CHIAKIの独り言

気の向くままの「独り言」

終戦から72年

2017-08-15 | 思いで(子どもの頃)

 今日は、終戦から72年目の日です。
 72年も経つと、記憶も薄れるのか、新聞の記事も小さくなっている。
自分でも、72年前のことは断片的にしか想い出せない。 

それでも記憶を辿ると・・・
 72年前の8月15日は、国民学校5年生の夏休み中でした。
朝、近くの川に泳ぎに出掛ける時、父からだったと思うが、「今日は、昼前、少し早く帰って来い。」と言われ、昼前に帰り、縁側に座っていると、ラジオから、雑音に混じった天皇陛下の声が聞こえて来た。意味は十分理解できなかったと思うが、これが終戦勅語だったようだ。 その後、父は村の集会所かに行って、そのことを話すと、皆から信用してもらえなかったと帰宅して言っていました。 

 この日の前を想い出すと・・・
田舎の我が村は、爆弾などは直接落ちてはこなかったが、阪神方面の空襲を終えたB29が中国方面に飛んで行くルートの下だったので、毎日、警戒警報・空襲警報・警戒警報の繰り返しでした。利用したことはないが、裏の畑には、防空壕が掘ってありました。
 学校(その頃は、国民学校)のグランドには、奉安殿があり、その横には、少年航空隊予備的な訓練用のすり鉢状の穴(くるくる回って、目が回らないよう訓練する穴)がありました。 

 その日の後のことは、時系列的に定かでないが・・・
夏休みが終わり登校してからだと思うが、薄っぺらな(新聞を折りたたんで作ったような)教科書に、先生の指示に従い、墨塗りをしました(今でいう「海苔弁」)。 奉安殿の扉も開き、中には何も無かったように覚えています。 

 それから暫く後だと想いますが、蒸かしたサツマイモと脱脂粉乳を溶いたミルクの学校給食が始まったようです。脱脂粉乳は粉を舐めた方が美味しかった! 

 72年前の8月15日を境に、前後いろいろなことがあったと思いますが、なかなか想い出せないような長い月日が経ちました!


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