愚者の侃々諤々 (´▽`)ノ

ヘッポコ・デモクリが 聖書と世界情勢の箱を開けてみたら~ (ノ´▽`)ノ♪

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◆ ちょっとご報告(久々にぃ~( ̄▽ ̄;))

2012年06月02日 | ヘッポコ雑記
ども、当ブログ管理人のわたぴ~です(vv)

長い間、更新を停止していましたので、ちょこっとだけですが現状報告おば~(vv;

え~、まず最初に、記事の更新をしていないにもかかわらず、コメントしてくださった皆様、
大変ありがとうございます。感謝です。m(vv)m


AKさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
遅くなってすみません。m(vv)m

うちのブログはネット上の片隅で細々とやってるもんですから、
あんまりお役に立てないかもしれませんが、
リンク制限は特に設けてはおりませんのでどうぞ。(^^)
ただ、現状、このブログを続けるかどうかは未定ですので、その点はご了承ください。

集団ストーカーさん、はじめまして。コメントありがとうございます。
遅くなってすみません。m(vv)m

「集団ストーカー」というHNはちょっと物騒ですが(^^;)、目の付け所が鋭いですね~。

コメント頂いたのが、かなり前ですので、ご覧になってくださっているかどうか分かりませんが、
とても興味深いコメントでしたよ。確かに「金を神としている」という点では、
ワタクシも同感です。現代では(一部の)ユダヤ人に限らず、世界のあちこちで
同じようなことが言えるのでしょうが、仮にその根源が
「ユダヤ人が永遠に世界を放浪している(してきた)」という点にあるのだとしたら、
深謀遠慮の極みですね。

それから、日ユ同祖論についてはね・・・
個人的見解なのですが、その本質論を歴史的、文化的にではなく、
聖書を基本として語っているものが、あまりにも少ないように思います。
実は一見、そのように見えて、そうではないものが多いと感じますね。


ザアカイさん、サマリア人さん、enjeruさん、ゆうさん、
コメントありがとうございました。(vv)

現状、ワタクシは相変わらず調子がよろしくないのですが、
当ブログを続けるにしろ停止するにせよ、また機会があればお知らせしようと思います。

ご報告まで。

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◆ 2012年 バルカン半島は導火線となるか

2011年12月26日 | 世界情勢・一般
EUの一員であるギリシャの国家財政破綻から波紋を呼び、その実態が明らかになったともいえる欧州経済は、自由金融市場経済の見直しが叫ばれる中で、未だ収束の気配を見せてはいません。その「世界の火薬庫」ともいわれているバルカン半島地域や、イスラム世界の歴史や現状の情報の大部分は、現代の国際社会を主導している欧米先進諸国を通じて発信されたものがその主体で、人々がこれまで学んできた西洋史というものは欧米中心であって、戦後の日本史の記述等も占領軍の意向で書き改められたものでした。こういった世界史の資料では、「アフロ・ユーラシア(アジアと欧州地域のユーラシアに、更にアフリカ大陸を含め地域を指す)」の中で、かなり広大な面積を占める中東イスラム地域は、産油利権地域として重視されるだけで、乾燥した不毛地で、発展から取り残された地域として意図的に蔑視され、その歴史や実態を詳しく記した歴史の著書などの資料も少ないものです。バルカン半島地区とか中東地区等と、個別に記されるだけで、その事実を正しく知る機会は非常に少ないのです。歴史的事実からみれば、中東とイスラム地域、特に欧・亜とロシアとアフリカの東西南北を結ぶ交通、通商、文明の中心的な要衝の地域であるバルカン半島周辺地域は、過去から現在に至っても、人類最古の文明が約7千~1万年前のメソポタミア(現在のイラク)から発祥したように、世界の歴史、国際紛争の発火点であり、今後もその立地的環境条件は変わらないことから、決して軽視し得ない重要な地域であり続けるかもしれません。

バルカン半島諸国とイスラム世界とは紛争の歴史が絶えないのですが、バルカン半島の諸国については国際的な正確な規定がないものの、地形的に言えば17世紀頃には「欧州・トルコ」、19世紀頃には「南東欧半島」と呼ばれたバルカン半島の諸国とトルコの一部欧州側地区、20世紀以降は政治的意図を含むバルカン半島の周辺国とも言え、現在では一応、1997年11月にギリシャのクレタ島で、バルカン史上初めて開催された関係国の「サミットに自己規定で参加した諸国」だと規定すると、ギリシャ、アルバニア、ブルガリア、ルーマニア、トルコの他に、マケドニア、ユーゴスラビア連邦の計7カ国で構成されていると言えるかもしれません(この関連でイスラム世界と称されるのは、全世界のイスラム教徒国を意味せず、トルコを中心としたバルカン半島周辺の、西アジアのイスラム教徒を主体とする関係諸国を指すものです)。トルコの欧州部分と南東欧の小国からなるバルカン半島地域は、東はエーゲ海と黒海、西はアドリア海とイオニア海、南は地中海に囲まれ、アジア、欧州、アフリカ、東欧、ロシアを結ぶ交通、軍事、通商の要衝にあるため、古代から両文明の重要地域であると同時に、複雑で多様な東西民族や宗教、言語で構成され、それらの交流と勢力の衝突が繰り返されてきました。また、第1次世界大戦もここから勃発したもので、国際紛争の発火地帯という意味でも「世界の火薬庫地帯」とされています。バルカン半島地域の中心的位置に存在するトルコは、一時はオスマントルコ帝国として西アジアと欧州の東南部を支配し繁栄した時期もありましたが、近年、石油の噴出、それも世界最大規模の油田地帯となってからは、その権利を巡る国際的争奪の争いの場となり、欧米諸国からの干渉も一層強まっています。

中東、南東欧の歴史として、、紀元前750年から約2世紀には、ギリシャの都市国家(ポリス)が繁栄して、植民地都市を拡大、商業を発展させました。やがて、ギリシャ都市国家の内乱に乗じて、マケドニアのフイリッポス2世が勢力を伸ばし、更にその子のアレクサンドロス大王がバルカン山脈を越える大遠征を敢行して、ドナウの南部からトラキアの全域を支配下に置きました。その死後はトラキア部族同盟が勢力を強め、その衰退後はローマ帝国がバルカン地域その他を支配するようになり、その衰微以降、ブルガリア、ビザンツ帝国、クロアチア帝国、セルビア王国など支配者の頻繁な交代が続き、やがて14世紀頃になるとオスマン・トルコ帝国が台頭してきて、バルカン半島と西アジア地域一帯を連合国家群として、ほぼ統合した経緯があります。
 
