肝臓ありがとう

私の肝臓移植の闘病日記

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秋から冬へ

2012-11-27 01:23:32 | Weblog
「肝臓ありがとう」というタイトルを見てアクセス頂いた方は申し訳ございませんが、3年前に遡っての日記をご覧下さい。

手術が無事終わり、その後若干のトラブルはあったものの、今現在は周りの人や私自信も驚くほど元気元気で、もちろん病院には通ってますが問題は今のところありません。

そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。

でも、書き始めから1年位のブログはけっこうはらはらどきどきものです。

折角このブログを開いてくださった方は是非過去に遡ってご覧いただけたら幸いです。



5月からさらに月日は流れ、もう今年はふた月半で終ってしまいます。

春からの一番の変化というと、我が家の二人の子どもが海外に出て、家が大変静かになったという出来事です。

息子はオーストラリア、娘はハワイに行きました。

福島第一原発4号機の燃料プールに大量にある使用済み核燃料が、何時地震で崩れて更なる事故が起こるか、と怯える私としては

子ども達が日本にいるより安心?



日本中が地震の活動期にあって、又何時大地震大津波が起こるか分からない非常時。

原発が、たとへ停止中だとしても大変危険だと分かったのは昨年夏頃からか。

日本中にある原発が再稼働すれば数年で使用済みの核燃料の置き場がなくなる事実。核燃料はプールで冷やし続けなければいけないが、そのプールが大地震でトラブルを起こせば、今回を上回る臨界事故が起きる可能性があるという事も、これまでは知らなかった。



青森六ヶ所村にある巨大なプールも90%以上ほぼ満杯状態にあり、このプールに何かあれば、それこそ日本の半分は住めなく可能性すらあるという危うさの中に、今私たちが暮らしているという事実に愕然としてしまいます。



福島の子ども達の甲状腺に3~40%もの割合で膿胞があり、低線量被曝の健康への心配もある中、未だに事故の収束も原因究明もされていないのにも関わらず、再稼動や新たな原発建設に突き進むとんでもない原発村の人々に怒り心頭の毎日です。



しかしこの危機的な日本の現状をたた憂いても何も変わりません。

今私は、3月頃から始まった東京官邸前脱原発の抗議行動に刺激され、毎週金曜デモを行っています。(今週で12回)

最近は福島集団告訴団の原告にも参加しました。



折角移植手術で命拾いした私。

未来の宝でもある子どもたちや若者たちに、安心して暮らせる自然と社会を残す事は、私たちの責任だと考えます。



原発推進者たちはすぐに、経済、金の話ばかりしますが、経済より何よりも命が大切である事は、去年の大震災で多くの日本人が学んだはずです。



秋保も朝方は10度以下に冷え込んできました。金曜デモが何時まで続けられるかは分かりませんが、気力と体力はまだまだ充実してます。
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震災その後

2012-05-18 21:38:09 | Weblog
「肝臓ありがとう」というタイトルを見てアクセス頂いた方は申し訳ございませんが、3年前に遡っての日記をご覧下さい。
手術が無事終わり、その後若干のトラブルはあったものの、今現在は周りの人や私自信も驚くほど元気元気で、もちろん病院には通ってますが問題は今のところありません。
そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。
でも、書き始めから1年位のブログはけっこうはらはらどきどきものです。
折角このブログを開いてくださった方は是非過去に遡ってご覧いただけたら幸いです。


本当に月日が過ぎるのが早いです。
特に震災後の1年は何とも不思議な時間の経過です。
ここ数ヶ月、今年になってからもう半年弱は地球の回転が倍のスピードになった感じがする程です。

お陰さまで、体調は術後からそれほど変化は感じませんが、しかし退院後の絶好調からは、年を重ねるに従い衰えを感じるこのごろです。

さて、震災後ストップしてしまったこのブログですが、少しずつその空白の期間を振り返りながら、埋めてゆきたいと思っております。
簡単に言えば、震災後やって来た事は、藁の家、山荘、我が家の復旧工事と、脱原発の活動。

