欧州連合(EU)の臨時首脳会議は19日、初代「EU大統領」にベルギーのヘルマン・ファンロンパイ首相を選出しました。同氏はベルギー首相の職を辞し、来年1月1日にEU大統領として執務を始めることになります。EU大統領とは、12月1日に発効するEUの新基本条約(リスボン条約)に基づいて導入される新たなポストで、EUの最高決定機関である首脳会議の常任議長として会議をリードする他、国際的にEUを代表する事になります。また、全会一致を原則としてきたEUの意思決定手続きも、主として多数決制に変えられる事になります。いわば27カ国、人口5億人に拡大したEUの「顔」となるわけです。EUはこの1カ月余り、この初代大統領の人選で調整を重ねてきました。そのポイントは「強いリーダー型」か「調整型」のどちらがふさわしいか、であったと言っていいでしょう。当初、最有力視されたブレア(前)英首相はリーダー型の典型とされ、抜群の知名度と交渉力、発信力を備えているとの評価から、影響力低下が指摘されているEUの地位向上を成し遂げてくれそうだとの期待がありました。しかし、EUの小国の間には「地域大国・英国が欧州を牛耳るのでは」との警戒が強く、その懸念に耳を傾ける形で、ドイツ、フランス両国が「小国出身の調整型指導者」の流れをつくったことにより、ファンロンパイ氏が急浮上したのです。また、ブレア氏が米国のイラク戦争を支持して欧州の亀裂を招いたことや、英国がユーロ圏に入っていないことも響いたようだと思われており、結果として小国の首相が選ばれたのは、多くの意見対立を抱えるEU内の結束を重視したためとみられています。
● 「無名の男」
ファンロンパイ氏は国際的には無名に近い存在ですが、その調整手腕には実績があると評価されています。ヘルマン・ファン・ロンパウ氏は1947年生まれのベルギーの政治家で、フラマン系キリスト教民主党に所属しています。2008年12月からイヴ・ルテルムの後任として同国首相を務め、リスボン条約が発効する2009年12月1日からは、同条約で設置される常任の欧州理事会議長を務めることになります。1973年から1975年にかけてファン・ロンパウ氏は、フラマン系キリスト教民主党の前身であるキリスト教人民党青年団の副代表を務め、1978年に党全国事務局入りし、1988〜93年までは党首を務めました。99年の総選挙でキリスト教人民党は敗れますが、ファン・ロンパウ氏は代議院議員となり、2004年には名誉職である国務大臣に任命され、2007年7月には代議院議長に選出されています。弟であるエリック・ファン・ロンパウ氏もフラマン系キリスト教民主党に所属する政治家でフラマン語共同体の閣僚を務め、妹であるクリスティーネ・ファン・ロンパウ氏はベルギー労働党に入っています。2008年12月、ファン・ロンパウはベルギー首相を引き受けることを渋っていましたが、国王アルベール2世からの組閣要請を受け、首相に就任しました。同氏はオランダ語、フランス語、ドイツ語、英語の4カ国語に堪能な調整型の政治家と評されています。ベルギーは2007年の総選挙後、北部オランダ語圏と南部フランス語圏の対立が激化し、長期間組閣できず政府が存在しないという異常事態に陥いりました。これは「国家分裂の危機」といわれたほどのものでした。ファンロンパイ氏は08年12月に首相に就任し、この混乱を1年足らずで沈静化させたのです。

EUは冷戦終結後、旧東欧諸国が多数加盟し拡大の一途を辿り、それに伴い加盟国の文化や考え方も多様化しています。その点から、拡大・多様化時代のEUのリーダーには、やはり調整型の政治家がふさわしいと各国が判断した結果が、今回の人選なのでしょう。欧州には人権、環境などを重要視する伝統があり、なかでも地球温暖化問題では、温室効果ガス削減に消極的なブッシュ(前)政権時代の米国に対し、欧州各国は高い削減目標を示して国際世論をリードしてきました。つまり、EUの新大統領には内向きの調整と同時に、外に向け「欧州的価値観」を発信する責務も大きいものなのです。EU大統領は主要国首脳会議(G8サミット)などの国際会議に出席することになっており、米国や中国を相手に渡り合う必要も課せられているのです。更には、EU大統領の選出による迅速な政策決定の体制を整えることで、EUは従来の経済統合に加え、政治統合の過程も加速させる事になります。10年も棚ざらし状態にあるトルコの加盟問題や、共通通貨ユーロに参加していない英国との調整など、まだまだ課題は多いのが現状です。
今やEUは、1993年の発足時の12カ国の2倍以上に増え、さらに10カ国近くが加盟を論議しているほどで、ユーロ導入をてこに経済の高成長を遂げたアイルランドなどは、EUの力の象徴ともいえます。各国間の意見の違いを対話によって一つ一つ乗り越え、共通政策を練り上げてきたEUは、現在も23カ国語を公用語とし、多数の通訳を介して会議を重ね、意見調整を続けていますが、大統領選出による多数決制の導入で、対話の伝統が崩れることも懸念されています。EU大統領の任期と資格任期は2年半の常任、2期5年まで在任可能です。これは、現在において輪番制となっている同理事会の議長国の半年の任期より長くなるもので、資格としてはEU加盟国の首脳や役職に就いていないことが条件です。
● 拡大と憲法制定
「EU(ヨーロッパ連合)」は、6月18日の加盟国首脳会議で「EU憲法」を採択しました。今までも基本条約として「憲法」と呼ばれることのあった条約はあったのですが、今度の憲法はこれまでのものとは違う、正に憲法という感じの画期的なものになったと言われました。まず、ヨーロッパ大統領と外相を常時設置することになり、これによってEUの一体性、超国家的な機能が益々増すことになったわけです。次に、国民の直接選挙によって選ばれていたものの、それまで単なる諮問機関に過ぎなかった欧州議会に、一定の立法権が与えられることになりました。また、通商政策など担当の欧州委員長の選任権が欧州議会に与えられ、より民意が反映される形となりました。更に、ヨーロッパ市民の基本的人権を明確に定めた「ヨーロッパ市民基本権憲章」もまとまりました。刑事上の適正な手続き、死刑の廃止、患者へのインフォームド・コンセント(事前の意思確認)、プライバシー権、知的財産権の保護などが規定され、まさに「憲法」といった趣になりました。つまり、EU大統領をの制定は、「EUはもはやただの国家間組織ではなくなった」ということで、まさに国家の上の国家、超国家と言っていいでしょう。