トウルクマンと称されるトルコ系民族は元来、北中部アジアを原住地とする遊牧民族でしたが、次第に西方へと移動し、西アジアの豪族セルジューク家に従属するようになり、それに連れイスラム教に改宗する者が増加してムスリム(イスラム教徒)となって定住、農耕生活をするようになった(約20の大きな種族集団で構成)とされています。現在のトルコ辺りは12世紀頃には小アジア半島と称され、小さな都市国家が乱立していましたが、1077年に成立したルーム・セルジューク朝が勢力を拡大するのと併行して、ムスリム・トルコ化(イスラム教徒の国)が進み、13世紀に入るとモンゴルの侵攻を受け、1242年にその属国となりました。また、キリスト教十字軍の侵攻(彼らは聖地回復のレコンキスタと称したが、真意はイスラム排除の軍事行動)にあってビザンツ帝国も衰退していきました。この状況を利用して、ムスリム・トルコ系の集団の聖戦に従事する集団として自立し、支配圏を拡大したオスマンを始祖とする王朝も、その一つでしたが、第2代目オルハンの時代には、ブルサを征服するなどして次第に頭角を現わして、周辺国を脅かすほどに成長し、やがてキリスト教徒勢力との抗争が激化に勝利して、1389年にオスマン朝のバルカン制覇が決定的となり、エーゲ海にも進出、イスラム世界における名声が一気に高まっていきました。ティムールに敗北して崩壊してから、オスマン王朝の空白時代が10年ほどありましたが、1421年には勢力を回復し、ビザンツ帝国の滅亡もあって、セルビアやハンガリーも併合し、征服地域を更に拡大しました。1520年のスレイマン一世の治世の代になると、集権的な専制支配を強めて最盛期を迎え、その最大支配地域はギリシャ、ハンガリー、ブルガリア、ポスニア、オーストリア東部などの欧州東南部から、カスピ海沿岸部、西南ロシアのウクライナ周辺地域、西アジアのイラク、イスラエル、レバノン、イランなど中東諸国や、ペルシャ湾沿岸、ペルシャ湾沿岸、サウジアラビアの紅海沿岸部、アフリカ大陸の地中海沿岸部までと、現在のトルコを中心とした東西に勢力を拡大し、これはバルカン半島周辺地域一帯の広大な範囲に及びました。
 
しかし、16世紀末になると社会的混乱も頻発し、17世紀前半には断続的なイランとの紛争と同時に、オーストリアとも戦端を開くなど、東西の両面戦争を展開したことで戦費負担が増大し財政悪化、農民への収奪強化や奴隷的非正規兵の反乱もあり、急速に内部崩壊していきました。また、傘下諸民族のナショナリズムの台頭、独立運動激化も加わり、これに替わって西欧キリスト教諸国が主導する時代を迎えることになります。オスマン・トルコ帝国が世界歴史上で脚光を浴びた期間は約250年間と近世史中では比較的に長く、現在の国家名での支配域も、大英帝国、ローマ帝国、モンゴルに続くほどの数ですが、17世紀以降のナショナリズムの勃興と、イスラム教との戦いに勝利して優越者となった西欧キリスト教諸国によってイスラム社会が抑圧され、政治的思惑で弱体化され、作為的に無視されるようになったため、歴史教育などで取り上げられることが少なくなっていきました。

オスマン・トルコ帝国は、当時としては優れた集権的国家体制を構築しており、イスラム世界の国家的伝統を継承する過程で、当時としては進んだ職業的軍隊制度を導入ししていました。相対的に見れば、当時のバルカン半島のキリスト教徒諸国が、封建的制度そのままで纏まりが悪かった(当時のキリスト教社会が宗教的分裂を抱えて混乱しており、イスラムの脅威に対して一致団結して抵抗し得なかった)ことに比べ、彼らは征服地をすぐに直接支配とせず、キリスト教徒の領主も認めて属国扱いとし、現地の伝統も尊重しつつ、次第にオスマン朝の諸制度を浸透させながら、直轄領に組み込んでいきました。また、キリスト教徒の男子を改宗、教育をした後に、軍人や官僚にも登用し、主要な地方都市にイスラム法解釈上の問題を解決するムフティー(法務官)を配置し、各地方の社会秩序の維持と中央集権体制を浸透させていきました。法規範としてはイスラム聖法(シャーリア)と行政法(カヌーン)を併用しましたが、この行政法は地方の伝統も尊重する習慣法的性格を持たせたもので、巧みな支配体制で住民の反発軽減に配慮していました。余談ですが、当時、国を追われて世界を放浪していたユダヤ教徒も、キリスト教徒からの迫害から開放されると、「オスマン帝国のバルカン征服を歓迎していた」との説もあるようです。
 
後にオスマン・トルコ帝国は、キリスト教徒の反抗と宗教戦争(国土回復運動)で敗退し、更にシリア領有を要求するエジプトとの戦いにも敗れ、それを英国を中心とする西欧4カ国が協同してエジプトに圧力をかけ、ムハンマド・アリー家によるエジプト支配の国際的承認と引き換えに、その征服領土であったバルカン地域の放棄を強要したので一層勢力を弱め、オスマン帝国の聖地エルサレムの管理権を巡ってロシアとも闘った「クリミア戦争」がありました。ここでオスマンは、英、仏などの助成を仰いだ結果、その終結後の条約で西欧列強への政治的従属が決定的となっていました。こういう複雑な歴史的な推移や背景によって、現在でもバルカンのキリスト教諸国では、オスマン朝による支配時代を、異教徒であるトルコ人の下で隷属を余儀なくされ、民族の歴史的発展が阻害された屈辱の時代とする巷説が根強く残っています。オスマン帝国の主体国であったトルコは、現在も一応、欧米諸国との協調関係維持を政治外交の基本姿勢として、完全な自由資本主義体制でも、ソ連型社会主義体制でもない、これらの中間に位置する様々な政治、思想体制を併存させている状態にあります。バルカン諸国サミットでは「南東欧」といった呼称が用いられる傾向が強まりつつありますが、西欧と東西アジア、イスラムとキリスト教とユダヤ教、ロシア・旧東欧諸国と南北アフリカなど、様々な方面との狭間に置かれるトルコは、ギリシャの財政破綻に端を発する世界経済の混乱と、世界の政治や経済体制の再構築、各国の自国保護主義化傾向への強まりもあって、周辺地域国との協力と相互補完の態勢を模索ている状況です。バルカン半島諸国においても複雑な地理的環境から、その民族主義の特性として、今も排外性が根強く潜在しています。第2次世界大戦中から戦後にかけて独・ソ連対立の狭間にあり、東西欧州の分離、バルカン諸国の内紛と分離や独立が相次ぎ、自由民主主義の国家群と社会主義の国家群との綱引き、多様な宗教観の対立などに巻き込まれて、地勢的要因からも、現代に至っても国際的に難しい立場にあり、安定感を欠く紛争の舞台となっています。

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◆ 民主化という支配の行く末は?

2011年12月19日 | 世界情勢・一般
エジプトの首都カイロの中心部タハリール広場付近では、16日夜から17日未明にかけ、軍最高評議会の暫定統治に反発するデモ隊数百人と治安部隊との衝突によって、少なくともデモ参加者ら3人が死亡、250人以上が負傷し、デモ隊の一部が暴徒化、近くの政府庁舎を襲撃したと伝えられました。同国では、11月28日からムバラク前政権崩壊後で初となる人民議会(下院に相当)選が行なわれており、今月の14、15日には第2回投票が実施されたばかりでした。今回の衝突によって反軍政デモが再び大規模化すれば、今後の第3回投票や、来年1月からの諮問評議会(上院に相当)選に影響が出る可能性もあると見られています。