震災で壊れた家具や瓦礫の撤去、震災ゴミと、ついでに長年のゴミも2tトラッで3台分は捨てたかも。
ちなみにまだ直っていないデッキ部分の廃材など、さらにトラック2台分はあるかも....
なにせ、藁の家と自宅と山荘の3軒分あるのですから、半端でないのです。

修復も石油タンクの撤去と新たな基礎作り、トイレ汚水の地下室水もれ修復の為の溝堀り。
藁の家の壁はがし、床はがし、傾いた土台のジャッキアップ、藁入れ、泥壁塗り、内壁塗り、床、腰板貼り、ペンキ塗り、丸太の階段撤去、新たな階段作り、そしてこれからの倉庫作りの作業が残ってます。

脱原発活動では5回のデモ、脱原発ウチワ作成と配り、女川原発バスツアー、署名運動、講演会への参加5~6回、原発関連映画鑑賞4~5回、講演会プレ企画参加、原発0祝賀会、月2回ほどの会議、その他もろもろ.......と、結構忙しく動き回りました。

世間では地震、津波、原発事故はほとんど過去の事となりかけている感もありますが、我が家も私にとっても、それはまだまだ継続中ですし、これからも暫くは続いていくでしょう。
特に原発事故の後遺症は悔しいかな、これから永久に続いていくでしょう。
まだ4号機使用済み燃料のプールの危険が続いている時に、再稼動を言い出すこの国は一体どうよ?
線量の高い地区に留まり、子供たちの命や健康の被害も予想され、危険が未だに去っていないのに経済を優先させる政治家、企業、原発村の金に群がる大人たちの醜態に激しく憤る毎日です。

今日は震災直後の画像をアップします!






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2011年3月11日 大震災後!

2012-01-09 21:18:43 | Weblog
「肝臓ありがとう」というタイトルを見てアクセス頂いた方は申し訳ございませんが、3年前に遡っての日記をご覧下さい。
手術が無事終わり、その後若干のトラブルはあったものの、今現在は周りの人や私自信も驚くほど元気元気で、もちろん病院には通ってますが問題は今のところありません。
そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。
でも、書き始めから1年位のブログはけっこうはらはらどきどきものです。
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2010年11月以来、何と1年2ヶ月ぶりの投稿です。

取りあえず、私は元気でいました。
震災前と後では大変な変化がありました。
3月11日の大震災で、私の活動拠点の秋保藁の家は大規模半壊!この画像は修復後ですが、後からアップしますが、建物は見るも悲惨な状況になりました。
何しろわらと土壁のエコハウス、地震で無事な訳がありません。
壁はもちろん、中の藁のブロック(ストローベイル)までもが外に飛び出してしまうほど。
中に展示中のひな飾りはもちろん、カウンターの食器類も何もかもが足の踏み場がないほどに飛散。
決定的な打撃は、何と基礎が片側のみ最大20cmほど落ち込み、床が歩いてはっきりわかる程傾いてしまいました。
自宅も隣に建つ会員制の別荘も一部損壊し、さらに上下水道や石油タンクなども損壊。
それらの修復などもあり、藁の家はしばらくは手つかず状態。
ひと月~ふた月程手つかず状態で、このままでは震災記念館になってしまう、とやっと重い腰をあげて、お客様や復興ボランティアの皆さんの強力も得ながら、気の遠くなるような工事が始まりました。
傾いた建物を水平にするために、床を全て外し、腰かべも剥がし、外の土壁も剥がし、緩んだ藁のブロックを補強し、新たに土壁をつくり、藁の隙間を埋め、基礎をジャッキで持ち上げ、中から基礎をコンクリートでかさ上げして又床を貼り、外壁を塗り腰板を貼り直し、塗装して玄関のログの階段を作り直してやっとこさ昨年12月に95%完成したのでした。
ふ~~~~~~ぅ
自らユンボやトラックをあやつり、板を切ったり貼ったり、壁塗ったり、釘うったり、まぁ何でもやりました。
これほど体を使ったのはずいぶん久しぶりの事でした。
でも怪我も病気もせずにここまで無事に来れた事は、やはり丈夫な若い息子の肝臓のお陰さまです。
続きは又のちほど。
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とほ・・又数ケ月がたちもう11月

