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ヘッポコ・デモクリが 聖書と世界情勢の箱を開けてみたら~ (ノ´▽`)ノ♪

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◆ バアルと偶像崇拝

2008年11月27日 | 聖書・宗教全般
前回までの預言者エリヤとバプテストのヨハネの一連の記事の中で、エリヤとバアル崇拝者たちの戦いや、アハブ王の時代のイスラエル、その妻イゼベルについて見てきましたが、丁度良い機会なので、ここで一旦視点を変えて、バアル神について少し補足として触れておきましょう。


● 異教の神バアルとは

そもそもバアル (ウガリット語形 b‘l [ba‘alu])神とは、フェニキア人の信仰していたカナンの地に古くからある、自然崇拝が具体化した土着の宗教で、「主」とか「所有者」「君主」「国王」という意味の語で、「バール」や「ベール」と表記されることもあります。もともとはハッド (hd [haddu])という名前であったと言われています。イスラエルの民がエジプトにいた数百年の間に、カナンには農耕を生活の中心とする別の民族「カナン人」が住みついていました。彼等は領主と農耕民の社会、土地に根を下ろした階級社会です。遊牧生活から出発した、血縁関係を大事にするイスラエルの民の氏族的な平等社会とは全く違っています。従って信仰の対象もおのずと異なっていました。バアルは,彼らによって礼拝されていた神々の中の最高神ではありませんが,彼らにとって最も重要な神でした。聖書の中ではバアルという偶像の名が圧倒的に多く、その半分ぐらいの割合でアシェラが登場します。カナンの神々は異教の神々の原型であり、後のギリシャやローマの神々にも大きな影響を与えることとなります。



バアルとは、ある神の固有名前ではなく普通名詞で、実際には様々な固有名詞的に使われます。フェニキア人、カナン人の住むカナンの地では、普通名詞として使われるほうが多かったようです。そこでは、バアルは、ある一つの神を表す名前や表示名ではなく幾つかの男性神を表わし、それぞれの神が在る地域で崇拝されていて、それがバアルであるという意味で一般的に最もよく使われた名称とされています。各神殿はそこに祀られる神の名を表し、各地方及び地域は、その最高位の神で保護神をバアルとし、こうして「神は主(der Gott, der Herr)である」、つまりバアルはその地方およびその住民の「所有者」であり、その種族、部族を臣下、下僕、下女として「支配」するものであることを意味します。そういう点で、バアルという呼称は「厳密にはどの神に関係のある主であり所有者であるか」を補って考える必要がありました。そのような例は、バアルが祀られている地域によるもので、様々なものがあります。例えば、ティルスのバアル、シドンのバアル、タルフス、ハラン、ヘルモンの、ペオル山の、ビブロスのバアラトと言ったようにです。また、カナンとフェニキアでの種々のバアルは「太陽の神」であり、そのシンボルは太陽神の特徴を持っています。雄牛もまた最もよく知られたバアルのシンボルです。

フェニキヤは当時、文化的先進国であり、例えばソロモンの神殿建設においては、材料のみならず、建築様式の技術的援助も受けています。このフェニキヤとは、第三王朝、つまりオムリ王朝のアハブの代になって友好関係を結んだもので、ユダの王ヨシャパテはその友好の証として、自分の息子ヨラムの嫁にアハブの娘アタルヤを迎えました。このアタルヤの母がイゼベルだったのです。バアルの崇拝は古代からあり、モーセの時代にモアブ人とミディアン人の間に広く浸透しており(民数記:22章41節)、彼らを通じてイスラエル人の間に広まりました(民数記:25章3~18節、申命記:4章3節)。また列王の時代には、宮廷と10部族の宗教ともなりますが(列王記第一:16章31~33節、18章19、22節)、それが撤廃されることはありませんでした(列王記第二:17章16節)。ユダ王国においてはバアルのために神殿が建てられ(列王記第二:16章32節)、盛大な儀式を伴なって崇拝されています(列王記第一:18章19、26~28節、列王記第二:10章22節)。

バアルは天候を司り、植物を育てる神として祭られ、アシェラという女神を妻として伴い、「平原の豊穣神」として一緒に拝まれることが多かったようです。これらの乾燥地域では嵐は豊饒の兆しですから、バアルは乾期・雨期の自然のサイクルに従い恵みの雨をもたらす豊饒の神だったのです。バアル神は雨や風や雲を支配する力を有しており、バアルだけが人間や家畜や作物を不妊や不作から,さらには死からさえ救い出せると考えられていました。そして、バアル神による保護がなければ、カナン人の執念深い神であるモトが必ず災いをもたらすとされていました。バアルを崇拝する人々は,安息日や様々な道徳上の制限といった律法の規定を守る必要は無く、イスラエル人に与えられた律法生活とは違い、自分たちにほとんど何も要求しない宗教でした。アシェラ神は元々フェニキア・カナン系宗教の豊穣女神で至高神エルの妻ですが、パレスチナに入って、土地の豊穣神バアルの妻として、一緒に祭られるようになったものです。このバアル(男神)とアシェラ(女神)が交わることによって、子供や家畜、作物の高収穫がもたらされると信じられていました。