衝突に発展した原因が治安部隊が発砲によるものとの情報もあるようですが、最高評議会は声明でこれを否定、「治安当局は最大限の自制をしている」として、暴徒化したデモ隊側を非難しました。一方のデモ参加者らは、衝突の原因は、首相府前での座り込みに加わっていた男性が、治安部隊員らと小競り合いになり、暴行を受けた事としていますが、デモ隊は11月下旬から座り込みを行ない首相府を封鎖、最高評議会から指名を受けたばかりのガンズーリ新首相が、首相府に登庁できない状態が続いていました。エジプト保健省によると、デモ隊と治安部隊の衝突では3日間で少なくとも10人が死亡、負傷者は500人近くに上るとみられており、軍に向かって石を投げるデモ隊と、治安部隊もこん棒でデモ参加者を殴るなどの応戦、小競り合いが続いています。

エジプトでの選挙の第一段階の結果、選挙の勝者がムスリム同胞団でサラフィストの政党だったことに、欧米諸国は一斉に懸念を強め始めました。なぜなら、エジプトが欧米の望むような政治を選択していくのであれば、これからは民主的、かつ公正に進められた選挙で勝利を得たムスリム同胞団が与党となり、そのムスリム同胞団の連立政党になると予測されるのが、サラフィストの党ということになるからです。
 
エジプトの選挙ではムスリム同胞団(自由公正党40%獲得)やサラフィストの党(ヌール党25%獲得)が、選挙で好結果を出しましたが、これらの組織はいずれもイスラム原理主義組織です。しかし、いつの間にか米国を筆頭に、穏健で慈善活動を活発に行なうイスラム組織のように認識され、広く報道されてきた経緯があります。欧米社会の報道全体も、ムスリム同胞団は何の危険性も無い、貧民に福祉を行なう穏健な宗教団体、という記事を重ねてきており、そこにはムスリム同胞団に対する何の警戒心も感じられない認識があるかのようです。しかし、ムスリム同胞団とは1928年、スエズ運河に近いイスマイリーヤの街で、ハッサン・バンナーという名の学校教師が始めた、英国の傀儡エジプト王国政府と、間接的にエジプトを植民地支配する英国政府に対する闘争を行なうことを目的として、結成された組織なのです。彼らは祖国解放と革命のためには、武力闘争も辞さないという強硬な考えを根底に持っており、状況が状況なら、決して昨今の報道に見受けられるような、何の危険性も無い、貧民に福祉を行なう穏健な宗教団体というような甘い組織ではないのです。それはあくまでも現状の一面に過ぎないのです。

そのムスリム同胞団が一見穏健に見えるようになったのは、エジプトのナセル大統領による大弾圧の結果であり、ムスリム同胞団のメンバーはそれにより地下に潜るか、外国に逃れて活動を継続し続けてきたのです。ムスリム同胞団から分派して強硬武力闘争路線に変わった組織、ガマーア・アッタクフィール・ワ・ルヘグラの一員が、サダト大統領を暗殺しており、他にも、エジプト政府の要人暗殺や暗殺未遂が起こっていることに加えて、パレスチナのガザに拠点を置くハマスは、ガザのムスリム同胞団が結成したパレスチナ解放のための、武力闘争を主活動とする別働隊なのです。そして、アルカイダのリーダーとして名を馳せたウサマ・ビン・ラディンは、サウジアラビアの大学でムスリム同胞団の教授につき、イスラムを勉強した人物なのです。勿論、ムスリム同胞団はそれを認めず、彼らは「我々の組織とは全く別の組織であり、関係のない人物だ」と答えるでしょうが、単に組織が長期的に存在し、しかも、拡大するためには結束力が必要で、根本的な共通項であるイスラム教の教徒であるということにおいて、結束する組織だから生き残れるという一面があることも事実でしょう。でなければ、組織はバラバラになり、いつの間にか消えてしまうでしょう。組織が生き残ってこれたエネルギーの源もまた、イスラム教における教徒の信仰心、イスラム教内の厳しい規律、敵に対する憎しみや組織の目標などが一体となって、それらを可能にしているとも言えるでしょう。鉄則の規律があり、明確な敵が存在し、明確な綱領、明確な最終目的があるといったような条件は、極めて共産党組織であり、であればムスリム同胞団とは極めて本質的に、共産党組織に似た組織ではないかとも言えるかもしれません。

では、仮にムスリム同胞団がそのような性格性を持って権力を掌中にした時に、一体何が起こるのかと考えた場合、それは、まず彼らの認識に沿った厳しいイスラム法(シャリーア)を徹底するという事ではないのでしょうか。勿論、その徹底までには、幾つもの段階を踏んでいくでしょう。イスラム教は本来、コーランの第一番目に掲げられている開扉章に記されているように、慈悲と慈愛の宗教とされているのですが、明確なイスラム法(シャリーア)が存在するために、イスラム教が内包している慈悲や慈愛、許しや寛容さは表面に出難く、一般的にも非常に厳格な戒律主義のような印象を持つ人々も、少なくありません。厳格なイスラム教徒であれば、どちらかと言えば頑迷なまでにイスラム法(シャリーア)に則って、政治を司ることを選択するでしょう。
 
ムスリム同胞団が今回の選挙を前に、コプト教徒との共存や女性の権利などに関する立場を麗々しく披露しましたが、それは戦術ではあっても戦略ではありません。そのことに付いて、一番分かりやすい質問をするとすれば。いわゆる「名誉の殺人」について彼らがどのような見解を持っているのか、実際にどう対応するのかを問えば分かるというものです。ムスリム同胞団は多分に「名誉の殺人」に対し、黙認や許容の立場を採るのではないかと懸念されています。「名誉の殺人」とは、家族の女性が不倫、不純行為に走った場合、あるいは、そう疑われた場合に、女性の家族が家の名誉を守るために彼女を殺害する行為等の事で、これはイスラム世界では現在でも多くの国で黙認されているのです。
 
もう一つのムスリム同胞団の危険性は、エジプトでムスリム同胞団が与党になった場合、現在革命途上にあるシリアやヨルダン等、他の国々のムスリム同胞団の反体制活動を支援するようになる、という可能性が非常に大きいことです。ムスリム同胞団には国境は無いのです。実際、最近ではリビアのイスラム原理主義者が自国の革命闘争を終えた後、シリアに密かに潜入し、シリアの革命闘争を支援する武力闘争に加わったという情報も流れてきています。しかも、その数は600人にも及ぶと言われており、彼らはカダフィ時代に買い込まれた武器やカタールなどから贈られた武器を、シリアに大量に持ち込んでいるという情報もあるようです。シリアの反体制派の主流がムスリム同胞団であることを考えれば、十分に信憑性のある話と位置付ける事ができるかもしれません。また、ガザのハマス組織に対す支援も活発になっていくでしょうが、そうなった場合、エジプトは有無を言わずにイスラエルとの戦争、とは言わないまでも(その可能性もありますが)、介入、衝突に突入していかざるを得なくなるでしょう。少なくとも、戦争にまでは到らないとしても、エジプトとイスラエルは戦争の一歩手前まで緊張した関係にならざるを得なくなります。それは中東全体の平和と安定を破壊することになる可能性を多分に含む、非常に危険なものなのです。ムスリム同胞団がエジプトの選挙で勝利し、与党第一党になるということは、そのように世界全体を危険に引き込む状況を創り出す原因に成りかねないのです。