ヨーロッパ大統領を新設することになった背景には、拡大し小国の加盟が飛躍的に増える今後のEUの下で、あくまでドイツやフランス、英国などの大国によるリーダーシップを確保しなければならない、という思惑もありました。EUは新たに東欧からポーランドやハンガリー、チェコ、バルト三国などが加盟し、加盟国は2004年から一気に増加し、15ヵ国から25ヵ国にまで増えたわけです。今までは最高意思決定機関である欧州理事会(各国の首脳会議)の議長は、半年ごとの輪番制、つまり当番制だったのですが、それでは拡大したEUでは、経済力のない小国の首脳が長い間議長を努めることになり、これでは今後の運営に支障をきたすということで、これからは欧州理事会が任期2年半、更に1回の再選も可能(2期5年)な常設の議長を選任することにしたのです。この議長が、いわゆる「EU大統領」です。
つまり、小国の加盟が増えたことに対抗して、「議長を輪番制から常任化し大統領とすることによって、大国主導で継続的な政策を行うことができる」というのが、フランス・ドイツ・英国などの大国の思惑なのです。議長常任化して大統領化させてしまえば、なかなか小国の首脳が大統領になることはなく、常に大国の首脳が大統領となり、大国のリーダーシップが今まで通り発揮できるという考え方です。もっとも、EUの基本方針は欧州理事会で決まることにかわりはなく、大統領が自分の思惑通りリーダーシップを発揮できるかどうかは、大統領の個人的資質に関わってくることに変わりはありません。また、実質的な政策を決定する閣僚理事会では、決定の際、賛成国の人口が一定の割合をこえなければならなくなりました。これも、人口の多い大国に有利な措置といえます。これに小国は猛反発しましたが、結局妥協する結果となっています。
欧州の一体化を強め、米国などの(当時の)新興工業国に対抗して、「ヨーロッパの没落を防ごう」という動きは、何も今日だけにおけるものではなく、第二次世界大戦前からも在るにはありました。しかし、ヨーロッパ大陸の二大大国、ドイツとフランスの対立関係が大きな問題でした。1870年の普仏戦争、1914〜18年の第一次世界大戦、1939〜45年の第二次世界大戦、いずれもドイツとフランスが激しく戦った戦争という歴史を引きずっていました。そもそも両国国境には大きな炭田、鉄鉱、有数の工業地帯が広がっており、これを領有するため、両国は国境紛争を常々引き起こし、大きな戦争に発展させていったわけです。このフランス・ドイツ両国を和解させるため、1950年にフランスの外相シューマンが発表したのが、シューマン・プランでした。つまり、まずは両国の紛争の種になってきた石炭と鉄鋼を「共同管理しよう」という提案でした。これを請けて、1952年にECSC(ヨーロッパ石炭鉄鉱共同体)が作られます。そしてその理念の下、1958年にはEURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)が創設、更に密な経済統合を行うため、仏独両国の他、イタリアやオランダ・ベルギー・ルクセンブルクなども加わり、「EEC(ヨーロッパ経済共同体)」が作られます。
そして1967年、この3組織が合体する形で、今のEUの前身となる「EC(ヨーロッパ共同体)」が誕生したのです。ECでは各国共通の市場、つまり、関税のない単一市場を造り、「EC内での経済を一体化することによって、活発化させる」ことが目標とされました。そして共通の農業政策なども採られるようになりました。英国もECに入りたかったのですが、1958年からフランス大統領になったドゴールによって、英国はECから締め出されていました。ドゴールは「強いフランス、強いヨーロッパ」を目指しており、英国が冷戦によって外交の軸足を、ヨーロッパ大陸から米国に持っていったことが許せなかったのです。しかし、ドゴールが政権を去ると英国の加盟の道が開けてきました。1973年、英国はアイルランド、デンマークと共に加盟を果たす事となり(拡大EC)、これで、西欧の主要大国がECに全て加入し、発展することになったわけです。その後も1981年にはギリシャが、1985年にはスペイン・ポルトガルが加盟し、ECは全西欧に広がっていきました。
● 経済統合から政治統合
ECは単一のヨーロッパ市場を目指して活動していましたが、それを更に強固なものにするためには「通貨統合が必要である」という認識が生まれてきました。EC各国の通貨を一つの通貨にまとめてしまえば、どこに居てもその通貨が使えるわけですから、単一市場、つまり「経済の一体化」は揺るぎないものになるでしょう。しかし、通貨の発行は国の政治的な基本的な権利、「主権」の一つです。通貨の発行によって国は独自の経済政策を採れるわけで、そう簡単には通貨発行権を手放さないのは当然です。これを敢えて統一しようとするわけですから、通貨統合を実現するためには経済だけでなく、高度な政治的なレベルでの統合が必要である、ということになってきたわけです。そこで1992年、「マーストリヒト条約」が採択され、通貨統合に向けた政治的な統合、そして政治統合を更に進めるため外交や、安全保障政策の共通化などが決まったのです。そして、「マーストリヒト条約」発効と共に1993年、ECは政治的統合を強めた組織である「EU(欧州連合)」へと発展することになったわけです。EU発足後の1995年にも、スウェーデン・フィンランド・オーストリアが加盟、規模は更に拡大していき、そして1999年には単一通貨「ユーロ」が誕生し、(英国などはまだ参加していないものの)通貨統合がようやく実現したわけです。冷戦が終わって経済の自由化をすすめる東欧各国ほとんどの国、果てはトルコまでが加盟を希望するようになり、バルト三国、ポーランド、チェコ、スロバキア、スロベニア、マルタ、キプロスが加わる事で、2004年以降、EUは全欧州をカバーする勢いで一気に拡大していきます。今後の課題は、こうした東欧の経済力が比較的劣る国々と、西欧先進国との格差をどう埋めていくか、また、様々な歴史を持つ加盟諸国の間で、どこまで外交や安全保障政策などの共通化が進めていけるか、という点にあるでしょう。