また、カナンではアシュタロテという神も拝まれていました。これはバビロニアのイシュタルに相当する西セム人の豊穣女神ですが、イシュタルの戦争女神的な面は後退して、豊穣女神としての性格が強くなっています。旧約聖書では「天の女王」とか「天后」とも呼ばれています(エレミヤ:44章17節以下)。アシュタロテは、多くの異なった名前を持つ神でもあり、アスタルテ、アシェラー、アタルガティスとも呼ばれます。バビロニアでは「イシュタル」、ギリシアでは「アフロディテ(ビーナス)」と同一視されています。この女神は士師の時代にイスラエルに持ち込まれており(士師記:2章13節、サムエル第一:7章4節)、ソロモン王自身がこれを賞賛して背教に走り(列王記第一:11章5節)、ようやくヨシヤ王によって退けられました(列王記第二:23章13節)。この女神は、しばしば「バアル」と並んで対等の位置を占める女神として挙げられています(士師記:2章13節)。また、列王記第二23章4節には、「・・・バアルとアシラと天の万象とのために・・・」の、「天の万象」という言葉がアシュタロテを指しているとされることから、この女神が彗星やその他の天体の1つであったとも考えられています。

カナン、シリヤ地方の祭祀では、男性神のそばに一女性神を置くのが慣習でした。バアルのそばに「女性の主(Herrin)、バアラト(Baalath)」が置かれます。これは命を授ける自然の力を宿した偉大な女神「アシタルテ」ですが、この祭祀形態自体はローカルなものです。ただ、別の女神が特に有名になったり、男性神がより広い地域で崇拝されるようになっても、バアラトとしての女神は、ローカルの崇拝者の意識の中に特別な意味を持っています。この女神を祭って豊穣を祈る祭儀は性的なもので、その祭儀が行われる場所は「聖なる高台」と呼ばれ、神殿娼婦が置かれていました。また、彼等(カナン人)は神殿男娼や娼婦を「神聖な男女」として考えていました。生殖と豊穣が結びついて、豊穣を祈る祭儀に性的な象徴が用いられるのは、現在でも世界共通の現象のようです。これらの事からも、礼拝で売春や魔術が行われていたと容易に考えることが出来るでしょう。その他、モアブ人の神ケモシ、アンモン人の神ミルコムなどの神々のために聖なる高台が築かれ、祭儀が行われました(列王記第二:23章13節)。このような土地の神々は一括して「バアル」の名で呼ばれることもあったようです。このバアルの聖なる高台で、イスラエルの人々は豊穣繁栄を求めて、神話が語る神々の像を造り、その前で香を焚き、酒を注ぎ、犠牲の動物を焼き、性的放逸に耽り、神殿売春をし、時には息子や娘を火で焼いて捧げることさえ行ったのです(エレミヤ:19章5節)。

このような神々の祭儀は、イスラエルの中ですでに士師たちの時代から行われていました(士師記:10章6節他)。サムエルはこれを厳しく非難し、ヤハウェ神だけに仕えるように求めています(サムエル第一:7章3節)。このような祭儀信仰はヤハウェ信仰と対立するものです。バビロン捕囚に至るまで、預言者たちは土地の神々の祭儀を激しく攻撃し、イスラエルの民にヤハウェ信仰に立ち帰るように叫びました。その代表的な預言者がエリヤなのです。エリヤは権力と結びついた神々の祭儀と命賭けで戦い、イスラエルにヤハウェ信仰を取り戻そうとします。ホセアは淫行の妻の象徴をもって、そのような祭儀はヤハウェに対する淫行であって、それがイスラエルの罪であることを示しました。イザヤもアシュラの祭儀を裁いています(イザヤ:17章8節)。このような預言者たちの批判にも関わらず、バアル祭儀がなくなることはありませんでした。それで、ヨシヤ王が断行した申命記改革は、各地の聖なる高台を取り壊し、ヤハウェの神殿の中にさえあるバアル祭儀の用具を焼き払い、エルサレム神殿以外での祭儀行為を一切禁止したのですが(列王記第二:23章、申命記:12章)、それでもバアル祭儀は根絶することが出来ませんでした。エレミヤは捕囚に至るまで、この祭儀と戦わねばなりませんでした。