2010-11-19 22:27:52 | Weblog
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手術が無事終わり、その後若干のトラブルはあったものの、今現在は周りの人や私自信も驚くほど元気元気で、もちろん病院には通ってますが問題は今のところありません。
そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。
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さて前回の書き込みから約3ケ月がたちました。
その後も色々ありました。
ピアノコンサート
国鉄のうたごえ祭典の舞台監督の仕事
AKIRAライブ
かもめ会作品展
PTA研修山形行き
PTAコンサート (馬頭琴とピアノ)
収穫祭
小室等 李政美コンサート 裏方
毎月の交流会

うたごえ祭典の舞台監督ではオープニングで思わぬハプニング。
1400名満員の客。
駅員の扮装の出演者が、ベルも鳴らないのに私の合図を勘違いして舞台に出てしまいました。
あせる音響さん照明さん・・・(音と明かりが入るのですが、なにせ本ベルも鳴っていない)
出演者はそのまま演技を終えて下手に引っ込みました。

そのまま始めて・・・という音楽監督の声を無視し、本ベルを鳴らし、もう一度やり直し。
再び登場した出演者に会場はどっと笑い声・・・
一気に会場は和みモードに入り、かえって大うけでした。

まあその後は前半伸びた時間も後半には何とか想定内に収まり、アンケートでも好評の声が多くて会議や打ち合わせが多くて大変でしたが、何とか責務は果たしと思います。

先週も300名の会館での小室等・李政美秋色コンサートの舞台監督をやりましたが、こちらは音響照明、皆さんプロで気心の知れたスタッフがそろい、出演者ともスムーズに段取りが出来て大変楽な裏方でした。
出演者、裏方、全てがプロフェッショナルで、お客さんも主催者(仙台市市民オンブズマンタイアップグループ)も喜んでいただけたようで、プロデュースサーとしての責務は果たせたと思います。
5月にも藁の家でこのお二人のライブをやって、打ち上げが楽しかったのですが、お二人とも仕事の都合で日帰りだったのでそれは残念でした。
ライブが成功した後の出演者を交えた打ち上げほど楽しいものはありません。とくに藁の家でやる時は泊りがけなので最高なのです。いくら騒いでも周りは山ですし、宿舎の隣は我が家なので、問題なし。
先月のAKIRAライブの後も、毎月恒例の交流会と一緒に行ったので、これまた賑やかででした。このAKIRAさんがすごいのです。
何がって?このマルチアーティストのAKIRAさん。毎回ライブが終わるとすぐにパソコンを駆使して、当日のライブの一部始終を画像入りで3時間ほどかけてアップするのです。
彼のHPの日記は訪問者がものすごい数で、ライブの後報告も手を抜けないのです。
藁の家のライブの様子を是非ご覧ください。
HPは 検索 AKIRA-MANIA  
http://ameblo.jp/akiramania/ 

小室さん李政美さん  そして AKIRAさんのライブはは毎年必ずやっていこうと思ってます。

先月末のAKIRAライブ、今月の6~7日の収穫祭と結構忙しくて、何年かぶりで風邪をひいてしまいました。
つい最近まで風邪気味の家族に、俺は手術依頼一度も風邪もひかないし、インフルエンザにも感染しなかった・・・と威張っていたのですが、疲れと油断でか、本格的な風邪をひいて、未だ咳が続いてます。
もう10日もたつと言うのに・・・
何しろここは山。
気温が街とは3度近く違い、道路の気温表示は最近夜で5度位。
朝方はもっと寒いかも・・・・
今年は冬が来るのが早いようです。
紅葉も終わり枯葉と木枯らしとしぐれの日々です。
皆さまも風邪ひきませぬようご注意ください。

画像は収穫祭の夜の部、火祭りの様子です。
焚き火を囲み、旬の秋刀魚やいのしし鍋、お酒とライブを楽しみます。

いやぁ、里山での火を囲んでの宴は最高です!