勿論、そのような方向性が確定している訳ではありませんが、ムスリム同胞団によって創り出されるかもしれないそのような危険な今後を、エジプトの軍部が予測できないはずが無いでしょう。仮に予測できていないとすれば、それはそれ以前に軍としてその存在が問題視されてしまいます。エジプトの軍部は、ムスリム同胞団が与党になり、国政を担当する状態になることを、何とかして阻止しようとするかもしれませんが、その可能性の一つとして、エジプト軍はムスリム同胞団との正面衝突の前段階として、世俗主義の国民と、ムスリム同胞団との溝を深める工作をすることが考えられ、それが今、結成が進められている憲法改正のための委員会の結成なのかもしれません。そして、この軍部の動きをムスリム同胞団は、既に拒否する方向に動き出しているのです。

そもそも、エジプトの大統領制は極めて独裁的なもので、事実上、任期に制限がない終身大統領制であり、首相含む閣僚から各県知事までの任命、罷免権を持ち、立法府の決定を拒否できる一方、自らの意志だけで法律と同等の大統領令を公布できるという立場でした。また、国軍のトップでもあり、司法にも強大な権限を有していました。そして、そのエジプトの大統領として活動してきたムバラク元大統領は就任以降30年、副大統領を置いてはいませんでした。アラブ世界の人口の三分の一を占めるエジプトはアラブ世界で最大国家であり、最も親米国家で反イランの急先鋒でもあり、ムバラクの失脚で最も喜ぶのはイランだとも言われていました。実際、ハマス、ヒズボラとの戦いや対イラン戦線で、あれだけ米国に協力してきたのはエジプトのムバラク元大統領でした。

少なくとも、中東において一定の存在感を保っておきたい米国も(エジプト革命当時、その背景には米国がいるとさえ囁かれていましたが)、エジプトを通しての中東支配、つまり、中東から富を吸い上げる仕組みの要にしてきた米国、イスラエル、欧州にとって、エジプトに真の民主化などされてしまえば、都合の悪い事態、つまり、庶民から富を吸い上げる仕組みが崩れてしまうという事にになってしまいます。エジプトの支配層が米国の言いなりであることを考えれば、その実態は「ムバラク後のムバラク体制の安定化」なのかもしれません。チュニジアやエジプト、イエメンやヨルダン、そして、バーレーンでも民主化を求める抗議行動が繰り広げられましたが、バーレンでは民主化を唱えていた人が射殺され、国王が謝罪するという事態が起きたことがありました。中東で民主化を叫ぶというのは、そういう事なのです。

イラクを先制攻撃する前、米政府は「大量破壊兵器」の存在を声高に叫んでいましたが、その情報源の一つとされたのが、「カーブボール」という暗号名で呼ばれていたラフィド・アーメド・アルワン・アリジャナビ氏です。彼はガーディアン紙とのインタビューで、嘘をついた理由として「民主化」を挙げていたのです。米国政府も同じように「民主化をもたらす」というようなことを言っていましたが、アフガニスタンやイラクが民主化されたなどと言う人はいないでしょう。むしろ、破壊と殺戮、腐敗の国になってしまったと言ってよく、基本的に米国の支配層は金儲けにしか興味がなく、本質的な民主主義を嫌っているのです。実際、民主的なプロセスを経て成立した政府を(暴力的に)倒し、独裁体制(米国傀儡政権)を樹立させてきたことを見れば明らかです。エジプトもその一つであり、エジプト革命によって米国や欧州が掲げる「民主化」の欺瞞性が、むしろ明確になったのです。現在、世界の至る所で、各国政権に対する国内デモが頻発し、特に米国に代表されるような、新自由主義経済の導入による支配層への富の集中と、庶民の貧困化への怒りが表わされていますが、中東のの紛争においてもそうしたものが根底にあるのは同じです。また、米国や英国の親イスラエル派が主導したといわれる中東への軍事攻撃で、社会基盤が破壊され、多く(約100万人以上)の住民が殺されている現実に、何ら有効な手を打てない親米、親イスラエルの独裁国家に対する反発もあります。そうした意味で言えば、新自由主義経済への完全な復帰を求めているイランの反政府行動は、実に異質なものなのです。

その米国の空軍が2001年以降、ドーバー空軍基地から出兵した兵士6300人のうち、アフガニスタンとイラクで戦死した米兵274人以上の遺灰が、2004~08年にかけて、ワシントン近郊のゴミ捨て場に投棄されていたと報じられ、米空軍はこの事実関係を認めました。米空軍は、遺族が引き取りを求めなかったり、身元が判明しなかった米兵の遺体の 断片を火葬後、医療廃棄物として民間の廃棄物処理業者に引き渡し、業者はこの遺灰をバージニア州のゴミ捨て場に処分したということです。米空軍は04年から遺灰処理の記録を残しており、2008年5月から海に散骨、2004年2月から2008年5月までに274人の遺体の一部976片と、身元不明(DNA検査ができない)の1762片がゴミ処分とされました(焼却された遺体は2700片以上)。遺族とは、遺体の断片を「威厳と敬意のある方法」で処理すると説明し、同意させており、ゴミ処分ついての説明はありませんでした。基地の霊安室で担当者らが遺体を棺に入れる際、制服を着せるために、別の遺体からノコギリで腕を切り落とし、つけたこともあるとのことです。これらは内部告発により明らかになったものですが、米空軍のジョーンズ中将は国防総省で記者会見し、遺灰投棄について「当時は一般的な方法だった。現在の処理方法はより望ましい」と釈明しましたが、その国防総省自体が遺体の投棄を禁止しており(実際、国防総省は許可を出していない)、オバマが大統領になって以降、海へ散骨することになったようです。また、身元不明(DNA検査ができない)の1762片がゴミ処分とされたことについても、最近の日本等では、焼却した遺骨からDNAを抽出し、故人を特定している事もあり、多数の断片に多くの時間や経費をかけたくないという米国の事情が垣間見えます。少なくとも、国のために命を賭けて駒になって戦っても、死んだらゴミ扱いという事のようです。

イラクに駐留していた米軍最後の部隊が18日、クウェートに入り、米軍がイラク撤退を完了したと世界に印象付けた米国ですが、このイラク戦争による死者は、イラク人が数万人規模、米軍兵士が4500人近くに上ったとされ、負傷者は更に多く、イラク国民175万人が戦争で居住地を追われたと言われています。イラクには最大17万人近い米軍兵士が、505ヶ所の基地に駐留していましたが、戦争を開始してから9年近くが経ち、撤退完了後は米大使館に数百人規模の兵士が残っているだけになります。戦争終結をアピールする米国ですが、その一方でNRC(米原子力規制委員会)のヤツコ委員長は、米ウェスチングハウス・エレクトリック(WH)が開発した加圧水型原子炉「AP1000」の認可に賛成票を投じました。同原子炉は米電力会社のサザンとスキャナが、既存の原発の近くに建設を計画しているものです。NRCによる「AP1000」の認可投票では、ヤツコ氏、ジョージ・アポストラキス氏が賛成していますが、最終認定ルールはまだで、委員会全体の投票は行なわれていません。しかし、30数年ぶりとなる原子炉建設について、1~2カ月以内に認可する可能性があります。同氏はオバマ現大統領が知事であった頃に原発推進派に転向し、雇用開発と称して原発開発を進めていますが、政府の方針に沿ってか、NRCは新型の原発建設を許可や点検結果を甘くしているように見えます。例えば、建物のコンクリート製の壁に30ftのヒビ割れが見つかり、10月に一時閉鎖するものの、NRC報道官が「脅威をもたらさない」と保証したり、バックアップシステムの加圧熱遮断装置が正常に作動しないことが点検で発覚した際も、想定外から、想定内に変更したりしています。これらは分析結果も確認し、NRCも点検情報を一般公開し、市民集会を開催したりしていますが、NRCも反原発派から選出され、大統領が承認と評価された報道があったものの、実際には原発推進派に転向したようです。東電所有の原発が、科学的に放射性物質を振り撒いたことが証明されているにもかかわらず、東電の除染費用裁判では、ゴルフ場あたり200億円の除染費用との試算もあってか、「ゴルフ場の放射性物質は無所有物」と弁護士は常套手段を主張、展開したようです。しかし、この主張であれば単純に、水俣病やダイオキシン訴訟、サリン事件、アスベスト粉塵被害等は、振り撒いたほうは問題が無いということになります。少なくとも、電力会社の資本は日米共に、行政関係者に強い影響を与えるようです。