バアル祭儀は人間の生活の中から自然に発生する自然宗教です。土地の生産力を神とし、神話が語るその神々の原初の働きを現在に確保するために行う祭儀です。このような神話と祭儀は世界の全ての民族にあります。日本に固有の宗教も同質のものでした。イスラエルも例外ではないのです。それに対して古代イスラエルの神、ヤハウェ信仰はまったく別の質の信仰です。ヤハウェはご自身から民の前に現れます。土地の生産力を神とする余地はありません。ヤハウェは民に語りかけ、その言葉で民と契約を結びます。ヤハウェの言葉が、それを聴いて受け入れる民を神の民とします。バアル信仰は人間の側から発する神話と祭儀に基づいています。それに対して、ヤハウェ信仰は人間を超えた向こう側から語りかける言葉に基づいています。神の力によってエジプトから救い出された古代イスラエルの民は、荒野でヤハウェ神と契約を結び、約束の地カナンに入って定住することになりましたが、そのカナンの地にあった古くからの土着宗教の神が「バアル」と呼ばれていたのです。このため、当時のイスラエルの民はヤハウェとの契約を保つために、土地の宗教からの誘惑と激しく戦わなければならなかったのです。

カナンにやって来た遊牧民たちは、僅かばかりの羊や山羊を連れてカナン人が農耕生活をする町(集落)の周辺、畑と砂漠の境界地域で暮らし始めます。紀元前12~11世紀頃、生活がその地に定着すると、彼等も畑を耕すようになります。年月が経つ間には平和的交流も武力衝突もあったでしょう。ともかくカナンに定着した人々は徐々に増え、カナン人を押しのけ、また融合していきましたが、遊牧から農耕に移っていくにつれ、ヤハウェ信仰から、地元に根付いていた農耕に関わりの深いバアル神への信仰へ傾いていきます。捕囚までのイスラエルの歴史は、この二つの信仰が激しく戦う舞台となったのです。アハブ王がエリヤに対して「わたしの敵」と言うほどに、当時のイスラエルはバアル崇拝へと傾いていたのです。

セレウコス朝(旧ペルシア帝国)時代(前312~ 前63年)になって、バアル神の神殿のあるこの町は、ギリシア語で「ヘリオポリス」と呼ばれるようになりました。ヘリオスは太陽神のことを意味し、ローマ時代になってこの町は重要な植民地となり、歴代の皇帝は、神殿の拡張に努めたといわれています。セレウコス朝はメソポタミア地方に興り、シリア、アナトリア、イランなどにまたがる広大な領域を支配。長くアンティオキアを首都としました。セレウコス朝シリア、またはシリア王国と表記される事もあります。また、セレウコス朝チグリス河畔の都市セレウキアでは、ギリシア人とバビロニア人は別個の政治共同体を形成し、互いに対立していたと記録されており、建設時にはバビロンの住民が移住させられた記録もあり、多数のバビロニア人が居住していました。セレウキアはバビロンの北、約60km、バグダットの南、約35kmに位置しています。彼等は戦いの前には必ず神殿で神託を仰ぎ、2世紀のはじめには壮大なジュピター神殿が建造されました。神殿は、円柱54本に4辺を囲まれた壮大なもので、アテネのパルテノン神殿を遥かに凌ぐ、ローマ帝国最大の神殿といわれています。ジュピター神殿の南側の低い所にはバッカス神殿があり、アシュタロテとアタルガテスの女神の合体した神が奉られています。クレオパトラやエジプトの象徴である蛇などが梁に彫刻されています。また、ヴィーナス神殿跡はアクロポリスの東側にあったとされています。完成させたのはカラカラ帝で、その後、コンスタンティヌス帝により神殿はキリスト教会に変えられ、また、イスラム帝国の時代には、神殿の一部は要塞として造り替えられました。

古代の英国諸島の宗教は、この古代のバアル宗教に酷似しており、バアルを引き継いだものと考えられられています。バビロニアのベル(イザヤ:46章1節)、あるいは「ベルス」は多少の形を変えたものであっても、本質的にはバアルと同一であると言えます。複数形の「バアリム」という語がしばしば見受けられていますが、幾つもの合成語になって崇拝されていたとも考えられます。旧約聖書には幾つかの偽りの神々が記されていまが、その内の一部は、後のギリシャ神話に登場するものまであり、名を変えて様々な神々となりました。