「リスボン条約」とはEUの基本条約となるべきもので、1957年に調印された「ローマ条約」に始まり、現在効力を有している「ニース条約」まで続く、EU基本条約の新たな後継者です。6ヶ国でスタートしたEU(当時はEEC)は、当初の関税同盟から政治や外交面での共通政策の導入、単一通貨ユーロの導入と発展し、それに応じて基本条約も更新されてきました。例えば1993年に発効した「マーストリヒト条約」では、冷戦終結後の新たな世界秩序の中で、欧州の結束を一段と強化することが目的でしたが、中でも大きな変化が「単一通貨ユーロの導入」を定めたことで、財政赤字抑制や物価安定など、5項目の通貨統合参加資格は「マーストリヒト基準」と呼ばれています。2003年発効の「ニース条」は、EUへの参加国を27カ国までしか予定しておらず、EUと加盟交渉中のクロアチアやモンテネグロなどの参加に対応できないものです。また、加盟国増加で各国の意見集約が難しくなりますが、EUの重要決定事項の多くが依然として「全会一致を原則」としているため、効率的な決定が出来ないことが従来から懸案となっているままでした。この事態を打開しようと準備されたのが「リスボン条約」で、EU拡大に対応し、EUの決定において全会一致の決定事項を減らしたり、現在は半年ごとの持ち回りとなっているEU議長の任期を、2年半に延長することなどを盛り込んでいます。
「リスボン条約」成立には27カ国が一致して批准、承認する必要がありましたが、チェコの批准経緯やアイルランドでの国民投票などの例を見るまでもなく、成立には紆余曲折がありました。例えば、アイルランドは2008年6月にリスボン条約の是非を問う国民投票を実施し、これを否決してしまった実績があるわけですが、アイルランド政府としては他の26ヶ国が批准を済ませた中で自国だけが孤立するわけにもいかず、EUの中で発展する事が国益に適うという事を国民に対し説得する必要がありました。しかし、過去1年で金融危機が深刻化する中、アイルランドでは大手銀行の財務内容の悪化が著しく、欧州の中でも景気悪化が最も厳しい国の一つであったのです。チェコやポーランドは議会は批准したものの、当時の両大統領は、アイルランドが国民投票でリスボン条約を承認することを署名の条件としていたのです。実はこの「リスボン条約」、「EU憲法」という名前で2004年から2005年にかけて一度批准手続きが採られたものの、フランスとオランダの国民投票で否決されており、批准に失敗した過去があるのです。そのEU憲法から名称を変え、煩雑とされた分厚い内容を整理して練り直したのが、今回の「リスボン条約」です。EU憲法の準備期間から考えれば約10年、この条約成立のために取り組んでいることになります。
新しく選出されることが決まった新EU大統領、ヘルマン・ファン・ロンパイ氏(ベルギー首相)という、この人物を選出することに最終的にゴーサインを出したのは、「ビルダーバーグ会議の臨時会合(夕食会)」だったと言われており、この中では、欧州域内の金融機関への統一課税や、グリーンタックスの導入案が話し合われた模様です。この夕食会は「先週」開催されたようで、ここにはダヴィニオン子爵やキッシンジャーらが出席し、ガーディアン紙の報道では「さながら、EU大統領のオーディションのような雰囲気だった」という表現が使われています。ちなみにキッシンジャーと言えば、親中反日の親玉みたいな人物で、その後継者のブレジンスキーも同類と言われています。しかし何故、一体何の必要があって、ここにキッシンジャーがいたのでしょうか。また、何故、欧州の大統領を決めるための話し合いが、ビルダーバーグ会議の「臨時」会合という必要があったのでしょうか。
木曜のEUサミット(ラインフェルド・スウェーデン首相が司会)と同様に、このビルダーバーグの臨時会合は「非公開」で開催されたというもので、逆に言えば、リークが起きる予測が出来ると言うことは、参加者の中(英国?)に不満を抱いている人物が居たと言うこともできます。EUの貴族たちはベネルクスに中心を置く「古いタイプの欧州連合主導」で、新興国である新規加盟国への投資活動を通じて、域内経済を活発化させるという産業政策を採るようで、この課程で、EU域内住民や金融機関には環境税や金融取引税を課すことで、EU官僚機構を強化すると見られています。これはさながら封建社会の復活で、一部の利権を持った貴族たちの息の掛かったエコ企業が利益を上げ、新興国に技術を輸出することで利益を得るというものです。あるいは域内CDMのような環境政策かもしれません。つまり、我々が思っているよりも、欧州は未だに「封建社会」なのかもしれない、と思っておいた方が良いかもしれません。
● 主権放棄と帝政欧州
EUについての法律の制定過程を調べてみると、EUにある委員会の中で出された結論を欧州議会が追認して、それに従って欧州官僚が細部を詰めて、各国に通達されるという過程を経ているらしいのですが、これは「完全に有司専制ではないのか」と思わざるを得ません(「有司専制」とは、明治政府の藩閥官僚中心、超然主義の政府を批判した言葉)。欧州議会においては各国から十数人くらいしか選出されず、解散もありません。ユーロクラット(欧州官僚)は平たく言えばただの官僚です。このように「どこまで市民を代表しているのか怪しい人達」に、選挙で選ばれた国会議員よりも、分野によっては強い権限を与えるということがあってよいのでしょうか。この点で言えば、どうも欧州は議会制民主主義を捨てて、「行政が優越する国家連合」を目指しているように思えてなりません。欧州中央銀行も権限が絶大で、欧州中央銀行の金融政策の縛りによって、国情に合わせた金融政策が採れず、国債の発行も制限されて経済の不調が増幅されています。国債の発行額まで制限をかけられるようでは、もはや主権の放棄に近いと思うのですが、欧州の人達はこれに危機感を抱かないのでしょうか。欧州共通の外務大臣を作ろうという話もありますし、こうなるといずれ「欧州共通の軍」「指揮官」「元首」となるのは、時間の問題なのかもしれません。

ヨーロッパでは伝統的に選挙王政・帝政が善いと考えられてきました。ですから皇帝の名は付けなくても、皇帝に近い権力者(コンスル)が再び誕生する可能性は十分あります。選挙王政・帝政というのは中世ヨーロッパでは、有力者メンバーの間で国の最高権力者を決め、その国々の最高権力者たちの間で「ヨーロッパ全体の最高権力者(神聖ローマ皇帝)」を決めていました。王位・帝位は基本的には世襲ですが、欠格者と認められれば降ろされて有力者選挙となりました。これは古代ローマ帝国の1世紀から始まり、ゲルマン・スラブの慣習を交えながら中世に確立し、19世紀まで続いた伝統です。また、古代ローマでは王政廃止後長く共和政で王や皇帝の出現を嫌がったため、「コンスル」は任期1年でした。「終身コンスル」に任命されたカエサルやオクタヴィアヌスなどは実質王でも王を名乗らず、別の幾つかの称号を名乗りました。西洋のインペラートル(将軍)に皇帝という中国の言葉を当てたために誤解されやすいのですが、本来の意味では「名門の出の軍事司令官が、任期自動更新型の大統領を兼任したもの」と思えばよいかもしれません。その任期を1年に限定すれば、「コンスル(執政官・統領)」と大して変わりません。皇帝の権力は時代と共に変わり、皇帝よりも教皇のほうが強かったり、皇帝を選出する選帝侯の方が強い時代もありましたが、名目上は皇帝が各国の王に命令を下せることになっていましたから、常に「古代ローマを理想」とし続けてきた事には変わりません。