こうして楽しめるのも、肝臓を提供してくれた息子のおかげと感謝感謝の毎日です。

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二月ぶりですね

2010-08-22 22:58:25 | Weblog
「肝臓ありがとう」というタイトルを見てアクセス頂いた方は申し訳ございませんが、3年前に遡っての日記をご覧下さい。
手術が無事終わり、その後若干のトラブルはあったものの、今現在は周りの人や私自信も驚くほど元気元気で、もちろん病院には通ってますが問題は今のところありません。
そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。
でも、書き始めから1年位のブログはけっこうはらはらどきどきものです。
折角このブログを開いてくださった方は是非過去に遡ってご覧いただけたら幸いです。

せめて月に一度位は書いたら????
といわれているかも・・・・・
前回から又二月が過ぎてしまいました。
最近大変忘れっぽくなってきて、さてその後何があったかのか?
画像は去年も参加した作業所の夏のバザールでの出演のひとコマ。
昔一緒に歌声喫茶で働いていたYさんと、ディジュリドゥ奏者のやはりYさんと一緒に、約一時間びっしょり汗をかきながら演奏しました。
わたしは少しでも若く見せようと?去年と同じ真っ赤なTシャツ姿で参加。
なあ喜んでいただけたようで良かったです。
ここの作業所はカレーショップもやっていて素晴らしく美味しいんです。
もちろんご馳走になりました。

今年は2年ぶりスペインへお嫁に行ったAさんと子供達が日本の山形に里帰り。
スペインセビリアの友人である画家お二人の作品を持参し、藁の家で展示会を行いました。
いいですね。スペインの学校は3ケ月夏休み。親はひと月です。
これは法律で決まっているのです。
日本人はかわいそうです。夏休みはお盆休みでせいぜい4日。しかも車などで移動して、ゆっくり休めないのが実際のところ。
日本はGDPでは世界2位といっても、「幸福度指数」で言うと、なんと90位、というのもうなずけます。
スペイン人は絵は見るものではなく、買うもの・・・という日本との文化度の違い。
Aさんの住んでいる近所に10ケ所もギャラリーがあるというのですから、すごいです。
日本はバーチャル、コピー文化ばかりですよね・・・・

さて先日は子どもがすずめ蜂に刺されて、病院へ連れて行くというハプニングがありました。
庭の丸太のテーブルと椅子があるのですが、見えにくい椅子の下に結構大きな巣がありました。ものすごく暑いその日の夜。スキーウェアーにゴム長靴、スキー手袋をして、頭にはバイク用のフルフェイスヘルメットをかぶり、いざ出陣。
折から降ってきた小雨の中をライトを照らし、石油を入れた噴霧器と、手持ちのガスバーナーを準備して事に当たりました。
巣の入り口付近に3~4匹の蜂がいます。
構わず噴霧器で石油をかけます。その蜂たちがポトリと落ちたので、巣の入り口の穴に噴霧器の先端を差込噴霧したのが間違いでした。巣は簡単に壊れて中から一斉に蜂たちが出てきました。
取りあえずは明かりのライトめがけて飛ぶので、恐ろしい気持ちを抑えながら、噴霧器でさらに石油をかけます。
その後、怖いけどガスバーナーで巣に点火。
巣は炎に包まれました。
しかし外にかなりの蜂が飛び出したので急いで蜂殺しのスプレーを探して見つけ、明かりに群がる蜂を撃退!
暑さと汗とあせりとで心臓はバクバク、息ははあはあ・・・・
去年は軍手の上から刺されましたが、今回は大丈夫。無事撃退する事に成功しました。
火はバケツの水で消火。
いやあ体中汗びっしょりでした。

昨日は町内会の夏祭りがありました。
部落の祭ですが、結構評判がいいので、町外からのお客さんが結構多く集まります。
何しろプロのみんぞく芸能集団の稽古場前広場で行うので、照明音響舞台、そして演奏もほんまもん。
さらに昨日はイギリス人2名、モンゴル人3名も参加。国際的でもあるのです。
2次会では初参加者たちから、素晴らしい祭りでした、来年も又来たい!との感想も頂きました。
買出し、企画、司会者の私としても嬉しい限りです。

今日は甥っ子が結婚式をあげました。
親戚中心のこじんまりした式で、披露宴は特別無しで、仏レストランで会食会。
でも新郎新婦はミュージシャンなので、コンサートもありました。
二人が考えた手作りの心温まる会でした。
赤ちゃん時代から見てきた甥っ子の晴れの舞台に、感謝感激、大きな拍手!