● 偶像の本質

バアル宗教の本質は、偶像礼拝全てに共通するものが見受けられます。

各宗教、それぞれの良いところを抜き出し集めて作られた多元宗教(混交宗教、多神教)であり、それゆえ信仰は絶対的なものではなくなります。イスラエルの信仰は、そのような混交宗教を元々受け入れる余地のないものでした。また人間性の解放と称して、欲望の無限を肯定します。この場合の人間性とは、人が罪により汚れた状態であることを意味しています。ですから、その人間性を解放するということは、欲望の無限を肯定し、絶対化することを意味します。その延長線上として、束縛するものからの解放という考え方があげられます。この場合の束縛とは、「~すべし」「~すべからず」という神の律法の事です。神の律法はまさに人間の欲望を抑圧するもので、イゼベルに言わせれば「実に時代遅れの、人間性を圧迫し萎縮させるもの」ということになります。この律法の束縛を取り外して、単なる儀式だけのものにすることができれば、全ては解決するという考え方なのです。しかし、真の神の律法は、厳密には人を束縛するものとはなり得ません。

偶像崇拝は、モーセの律法とも言われる「十戒」において、最も重い罪の一つとされてきました。その中では、この罪に当たる行為を非常に具体的に定義し、厳しい罰を科しており、次の事柄が禁じられています。「見知らぬ神の像を造ること」「そのような像の前にひれ伏すこと」「あるいは太陽や月のように像はなくても拝まれている自然物の前にひれ伏すこと」(申命記:4章19節)。「祭壇、像、アシラの木像、または偶像を立てること」(出エジプト記:34章13節)、「像を作る金銀を所有して家の中に置くこと」(申命記:7章25~26節)、「偶像に犠牲を捧げること、特に人を犠牲に捧げること」、「人が偶像にささげた犠牲を食べること」「見知らぬ神の名によって預言すること」「偶像崇拝に用いられている儀式を採用して神の礼拝に転用すること」が禁じられました。

罰については、律法は個人が偶像崇拝を行った場合、その人は石で撃ち殺さなければならない(申命記:17章2~5節)とあり、町がこの罪を犯すなら、そこの住民と家畜を殺して、分捕り物も町と共に焼かなければならないと命じています(申命記:13章12~18節)。こうして神は、礼拝の対象として偽りの神々を持つことが誤っていて、それが罪であることを宣言しました。しかしこの戒めは、神殿、幕屋、礼拝堂、あるいはその中の装飾については除外されています。十戒を与えた神は、契約の箱を、刻んだケルビムで飾るように指示しており、単にケルビムを芸術品としてそこに置くことは、偶像崇拝ではありませんでした。このことから、像を造ることが偶像崇拝となるのは、彫像が礼拝や服従の対象となるか、礼拝の不可欠な一部となる場合においてであると思われます。

また、偽りの神々を拝むことも、刻まれた像を拝むのと同様に、悪いことであり危険であることを理解する必要があります。ある偽りの神は、自然と関連しているか、自然そのもの、言い換えると、自然に観察される法則や力を崇拝の対象とするものとなっています。自然に関連した神々の偶像崇拝には、様々な動物、植物、天候、火山、太陽、月、惑星などを対象とするものが含まれています。例えば旧約聖書のバアルは自然の神となっていて、雨と土の肥沃と関連しており、また太陽の神としても崇拝されていました。バアルは死の神モトに殺されましたが、後に生き返ったとも考えられていて、この逸話は、中東におけるある大干ばつと後の復興を説明するものと考えられています。旧約聖書において、偶像崇拝は、具体的な彫像を拝むことを差していますが、本当の偶像崇拝は、彫像にひれ伏して怒る偶像をなだめることを遥かに超えることです。人が他の人、国家、同盟、財宝、宝石、軍隊、軍備、その作戦に全幅の信頼を寄せるとき、それは「イスラエルの神に対する信頼の欠如を示すものであるから、偶像崇拝の一様式となる」と、神はあらゆる時代に明らかにしてきました。それは、偶像崇拝に全く染まらないためには、真実の神に完全に頼らなくてはならないことを意味しています。

太陽や月に代表されるように、天体を拝むことは最も古い習慣のみならず、全てを貫く力の外的な象徴として、偶像崇拝の最も普遍的なものとして早い時期に選ばれていました。これらはカルデヤの平原から始まり、エジプト、ギリシャ、スキタイ、メキシコ、セイロンにまで広がりました(申命記:4章19節、17章3節、ヨブ記:31章20~28節)。王国の時代が続くと、惑星や12宮のしるしが、太陽と月に次いで広く崇拝されるようになります(列王記第二:23章5節)。純粋な英雄崇拝は、セム族の間に痕跡はありませんが、樹木に対する異様な畏敬はへブライ人の歴史の中に幾つか見られます。現代の偶像崇拝の対象となるものは、古代のものほど雑ではありませんが、それでも偶像には違いなく、どんな名誉や富、快楽であっても、それらを神以上に求めるなら、それは偶像崇拝の対象となり得ます。

