月光菩薩
心無罣礙 無罣礙故 無有恐怖
(しんむけーげ むけーげこ むうくふ )
あんさん、なァ
そんな難しいことかんがえても、分からんことはわからん。
如来さんにおつかえして、照らしてもろたらそれでええやん。
なに、儂は考える足じゃ。
ぎゃーていぎゃーてい、ぼじそわか
我々は本来仏性を持っていて、本質において宇宙の中心物である大日如来と同じ性質であるが、しかし、我々は小さな自我にとらわれているために、このような自己の本質をよく理解していないとしています。しかし、我々がこうした少我へのとらわれを離れ、自己の内的本質に目覚める(大我に目覚める)とき、我々のなかに大日如来が入り来たり、我々は大日如来と一体となり、それによって自由自在な仏の境地を得、不可思議な力を発揮することが出来ると言います。これは、「即身成仏義」に説くところですが、「三密加持すれば速疾に顕る」と言います。三密とは身・口・意の三つのことですが、この三つには我々にはとても計り知れない深い秘密が隠されていて、普通の仏教ではとても説きつくせないものであり、この三密を通じて、我々は大日如来と一体になるわけです。
以上青文字の部分は、『煩悩即菩提』さんからの抄出ご紹介です。
復習するは我にあり (^_^;) 。不可避の死を与えた神に、日本人は自らが神になることで、復讐を敢した。生とは絶対からの疎外であるが、死は絶対者への復帰なのだ。
この点で、ヤーハウェの大神は、それに弄ばれる民草とは断絶している。
彼らの神は冷酷にそして、気まぐれに断罪する。人民は恐れおののく。この絶対神と人との間には、驚愕の断絶がある。
坊主のチョンマゲ より
アクセスの記録 2010.06.27(日) 459 PV 132 IP - 位 / 1430345ブログ