思いつくままに

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日本国憲法の前文を読み直してみた。

2017-07-14 20:41:10 | 随想

 日本国憲法の前文を読み直してみた。

日本国憲法<前文>

 日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 

 特に難しい言葉や言い回しは使われていないので、読めばわかるものだが、いくつかに区切って内容を確認してみる。

 最初の一文はこの憲法を確定する目的を述べている。

日本国民は、
正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、
この憲法を確定する。

 この部分でまず注目したいのは、「この憲法を確定する」の主語が「日本国民」となっている点である。すなわち、この憲法は、天皇や政府ではなく「日本国民」が確定するのであり、この国の最高法規を国民が定めるということは、「国民主権」という考え方を示している。大日本帝国憲法は、天皇が自己の意志に基づいて定めた憲法=欽定憲法であり、お上(天皇)から、国民はこの規則を守るようにせよと押しいただいたものであったが、日本国憲法は、日本国民が確定したというかたちになっている民定憲法である。

 ちなみに、大日本帝国憲法の前文の最後は次のように結ばれている。

朕が在廷の大臣は朕が為に此の憲法を施行するの責に任ずべく朕が現在及将来の臣民は此の憲法に対し永遠に従順の義務を負ふべし(読みやすいように、原文のカタカナを仮名に、旧字体を新字体にした)

 「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意」という部分にも注目したい。ここでは、「再び」という言葉が重要だと思う。つまり、先に戦争があったが、二度とあのような戦争をしてはならないという思いが込められている。また、先の戦争の主な責任が「政府の行為」にあったとの判断を示した上、「再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、この憲法を確定」している。つまり、「この憲法を確定する」重要な目的がここにあるということが示されていると思う。そうであれば、再び戦争によるむごたらしい禍(わざわい)が起きないようにするには、政府が戦争に向かうような行為をしないように、誰かが監視し、制御しなければならないわけであるが、その「誰か」は主権者である国民以外にはいない。

 憲法第九十九条に「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」とあり、「義務を負う」として列記された対象者に「国民」は入っていない。それは、憲法が「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」が守るべきことを規定したものであり、それを「国民」が確定したものだからである。これを「立憲主義」と呼ぶ。このことは、日本国憲法の各条文が何を規定しているのかを知ればさらによくわかるはずだ。参考として、日本国憲法の構成を示しておく。

第一章 天皇(第一条から第八条)
第二章 戦争の放棄(第九条)
第三章 国民の権利及び義務(第十条から第四十条)
第四章 国会(第四十一条から第六十四条)
第五章 内閣(第六十五条から第七十五条)
第六章 司法(第七十六条から第八十二条)
第七章 財政(第八十三条から第九十一条)
第八章 地方自治(第九十二条から九十五条)
第九章 改正(第九十六条)
第十章 最高法規(第九十七条から第九十九条)
第十一章  補足(第百条から百三条)

 第三章は「国民の権利及び義務」となっているが、国民の義務として述べられているのは以下の4カ条のみである。

第十二条  この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを保持しなければならない。
又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。
第二十六条  2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。
第二十七条  すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。
第三十条  国民は、法律の定めるところにより、納税の義務を負ふ。

 これ以外は、国民の権利の保障についての規定である。おなじみのものをあげてみると、つぎのようなものがある。

第十一条 基本的人権の保障
第十四条 法の下での平等
第十九条 思想、良心の自由
第二十条 信教の自由
第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由
第二十三条 学問の自由
第二十五条 健康で文化的な最低限度の生活を営む権利
第二十八条 勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利

 
 続く一文は、この憲法の原理を述べている。

そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
これは人類普遍の原理であり、
この憲法はかかる原理に基くものである。
われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。


 「そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるもの」つまり、国の政治は、国民から委託されたものであり、国民の信用に応えることなしには成立しないということである。国政を担う者の行為に国民が疑問を持ち、説明を求めたとき、国政を担う者は、根拠を示してその疑問を解消すべく説明する義務がある。口では「丁寧に説明する」と言いながら、実際にはつぎのようなことをしている政府を信用できるだろうか。