何故、これ程までにイスラエル人は、真実から逸れて偶像崇拝に陥ったのでしょうか。その理由には、目立つ演出、盛観、行列を伴なうなどの、目に見える外形の形に引かれることの他に、罪深い人間にとっては最も大きな魅力の一つである、不道徳な遊興や淫行に関する事柄があります。単純で質素な礼拝儀式と律法における生活を求める農耕民族にとって、この宗教はあらゆる肉欲的な欲情に訴えて、しかも富や流行、贅沢をも添えているので大きな誘惑となりました。また、予言や占い(列王記下1章1節)、常軌の逸脱(ホセア4章12節)は、こうした偽りの宗教の多くに見られる特徴となっています。一般に儀式に携わる人の数は限定されておらず、どのような神への儀式でも男女双方が参加して、不道徳行為を行っていました。


● ニムロデとセミラミス

クシュ(エチオピア)の子孫の猟師であったニムロデは、シヌアルの地(バビロニア)に広大な帝国を建て、全地を支配しました。一説によれば、ニムロデの母セミラミスは当時の世界でもっとも美しく、また堕落した女性であったと言われています。ある時、この町で暴動が起こったのですが、セミラミスが暴徒たちの前を通り過ぎると、 暴徒たちはこの美しいクシュの女性を見るために暴動を止めてしまったという伝承があります。来るべきメシヤの預言を知っていたクシュは、セミラミスによって子を儲け、このクシュによる子、ニムロデこそ彼らのメシヤであったとします。 クシュは死ぬ時、ニムロデとその母セミラミスとを結婚させました。ニムロデはすでに神として崇められていたし、クシュもニムロデを儲けたことによって崇められていたので、セミラミスは「天国の母」として崇められるようになったというのです。このことから、ニムロデとその母は神格化され「母子神崇拝」が形作られたとされています。また、ニムロデの妻は偶像崇拝を始めた女祭司でした。彼女は奇跡的に妊娠したと主張してタンムズという息子を産み、「彼こそ民の救い主である」と宣言しました。これにより、人々が「天の女神が、救い主である我が子を抱いている像」を拝むようになったとされています。その宗教は世界各地に広がり、アシェラ崇拝、アシュタロテ及びバアル崇拝、モレク崇拝(モレクはバアルの俗称)となって、カナンの地の代表的な偶像崇拝となりました。

古代の人々はこの母子像を礼拝し、聖水を注ぎ、宗教儀式を受けることによって、罪が清められると信じたのです。このタンムズはその後、野獣によって殺されたが、後に生き返ったと伝えられています。旧約聖書に、イスラエルの一部が「天の女王」のための供えのパンを作ったり(エレミヤ:7章18節)、天の女王のためにいけにえを捧げたり(エレミヤ:44章17~19節、25節)、タンムズのために泣いたり(エゼキエル:8章14節)したことにより、神の怒りを受けたことが記されています。考古学者たちは、イスラエルを悩ませたバアル崇拝がタンムズ崇拝と同一であったと考えており、カトリックのマリア崇拝や聖母子像、仏教における慈母観音像など母に抱かれた子の像は、このバビロンの母子礼拝が原型となっていることを、多くの古代史研究家たちが指摘しています。今日、こうした偶像は世界各地で発掘されていることは言うまでもないでしょう。

神はイスラエルの民に、「アシェラ像、石の柱、バアルなどとは何の契約も結んではならない」と語っています。しかし後の時代、王朝が分裂した後のイスラエルでは、モレク崇拝で姦淫と自分たちの子供を「火で焼いて捧げる」という邪悪な風習が蔓延していました。アハブの妻イゼベルは、シドン(カナンの子孫)の王の娘であったことを忘れてはなりません。この捧げる場所は、エルサレムでは「ベン・ヒノムの谷」であり、これが「ゲヘナ」の語源となったとされています。

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主の御心だけがなりますように・・・ (enjeru)
2008-12-01 00:03:24
わたぴーさん、こんばんは。
偶像のルーツを見事に記事にされましたね。
偶像のオンパレードっていうところでしょう
か?
旧約聖書を読むと、イスラエルの民に神様だけを見つめて愛して礼拝してほしい神のご意思と目に見えるものに翻弄され、欲望のままに偶像に傾くイスラエルの民の話が多く出てきます。

神さまは、なんと忍耐されておられるでしょうか。どんなに裏切られてもなお愛していることを示すためホセアを使わされたのですね。

人間、欲望と目に見えるものに弱いのでいくつも偶像を考え出すのでしょうね。日本もその典型的な民なのだと思います。八百万の神があるぐらいですから・・・。(悲)
早くこの国も主イエスを見出すことができますよう日々祈る毎日です。

