74才同期会
2012/11/25
小倉高校昭和32年卒業生の同期会が16日に、ステーションホテルで開かれました。竹内久視生徒会長の音頭取で全国版の同期会です。関東地区から30人も参加し90人の盛会でした。卒業後55周年だそうです。名簿を見ると物故者は100人を超え、22%が亡くなっています。
遠来の人が舞台に上がり、近況を短く話せと司会の二村さんが言いましたが、皆話したいことが沢山あるようで、長くなり、3人話したら時間オーバーで名前だけの挨拶になりました。
自分は話したいけれど、話を聴くのは面倒という雰囲気でした。
計画・文章・印刷事務などは二村浩さんが殆ど一人でやったようで頭が下がります。司会は関口興洋さんの予定だったのが3日前に登山中に手首骨折し、司会も二村さんが担当することになり、重ね重ねご苦労さんです。
二次会の席で、二村さんは、すきっ腹の酒が効いたのでしょう9時頃から寝て目覚めません。起きるまで寝かしとこうとしておりましたが、時間が長くなったからでしょう山上さんも酔いがまわったのでしょう、段差ある床からこけ落ちて、通路にはまり込み動きが取れなくなり、引き上げに苦労しました。
吉田講堂さん・永井義人さんと目覚めるまで居ようと言っていましたら、二村さんが尿意を感じ起きましたので、ホテルに帰れました。2時半でした。
私も久しぶりに二日酔いになりました。高校時代の友人と、なんの気兼ねもなく飲んでいますと、若返った気分で飲み過ぎてしまいます。
北海道から参加の吉谷川さんもご苦労さんです。彼は山登りするため北大山岳部に入り、獣医さんとして、北海道・インドネシア・シリアで活躍されました。シリアの内戦について、良い国だったのに、アメリカが文明化・民主化を強制し、隣国のイラク・イランと問題を起し、シリアの反政府組織を刺激することが原因で内戦になってしまったと、先進国の関わり方を批判していました。
角南達也さんは、新日鉄のステンレス専門家でしたが退職後、フランス語でパスカルをよんでいました。今でも1日6時間書斎に坐り、6,000冊の蔵書を読破すると同時に、韓国語・中国語と語学勉強しているそうです。彼のお父さんは九州工大の語学教授だった影響でしょうか?金田一京助の系統の話のようでした。
弘中義夫さんは、東大農学部で農林省で活躍されていました。テレビで観た新しい林業の話を訊いてみると、日本の山林地主は資産としての山林しか考えない。又、日本の林業は家の柱材製造しか考えない。日本の壁は土だし、障子は紙、床は草、屋根は藁だったからねと言っていました。面白いですね。
2012/11/25
小倉高校昭和32年卒業生の同期会が16日に、ステーションホテルで開かれました。竹内久視生徒会長の音頭取で全国版の同期会です。関東地区から30人も参加し90人の盛会でした。卒業後55周年だそうです。名簿を見ると物故者は100人を超え、22%が亡くなっています。
遠来の人が舞台に上がり、近況を短く話せと司会の二村さんが言いましたが、皆話したいことが沢山あるようで、長くなり、3人話したら時間オーバーで名前だけの挨拶になりました。
自分は話したいけれど、話を聴くのは面倒という雰囲気でした。
計画・文章・印刷事務などは二村浩さんが殆ど一人でやったようで頭が下がります。司会は関口興洋さんの予定だったのが3日前に登山中に手首骨折し、司会も二村さんが担当することになり、重ね重ねご苦労さんです。
二次会の席で、二村さんは、すきっ腹の酒が効いたのでしょう9時頃から寝て目覚めません。起きるまで寝かしとこうとしておりましたが、時間が長くなったからでしょう山上さんも酔いがまわったのでしょう、段差ある床からこけ落ちて、通路にはまり込み動きが取れなくなり、引き上げに苦労しました。
吉田講堂さん・永井義人さんと目覚めるまで居ようと言っていましたら、二村さんが尿意を感じ起きましたので、ホテルに帰れました。2時半でした。
私も久しぶりに二日酔いになりました。高校時代の友人と、なんの気兼ねもなく飲んでいますと、若返った気分で飲み過ぎてしまいます。
北海道から参加の吉谷川さんもご苦労さんです。彼は山登りするため北大山岳部に入り、獣医さんとして、北海道・インドネシア・シリアで活躍されました。シリアの内戦について、良い国だったのに、アメリカが文明化・民主化を強制し、隣国のイラク・イランと問題を起し、シリアの反政府組織を刺激することが原因で内戦になってしまったと、先進国の関わり方を批判していました。
角南達也さんは、新日鉄のステンレス専門家でしたが退職後、フランス語でパスカルをよんでいました。今でも1日6時間書斎に坐り、6,000冊の蔵書を読破すると同時に、韓国語・中国語と語学勉強しているそうです。彼のお父さんは九州工大の語学教授だった影響でしょうか?金田一京助の系統の話のようでした。
弘中義夫さんは、東大農学部で農林省で活躍されていました。テレビで観た新しい林業の話を訊いてみると、日本の山林地主は資産としての山林しか考えない。又、日本の林業は家の柱材製造しか考えない。日本の壁は土だし、障子は紙、床は草、屋根は藁だったからねと言っていました。面白いですね。