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◆ 核から見えてきた図式

2011年12月12日 | 世界情勢・一般
12月2日にオランダのハーグで行なわれていたOPCW・化学兵器禁止機関の第16回締約国会議が閉幕しました。化学兵器の廃絶期限となる2012年4月29日が迫る中、今回の会議では、世界における化学兵器の廃絶が最大の議論の焦点となりました。この会議での最終声明では、化学兵器禁止機関事務局長に対して、化学兵器廃絶の期限が切れた直後に、それが確実に実施されたか否か、また、廃絶された化学兵器の量、及び残存量に関する報告を、この組織の執行理事会に提出することを義務付けました。更には、米国と他の数カ国の化学兵器保有国が、まだ残存している化学兵器の廃絶の時期を明確にした計画書を作成し、2012年4月30日までに、この組織の執行理事会に提出することが強調されました。また、現在残っている化学兵器の廃絶に関する詳細な内容が、4年ごとの執行理事会会議、及び年次総会で話し合われ、米国と他の化学兵器保有国、並びに化学兵器禁止機関事務局長に対しては、この点に関する報告書の提出が義務付けられました。また、事務局長には更に、次回の国連総会に提出する報告書において、定められた期限内に兵器が廃絶されたか否かを報告する義務が課されました。

1987年6月に、イラン西部の西アゼルバイジャン州サルダシュトに、イラク軍が化学爆弾を投下し、この中で数百人の民間人が殉教、または負傷しました。イラクの旧サダム政権は8年間に渡ったイラン・イラク戦争で、イランの兵士や民間人に対し、広範囲において化学兵器を使用しました。当時のサダム政権は米国を筆頭とする西側諸国、ドイツ、英国、オランダ、ベルギーなどから、化学爆弾の製造技術や原料を提供されていました。1992年9月には、それまでの20年間に及ぶ話し合いの結果、化学兵器禁止条約が採択され、現在までに188カ国がこの条約を批准しています。化学兵器禁止条約は、加盟国に対して化学兵器の製造や備蓄、使用を禁止しています。備蓄されている化学兵器の廃絶は、この条約の主要な目的の1つですが、この条約で取り決められた段階的な期限に従って、加盟国は2007年の4月までに、保有する全ての化学兵器を廃絶することが義務付けられていました。しかし、実際には2010年10月28日の時点で、この条約の加盟国によって申告された化学兵器全体の約60%にあたる4万3131トンが廃絶されたに留まりました。このため、化学兵器禁止機関は各加盟国に対し、化学兵器の最終的な廃絶期限を、2012年4月29日まで延長せざるを得なくなりました。世界最大の化学兵器保有国である米国とロシアは、化学兵器禁止条約の取り決めを履行しておらず、今年の化学兵器禁止機関の第16回締約国会議で最大の焦点となったのは、米国とロシアに対し、この条約の取り決めの履行を促すことでした。

米国は世界最大の化学兵器保有国の1つであるとともに、21世紀初頭にこの兵器を使用した国でした。米国はベトナム戦争でも、広範囲にわたって化学兵器を使用し、この戦争では毒ガスの他、枯葉剤が使用されました。ベトナム戦争での7200万リットルものダイオキシンの使用は3万人の人々の死亡と、ベトナム国内の農業用地50万ヘクタールの破壊につながりました。その一方で、ベトナムの人々はこの戦争の終結から40年が経過した現在も尚、当時の米軍が使用した化学兵器による後遺症に苦しんでいます。米国は今世紀に入ってからも、イラクのファルージャや、アフガニスタンとパキスタンにおける白リン弾の使用等、化学兵器を使用しました。

しかし、米政府は今年の化学兵器禁止機関の第16回締約国会議の開催前に、化学兵器廃絶期限を2021年まで延長することを狙った政策により、化学兵器保有の面での自国の優位性を維持しようとしています。米国は化学兵器の廃絶を避けることで、世界で最も重要な兵器廃絶の取り決めに違反してきました。化学兵器の使用は国際的な非難を浴びており、化学兵器が初めて製造された当初から、戦場におけるその使用までをも禁じる数多くの国際条約が制定されました。1899年と1907年に、化学爆弾の使用禁止に関するハーグ条約が定められていますが、化学兵器の使用禁止を定めたこの国際条約が成立してから100年が経過した現在でも、国際社会はその実施を義務づける条約の採択が必要であることを、国際社会は理解しているのです。しかし、世界最大の化学兵器の使用国である米国は、この条約にダブルスタンダードを用いており、化学兵器の拡散を禁止する国際条約の履行を逃れようとしています。化学兵器禁止条約の第12条は、「加盟国がこの取り決めを遵守しない場合には、世界の安全と平和が脅かされるとの理由から、その国の違反問題を国連安保理に付託する」よう定めています。核兵器保有国に対しては、透明性、絶対性、国際的な監視という3つの原則に基づく、核兵器の全廃に向けた必要な措置をとることが求められており、1970年に発効したNPTにおいても、核兵器保有国に対して、この兵器を廃絶するよう求めています。更には新型核兵器の製造を控えるとともに、これらの兵器を他国に移転、配備したり、核兵器製造を目的に他の国と協力を行なうことがないよう求められています。本来であれば、世界で最も重要な軍縮条約に対する米国の違反に、国際社会がどう対処していくのかが注目されるべきなのでしょうが、この国際条約も、米国の国際的な覇権主義によって単なる机上の空論で終わってしまうことも考えられます。このため、米国が2012年4月29日までに、化学兵器を廃絶すると考えることは困難かもしれません。

中東で200個以上の核弾頭を保有する、唯一の核保有国と言えるイスラエルもまた、米国、英国、フランスの支援によってこの兵器を手に入れていますが、トルコ戦略研究所は、国際環境保護団体グリーンピースの情報サイトに掲載された内容に基づき、原子爆弾製造を巡るイスラエルの核活動に関して発表した報告の中で、イスラエルが核兵器製造目的で、多数の核施設や工場を建設したことを公表しました。また、この報告においては、軍事目的によるイスラエルの重要な核施設の1つが、プルトニウムを製造するディモナ核施設であるとされており、この核施設でのプルトニウムの生産量は、年間15キロから20キログラムにまで達しており、情報によれば、ディモナ核施設では1週間に平均して1.2キログラムのプルトニウムが生産されていると言われています。年間生産量がこのぐらいであれば、それは4個から12個の原子爆弾を十分に製造出来る量であるということになります。IAEA・国際原子力機関は1981年、イスラエルに対し、その核施設をIAEAの査察官らに公開するよう申し入れましたが、ディモナ核施設とプルトニウムの再処理工場はIAEAの監視圏外にあることから、イスラエルはこの要請を拒否し、今日に至るまで、イスラエルの核兵器の保有数と製造能力については、一切公表されていないのです。また、米CIAも1990年代末に、イスラエルが保有する核兵器は75~130個と推定される、と発表しましたが、イスラエルはこれまで、NPT・核兵器不拡散条約、及びIAEAへの加盟を差し控えています。