それと一つ言おうと思っていましたが・・・。
携挙について。私、反キリストが登場する前にクリスチャンは携挙されると信じていますが、聖霊ご自身は、この地上にとどまり艱難時代の聖徒の救いの働きをし、地上再臨までこの地上にとどまると思っています。聖霊全部が引き上げられるのではなく・・・。携挙に関してわたぴーさんに言うのは最後にします。私、どうみてもわたぴーさんの知識、知能にはまったくかなうはずもなく・・・。ただイエスさまに関しては、知能の有無に関係なく聖霊によって教えてくださいます。携挙に関して聖書を読むとき、全くといっていいほど私の確信に疑問の余地がなく平安なのです。間違っていたら、教えてくださいと祈っていますが・・・。私、主の真実だけが知りたいのです。今、携挙に関してロトに天使が言われた「急いでそこへのがれなさい。あなたがあそこにはいるまで、わたしは何もできないから。」(創世記19・22)が心に残ります。クリスチャンが携挙され、天に入るまで裁きができないとおっしゃっているように思います。以上です。これで携挙に関しては終わりにします。ただ、わたぴーさんやザアカイさんの立場も理解しているつもりです。一つ謝らなければならないのは、携挙に関して祈ると以前、子羊通信で言ったのですが、ホントは祈っていませんでした。ごめんなさい。皆さんの仕事や信仰についてだけ祈っていました。しかし、最近、示されて皆さんのため携挙について祈り始めました。主が真実を示してくださいますように・・・。御心だけがなりますように。私の思いや感情ではなく・・・。
管理人 (わたぴ~)
2008-12-01 02:24:12
enjeruさん、ようこそ(^-^*)

聖書の理解の仕方に違うところがあるからといって、遠慮したり気にしたりする必要はありませんよ。むしろ、自分の言葉でちゃんと自分の信仰を告白出来るのは素晴らしいことじゃありませんか。(*^_^*) 

一般論として、誤解を恐れずに言えば、携挙の時期に関しては、ワタクシはそれ程拘っているワケでもありません。ワタクシの理解の仕方が間違っていたとしてもです。いつ、どんな形であろうとも、神が救うと決められたのであれば、その人は救われるからです。携挙は大変大きな救いの業で、とても大事な事柄ですが、本質的なものとは別のような気がします。救いの業も大事ですが、その業をワタクシたちのために用意してくださり、実際に救ってくださる方に思いを向けることが大事でしょうから。聖霊に関しては、enjeruさんと同じく聖霊はこの地上にとどまると思いますよ。

教理の理解の仕方の違いに関しては、やはり人間ですから解釈の違いが生じることは避けようがないと思います。(ノ◇≦。)  むしろそれが自然だと思います。神やキリストから直接教えてもらっているなら別ですが、今はそうではありませんから。神はそういうことも含めた上で、ワタクシたちを導いて下さっているのかもしれませんし。

そういう事よりも、枝葉末節の部分も含めて違いはあれど、キリストの元に一つになろうとする思いがあるならば、教理の否定やよほどの客観的な間違いが無い限りは、個人的には尊重します。キリスト者同士は決して敵ではありませんが、教理の解釈の違いを敵者のように見なすのであれば、敵を愛するように言われたイエスの言葉を忘れてはならないからです。案外、こういうことを通して、神はワタクシたちが互いに愛を示しあえるかどうかご覧になっているのかもしれませんね。「私に敵していないものは、私の味方だ」といわれたように。

知識に関しては、一応公的なブログですから、それを意識して作らなければならない手前、まずは知ってもらわなければなりませんから、知識的なことが多くなってしまうのは、好むと好まざるとに関わらず仕方ありません。(^-^;) 信仰は知識によって生まれるものではありませんが、どんなことがキッカケで、聖書を学び始めるかは人それぞれですからね。

これはあくまで「一般論」としてですから、enjeruさんのことではありませんよ。ご心配なく。(*゜▽゜)ノ  

>一つ謝らなければならないのは

気にしないで良いですよ。言いたくないことや言わずに済むことは、無理しないほうが良いです。enjeruさんご自身の良心の呵責から出たことなのでしょうが、ネット上でのやりとりになりますから、そこは(良い意味で)留意されたほうが良いと思います。

ワタクシもデモクリですから、気付かないことや至らない点、間違いも多々あると思います。その時は遠慮せずに仰ってくださいね。(≧ω≦)b
ありがとう (enjeru)
2008-12-01 17:26:16
わたぴーさん、こんにちは。
夜中まで私のコメのレスつき合わせてしまってすみません。