このような伝統が神聖ローマで1000年、古代ローマ・東ローマから数えれば1900年くらい続き、最近の100年程度そうではない時代があっただけです。EU大統領という名でローマの「コンスル」またはインペラートルが復活するのは、ヨーロッパの有力者たちにとっては、「あるべき姿に戻るだけ」だと思っているのではないでしょうか。有力者たちは一種の現代貴族で、2世・3世議員と同様、EU議員の地位もほぼ世襲になる可能性もあり得ます。つまり、元々ヨーロッパでは「有力貴族たちの合議制」によって皇帝が選出されており、その下で官僚が差配する体制であり、現在のEUの背後にいる欧州貴族たちの目論みも同じ、つまり、「民主制を捨てて、エリートたち(貴族と官僚)による専制を目指している」のではないのでしょうか。また、皇帝選出事態は選挙制であり、一見民主的にも思えますが、これは国民の「意思によって」選ばれたという大義名分を、皇帝の権限を正当化することに寄与するに過ぎません。
近世に入ると次第に、国王の権力が強化され中央集権化が進み、絶対王政(君主制)と呼ばれ、王権を支える機能として、官僚制と国王の常備軍が強化されていきます。官僚制と常備軍を養うために、スペインや英国を始めとするヨーロッパ各国の王家は海外植民地支配に乗り出す「重商主義」です。絶対王政の後、市民革命によってヨーロッパは民主制に変わりますが、民主制を作り上げたのはブルジョア、つまり「金貸し」です。そして、金貸しはマスコミを使って大衆の共認(世論)を自らに都合よく利用、扇動した上で、形式上は民主制度に乗っかって国家や社会を支配してきました。元々は貴族たちの権力であったものを、「主権在民」という大義名分で金貸しによって奪われたのですから、欧州貴族たちがそれを苦々しく感じていたことは容易に想像できます。

金貸し支配が終焉を迎えつつある今、欧州貴族たちは民主制を捨て、EUを元々の自分たちの支配体制、「エリート(貴族と官僚)による専制」へと回帰させようとしているのではないのでしょうか。こう考えれば、米国がEU圏には入れてもらえず、アジア経済圏に組み込まれるのも理解出来る気がします。米国には「エリート(貴族と官僚)による専制」という伝統がなく、むしろ、そこから離脱した者たちによって作られた国家であり、「エリート専制を目指すEU」には組み込めないという判断が、欧州貴族たちの間で働いているのかもしれません。この「帝政欧州」、果たして欧州や国際社会を幸福にできるのでしょうか。
● 「無名の男」
ファンロンパイ氏は国際的には無名に近い存在ですが、その調整手腕には実績があると評価されています。ヘルマン・ファン・ロンパウ氏は1947年生まれのベルギーの政治家で、フラマン系キリスト教民主党に所属しています。2008年12月からイヴ・ルテルムの後任として同国首相を務め、リスボン条約が発効する2009年12月1日からは、同条約で設置される常任の欧州理事会議長を務めることになります。1973年から1975年にかけてファン・ロンパウ氏は、フラマン系キリスト教民主党の前身であるキリスト教人民党青年団の副代表を務め、1978年に党全国事務局入りし、1988〜93年までは党首を務めました。99年の総選挙でキリスト教人民党は敗れますが、ファン・ロンパウ氏は代議院議員となり、2004年には名誉職である国務大臣に任命され、2007年7月には代議院議長に選出されています。弟であるエリック・ファン・ロンパウ氏もフラマン系キリスト教民主党に所属する政治家でフラマン語共同体の閣僚を務め、妹であるクリスティーネ・ファン・ロンパウ氏はベルギー労働党に入っています。2008年12月、ファン・ロンパウはベルギー首相を引き受けることを渋っていましたが、国王アルベール2世からの組閣要請を受け、首相に就任しました。同氏はオランダ語、フランス語、ドイツ語、英語の4カ国語に堪能な調整型の政治家と評されています。ベルギーは2007年の総選挙後、北部オランダ語圏と南部フランス語圏の対立が激化し、長期間組閣できず政府が存在しないという異常事態に陥いりました。これは「国家分裂の危機」といわれたほどのものでした。ファンロンパイ氏は08年12月に首相に就任し、この混乱を1年足らずで沈静化させたのです。

EUは冷戦終結後、旧東欧諸国が多数加盟し拡大の一途を辿り、それに伴い加盟国の文化や考え方も多様化しています。その点から、拡大・多様化時代のEUのリーダーには、やはり調整型の政治家がふさわしいと各国が判断した結果が、今回の人選なのでしょう。欧州には人権、環境などを重要視する伝統があり、なかでも地球温暖化問題では、温室効果ガス削減に消極的なブッシュ(前)政権時代の米国に対し、欧州各国は高い削減目標を示して国際世論をリードしてきました。つまり、EUの新大統領には内向きの調整と同時に、外に向け「欧州的価値観」を発信する責務も大きいものなのです。EU大統領は主要国首脳会議(G8サミット)などの国際会議に出席することになっており、米国や中国を相手に渡り合う必要も課せられているのです。更には、EU大統領の選出による迅速な政策決定の体制を整えることで、EUは従来の経済統合に加え、政治統合の過程も加速させる事になります。10年も棚ざらし状態にあるトルコの加盟問題や、共通通貨ユーロに参加していない英国との調整など、まだまだ課題は多いのが現状です。
今やEUは、1993年の発足時の12カ国の2倍以上に増え、さらに10カ国近くが加盟を論議しているほどで、ユーロ導入をてこに経済の高成長を遂げたアイルランドなどは、EUの力の象徴ともいえます。各国間の意見の違いを対話によって一つ一つ乗り越え、共通政策を練り上げてきたEUは、現在も23カ国語を公用語とし、多数の通訳を介して会議を重ね、意見調整を続けていますが、大統領選出による多数決制の導入で、対話の伝統が崩れることも懸念されています。EU大統領の任期と資格任期は2年半の常任、2期5年まで在任可能です。これは、現在において輪番制となっている同理事会の議長国の半年の任期より長くなるもので、資格としてはEU加盟国の首脳や役職に就いていないことが条件です。
