わたしの里 美術館

とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

赤沢久右ヱ門

2008-06-20 | 短編 草稿

 

 

 1934年つまり昭和 9年の生まれ。

 

  一平  昭和24年生まれ  おっとりしたぼっちゃま育ち 15才年上で

 姓は赤沢ではなく、斉藤である。赤沢とは山奥の村落の字名である。レオナルド・ダ・ヴィンチは、ヴィンチ村のレオナルドである。それで地名を氏名にしてしまうのが、画家に多い。そして久右ヱ門も本当の名ではない。彼の家は赤沢集落の名家であった。家は代々名主の家柄。そして其の屋の当主が家督を継げば、久右ヱ門を襲名するのだ。ところが久右ヱ門の家は、彼の代で終わった。江戸末期あたりから、温泉宿も営んでいたが、画家になった宣孝(これが彼の戸籍上の名なのだ)が、大きな借金を作った。それでその形に取られてしまったのだ。

 宣孝は、31代つづいた名家を潰した。

 しかし後に、巨匠として名を上げる。

 

 これは 【佳丘 彰 祥吾の虎渓 渡瀬編】の構想

 

 

西洋画の巨匠で中山純夫というのがいる。その物故した絵描きの里が此処で、せがれがそこそこしか売れない画家をやっていた。どちらかというと、親の威光で活きている。鑑定なども生業の一部なのか。芳美にきけば、東京の美大で教授もしているのだとか。

青木繁の記事中 短編小説その弐

 

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