弾道ミサイルについて

2016年10月16日 | 雑感
 北朝鮮の弾道ミサイル発射実験がまた失敗した。
 こう、何度も繰り返されると、ニュースの意味合いがわからなくなってくる。

 つたない理解によるところだが、整理したい。

 ミサイルには、大きく弾道ミサイル巡航ミサイルがある。

 巡航ミサイルは、基本的に飛行機と同じだ。大気圏内をロケットエンジンで水平方向に飛び、レーダーや通信機器で目標物を発見して突入し、爆発する。かつて、開発段階の巡航ミサイルは「空中魚雷」とも呼ばれたらしいが、これは、水中を無人かつ自力で推進して、ソナーを使って敵艦を補足し、突入して爆発する魚雷の、空中飛行型を作成しようとしたものであり、巡航ミサイルの思想背景をよく示す言葉だと思う。
 この巡航ミサイルを作成するには、高度な航空技術が必要であり、発展途上国が開発運用できるものではない。巡航ミサイルは基本的に飛行機だから、燃料が続く限り無限に航路を変更して敵を追跡することができるが、逆に飛行機であるから、常識的な速度にとどまり、戦闘機などに対するのと同様に地上からの対空砲火などでの打ち落とせることがある。

 これに対して、北朝鮮がせっせと作成する弾道ミサイルは、ロケット燃料とエンジンを使用している以外は、基本的に古代ローマのカタパルト兵器(投石兵器)と同じものだ。落下地点を目測して弾を打ち上げて目標の上に落ちるように狙う。砲丸投げのような弾道を描いて目的物に落下して爆発するから 「弾道」ミサイルだ。素朴に考えれば、きわめて原始的な兵器である。発射された後に大きく進路を変更することはできないから、動いている船や飛行機を打ち落とすのにはまず使えない。基本的には地上から発射して地上に落とすもので、目標は軍事基地や経済施設に限られる。
 弾道ミサイルは、単純なミサイルであるにもかかわらず、北朝鮮がその開発に苦労しているのはなぜかと思われるかもしれない。これは、飛距離の問題だろう。弾道ミサイルは、その構造上、遠くに飛ばすには、高く上げるしかない。しかし、あまりに高く上げてしまうと大気圏から出て、一度宇宙空間に出た後に再び大気圏に突入しなければならなくなる。大気圏突入のためには高度な姿勢制御が必要となり、高度な宇宙開発技術が必要となる。北朝鮮が人工衛星の作成に熱心な理由もこのあたりにあるのだろう。
 この原始的なミサイルである弾道ミサイルには巡航ミサイルにない圧倒的利点がある。それは落下して目標に突入するときに重力を味方につけるため、圧倒的な速度を生じさせることができる点である。弾道ミサイルは普通の飛行機よりも遙かに速い速度で目標に突入することになるため、通常の対空兵器で打ち落とすことはほとんど不可能となる。

 この「打ち落とすことがほとんど不可能」というやっかいな特性が、この問題を複雑化している。

 弾道ミサイルは、「核や化学兵器を搭載しているのでなければ」1発や2発で情勢をひっくり返すようなしろものではない。しかし、避けることができないことから、必ず犠牲が生じる。相手国民に心理的な恐怖感を植え付けることができるのだ。「こちらを攻撃したら、たしかにそっちが勝つかもしれないが、そっちもただではすまない」という効果だ。第二次世界大戦中に、アメリカ国民が、実用的ではないが、なにはともあれアメリカ本土に届く風船爆弾を恐れたのと同じ心理だろう。

 「核や化学兵器を搭載していない」弾道ミサイルに対する最も合理的な対処は、こうだ。相手が発射する弾道ミサイルは無視して、自国の軍事力を駆使してすみやかに相手方の弾道ミサイル発射基地またはそこに指示を出す政治機関を破壊すること。多少の犠牲はやむを得ないという対処が原則となる。しかし、これは「みんなが平等である民主主義国」にとっては困難な問題となる。特に軟弱な民主主義国の政治は、犠牲を受ける少数者と犠牲を受けない多数者の不平等に耐えられない。毛沢東のように、国中が焦土と化しても、最後に生きている一人が中国人であればそれでよいという極端な選択はできないのだ。

 だから、日本政府は、弾道ミサイルを打ち落とすという夢を追い続ける。実際には数十発の弾道ミサイルが発射されたときにそのすべてを打ち落とすことなどほとんど不可能だが、政治的な判断としては、これを目指さざるをえない。いや、日本はその技術力で弾道ミサイルの打ち落としを実現するかもしれない。そのためのパトリオットミサイルの運用技術はすでにアメリカを超えているとも言われる。しかし、弾道ミサイルを打ち落とす技術につぎ込むコストがあまりにも高くなりすぎている。現在、日本は虎の子のイージス艦をミサイル防衛用に転用・改造している。本来のイージス艦の任務は、同僚艦艇を狙った巡航ミサイルを撃墜して艦隊の能力を保全することにあるのだが、今はその任務を離れ、日本全土の空を守らされている。合理的でないのは明らかだが、民主主義国の市民として、それが間違っているとも言えない。

 端的に言えば、日本には、敵基地攻撃能力こそが必要なのだが、その保持は禁止されているというジレンマもある。今回の発射報道の中には、「発射台が移動式で発見が遅れた」などというものもあったが、発見したところで基地攻撃能力がない日本にはどうすることもできない。発射台に乗っているのが核兵器であったとしてもだ。

 軍事戦略には、カウンターアタックというものがある。双方の火力が増勢した現代において、奪われたものを奪い返すという馬鹿正直な対応では損害が大きくなる。たとえば、硫黄島に侵略を受けたからといって、それを取り返すために、こちらも硫黄島に再上陸をしかけるという行為は、(占領したばかりで)敵の戦力が最も充実しているところに、こちらの戦力を突入させる作戦であって、明らかに無謀かつ不合理である。硫黄島を奪われたならば、相手側のB島やC島に上陸して占領し、これを交渉材料に硫黄島の解放を求めるのが正しい。これが現実的なカウンターアタックである。必要なのは防衛力ではなく反撃力だ。
 自衛隊は、今後、水陸両用部隊(強襲揚陸部隊)の編成を進めるとのことだが、これを、たとえば占領された尖閣諸島に突入して解放する部隊などととらえることがないようにしてほしい。

 話を弾道ミサイルに戻そう。弾道ミサイルによる心理的なゆさぶりは、日本にはたいへん有効であるが、アメリカに対してはそうではない。上記のような「合理的な対処」が国民レベルにまで浸透しているからだ。アメリカはそんなものではひるまない。そうすると北朝鮮は、弾道ミサイルの威力を無視できないレベルに引き上げるほかない。核開発だ。核兵器が搭載されていれば、打ち込むための道具が巡航ミサイルだろうと弾道ミサイルだろうとブーメランだろうと竹槍だろうと、相手に届きさえすれば、史上最強の兵器になる。北朝鮮が「弾道ミサイルはアメリカ用」というのは当たり前だ。日本までの距離であれば方法はいくらでもあるのだから。

 今回も失敗したミサイル発射だが、「いつかは成功する」という心理的揺さぶりが、日本やアメリカの政治的な判断ミスを犯させないとは限らない。私たちができることは、情勢を正しく理解し、扇動に乗らず、合理的な対処に協力することだと思う。
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