● 拡大と憲法制定
「EU(ヨーロッパ連合)」は、6月18日の加盟国首脳会議で「EU憲法」を採択しました。今までも基本条約として「憲法」と呼ばれることのあった条約はあったのですが、今度の憲法はこれまでのものとは違う、正に憲法という感じの画期的なものになったと言われました。まず、ヨーロッパ大統領と外相を常時設置することになり、これによってEUの一体性、超国家的な機能が益々増すことになったわけです。次に、国民の直接選挙によって選ばれていたものの、それまで単なる諮問機関に過ぎなかった欧州議会に、一定の立法権が与えられることになりました。また、通商政策など担当の欧州委員長の選任権が欧州議会に与えられ、より民意が反映される形となりました。更に、ヨーロッパ市民の基本的人権を明確に定めた「ヨーロッパ市民基本権憲章」もまとまりました。刑事上の適正な手続き、死刑の廃止、患者へのインフォームド・コンセント(事前の意思確認)、プライバシー権、知的財産権の保護などが規定され、まさに「憲法」といった趣になりました。つまり、EU大統領をの制定は、「EUはもはやただの国家間組織ではなくなった」ということで、まさに国家の上の国家、超国家と言っていいでしょう。
ヨーロッパ大統領を新設することになった背景には、拡大し小国の加盟が飛躍的に増える今後のEUの下で、あくまでドイツやフランス、英国などの大国によるリーダーシップを確保しなければならない、という思惑もありました。EUは新たに東欧からポーランドやハンガリー、チェコ、バルト三国などが加盟し、加盟国は2004年から一気に増加し、15ヵ国から25ヵ国にまで増えたわけです。今までは最高意思決定機関である欧州理事会(各国の首脳会議)の議長は、半年ごとの輪番制、つまり当番制だったのですが、それでは拡大したEUでは、経済力のない小国の首脳が長い間議長を努めることになり、これでは今後の運営に支障をきたすということで、これからは欧州理事会が任期2年半、更に1回の再選も可能(2期5年)な常設の議長を選任することにしたのです。この議長が、いわゆる「EU大統領」です。
つまり、小国の加盟が増えたことに対抗して、「議長を輪番制から常任化し大統領とすることによって、大国主導で継続的な政策を行うことができる」というのが、フランス・ドイツ・英国などの大国の思惑なのです。議長常任化して大統領化させてしまえば、なかなか小国の首脳が大統領になることはなく、常に大国の首脳が大統領となり、大国のリーダーシップが今まで通り発揮できるという考え方です。もっとも、EUの基本方針は欧州理事会で決まることにかわりはなく、大統領が自分の思惑通りリーダーシップを発揮できるかどうかは、大統領の個人的資質に関わってくることに変わりはありません。また、実質的な政策を決定する閣僚理事会では、決定の際、賛成国の人口が一定の割合をこえなければならなくなりました。これも、人口の多い大国に有利な措置といえます。これに小国は猛反発しましたが、結局妥協する結果となっています。
欧州の一体化を強め、米国などの(当時の)新興工業国に対抗して、「ヨーロッパの没落を防ごう」という動きは、何も今日だけにおけるものではなく、第二次世界大戦前からも在るにはありました。しかし、ヨーロッパ大陸の二大大国、ドイツとフランスの対立関係が大きな問題でした。1870年の普仏戦争、1914〜18年の第一次世界大戦、1939〜45年の第二次世界大戦、いずれもドイツとフランスが激しく戦った戦争という歴史を引きずっていました。そもそも両国国境には大きな炭田、鉄鉱、有数の工業地帯が広がっており、これを領有するため、両国は国境紛争を常々引き起こし、大きな戦争に発展させていったわけです。このフランス・ドイツ両国を和解させるため、1950年にフランスの外相シューマンが発表したのが、シューマン・プランでした。つまり、まずは両国の紛争の種になってきた石炭と鉄鋼を「共同管理しよう」という提案でした。これを請けて、1952年にECSC(ヨーロッパ石炭鉄鉱共同体)が作られます。そしてその理念の下、1958年にはEURATOM(ヨーロッパ原子力共同体)が創設、更に密な経済統合を行うため、仏独両国の他、イタリアやオランダ・ベルギー・ルクセンブルクなども加わり、「EEC(ヨーロッパ経済共同体)」が作られます。
そして1967年、この3組織が合体する形で、今のEUの前身となる「EC(ヨーロッパ共同体)」が誕生したのです。ECでは各国共通の市場、つまり、関税のない単一市場を造り、「EC内での経済を一体化することによって、活発化させる」ことが目標とされました。そして共通の農業政策なども採られるようになりました。英国もECに入りたかったのですが、1958年からフランス大統領になったドゴールによって、英国はECから締め出されていました。ドゴールは「強いフランス、強いヨーロッパ」を目指しており、英国が冷戦によって外交の軸足を、ヨーロッパ大陸から米国に持っていったことが許せなかったのです。しかし、ドゴールが政権を去ると英国の加盟の道が開けてきました。1973年、英国はアイルランド、デンマークと共に加盟を果たす事となり(拡大EC)、これで、西欧の主要大国がECに全て加入し、発展することになったわけです。その後も1981年にはギリシャが、1985年にはスペイン・ポルトガルが加盟し、ECは全西欧に広がっていきました。
● 経済統合から政治統合
ECは単一のヨーロッパ市場を目指して活動していましたが、それを更に強固なものにするためには「通貨統合が必要である」という認識が生まれてきました。EC各国の通貨を一つの通貨にまとめてしまえば、どこに居てもその通貨が使えるわけですから、単一市場、つまり「経済の一体化」は揺るぎないものになるでしょう。しかし、通貨の発行は国の政治的な基本的な権利、「主権」の一つです。通貨の発行によって国は独自の経済政策を採れるわけで、そう簡単には通貨発行権を手放さないのは当然です。これを敢えて統一しようとするわけですから、通貨統合を実現するためには経済だけでなく、高度な政治的なレベルでの統合が必要である、ということになってきたわけです。そこで1992年、「マーストリヒト条約」が採択され、通貨統合に向けた政治的な統合、そして政治統合を更に進めるため外交や、安全保障政策の共通化などが決まったのです。そして、「マーストリヒト条約」発効と共に1993年、ECは政治的統合を強めた組織である「EU(欧州連合)」へと発展することになったわけです。EU発足後の1995年にも、スウェーデン・フィンランド・オーストリアが加盟、規模は更に拡大していき、そして1999年には単一通貨「ユーロ」が誕生し、(英国などはまだ参加していないものの)通貨統合がようやく実現したわけです。冷戦が終わって経済の自由化をすすめる東欧各国ほとんどの国、果てはトルコまでが加盟を希望するようになり、バルト三国、ポーランド、チェコ、スロバキア、スロベニア、マルタ、キプロスが加わる事で、2004年以降、EUは全欧州をカバーする勢いで一気に拡大していきます。今後の課題は、こうした東欧の経済力が比較的劣る国々と、西欧先進国との格差をどう埋めていくか、また、様々な歴史を持つ加盟諸国の間で、どこまで外交や安全保障政策などの共通化が進めていけるか、という点にあるでしょう。