● 時間がないからと討議を打ち切る。
● 個別の事案に関する疑問に対して「個別の事案に関しては答えられない」と答える。
● 仮定してしか質問できないことがらに対して「仮定の質問には答えられない」と答える。
● 自身がイメージを悪くするような行為をしておきながら、そのことに関する質問に対して「イメージ操作だ!」と問題をはぐらかして答えない。
● 問題になるようなことは一切していないと言いながら、それを証明するはずの関係文書はすぐに処分してしまう。すべてがデジタル化され、保存スペースもほとんど不要になり、検索も瞬時にできる時代に、問題になったときにこそ必要になる文書を消滅させる意図がわからない。国民に知られたくないという意図以外に思いつかない。

* 問題究明にとって大切な文書を消滅させてしまった理財局長は、本来、懲戒処分が相当と思われるが、なんと、このたび国税庁長官に昇進した。

● 問題になるような発言について抗議されると、発言の趣旨を誤解していると、相手側の責任であるかのように応じる。

* 防衛大臣が選挙応援演説で、

「ぜひですね、2期目の当選本当に大変ですからお願いしたいと、このように防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたいと、このように思っているところでございます」

と発言した。これが自衛隊法61条違反(防衛省職員、自衛隊員の政治的行為を制限し、政令で地方公共団体の議会議員選挙で特定の候補者を支持することを禁じている)、公職選挙法第136条違反(国家公務員はその地位を利用して選挙運動をすることができない)違反として問題になると、

「私としては、防衛省、自衛隊、防衛大臣としてお願いするという意図は全くなく、誤解を招きかねない発言であり、撤回をしたということであります」「(陸上自衛隊)練馬駐屯地も近いし、防衛省・自衛隊の活動にあたっては地元に理解、支援をいただいていることに感謝しているということを言った」

と釈明している。「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」という発言の意味を「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」と解釈するのは誤解であって、その意味は「練馬駐屯地も近いし、防衛省・自衛隊の活動にあたっては地元に理解、支援をいただいていることに感謝しているという」意味に解釈するのが正しいのだそうである。「練馬駐屯地も近いし、……感謝している」と言いたいのなら、そのまま言えばはっきりと意味は伝わる。「防衛省、自衛隊、防衛大臣、自民党としてもお願いしたい」を「練馬駐屯地も近いし、……感謝している」と解釈できる人などいないはずだが、首相や官房長官はそれができるらしい。だから問題ないとのこと。
 なお、これが一般の公務員であれば当然、公職選挙法に問われ、逮捕される。郵便局員が、公務中でなく休日に、応援する候補者のポスターを選挙用の公設掲示板に貼ったとして逮捕され有罪になった「猿払事件」は有名。しかし、安倍政権下では、首相が任命した大臣は、「地位を利用した政治活動の意図はない」としてなんの処分も受けない。この大臣は、弁護士として森友学園の弁護活動をしたことがあるにもかかわらず、そういう事実はないと答弁しておきながら、その証拠を突き付けられると、「私の記憶に基づいて答弁したものであり、嘘をつく意図はなかった」と釈明している。一般の犯罪者が、罪を犯す意図はなかったと言えば罪にはならないのだろうか。

 これでは、とうてい国民の信頼に応えることはできないと思われるのだが。つまり、「国民の厳粛な信託」に応えられず、国政を担う者としての資格がないと考えざるを得ないのだが。そういう人たちが、いま声高に憲法改正を叫んでいる。憲法を改定すれば、この日本を、今よりももっと自分たちの思うままにできるということだろうか。

 「この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する」というとろで、「これに反する一切の憲法……を排除する」と「憲法」が含まれていることにも注意が必要である。憲法は第九十六条で「改正」を規定している。しかし、前文で、この憲法の原理に反する憲法を排除すると宣言している以上、この憲法の原理に反するような内容の改定は不可能だということになる。為政者の勝手な解釈によって、この憲法の原理がないがしろにされないようにするための改正、あるいは、この憲法が目指すものを、よりよく実現するために加えられるような変更(環境条件の変化による変更もこの範囲に入るものである)こそ、この憲法が想定している「改正」だと考えられる。

