WATCH (サミット人権監視弁護士ネットワーク / Watch Human Rights on Summit)

WATCHは2008年洞爺湖サミット警備による人権侵害に対処するため、弁護士を中心に結成されたグループです。

G8サミットに関する、最近の日本への入国拒否事例

2008-04-12 19:06:52 | ニュース / News
G8サミット関する、最近の日本への入国拒否事例


事例1

3月7日、洞爺湖G8サミットに批判的なグループ「G8を問う連絡会」が主催し、8日開催を予定していた「国際調整会議」に参加するために来日しようとしていた、韓国の団体「アジア女性会議」の代表者キム・エファ氏が、同日16時40分頃に成田空港に到着し、入管ゲートを通過しようとしたさいに、入管当局に尋問され、入国を拒否された。エファ氏は入国にあたり、提出書類に「CAWメンバー」と記載し、会議への参加を伝えたが、入国審査官は「目的が不明確」とそれを認めず、入国拒否の措置を取り、エファ氏は同日夜の便で一旦韓国へ引き返した。二日後の九日、エファ氏は改めてインビテーションカードを携え、韓国から成田に戻り入国を試みた、この際には問題にされず、入国は認められ、予定の会議の一部に参加することができた。

事例2

3月10日、ドイツの農学博士で活動家のマルティン・クライメルが、札幌でのG8関係の会議に参加するためにロシア・サハリンを経由し、貨客船にて小樽に入港しようとした。 しかし入国管理局小樽出張所は特に理由を明示することもなく、マルティン氏の入国を拒否した。マルティン氏はそのまま船内に留め置かれ、日本側からは弁護士らが接見し、異議申し立てもおこなったが、結局入管当局は入国を認めることなく、3月14日、マルティン氏は来港した貨客船にのって、ロシアに引き返すことになった。その後、来日を断念したマルティン氏は、ロシアから航空機でドイツに帰国した。

事例3

イタリア出身の哲学者で、パリ在住のアントニオネグリ氏のケース。氏は、3月末におこなわれる東京大学、京都大学、東京芸術大学でのシンポジウム・講演への参加を予定していた。ネグリ氏は70年代にイタリアの「赤い旅団事件」に関与したとの廉で「国家転覆罪」に問われ、一時収監されていたことがある。その後パリに一旦事実上の亡命をし、1998年にイタリアに一時帰国し収監されたあと、2003年に恩赦され、ふたたびパリに戻り生活をしている。今回の来日にあたっては、在フランス日本大使館より、査証なしで入国可能と当初はいわれていた。ところがネグリ氏がフランスを出発する予定であった3月19日の2日前の3月17日に、外務省から、ネグリ氏は、査証なしで渡航することになっているが、昨今のG8等により入国管理をめぐる諸事情を鑑みると、査証なしで来日すると入国の際に拒否される可能性が非常に高いとの説明があった。そして翌 18日になって、再度、外務省より、今回のネグリ氏の査証発給に関しては、法務省入国管理局との協議の上で行われているとの連絡が招聘サイドに入った。つまり、入国管理局の許可なしには、在仏日本大使館は、ネグリ氏に査証を発給することはできないという事態になった。その後、法務省(入国管理局入国在留課)より、ネグリ氏の日本入国には、彼が政治犯であったことの正式な証明が不可欠であるとの連絡が招聘サイドにあった。それを証明する公式文書を提出せよということである。こうした法務当局からの要請に対して、時間的な制約等の関係から、最終的にネグリ氏は日本への入国を断念することになった。

日本の友人たちへの手紙(ネグリ招聘実行委員会のHPより)
皆さん、まったく予期せぬ一連の事態が出来し、私たちは訪日をあきらめざるを得なくなりました。この訪日にどれほどの喜びを覚えていたことか! 活発な討論、知的な出会い、さまざまな交流と協働に、すでに思いをめぐらせていました。およそ半年前、私たちは国際文化会館の多大な助力を得て、次のように知りました。EU加盟国市民は日本への入国に際し、賃金が発生しないかぎり査証を申請する必要はない、と。用心のため、私たちは在仏日本大使館にも問い合わせましたが、なんら問題はありませんでしたし、完璧でした。ところが2日前の3月17日(月)、私たちは予期に反して査証申請を求められたのです。査証に関する規則変更があったわけではないにもかかわらずです。私たちはパリの日本大使館に急行し、書類に必要事項をすべて記入し、一式書類(招聘状、イベントプログラム、飛行機チケット)も提示しました。すると翌18日、私たちは1970年代以降のトニの政治的過去と法的地位に関する記録をそれに加えて提出するよう求められたのです。これは遠い昔に遡る膨大な量のイタリア語書類であり、もちろん私たちの手元にもありません。そして、この5年間にトニが訪れた22カ国のどこも、そんな書類を求めたことはありませんでした。飛行機は、今朝パリを飛び立ち、私たちはパリに残りました。大きな失望をもって私たちは訪日を断念します。数カ月にわたり訪日を準備してくださったすべての皆さん(木幡教授、市田教授、園田氏――彼は日々の貴重な助力者でした――、翻訳者の方々、諸大学の関係者の方々、そして学生の皆さん)に対し、私たちは申し上げたい。あなたたちの友情に、遠くからですが、ずっと感謝してきました。私たちはこの友情がこれからも大きくなり続けることを強く願っています。皆さんの仕事がどれほど大変だったかよく分かります。皆さんに対しては、ただ賛辞があるばかりです。パーティは延期されただけで、まもなく皆さんの元へ伺う機会があるだろう、と信じたい気持ちです。友情の念と残念な思いを込めて……
ジュディット・ルヴェル
アントニオ・ネグリ