仏の居する所を上の常寂光土となるであろう。つまり常寂光土に上・中・下の三種を示しているのである。第二説は、円教の初住以上等覚は分に無明を破して仏性の理を見るから、常寂光土において分生の義があるとする。ただし初住地以上は無明と変易生死の果報であるから実報無障礙土に住するともいっている。実報無障礙土については前に述べたように別教の初地、円教の初住以上の来生する土である。ということは『維摩経文疏』も常寂光土の分生と実報無障礙土の来生の行位は同じになる。その相違点がどこにあるかといえば、円教初住以上は通惑(見思の惑)を断じ尽くしているとはいえ、いまだ塵沙の惑(等覚はない)と無明の惑があり、また変易生死を受ける。その果報の点から実報無障礙土となるのである。それに対して分に真寂の理を見るという点から常寂光土となる。井上智裕氏は「観点の異なり」といわれている(2)。ただ実報無障礙土の来生は「乃至十地也」といわれていて等覚が除かれているようであるが、いまの文のなかに「前の四十一地は」とあり、等覚を入れなければ「四十一位」にならないから、初住から等覚までが実報無障礙土に生ずるとしなければならない。そして「妙覚は永く尽く」といっているのは完全に無明を断じ尽くしたことである。それを第一説に合わせれば、上の常寂光土になり、等覚は中の常寂光土であり、初住以上は下の常寂光土となる(3)。このように常寂光土を三種に分別しているところはほかにもあり、「下品常寂光」「中品常寂光」「上常寂光」といっている(4)。ともあれ上の常寂光土は法身の居する所であるから「不生不生」の土であるが、中・下の常寂光土には「生ず」といっているのである。それは行位でいえば実報無障礙土と同じであった。そこで問答が設けられている。すなわち次のようである。

問ふ。実報、生を受く。常寂光、亦た生を受くるやいなや。
答ふ。既に常寂と云ふ。豈に生を受くることを得ん。生は即ち流動、何ぞ常寂と名づけんや。
問ふ。上に何ぞ常寂光土に生ずと云ふことを得るや。
答ふ。果報土の有の返に生を論ず。慧を発し真を見る。真は即ち不生、即ち是れ不生生の義也。
問ふ。若し不生生ならば亦た応に不常常と云ふべし。
答ふ。亦た竝する所の如し。所以は何ん。究竟の常寂光土は即ち不生不生なり。四十一位は分に常寂に居す。即ち是れ不生生、不常常也(5)。

ここでいっていることは、常寂光土はすでに「常寂」という以上、流動である生を受けることはない。無色無形の無相である。それなのに「常寂光土に生ず」というのは、実報無障礙土の有相の辺から生を論じたものである。いいかえれば、実報無障礙土には往生・来生があり、常寂光土にそれはないが、行位が同じであるから、実報無障礙土に生ずというように、常寂光土に生ずといったまでで、それは不生のままの生である。また生は流動であるから常寂光土の常といえず不常であるが、その不常のまま常である。こうして究竟の常寂光土はどこまでも法身の居する所であるから不生不生であって生を論じることはないが、円教の初住以上等覚までの四十一位は分に常寂光土に居すといい、それは中・下の常寂光土であって、不生生・不常常であるというのである。ここに常寂光土への往生が示されているのである。『観無量寿経疏』の「分証」「分得」もそれをいうのであろう。

 なお『維摩経文疏』には「菩薩、仏慧に依つて三土を見れば皆な是れ常寂光土也(中略)三土の衆生、常寂光土に於て三土の異質有るを見る(6)」といって仏慧によれば三土はみな常寂光土であるが、三土の衆生はその常寂光土がそれぞれの三土として見られる。つまり常寂光土を離れて三土はないのであり、三土の根底に常寂光土がある。それゆえ「問ひて曰く、別に常寂光土有りや。答へて曰く、然らず。只だ分段変易即ち是れ常寂光土也。(中略)更に別に求めざる也(7)」ともいわれるのである。分段生死・変易生死の果報である三土の本質は常寂光土であるから、別に求めることはないというのである。『維摩経文疏』にはそのほかにも種々に常寂光土が説かれている(8)。ただ円融一体の四土を分別すれば、常寂光土は法身の所居と規定されてはいるが、上中下の三種に分ち、中・下において生が論じられているのである。