日本国民は、
恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、
平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、
専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。

 この部分は、平和主義、国際主義について述べたものである。

 「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」という部分について、好戦的な人たち、いま憲法改正を叫んでいる人たちが、理想主義だ、平和ボケだなどと言って非難している。しかし、憲法を改定し、軍備を拡張し、強権的な態度で世界と向き合うことは本当に現実的なのだろうか。安倍首相出席のもと、改憲派の研修会で、彼らは、「みなさん憲法を改正しましょうよ。ならば、いま奪われている領土、取り戻しましょうよ。北方領土!竹島!それを主張するだけじゃなくて、行動しなければいけないと思います。さらには、尖閣!使っていきましょうよ。軍事利用しましょうよ!」と気勢を上げている。そうすれば北方領土、竹島が取り戻せると彼らは考えているのだろうか。尖閣諸島を日本の領土だと中国に認めさせることができると考えているのだろうか。軍備拡大による脅しでは取り戻せないとき、ロシアや韓国、中国と戦争をする気なのだろうか。戦争になったとき、勝利することを確信しているのだろうか。もし、勝利を確信しているとすれば、彼らは太平洋戦争で、アメリカに勝利することを確信していた人たちと同じであり、再び日本国民を戦争の惨禍に引きずり込むことに何の呵責も感じない人たちである。憲法の精神を踏みにじろうとしている人たちである。

 武力で領土問題を解決することが非現実的なのは少し考えただけでもわかるはずだ。友好関係、信頼関係を築くことの努力をして平和的に解決するという考え方が、どうして非現実的であり、武力で解決することが現実的だと思うのか、彼らの頭の中がどうなっているのかまったくわからない。神風が吹く?戦争オタク?

 もしかすると、日米安保条約に期待しているのかもしれない。集団的自衛権行使容認もしたことだし、北方領土や竹島を取り戻すために、尖閣諸島を守るために戦争になったら、アメリカが日本と一緒にロシアや韓国、中国と戦ってくれると思っているのかもしれない。そう考える人がいるとすれば、その人たちは、世界最強の軍事力を持つアメリカが、どうしてロシアや中国と戦争などしないのかがよくわかっていないらしい。ロシアや中国と戦争になれば、たとえ結果として勝利というかたちになっても、アメリカが壊滅的打撃を被ることは明白である。したがって、アメリカは、その壊滅的打撃を受けてもなおアメリカにとってそれ以上の利益があると考える場合(そんな場合が本当にあるのかどうか疑問ではあるが)のほかにはロシアや中国と戦争などするわけにはゆかないのだ。それにもかかわらず、どうしてアメリカが日本の領土(北方領土や竹島、尖閣諸島)を守るために中国やロシアと戦争をしてくれるなどと考えることができるのだろう。

 あるいは、武力を持てばそれなりの脅しが効くはずなので、他の国との交渉が有利になると考えているのだろうか。では、彼らは、核爆弾を持ち、大陸間弾道ミサイルを持ち、軍備を充実させているからと言って北朝鮮に譲歩をするつもりなのだろうか。「武力による脅しなどに屈するわけにはゆかない!」と言うのではないか。そうであれば、武力で他国との交渉を有利にできるなどという考え方は成り立たない。いずれにしても、彼らの頭の中は理解できない。そんな人たちに憲法を変更させたり、国政を任せたりしていいのだろうか。

 「平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会」とは、現実の世界には、小規模ながら戦争があり、専制と隷従、圧迫と偏狭が存在することを認め、だからこそ、国を越えて、それらを「永遠に除去しようと努めている」人々がいて、そういう人々が連携している社会という意味だと思う。「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」日本国民は、そういう国際社会で「名誉ある地位を占めたいと」思っているのである。

われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、
政治道徳の法則は、普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。

