ディープ・ラーニング
2016/05/01
人工知能は、微分積分をはじめ、量子力学・ロケットなど、難しい概念を理解し、計算、解決出来ます。しかし、幼稚園の子供が理解できる「猫」「犬」などを理解することが難しいそうです。
NHKの番組を見ていたら、人工知能に「猫」を教え込むことはこうするのだと、説明していました。それは、沢山の「猫」の写真を人工知能に見せ、「猫」の特徴を自分で統計的に処理させ認識させるのだそうです。耳が三角に立っている。尻尾がある。瞳孔が狭まる。などの特徴を知れば、その後、「猫」の写真を見せると「猫」と答えることが出来るようになるそうです。
これを見ていて、「潜在意識の活動と同じだ」「人間は経験を積んで、物事を理解できるのと同じだ」と感じました。
学校で理論・数式を習い、それで試験問題が解答できるのは、人工知能の初歩みたいなものだ。実際の社会で実用になるのは、沢山の猫を見て猫を理解することだと思いました。
沢山の「猫」を見せる人工知能の学習法は「ディープ・ラーニング」と呼ばれるそうです。ウィキペディアでは、次のように説明されています。
ディープラーニングは、ニューラルネットワークの多層化、特に3層以上のものに対し、1990年代に進められた脳、特に視覚野の研究や、One Learning Theory、ブルーノ・オルスホーゼンによるスパース・コーディング理論を基にしたアルゴリズムが実装されたものを指す。
これに画像などのデータを入力すると、情報が第1層からより深くへ伝達されるうちに、各層で学習が繰り返される。この過程で、これまではデータ・サイエンティストと呼ばれる専門家が設定していた、概念を認識する特徴量と呼ばれる重要な変数を自動で発見できる。これは、人間の脳の構造をソフトウェア的に模倣し、人間が関与せずに学習を進める、いわゆる無教師学習の一つである。
私達の子供時代の社会の合言葉は「何でも見てやろう」でした。小田実の言葉でしたが、彼のベ平連の活動などは、若い者を動かし「何でもしてやろう」と活動したものです。「何でもみてやろう」はこのディープラーニングの姿勢のようです。
お仕着せで、学校で学ぶものは、何か胡散臭い気がして、当時始まった「成人式」など、何の意味があるかと、皆ボイコットしたものでした。
今年は18才選挙権だと言って、高等学校で、模擬投票するニュースなどがあります。小学校からクラス委員選挙・生徒会長選挙などしているのに、何で模擬投票などするのか、「生徒を舐めるなよ」と感じます。買収や利益誘導などの「初っ切り(ショッキリ)」する方が実用的指導だとも思います。
何でも見てやろう。なんでもしてやろうと、自分の頭で考えることが、潜在意識に記憶を深め、人間教育の基本だ。ディープラーニングは、それを人工知能に応用したものだと理解しました。 歳取っても、何でも見ましょう・何でもしましょう。それこそが教育であり生甲斐です。
猫をみて 犬と認識 ペッパー君 あれもダメ これも失敗 良い経験
2016/05/01
人工知能は、微分積分をはじめ、量子力学・ロケットなど、難しい概念を理解し、計算、解決出来ます。しかし、幼稚園の子供が理解できる「猫」「犬」などを理解することが難しいそうです。
NHKの番組を見ていたら、人工知能に「猫」を教え込むことはこうするのだと、説明していました。それは、沢山の「猫」の写真を人工知能に見せ、「猫」の特徴を自分で統計的に処理させ認識させるのだそうです。耳が三角に立っている。尻尾がある。瞳孔が狭まる。などの特徴を知れば、その後、「猫」の写真を見せると「猫」と答えることが出来るようになるそうです。
これを見ていて、「潜在意識の活動と同じだ」「人間は経験を積んで、物事を理解できるのと同じだ」と感じました。
学校で理論・数式を習い、それで試験問題が解答できるのは、人工知能の初歩みたいなものだ。実際の社会で実用になるのは、沢山の猫を見て猫を理解することだと思いました。
沢山の「猫」を見せる人工知能の学習法は「ディープ・ラーニング」と呼ばれるそうです。ウィキペディアでは、次のように説明されています。
ディープラーニングは、ニューラルネットワークの多層化、特に3層以上のものに対し、1990年代に進められた脳、特に視覚野の研究や、One Learning Theory、ブルーノ・オルスホーゼンによるスパース・コーディング理論を基にしたアルゴリズムが実装されたものを指す。
これに画像などのデータを入力すると、情報が第1層からより深くへ伝達されるうちに、各層で学習が繰り返される。この過程で、これまではデータ・サイエンティストと呼ばれる専門家が設定していた、概念を認識する特徴量と呼ばれる重要な変数を自動で発見できる。これは、人間の脳の構造をソフトウェア的に模倣し、人間が関与せずに学習を進める、いわゆる無教師学習の一つである。
私達の子供時代の社会の合言葉は「何でも見てやろう」でした。小田実の言葉でしたが、彼のベ平連の活動などは、若い者を動かし「何でもしてやろう」と活動したものです。「何でもみてやろう」はこのディープラーニングの姿勢のようです。
お仕着せで、学校で学ぶものは、何か胡散臭い気がして、当時始まった「成人式」など、何の意味があるかと、皆ボイコットしたものでした。
今年は18才選挙権だと言って、高等学校で、模擬投票するニュースなどがあります。小学校からクラス委員選挙・生徒会長選挙などしているのに、何で模擬投票などするのか、「生徒を舐めるなよ」と感じます。買収や利益誘導などの「初っ切り(ショッキリ)」する方が実用的指導だとも思います。
何でも見てやろう。なんでもしてやろうと、自分の頭で考えることが、潜在意識に記憶を深め、人間教育の基本だ。ディープラーニングは、それを人工知能に応用したものだと理解しました。 歳取っても、何でも見ましょう・何でもしましょう。それこそが教育であり生甲斐です。
猫をみて 犬と認識 ペッパー君 あれもダメ これも失敗 良い経験