更にイスラエルは2006年、中東の核兵器の安全保障の枠組みから外れ、毎年、中東非核化案に賛成票を投じておきながら、中東における核兵器の危険やリスクを懸念する決議を拒否しています。このイスラエルの核計画は1948年に始まり、1950年代には核協力に関する交渉が開始され、1957年にフランスとの協力や原子力協定への調印により、ディモナ核施設の建設を開始したとされています。ディモナ核施設は1964年に稼動を開始し、1970年代の初頭にはその発電能力が従来の3倍に増強されたと言われ、専門家の見解では、イスラエルの政府首脳らは核兵器の保有量の公表を回避し、核兵器の製造と備蓄という違法な産業の存続のための工作を継続している、と言われています。

イランの核開発による経済制裁が拡大する中、イスラエルのネタニヤフ首相は、イランに対する好戦的、急進的、敵対的なアプローチをとった場合の結果に関する、米国の警告を無視しており、「イスラエルは正しい時に正しい決定を下すだろう。たとえ、同盟国がそれに反対したとしても実行する」と述べました。米国のパネッタ国防長官はイスラエルに対して、イランの核施設に対する軍事攻撃について警告を発し、ワシントンでのイスラエル支援協会で、「軍事攻撃を行なえば緊張を拡大し、中東を対立と衝突の中に置くことになり、我々は後悔することになるだろう」と述べました。これ以前には、米大統領選挙の共和党候補者のロン・ポール氏が、イランへのイスラエルの脅迫は米国にとって高くつくとし、イスラエルに対する同国の度を越した支持を非難していました。同氏は更に、「イランの核開発を理由にした同国への経済制裁の拡大は、破壊的な戦争につながるだろう」と表明しています。米共和党のユダヤ人連盟は以前、同氏がイランに対する戦争に反対していることから、共和党討論会への参加を禁じたことがありました。

現在、福島原発事故の後、ドイツやスイスなど一部の欧州諸国は世論の反対を受け、原発の活動の縮小や閉鎖に向けた措置を講じて来ましたが、実際には、欧州における原発の活動継続の問題は、意見の分かれる重要な問題となっています。こうした中、ドイツの新聞はその報告の中で、原子力への支援に関するEUの今後の計画、新たな原発建設に向けた資金援助について伝えており、ここに来てEUが新たな原子力発電所の建設を支持しているようです。欧州委員会のオッティンガー・エネルギー担当委員は、「エネルギー・ロードマップ2050」と題する計画の中で、原子力は今後、重要なエネルギー源になるとしました。2030年までに欧州で40基の原発が新たに建設されるとも伝えられており、この計画についてはベルギーのブリュッセルで議論されることになっています。オッティンガー委員は一部のEU諸国での原子力の利用に向け、資金援助が行なわれる可能性もあるとし、一部西欧州諸国の反対にも拘わらず、チェコ、ポーランド、スロヴァキア、その他の東欧州の国々は原発の稼動、あるいは、拡大に向けた大プロジェクトを準備しています。例えばチェコは、ドイツ、フランス、スイスといった国とは正反対のアプローチにより、今後も原発の活動を続ける意向であり、それと同時に原子力発電の拡大に向けた計画を準備しています。仮に計画が実行されれば、チェコは欧州でも最大規模の原子力発電を行なう国となるかもしれません。チェコのクラウス大統領は核エネルギーの利用を支持し、「福島の事故は、原子力の利用に疑問を呈するものにはならなかった。原子力利用の決意は真剣なものであり、経済的にも理にかなっている」と語りました。チェコは原子力がクリーンで安価であることといった特徴により、その利用は合理的なものだとしてます。EUエネルギー委員会が欧州での新たな原発建設を支持していることは、実際、21世紀における原子力の否定できない役割を反映しており、この重要性の高さから、ドイツのような国の原発縮小計画も、新たな原発建設という他の欧州諸国の意志を削ぐことにはなりませんでした。それ以外にも、ベラルーシやトルコは、ロシアの支援を受けて新たな原発を建設する意向です。

フランス通信の報道によれば、トルコの原子力発電所が2013年に建設開始され、1号機の稼動は2019年、毎年段階的に生産サイクルに加わっていき、2022年に完成する予定です。この原発にはセキュリティシステムが装備されており、その核廃棄物はロシアに送られますが、200~250億ドルと見積もられているこの原発は、ロシアとの協力による建設協定が、トルコ議会によって可決されたものです。EUの加盟国は、2030年までに約40基の新たな原子力発電所を建設しようとしていますが、サウジアラビアの商工業大臣は、「同国は16基の原発を建設するため、1千億ドルを投資する」と述べ、英国の新聞ガーディアンは、マイクロソフトの創立者であるビル・ゲイツ氏が、新たな原発の建設のため、中国当局と話し合ったことを明らかにしています。

そのロシアのリヤブコフ外務大臣はイランの核開発について、「イランの核活動は、軍事的な本質であることを裏付ける証拠は見られていない」とし、イランの核開発を巡る更なる協議の必要性を強調しました。同次官はまた、「制裁は、全くイランの核問題に関する協議の行き詰まりを、打開する助けとはならない」と強調し、「協議が進展しないことが、対イラン軍事作戦の口実となるべきではない」とも述べました。オバマ米大統領はイランに対して、同国が核兵器を獲得しようとしていると非難すると共に、イランの政府関係者に対し、自国の核活動の停止を求めました。また、「イランの核活動は、米国とイスラエルをはじめとする、米国の同盟国の安全に反するものである」とし、「米国はイスラエル等その同盟国と共に、イランの核活動の継続を妨げるため協力する」と語っています。更には、ここに来て中国国防大学教授が、「イランが攻撃されれば、中国はたとえ第三次世界大戦が始まったとしても、イランへの支援を惜しまないだろう」と語りました。米国とイスラエルはイランの核活動について、極秘の軍事計画が隠されている可能性があるとする主張を繰り返し、再三に渡って軍事攻撃も辞さないとして、イランへの軍事攻撃を示唆しています。イラン側はこれについて西側の疑惑を否定し、イランはNPT核兵器不拡散条約と、IAEA国際原子力機関の加盟国であり、核エネルギーの平和利用の権利があることを表明しており、イスラエルのペレス大統領とバラク戦争大臣が、対イラン軍事攻撃の可能性について発言した際にも、イラン政府当局は、「そのような措置は、中東地域を越えた世界大戦にまで発展しかねない」と警告しています。EUが資金援助を含めた新たな原子力発電所の建設を支持する政策を取っている中で、英国、フランス、ドイツの3大国が、国連安保理常任理事国とドイツの6カ国の枠内で、イランの核活動に反対していることは、核エネルギー利用などの様々な問題における西側諸国のダブルスタンダードを、如実に表わしています。米国やフランスといった国は、イランの核には反対しながら、その一方で中東諸国、特にペルシャ湾岸南部のアラブ諸国と、原発建設に関する大規模なプロジェクトの契約を締結しているのです。