「リスボン条約」とはEUの基本条約となるべきもので、1957年に調印された「ローマ条約」に始まり、現在効力を有している「ニース条約」まで続く、EU基本条約の新たな後継者です。6ヶ国でスタートしたEU(当時はEEC)は、当初の関税同盟から政治や外交面での共通政策の導入、単一通貨ユーロの導入と発展し、それに応じて基本条約も更新されてきました。例えば1993年に発効した「マーストリヒト条約」では、冷戦終結後の新たな世界秩序の中で、欧州の結束を一段と強化することが目的でしたが、中でも大きな変化が「単一通貨ユーロの導入」を定めたことで、財政赤字抑制や物価安定など、5項目の通貨統合参加資格は「マーストリヒト基準」と呼ばれています。2003年発効の「ニース条」は、EUへの参加国を27カ国までしか予定しておらず、EUと加盟交渉中のクロアチアやモンテネグロなどの参加に対応できないものです。また、加盟国増加で各国の意見集約が難しくなりますが、EUの重要決定事項の多くが依然として「全会一致を原則」としているため、効率的な決定が出来ないことが従来から懸案となっているままでした。この事態を打開しようと準備されたのが「リスボン条約」で、EU拡大に対応し、EUの決定において全会一致の決定事項を減らしたり、現在は半年ごとの持ち回りとなっているEU議長の任期を、2年半に延長することなどを盛り込んでいます。
「リスボン条約」成立には27カ国が一致して批准、承認する必要がありましたが、チェコの批准経緯やアイルランドでの国民投票などの例を見るまでもなく、成立には紆余曲折がありました。例えば、アイルランドは2008年6月にリスボン条約の是非を問う国民投票を実施し、これを否決してしまった実績があるわけですが、アイルランド政府としては他の26ヶ国が批准を済ませた中で自国だけが孤立するわけにもいかず、EUの中で発展する事が国益に適うという事を国民に対し説得する必要がありました。しかし、過去1年で金融危機が深刻化する中、アイルランドでは大手銀行の財務内容の悪化が著しく、欧州の中でも景気悪化が最も厳しい国の一つであったのです。チェコやポーランドは議会は批准したものの、当時の両大統領は、アイルランドが国民投票でリスボン条約を承認することを署名の条件としていたのです。実はこの「リスボン条約」、「EU憲法」という名前で2004年から2005年にかけて一度批准手続きが採られたものの、フランスとオランダの国民投票で否決されており、批准に失敗した過去があるのです。そのEU憲法から名称を変え、煩雑とされた分厚い内容を整理して練り直したのが、今回の「リスボン条約」です。EU憲法の準備期間から考えれば約10年、この条約成立のために取り組んでいることになります。
新しく選出されることが決まった新EU大統領、ヘルマン・ファン・ロンパイ氏(ベルギー首相)という、この人物を選出することに最終的にゴーサインを出したのは、「ビルダーバーグ会議の臨時会合(夕食会)」だったと言われており、この中では、欧州域内の金融機関への統一課税や、グリーンタックスの導入案が話し合われた模様です。この夕食会は「先週」開催されたようで、ここにはダヴィニオン子爵やキッシンジャーらが出席し、ガーディアン紙の報道では「さながら、EU大統領のオーディションのような雰囲気だった」という表現が使われています。ちなみにキッシンジャーと言えば、親中反日の親玉みたいな人物で、その後継者のブレジンスキーも同類と言われています。しかし何故、一体何の必要があって、ここにキッシンジャーがいたのでしょうか。また、何故、欧州の大統領を決めるための話し合いが、ビルダーバーグ会議の「臨時」会合という必要があったのでしょうか。
木曜のEUサミット(ラインフェルド・スウェーデン首相が司会)と同様に、このビルダーバーグの臨時会合は「非公開」で開催されたというもので、逆に言えば、リークが起きる予測が出来ると言うことは、参加者の中(英国?)に不満を抱いている人物が居たと言うこともできます。EUの貴族たちはベネルクスに中心を置く「古いタイプの欧州連合主導」で、新興国である新規加盟国への投資活動を通じて、域内経済を活発化させるという産業政策を採るようで、この課程で、EU域内住民や金融機関には環境税や金融取引税を課すことで、EU官僚機構を強化すると見られています。これはさながら封建社会の復活で、一部の利権を持った貴族たちの息の掛かったエコ企業が利益を上げ、新興国に技術を輸出することで利益を得るというものです。あるいは域内CDMのような環境政策かもしれません。つまり、我々が思っているよりも、欧州は未だに「封建社会」なのかもしれない、と思っておいた方が良いかもしれません。
● 主権放棄と帝政欧州
EUについての法律の制定過程を調べてみると、EUにある委員会の中で出された結論を欧州議会が追認して、それに従って欧州官僚が細部を詰めて、各国に通達されるという過程を経ているらしいのですが、これは「完全に有司専制ではないのか」と思わざるを得ません(「有司専制」とは、明治政府の藩閥官僚中心、超然主義の政府を批判した言葉)。欧州議会においては各国から十数人くらいしか選出されず、解散もありません。ユーロクラット(欧州官僚)は平たく言えばただの官僚です。このように「どこまで市民を代表しているのか怪しい人達」に、選挙で選ばれた国会議員よりも、分野によっては強い権限を与えるということがあってよいのでしょうか。この点で言えば、どうも欧州は議会制民主主義を捨てて、「行政が優越する国家連合」を目指しているように思えてなりません。欧州中央銀行も権限が絶大で、欧州中央銀行の金融政策の縛りによって、国情に合わせた金融政策が採れず、国債の発行も制限されて経済の不調が増幅されています。国債の発行額まで制限をかけられるようでは、もはや主権の放棄に近いと思うのですが、欧州の人達はこれに危機感を抱かないのでしょうか。欧州共通の外務大臣を作ろうという話もありますし、こうなるといずれ「欧州共通の軍」「指揮官」「元首」となるのは、時間の問題なのかもしれません。

