明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

古代史の迷路を歩く(1)古代史の楽しみ

2016-09-10 21:00:24 | 歴史
古代史の魅力は、全てが闇の中の包まれている事に尽きると言える。ニュースの基本に5W1Hというのがある。いつどこで誰が何をどうしたか、そしてそれは何故なのか、と言う例のアレである。例えば大化の改新という事件について、教科書はまるで見てきたごとくに書いてある。これは日本書紀の記述に従ったわけであるが、当時の事を知るための資料は古事記と日本書紀しかないのであるから仕方ないとも言える。だが学者の研究は、645年に起こったとされるこの事件を「事実通りのものではない」とするのが現在の流れである。では真実はどうなっているのか。そこから古代史の旅が始まる。古代史は謎解きの楽しさである。歴史は概ねにして多少の謎を含んでいる。人は歴史の真実を「自分に都合のいいように変えたがるものだから」というのが本当なら、歴史は丸々嘘で塗り固めたものでしかないが、幾つかの記録を突き合わせてみると、真実が朧げに浮かび上がってくる。その瞬間が、たまらない。古代史好きには、ミステリー愛好家と通ずるものがあるように思う。すなわち、何故?何故?何故?である。何故を連発しなければ、古代史愛好家とは言えないのだ。

今一番の何故?は、九州王朝である。何故?九州王朝は歴史から完全に消え去ったのか。神武天皇が東進して日下の津で長髄彦の軍勢に大敗し、南下して勢力を立て直した事になっているが、問題はこの「日下」が後の「ヒノモト=日本」となったという説がある。単に偶然読みが一致しているだけに過ぎないともいえる。だが「倭」という国があったのは、中国の歴史書にもあり、事実である。一方に倭という国があったからこそ、神武は日本と名乗った。つまり神武天皇が攻め滅ぼす前は、河内・奈良一帯には別の勢力が統治していたということである。その勢力は当然だが、敦賀地方や出雲地方や吉備地方とも交易があったであろう。あるいは尾張地方にも交流があったかもしれない。当時は想像以上に各地の文化は発達しており、日本という神武天皇が開いたされる国は武力こそ強力だったかもしれないが、文化的に他を圧倒するまでにはまだ時間がかかる状態だった。欠史八代と言われるように最初の8代を除く歴史家が多いが、決定的な証拠があるわけではなく「わからない」というに過ぎない。ただし年代考証は、大幅に時代を下げる必要があるだろう。私は九州王朝と日本とが暫く並立していたとする時期を、701年までとする考えに魅力を感じている。

つまり唐王朝がなんらかの影響力あるいは直接的な役割を果たしていると思う。時代は持統天皇の後を継いだ文武天皇の時である。「日本は元小国、倭を合わせたり」と中国の史書に書かれた内容は、戦って奪うのではなく「何か別の方法で」例えば婚姻によるとかして、双方の国民のある程度の賛同支持を得ての併合ではないか、と私は考えている。それでも一部の国民は「真実の歴史を記した本を持って」山野に隠れた、と日本書紀には書いてある。古田史学が解き明かさなかった謎が、いよいよもって姿を現したのである。まず手始めに、天武天皇は誰なのか?である。天武天皇は壬申の乱の時に、自分を「漢の高祖になぞらえて、赤旗を部下にもたせた」とある。漢の高祖は一介の市井の人である。天武天皇も、門閥を持たない在野の人だと言うのであろうか。しかしそれでは天智天皇の弟という定説が崩れてしまう。では天智天皇は誰なのか。大化の改新で天智天皇が首を切った蘇我入鹿は、なぜ殺されなければならなかったのか。もし孝徳天皇が王権を奪取する為に蘇我入鹿を倒したのであれば、天智天皇は何故に河内を捨てて大和に戻ったのか。謎だらけである。

ひとつひとつ謎を解いていく作業が楽しいのであれば、謎は多いほど良い。犯罪捜査の鉄則に現場百回というのがあるそうだ。私もその捜査手法に習って、いずれは奈良に引っ越してみたい。私の長年の夢である。奈良に引っ越したからと言って何かが解決するわけではないが、謎の渦中に飛び込むという気分が私を高揚させてくれるのである。奈良は、あの当時の姿を未だに残している稀有の場所でもあるのだ。後3年、70歳の誕生日には奈良市民が一人増えるということになる。喜ばしい限りである。この際奈良に移住する前提で、「古代史の迷路を歩く」と題した雑文を、奈良に移るまで書いていこうと思う。奈良に行くまでにはそれ相応の知識と見識が備わってくれるものと期待してのことである。謎を解いていくのではない、謎を提起していくのである。それがルールでもある。もちろん私には、謎をとく力はない。また知ったかぶりをする気もない。素直に謙虚に疑問を提出していこうと思うのみである。そこには何の縛りも先入観も無い。「こうであってほしい」という思いが一番歴史には邪魔なのである。特に「日本」とか「ヤマト」とかの単語にいちいち反応するのは、私は厳禁にしようと思う。私は日本の原型が朝鮮人や台湾人の物語になっても構わないと思っている。全ては歴史が語る!である。

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