(1)『維摩経文疏』巻第一(『大日本続蔵経』一八・四六八頁下)
(2)井上智裕氏「天台における四土説の一考察─常寂光土を中心として─」(『天台学報』五一、二○一○年)
(3)大久保良峻氏『天台教学と本覚思想』所収「五大院安然の国土観」(法蔵館、一九九八年)八七頁、同氏『台密教学の研究』所収「『維摩経文疏』の教学─仏についての理解を中心に─」(法蔵館、二○○四年)一一三頁に下の常寂光土には初住以上・第十地・初地以上という諸位の説示が見られるが、「その中、分真位の初たる初住位から分の常寂光土を論ずることが基準になることは当然の趨勢であろう」といわれている。
(4)『維摩経文疏』巻第八(『大日本続蔵経』一八・五一八頁上~中)
(5)『維摩経文疏』巻第一(『大日本続蔵経』一八・四六八頁下)。なお「実報、生を受く」の「実」と、「亦た竝する所の如し」の「所」は校訂により改めた。
(6)『維摩経文疏』巻第一(『大日本続蔵経』一八・四六八頁上)
(7)『維摩経文疏』巻第二○(『大日本続蔵経』一八・六二一頁中)
(8)田村完誓氏「天台教学における国土論の一考察」(『印度学仏教学研究』五一─二、二○○三年)には『維摩経文疏』のなかから智顗の常寂光土観を示す文として十四文を挙げて検討されている。

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続・寂光土義の論文(11)

2017年02月01日 | 法本房行空上人試考

 しかし常寂光土は法身の所居であった。善導・法然の報身・報土説を引き継げば隆寛・幸西のように実報無障礙土といわねばならない。ただ『観無量寿仏経疏』には四土の名を挙げたのち、四土に「各おの浄穢有り」といい、常寂光土については、

分証と究竟は寂光の浄穢なり(1)。

といっている。常寂光土の浄穢を「究竟」と「分証」とするのである。六即の行位でいえば、「究竟」は究竟即にあたり、完全に煩悩を断尽して究極のさとりを得た妙覚位の仏が居する土である。「分証」は分真即のこととすれば、円教でいうと十住・十行・十回向・十地・等覚の四十一位にあたり、初住位において一分の無明を断じ、一分の中道を証する。そして分々に無明を断じ、分々に中道を証していく菩薩の住する土である。その「分証」の行位は実報無障礙土について「純ら菩薩が居し二乗有ること無し。仁王経に云く、三賢十聖住果報と。即ち是れ其の義なり(2)」といっているのと同じである。そこに引かれる『仁王般若経』は「三賢十聖住果報、唯仏一人居浄土(3)」とあるもので、「三賢十聖」とは十住・十行・十回向を三賢といい、十地を十聖というからである。また「唯仏一人居浄土」を「究竟」と見れば等覚も含まれるであろう。つまり同じ行位を常寂光土の穢土と実報無障礙土に配しているのである。もっとも次に「常寂光土とは」といって、前に述べた法身・解脱・般若の三徳を示し、「真常究竟極めて浄土と為す」といい、「分得と究竟の上下は浄穢なるのみ」といっているから、常寂光土は「究竟」に重点があるが、「分証」「分得」を許している。「究竟」に限定していないことは注意される。

(1)『観無量寿仏経疏』(『大正新脩大蔵経』三七・一八八頁中)
(2)『観無量寿仏経疏』(『大正新脩大蔵経』三七・一八八頁中~下)
(3)『仁王般若波羅蜜経』巻上(『大正新脩大蔵経』八・八二八頁上)

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