ヨーロッパでは伝統的に選挙王政・帝政が善いと考えられてきました。ですから皇帝の名は付けなくても、皇帝に近い権力者(コンスル)が再び誕生する可能性は十分あります。選挙王政・帝政というのは中世ヨーロッパでは、有力者メンバーの間で国の最高権力者を決め、その国々の最高権力者たちの間で「ヨーロッパ全体の最高権力者(神聖ローマ皇帝)」を決めていました。王位・帝位は基本的には世襲ですが、欠格者と認められれば降ろされて有力者選挙となりました。これは古代ローマ帝国の1世紀から始まり、ゲルマン・スラブの慣習を交えながら中世に確立し、19世紀まで続いた伝統です。また、古代ローマでは王政廃止後長く共和政で王や皇帝の出現を嫌がったため、「コンスル」は任期1年でした。「終身コンスル」に任命されたカエサルやオクタヴィアヌスなどは実質王でも王を名乗らず、別の幾つかの称号を名乗りました。西洋のインペラートル(将軍)に皇帝という中国の言葉を当てたために誤解されやすいのですが、本来の意味では「名門の出の軍事司令官が、任期自動更新型の大統領を兼任したもの」と思えばよいかもしれません。その任期を1年に限定すれば、「コンスル(執政官・統領)」と大して変わりません。皇帝の権力は時代と共に変わり、皇帝よりも教皇のほうが強かったり、皇帝を選出する選帝侯の方が強い時代もありましたが、名目上は皇帝が各国の王に命令を下せることになっていましたから、常に「古代ローマを理想」とし続けてきた事には変わりません。
このような伝統が神聖ローマで1000年、古代ローマ・東ローマから数えれば1900年くらい続き、最近の100年程度そうではない時代があっただけです。EU大統領という名でローマの「コンスル」またはインペラートルが復活するのは、ヨーロッパの有力者たちにとっては、「あるべき姿に戻るだけ」だと思っているのではないでしょうか。有力者たちは一種の現代貴族で、2世・3世議員と同様、EU議員の地位もほぼ世襲になる可能性もあり得ます。つまり、元々ヨーロッパでは「有力貴族たちの合議制」によって皇帝が選出されており、その下で官僚が差配する体制であり、現在のEUの背後にいる欧州貴族たちの目論みも同じ、つまり、「民主制を捨てて、エリートたち(貴族と官僚)による専制を目指している」のではないのでしょうか。また、皇帝選出事態は選挙制であり、一見民主的にも思えますが、これは国民の「意思によって」選ばれたという大義名分を、皇帝の権限を正当化することに寄与するに過ぎません。
近世に入ると次第に、国王の権力が強化され中央集権化が進み、絶対王政(君主制)と呼ばれ、王権を支える機能として、官僚制と国王の常備軍が強化されていきます。官僚制と常備軍を養うために、スペインや英国を始めとするヨーロッパ各国の王家は海外植民地支配に乗り出す「重商主義」です。絶対王政の後、市民革命によってヨーロッパは民主制に変わりますが、民主制を作り上げたのはブルジョア、つまり「金貸し」です。そして、金貸しはマスコミを使って大衆の共認(世論)を自らに都合よく利用、扇動した上で、形式上は民主制度に乗っかって国家や社会を支配してきました。元々は貴族たちの権力であったものを、「主権在民」という大義名分で金貸しによって奪われたのですから、欧州貴族たちがそれを苦々しく感じていたことは容易に想像できます。

金貸し支配が終焉を迎えつつある今、欧州貴族たちは民主制を捨て、EUを元々の自分たちの支配体制、「エリート(貴族と官僚)による専制」へと回帰させようとしているのではないのでしょうか。こう考えれば、米国がEU圏には入れてもらえず、アジア経済圏に組み込まれるのも理解出来る気がします。米国には「エリート(貴族と官僚)による専制」という伝統がなく、むしろ、そこから離脱した者たちによって作られた国家であり、「エリート専制を目指すEU」には組み込めないという判断が、欧州貴族たちの間で働いているのかもしれません。この「帝政欧州」、果たして欧州や国際社会を幸福にできるのでしょうか。








いつもながら精力的な情報収集、細かい調査ご苦労様ですm(__)m
私にはここまで出来ません (^^ゞ
まだ基盤は磐石とは言えないのでしょうかねえ?大陸ヨーロッパの中心は独仏ベネルクスでしょうから、とりあえず基礎工事は終わったという段階なんでしょうか。
それにしても、手間ひまかけて、連中も苦労してるんですね・・・ −−;
そうなると、あとはやはりイギリスの動向なんでしょうか?あの国は大陸国家と言うより、海洋国家なわけで、アメリカも絡んでくるし、大陸ヨーロッパとはちと異質ですからね。
フランスは歴史上いつもドイツに負けているから、ここは独断と偏見でドイツに軍配。
もう一つはやはりイギリスを無視することはできない。
となると、どちらかが中心になるだろうから、そのためにあと一押し、その為に今いろいろとガサゴソやっているんでしょうね。その時こそ完成に至るのかなあ〜?などと勝手に考えてます。
ということは、帝国完成まで今しばし・・・時間がかかりそうですね。
何か我々も根競べの様相を呈してきたような(-_-;)
あと何年、貧窮問答歌のようなこの世の人生を歩まねばならないのか・・・日干しにならなきゃいいですが(笑)
こんなことばかり考えてないで、ゲートボールやゴルフやっている元気な年金受給者見ていると、ある意味羨ましくなりますわねえ〜
「知らぬが仏」とは良くぞ言ったものです −−;
ヨーロッパが また 貴族中心の 封建社会?になるんですかね。
外相に任命された キャサリン アシュトンさんも、貴族ですね。。
ひねた見方をすれば、いままでの100年間信じられてきた、民主主義、アメリカンドリーム(貴族だけでなく、庶民にも平等にチャンスがある)のようなものは、夢にすぎなかったかもしれませんね。
王や貴族の権力に反抗したかに見えた。自由、平等、博愛。。の精神
結局、カオス、貧富の差という不平等、
愛が冷えきった社会。。 にしかならなかったですからね。
実際、貴族階級のネットワークというのは 大陸間を超えて強いものですよね。
日本でいう、財閥みたいで、なんだかんだいって 血統を維持して、コネ、根回し、いろいろあるようですから。。。
結局 ビルダーベルグも、陰の政府?