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◆ やはりキナ臭い? 中東石油、天然ガス

2011年12月05日 | 世界情勢・一般
イスラエルで2009年に「Levantine」堆積盆で「Tamar」、2010年には「Leviathan」と相次いで巨大なガス田が発見され、隣接するキプロスでも有望と見られる油-ガス構造が確認されたことによって、東地中海諸国では探鉱、開発に関する次の動きが出てきています。特に、イスラエルのガス輸出政策の策定(2012年第一四半期目標)、イスラエルの国内向け天然ガス政策の着実な実施、イスラエル・キプロスの巨大ガス田開発とLNG輸出構想(キプロスLNG輸出構想)、洋上ライセンスラウンドの実施(2011年:シリア、2012年:キプロス・レバノン)などが注目される一方、この東地中海地域における石油、天然ガス開発には政治状況の複雑さから、排他的経済水域(EEZ)の境界画定やキプロス問題等の課題があり、その対応が必要となっています。排他的経済水域(EEZ)の境界画定においては、 特にキプロス側が積極的に活動している一方で、全てのEEZを画定することは現実的に難しいと考えられており、当面は確実に自国のEEZと言える領域での探鉱や、開発が行なわれていくと考えられています。また、「Levantine」堆積盆の探鉱開発はこれからの地域であり、今後も大きな油ガス田が発見される可能性があります。

イスラエルでは1940年代末以降、石油・天然ガスの探鉱が行なわれてきましたが、2009年に「Tamar」ガス田(8.4Tcf)、2010年に「Leviathan」ガス田(15.9Tcf)と相次いで巨大ガス田がイスラエル洋上で発見され、また、「Leviathan」ガス田と隣接するキプロス洋上の鉱区(block12)における地質調査の結果、巨大な油ガス田の可能性がある構造が発見されるまでは、大きな油ガス田の発見はありませんでした。それまで(2004年)は、内陸(死海近く)の「Zohar」ガス田が唯一の天然ガス供給源でした(生産量少)。ガス洋上の鉱区(block12)における地質調査の結果、巨大な油ガス田の可能性があるこれらの探査や試掘活動は、権益を持つ米国企業「Noble Energy」社が2011年9月より探査試掘活動を開始しています。



「Tamar」、「Leviathan」の両巨大ガス田は「Levantine」堆積盆で発見されており、キプロス共和国の「block12」も同堆積盆上にあります。また、この堆積盆はイスラエル、レバノン、シリア、キプロスの洋上に広がることから、同じ堆積盆上にあるレバノン、シリアも強い関心を持っています。レバノンは洋上ライセンスラウンドの準備を進めており、シリアは今年、洋上ライセンスラウンドを実施しています。米国地質調査所(USGS:US Geological Survey)が2010年に発行した報告書によると、「Levantine」堆積盆は全体で採取可能な17億バレルの原油と、122Tcfの天然ガスを保有すると見積もられており、東地中海の炭化水素資源のポテンシャルに高い関心が集まっています。

イスラエルでの相次ぐ巨大ガス田の発見を受け、「Levantine」堆積盆での探鉱活動が活発化している一方で、イスラエル等、資源を確認した国では、これらをどの様に開発するかに関心が高まっています。相次ぐ巨大ガス田の発見に伴い、イスラエルは2012年第一四半期までにガス輸出政策を決定する計画で、2011年9月に輸出政策決定のための委員会を設置しました。委員会内には、50年先を見越したエネルギーセキュリティーを確保したいという意見(国家インフラ省)と、輸出を推進したいとする意見(財務省)があり、調整が今後行なわれる予定ですが、開発企業(Noble Energy等)は利益性の高い輸出を進めるため、輸出を許可するよう政府に働きかけており、今後の輸出政策の決定が注目されています。

また、イスラエルでは天然ガスの唯一の供給源であった「Mari-B」、「Noa」ガス田(洋上ガス田、2000年に発見、2004年より生産開始)のうち、「Mari-B」からの生産が2014年に終了(枯渇)するとの予測から、2009年からパイプラインによるエジプトからの天然ガス輸入を開始しています。また、2009年に「Tamar」、「Dalit」ガス田が発見されたことを受けて、枯渇する「Mari-B」ガス田を補うために開発し、国内向けに供給を行なう予定です(2013年供給開始予定)。しかし、2011年初頭のエジプトでの「アラブの春」以降、エジプト国内でのパイプラインへの襲撃や損傷等が相次ぎ、特に2011年7月の襲撃によてパイプラインが損壊し、7月から10月まで輸入が完全にストップした事がありました。この間、イスラエルは「Mari-B」ガス田の増産で凌いだものの、これによって枯渇を早めたとの認識から、エネルギーセキュリティーの確保を目的に、現在減産が行なわれているようです。将来は豊富な天然ガス資源を元に生産量、消費量の増加が見込まれているものの、2012年から13年については短期的に天然ガスが不足することから、これを補うためFloating LNG基地(FSRU:浮体式貯蔵・再ガス化ユニット)の建設(Haderaから約10km洋上)を行ない、LNGを輸入(供給能力:2.5Bcm/年)するため、2012年下期には建設を開始し、2012年末に供給を開始(11月に建設企業と合意)する予定です。



一方で、「Leviathan」ガス田の開発は現在未定であり、イスラエルはLNG輸出についてキプロスと、パイプライン輸出についてギリシャと事前協議を行なっています。「Leviathan」ガス田は付近に既存のインフラがなく、イスラエル沿岸から最も離れた地域にあります。また、イスラエル本土までパイプラインを敷設して液化基地を建設した場合、液化基地が標的となる可能性があり、イスラエルでのLNG輸出はセキュリティー上課題があると考えられています。また、既存パイプラインを用いてエジプトに輸送(逆送)、液化し輸出(LNG)することについても、既存設備を使用できるメリットはあるものの、昨今のインフラ攻撃により信頼性が著しく低下しています。更にはキプロス、ギリシャ経由で輸出するにしても、パイプライン距離が長く(1千km以上)、水深も深いことから経済性が低いと考えられます。

一方、「Leviathan」ガス田自体はキプロスと隣接しており、キプロス側に輸送し液化するメリットは大きいだけでなく、現在、キプロス洋上で試掘が行われている「block12」から天然ガスが発見された場合、インフラを共有して開発することが可能で、そのメリットも大きいのです。2011年11月にはイスラエル大統領がキプロスを公式訪問し、同行した「Delek Group(Leviathanガス田の権益保有者の一つ)」から、「Leviathan」ガス田からキプロスの「Vasilikos」へのパイプライン敷設が提案されました。ただし、実際の決定はイスラエルの天然ガス輸出政策決定後であって、キプロス政府もLNG輸出については、イスラエルのガス輸出政策に則って開発するとしています。

キプロス側は2012年に、第二回洋上ライセンスラウンドを計画しており、2011年末までに洋上ライセンスラウンド開始を発表する準備を行ない、2012年1月より、関心のある企業との協議を開始する予定です。これは当初、2011年に開催予定でしたが、「block12」の探査結果を見極めるために、2012年に開催を延期したのです。「Noble Enegy」社は追加のブロックに入札する予定を発表しており、メジャー数社を含む約15の企業も、同様に興味を示していると語っています。