暖かいお言葉、感謝です。ありがとうございます。

>枝葉末節の部分も含めて違いはあれど、キリストの元に一つになろうとする思いがあるならば・・・

>神はワタクシたちが互いに愛を示しあえるかどうかご覧になっているのかもしれませんね。

この言葉で、心が平安になりました。ま、わたぴーさんが「デモクリ」と思っておられようが、私、すばらしい主にある兄弟と思っていますし、最後には厭でも(笑)主にあって永遠に一つになるわけですし・・・。

終わり良ければすべて良し・・・ということでこれからもよろしくお願いしますね。

あー、それと大阪弁って楽しいですね。私、案外めっちゃ好きかも・・・(笑)
管理人 (わたぴ~)
2008-12-01 18:40:36
enjeruさん、ようこそ(^-^*)

関西弁はええで~!(^^)

王国では言語も一つになるんでしょうけど、方言や訛りなんかもあるんでしょうかねぇ?
それこそ、ペンテコステのように一瞬にして違う言葉を喋れるんでしょうけど、「ヘブライ語の関西弁バージョン」みたいなのがあったりして。(-▽ー;) 

あ・・・でも、言語そのものは違っても意思疎通が出来るなら、今喋ってる言葉でもOKってことになりますよねぇ?う~ん・・・(vv;)
日本にあるバアル崇拝 (かんご)
2011-02-10 04:50:22
 日本にもバアル崇拝がある。

 シュメール神話のイナンナ(性愛の女神)は、フェニキア地方のアシタロテとなり、アッシリアではミュリッタと呼ばれた。ギリシャ神話ではアフロディテとなりローマ帝国ではビーナスと呼ばれた。
 その配偶神はそれぞれドウムジ、バアル、ベル、(ギリシァ・ローマでは)アドニスと呼ばれた。
 このアドニス神話は日本神話のオホクニヌシと酷似しているのである。

 すなわち、バアル崇拝は日本に来た。

 そして、それに礼拝し賽銭を投げ入れる人達がいる以上、それはまだ死んだ宗教とは言えないのである。
管理人 (わたぴ~)
2011-02-10 10:51:57
かんごさん、ようこそ(^-^*)

はじめまして、管理人のわたぴ~と申します(vv)

なるほど、そうでしたか。
ワタクシ、日本神話などには疎いほうなのですが、
確かに民族大移動などを含む、文化的な歴史の流れなどを考え合わせれば、
そういった影響などは十分に考えられますね。

日本はとかく、中国仏教の影響が強いので、
西洋的な宗教の影響は少ない、あるいは、ほとんど無いと考えている人たちが多いですからね。
ま、異教や偶像崇拝に西洋も東洋もありませんが(^^; 
その影響力や起源を含めた流れを合わせると、確かに現代でも生き続けていると言えるでしょうね。
日本にあるバアル崇拝 (かんご)
2011-02-10 18:34:41
はじめまして わたび~さん 少し話しますか?


日本に「神殿売春」があったのはご存知ですか?

民俗学者・中山太郎は『日本巫女史』などにおいて、神社における売春が全国的になされていた事を細かく記録しています。

 この神殿淫行の風習の中には昭和期まで続いたものもあるのです。

 21世紀になった今日の日本における性の恐るべき乱れは、その歴史と無関係ではありますまい。

 アドニスとオホクニヌシの関係は神話学者・吉田敦彦の一連の著作に詳しい。

 いよいよ日本でも、このバアルを始めとする神々とキリストの最後の闘いが始まる。思えば秀吉が「日本は神々の国なのに、天主教は邪宗である」と布告し、迫害し始めてから400年。
 イロイロありました。
 明治時代には、内村鑑三のように「偶像礼拝」を拒否したがため、キリスト教は石を投げつけられ
 大戦中は神社を参拝しないクリスチャンは投獄され、十字架についたのである。

 そのバアルをはじめとする神々と決着をつける時だ。

 今やっとバアルを滅ぼす時がやって来た。
管理人 (わたぴ~)
2011-02-10 22:27:10
かんごさん、ようこそ(^-^*)

それから、今ではほとんど語られませんが、
戦後すぐの日本などでも、いわゆる地下牢や納屋のような場所で、
今で言う児童虐待や障害者に対する拷問のようなものもありましたしね。
それはそれは酷いものだったと聞いています。

ワタクシの記憶違いでなければ、明治や大正時代からそういう事があったような覚えがあります。
・・・というか、拷問というもの自体、考え付くというだけでも、空恐ろしいですが(--;

現代の日本では、宗教はぬるま湯的な感じがありますが、
歴史をいろいろ辿っていくと、上記のような間接的なものも含めて、結構ディープだったりしますからね~。
意味不明です (かんご)
2011-02-11 19:42:16
 [偶像崇拝=神々の崇拝]とその地下牢の拷問がどんな関係があるのですか?
 まるで意味不明なので説明してください。
管理人 (わたぴ~)
2011-02-12 09:08:33
説明不足ですみません。(^^;