王室と貴族のパーティーみたいなものですね。。 実質世界政府ですかね。
結局は、本音と建前。。だったのが、
本性を現してきたのですかね。。
EU大統領は誰になるのか?注目していたことを考えれば、やや拍子抜けしましたが(^^;) ザアカイさんの言われるとおり、まずは地盤固めのための調整者が必要なんでしょうね。或いは、単に裏でゴゾゴゾするためだけではなく、影の主役達の計画が、(表裏に関係なく)調整者を必要とする程に、ズレ込んでいるんでしょうかねぇ?
それから、やはり英国の動向は外せないでしょう。ほとんど表沙汰になるような事には顔を出さないものの、いろんな政治、経済の事件の背景に、気が付けば英国が最も利益を得ていたなんて場合が多いような気がします。それを考えると、米、仏、独などは表側で扇動者的役割を果たしているに過ぎないような・・・(−−:) ま、結論を出すのは、現時点では早計でしょうが。
>ゲートボールやゴルフやっている元気な年金受給者見ていると
ワタクシ個人の意見では、近年の高齢者対策を含め、お年寄りの扱いにはキナ臭いものを感じます。お年寄りが健康であることは大事ですが、むやみに不安を煽り、健康器具や食品を年金から出費、消費させ、若者たちと張り合わせ、いつまでも社会の第一線に留まらせようとして、消費拡大の一端を担わせているような・・・。本来であれば「分をわきまえる」立場として社会貢献し、社会全体のあるべき場所にそれぞれが身を置けるよう、また、お年寄りがいつまでも社会で働き続けなくてはいけないような社会にしないようにする事が必要なはずではないかと。この辺りは。ロクフェがその昔、ウーマンリブ運動を扇動、利用した経緯に似ているような気もします。
ま、ザアカイさんの言われるような、ゲートボールやゴルフやっている元気な年寄りなら、ワタクシもなってみたいですが、年取ってからやりたい事やっても、体がついていきませんからね〜。
あ、今でもムリかぁ〜\(;゚∇゚)/
ワタクシ個人は、中世だけでなく現代においても、貴族や豪族が大きな役割を占めているのではないかと思います。
現代においてはそれほど大きく取り扱われないものの、血縁を辿ってみれば
・・・なんてこともありそうな気もします。
民主主義もダメ、社会主義や共産主義もダメ、社会的民主もダメ・・・結局、伝道の書にあるように、人間はどう転んでも「人が人を支配」すれば、これを「害して」しまうんでしょうね。実質、封建社会に移行していくかどうかは未知数ですが、法律上の文言ではそうなっていくでしょうね。個人情報保護法を始め、緩やかですが個人に対する様々な適用の締め付けは、既に始まっていると思います。最初はそれほどきつくなくても、徐々に浸透させて感覚を麻痺させていき、気が付けば・・・という形に持っていく可能性は大きいと思いますよ。(゚_゚i)
EU大統領の詳しい情報、感謝!
無名の人が登場するのではないかと思っていましたが・・・。やっぱりという感じです。
ここに知恵がある。思慮ある者はその数字を数えなさい。その数字は人間をさしているからである。その数字は666である。(黙示13・18)
反キリストなる人物は666をさすと聖書は言っています。
ある本の抜粋を紹介します。
「獣」が現われるときには、彼がだれであるか信者にとって明らかです。ヘブル語かギリシャ語の名前を持っているその人は、「その数字が666である」と言われているからです。
ちなみに「カイザル・ネロ」という名前をヘブル語で書くと、ちょうど666になります。
ドイツのヒトラーの名前も666になると言う人が大勢います。その人物が現われるときには、だれも間違うことなく。彼の名前を表わす666という数字を書くのです。(ヨハネの黙示録 J.B.カリーより抜粋)
このEU大統領ヘルマン・ファン・ロンパイ氏は、いくつの数字をさすのかしら?
はたして666の数字を指すのかしら?
わたぴ〜さんなら、お分かりかと・・・。
ちなみにギリシャ語で「イエス(IESOUS)と書いた文字を計算すると、888になるとのこと。
それと世界は10の地域に分かれるのでしょうか?
10本の角は、この国から立つ10人の王(ダニエル7・24)
また私は見た。海から一匹の獣が上ってきた。これには10本の角と7つの頭があった。その角には10の冠があり、その頭には神をけがす名があった。(黙示13・1)
EU,東アジア共同体、アメリカ、ロシア・・・。
その頂点に反キリストが君臨するのでしょうね。世界を一つの宗教に統一したローマを拠点とするにせ予言者と共に・・・。
今、反キリストが登場していないのは、地の塩であるクリスチャンがこの地上にいるからだと思います。
>EU大統領ヘルマン・ファン・ロンパイ氏は、いくつの数字をさすのかしら
現状では分かりませんが、任期が2年半ですから、次の改選は2012年になりますね。
それを考えると、ロンパイ氏とは別の人物の可能性もありそうですね。
勿論、何が起こるかは分かりませんから、彼自身が大化けする事も考えられますが。
数字による判定も、結構いろんな人物に当て嵌める事が出来るようですから、名前の適合性も勿論ですが、どのような行動や言動をするかに注意を払う必要があるでしょうね。
ただ、その前提として忘れてならないのは、必ずしも反キリがEUの大統領になった人物や、
EUから登場すると決まったわけではないという事でしょう。
>世界は10の地域に分かれるのでしょうか
実際に世界が今後、10ヶ所の州に分かれるという可能性を示唆している論説はあるようです。
どの程度の現実性があるかどうかはともかく、EUのような連合体が世界各地に起こることも十分考えられるでしょうね。
今回のEUの大統領制は、それらを踏まえた上での礎のようなものかもしれません。