レバノン(天然ガスの生産、消費はしていない)では、第一回ライセンスラウンドを2012年に予定(当初、2011年10月~11月に実施予定)しており、法体系の整備と鉱区設定を2011年中に終える予定とのことです(2011年6月発表)。シリアでは既に2011年3月24日より、「International Offshore Bid Round 2011」が開催されており、洋上に3鉱区が設定されています。当初は9月15日が応札の期限でしたが、9月に期限が11月15日に延長されています。6月時点で、「Total(仏)」、「Eni(伊)」、「Royal Dutch Shell(英蘭)」を含む6社が探査データを購入し、その他、4社も興味を示しているようです。ただし、2011年初頭の「アラブの春」以降、民間人弾圧に対する制裁(石油禁輸措置)を米・EUが発動しており、EUではシリアへの新規投資に対しても制約を設けるか議論されていることから、ライセンスラウンドに影響する可能性も十分に考えられます。シリアは現在、いずれの国ともEEZを確定しておらず、シリアの洋上鉱区は今後、想定されるEEZにかかるものと考えられており、レバノンとのEEZの協議が課題となっています。また、シリア国内で生産された天然ガスは、2007年まで全て国内で消費されており、2008年より天然ガス輸入を開始しています。

相次ぐ大規模ガスの発見により注目されつつある東地中海諸国ですが、やはり政治的要因によって、全ての開発が容易に進むことは難しいと考えられます。その政治的要因の特に大きなものとしては、一つは「境界問題(排他的経済水域(EEZ)」の多くが未画定であること、もう一つは、キプロス問題(南のギリシャ系と北のトルコ系の分断)が挙げられます。境界問題については資源開発の必要性から、比較的友好な関係にある国家間により画定を図る動きが見られており、特にキプロス側が積極的に活動しています。

キプロスは1960年に英国よりキプロス共和国として独立。しましたが、ギリシャ系住民とトルコ系住民の間で対立が激化したために、国連安保理は1964年に国連キプロス平和維持隊(UNFICYP)を派遣、1974年にギリシャ軍事政権の支持を得たギリシャ系住民がクーデターを企図したのを機に、トルコ軍がトルコ系住民の保護を名目に侵攻、キプロス北部約37%を占領しました。これ以降、キプロスは北部のトルコ軍支配地域(トルコ系)と、南部のキプロス共和国の政府支配地域(ギリシャ系)とに分断されました。2004年5月1日、キプロス共和国は南北に分かれたままEUに加盟しましたが、北キプロスについては、統治が及ばない地域としてEU法の適用は統合まで保留されています。キプロスは天然ガスの生産、消費はなく、当初、国内での天然ガス利用に向け、LNG受入基地の建設を計画していましたが、「Leviathan」ガス田の発見と、キプロス水域の「block12」の天然ガス資源が有望であることから、LNG受入基地建設計画は白紙となり、逆にこれらを原料としたLNG液化、出荷基地の建設が検討されています。



キプロスは2003年のエジプトとのEEZ合意、批准を皮切りに、近隣諸国と積極的にEEZの画定作業を行なっています。エジプトとは既に画定しており、洋上探鉱に関する協力で合意しおり、レバノン、イスラエルとは批准はされていないものの、合意は成されています。また、シリアとは協議中であるものの、洋上探鉱に関する協力では合意をしており、イスラエルと2010年に合意してはいるものの、イスラエル未批准(キプロス議会承認済)、レバノンについては2007年に合意(レバノン未批准(キプロス議会承認済))となっています。キプロスは周辺国とは(全体として)着実にEEZ画定作業を進めているようですが、トルコ については未だ未画定(協議なし)という状況が続いています。

このキプロス領内での油ガスの探鉱開発においては、トルコとの協調が重要であるものの、その有効な解決策は見いだせていないのが現状ですが、トルコのEU加盟交渉が本格化する場合には変化が生じる可能性があります。この地域においては、排他的経済水域(EEZ)の境界画定やキプロス問題のいずれにおいても、トルコが重要な役割を持っており、特に2012年は、東地中海地域の各国での探鉱や開発に関する重要なイベントが計画されています。これらの事から、同地域にとっては石油、天然ガス開発を取り巻く環境が大きく変わる節目でもあり、注目すべき年となるかもしれません。しかし、その一方でキプロスは、自国の分裂問題について有効な解決策を見い出せてはいません。トルコ自体は国連海洋法条約を批准しておらず、キプロス問題を抱えているために、シリア、キプロス等東地中海諸国とのEEZは画定していません。一方、EU加盟を目指すトルコにとっては、その加盟条件の一つとして、EUが批准する国連海洋法条約をトルコも批准する必要があるため、EU加盟を目指す場合にはこれが課題となってきます。いずれにしても、この地域におけるEEZ画定については、トルコの影響が大きい事に変わりはないようです。

トルコは今回の「block12」の掘削に対し、キプロス問題が解決し、統一されるまで、資源の開発を行なうべきではないと強硬姿勢を取っているだけでなく、掘削では軍艦で護衛したトルコの調査船を派遣し、公海上から監視を行なう等、強硬な態度を取っています。2007年の第一回ライセンスラウンドでも同様の対応を行ない圧力をかけており、この時点での各種報道では、「地域で緊張が高まっている」と報道されています。また、キプロスの動きに対抗して、北キプロスと共同で探鉱を行なう協定を締結し、キプロス島北側沿岸で探鉱作業を開始しているようです。北キプロス側は、「キプロス島で開発される資源はキプロス島全体のものである」と声明を出しており、キプロスを牽制しています。これについてキプロス側は、「資源開発により得られた利益は、島全体のものである」として、北キプロスにもその利益を分配することを提案しています。キプロス側の提案はキプロス、北キプロス両者にとってメリットのある提案であるものの、トルコとの関係によって政治的に受け入れられないでしょう。それはトルコがキプロスを承認していないためであるばかりでなく、トルコ自体が、キプロス問題(北キプロスとの統合)が解決しない限り、キプロスの探鉱に圧力をかけ続けると思われるからです。尚、米国はこの件に対して、平和裏に解決を進めるあらゆる提案を歓迎するとして、キプロスの提案を支持しています。

イスラエル側は洋上の探鉱が進み、巨大ガス田が相次いで発見されている一方で、キプロスを除く周辺国とのEEZ画定が進んでおらず、特にレバノンとはEEZに関する協議すら行なっていません。双方が個別に、国連に対してEEZ画定のための申請を行なっているものの、これについても係争地域(主張するEEZが重複する地域)問題を抱えています。これはキプロスとイスラエル合意(2010年)、キプロスとレバノン合意(2007年)よりも、南西に17kmの地点をレバノンが申請しており、重複する852k㎡が係争範囲となっているものです。尚、「Leviathan」、「Tamar」ガス田は係争範囲外です。



レバノン側はEEZ画定においてキプロスと合意(未批准)、シリアと協議中で、懸案はやはりイスラエルとのEEZ調整でしょう。イスラエルは現状、パレスチナのガザ地区沖合にある油ガス田の開発は行なっておらず(共同開発提案中)、また、EEZに関するレバノンとの係争地域内に鉱区設定を行なわない等、係争を回避することで、投資家に対して魅力のある鉱区設定を行なっています。今後の開発では、EEZが画定するまで係争範囲となっていない領域(確実にイスラエルのEEZ内である領域)で開発を推進していくものと考えられています。

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