ワタクシも現在、それについての資料を失くしてしまったので、具体的な部分については忘れてしまったのですが、
地下牢の拷問などによる児童虐待や障害者に対する拷問というのは、昔の日本ではその根底に、
「悪い事をする子供は鬼の子だ」とか、障害を持って産まれた子供は、悪魔の子供だ」とか、
「悪霊の生まれ変わりだ」とか、「親が人様を踏みつけるような悪い事を繰り返してきたので、
それが子供に(障害となって)現われた」などという、ほとんど根拠のない因習、伝習などが関係しています。

確か、拷問を行なう事についても生け贄、人柱の考え方とも関連があったような気もします。
例えば、アイルランド等は宗教的には日本と似た形態があって、
ケルト人が住んでいてところに、自然崇拝的な宗教があったところへキリスト教が入ってきて、
昔の自然崇拝を残しながらも、キリスト教も信仰しているというような形をとっています。
日本においても自然崇拝的な神教があって、後から仏教が入ってきて、結局、同居しているという点では、
同じようなものかもしれません。

余談ですが、一般的に世界の民話や寓話には似たものが多いとはいわれますが、
ケルト神話や民話等も、日本のそれらと酷似している話がいろいろとあり、
ケルトの歴史が征服と虐殺の歴史で、東洋系の部族が渡ったこともあるらしいと言われているようです。
また、8世紀当時のドイツには、僧、妖術師、詩人、裁判官などで構成された
古代ケルト族のドルイド教団員がオーク(木)を崇拝して、幼児の生贄を捧げて祭礼としていました。

これらは直接的には「偶像崇拝=神々の崇拝」ということに起因するものではない部分もありますが、
間接的にというか広義的に、悪霊による因習を正当化していた時代が公にあり、
ある意味、(実際、文字通りの偶像崇拝ではなくても)その正当化という部分は、
偶像崇拝の精神の影響があると個人的には考えます。
拷問自体は世界各地の歴史において多く見られますが、精神面における偶像崇拝という視点からも見てみると、
その根底に流れている共通点という意味では、いろいろと発見があるかもしれませんね。
管理人 (わたぴ~)
2011-02-12 10:42:59
かんごさんへ、追伸です(^-^*)

え~、自分で自分のコメント読んでみましたが(↑)、
自分で言うのもなんですが、まだ、ちょっと分かりにくいですかね(^^;

ま、端的に言えば、歴史の流れや直接的な拘わりがあったかどうかという事実とは別に、
悪例崇拝の根元はサタンによるという意味において共通項があるという事です。
文字通りの崇拝行為だけでなく、広義的にその精神性における共通理念においても同様です。

ただ、地下牢の拷問や虐待については、資料を失くしてしまったので失念してしまい、具体的な事が書けなくなってしまいましたが、ワタクシの記憶違いでなければ、昔の日本の地下牢の拷問や虐待も、日本古来、あるいは大陸渡来の宗教の影響など、その精神性の影響があったように思えたのですが。

重ね重ね、説明不足ですみません。(vv;
ていねいなご説明ありがとうございます (かんご)
2011-02-12 16:32:49
 ていねいな説明をありがとうございます。

日本にバアル崇拝があると言う事は特別な意味があります。

起源前3C この列島に弥生人が移住し、稲作・銅鐸文化が始まり、6世紀から有史時代が訪れ今日に至りました。

ではバアル崇拝はどこから来たのか?

中国にも朝鮮にもそれは無い。

シルクロードにも見当たらない。

 と言う事は弥生時代に列島に移り住んだ人々が持ち込んだ訳だが、彼らは一体どこから来たのか?
バアルとアドニスとオホクニヌシ (かんご)
2011-02-13 11:31:54
 「タンムズ神話の獣とアドニスやオホクニヌシを殺したイノシシのお話」

 上の本文によると「タンムズは獣に殺された後に生き返る」お話になっていますが、バアル神話はこのタンムズとさらに昔のドウムジが合体したようなお話になっていました。
 後のギリシャのアドニス神話においては『獣』は「いのしし」に限定されており、これは日本神話のオホクニヌシも同じであり、オホクニヌシは八十神にイノシシをだしに殺される話になっている。そして生き返ります。
 バアル、アドニスはそれぞれ、その地方の言葉で「主」を意味する言葉であり、日本のオホクニヌシも大国主であり、「主」を意味している。
 神話がよく似ていて、名前も同じであれば同一の存在と考えるべきでしょう。

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