 ここでは、「自国の主権を維持し、他国と対等関係に立とうとする」ならば、他国の主権、対等性を認めなければ不可能であるという当然のことが述べられている。

日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。

 この前文に描かれたような「崇高な理想と目的を達成する」ために日々努力をしているような国であれば、国民は言われなくても当然に国を愛し、誇りを持つことだろう。この国にはそういう努力をしている人たちが大勢いるはずである。一方、近隣の国を敵視し、国民の不安を煽って軍備拡張を画策し、自分たちに反対する国民に対し「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」と声を荒げる人をトップにいただき、国民を監視し、取り締まることを容易にする法律を強引に作り、お友達には、国の財産、税金を使って優遇し、利益供与をしているような人たちに、「国を愛せ!」、「国に誇りを持て!」、「国旗、国歌に敬意を払え!」、「国があなたに何をしてくれるか、ではなくて国を維持するには自分に何ができるかを考えよ!」、「必要とあらば国のために命を投げ出せ!」などとは、けっして言われたくない。

<改憲派のことば>

第一次安倍内閣の法務大臣 長勢甚遠氏(日本会議国会議員懇談会所属)

「この三つ(国民主権、基本的人権、平和主義)をなくさなければですね。ほんとの自主憲法にはならないんですよ」「たとえば人権がどうだと言われたりすると、たとえば平和がどうだと言われたりすると、おじけづくじゃないですか」

 * 怖気づいてもらわなければ困る。そのための憲法なのだから。この三つをなくしてほしいと願っている国民を除き、この三つにおじけづく国民はいない。

都民ファーストの会の代表に復帰した野田数(かずさ)氏

都議会に提出された『日本国憲法無効論に基づく大日本帝国憲法復活請願』に賛成。
「国民を主人とし天皇を家来とする不敬不遜の極み」「国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄すべき」

 * この人は、アントニオ猪木氏の秘書を務めていたとき、総額1,120万円を事務所の口座から引き出していたとのことで、アントニオ猪木氏から公金横領の疑いで告訴されている。また、深夜に六本木の高級クラブを渡り歩き、豪遊している様子が、週刊誌に写真付きで報じられている。自分の金で豪遊したとのこと。

小池百合子都知事(日本会議国会議員懇談会所属)

「結論から申し上げれば、いったん現行の憲法を停止する、廃止する、その上で新しいものをつくっていくことに基本的に賛同する」

自民党副幹事長の西田昌司議員(日本会議国会議員懇談会所属)

「今の憲法は憲法の資格さえない。そもそも国民に主権があることがおかしい」

稲田朋美防衛大臣(日本会議国会議員懇談会所属)

「国防軍を創設する、そんな憲法草案を提出いたしました。/…血を流さなければ国を護ることなんてできないんです!」

城内実外務副大臣(日本会議国会議員懇談会所属)

「日本にとって一番大事なのは、皇室であり、国体であると思っております」

 この人たちの述べている「改憲」は、日本国憲法に規定されている「改正」の域をはるかに越えている。従来の日本をかたちづくってきた「国民主権」、「基本低人権」、「平和主義」を否定しており、日本のかたちを根本から変えるものであり、国家転覆に相当する。彼らの多くは、共産党について、国家転覆を謀ろうとしていると激しく非難しているが、まさに彼らこそ、それをしようとしている、共同謀議をしているということに気付かないのだろうか。彼らが強行採決をした共謀罪の適用を、彼ら自身が真っ先に受けることになるのに。

 参考として、自民党憲法草案の前文を示しておく。崇高な理想と目的を掲げ、その達成に全力をあげることを誓っている現行憲法の前文と比べてほしい。どうして、こんな薄っぺらで、貧相な(そう見えるだけかもしれない)前文に置き換える必要があるのだろう。

自民党憲法草案<前文>

日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会において重要な地位を占めており、平和主義の下、 諸外国との友好関係を増進し、世界の平和と繁栄に貢献する。
日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を振興し、活力ある経済活動を通じて国を成長させる。
日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を制定する。

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