さあ来月早々、大きな舞台の舞台監督の仕事があり、さらにPTA行事のコンサートも間近に迫ってきました。
9月小学校時代のクラスメイトの展覧会もあります。

そうそう先日は中学の還暦記念の同窓会がありました。
40年以上会ってない仲間と再会。
いやあ覚えているものですね。すぐ思い出す人後からはたと思い出す人。
大きく変わった人も、あれ?このおじいちゃん先生?という人も・・・・
同級生が参加しているジャズバンドの演奏や、神主のお払いもあり楽しい人時間を過ごしました。ただ私の世代、人前で平気でタバコをプカプカする人が多いのが残念でした。
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ご無沙汰してました!

2010-06-12 22:55:04 | Weblog
「肝臓ありがとう」というタイトルを見てアクセス頂いた方は申し訳ございませんが、3年前に遡っての日記をご覧下さい。
手術が無事終わり、その後若干のトラブルはあったものの、今現在は周りの人や私自信も驚くほど元気元気で、もちろん病院には通ってますが問題は今のところありません。
そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。
でも、書き始めから1年位のブログはけっこうはらはらどきどきものです。
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便りがないのは無事な証拠・・・まさにその通りです。
それにしてもこんなに間を空けて更新しなかったのは初めての事です。
書きたいことは山ほどあるのに、なかなか思うように行きません。
今年ももうすぐ半年という所まで来てしまいました。
本当に驚きです。
この間の出来事で、一番大きなことは、大変痛い思いがひと月も続いた事。
初めての痛み、しかも3つの種類の痛みが同時に襲ったのです。
原因は噂に聞いていた、帯状疱疹、という厄介な病気です。
年を取ってきて体力が落ちて免疫力も落ちた時に起きるという病気です。
お腹の周りにぷつぷつが出来て、皮膚がぴりぴり痛み、お腹の中も痛く、時々は神経がびりびりと数秒(結構な痛みです)痛みます。
しかもそれが約ひと月余りも続いたのでした。
ひさびさの痛みとの遭遇でした。始めは肝臓の辺りが痛んだので少し心配しましたが、肝臓は何の問題もなくてほっとしました。
東京へ車で弟の出ている演劇を見に行ったり、大きなライブがあったり、確かにハードで疲れて免疫力が落ちていたのかもしれません。
小室等、李政美さんのライブ、交流会、メーデー、仙台国際音楽コンクールヴァイオリンの部出演者による藁の家コンサート、青空うたごえ喫茶、などなど色々ありました。
3月には、移植コーディネーターの勉強会での親子揃っての体験談の講話もありました。
レシピエントとドナーが共に話すのはなかなかない事。
息子は私がいると話し難いと言うので、その時は廊下に出ていました。(でも扉から大体の話は聞こえました)
貴重な体験でした。これで何だかんだと体験談を話すのは5回目です。
今年こそは移植患者の会を立ち上げようと思っているのですが、日常の忙しさについついかまけてしまい、遅れております。
昨日は久しぶりに障害者の作業所に行き、約1時間余楽しく歌って演奏もしてきました。
歌っている楽しそうな笑顔に出会えるのが何よりです。
先日の青空うたごえ喫茶にも40名の障害を持つ人たちが参加して一緒に歌いましたが、障害を持った人って、みなさん明るくて一生懸命で素直で、とても一緒に演奏をしていて、嬉しくなります。
この時は天気も上々で最高でした。
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今年初投稿!

2010-02-15 21:34:22 | Weblog
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そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。
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という訳で、何と今年初めての日記になります。
先が思いやられます。
ひと月半の間に、又いろいろありましたよ・・・
まずは新年早々幸先の悪い事、まずは交通事故です。
私の住む里山は標高約100M、気温も街場より3度は低いでしょうか・・?
街は晴れていてもここだけ雪がちらついたり道路が凍っていたり。特に川付近の橋周辺や日陰が危ないのをわかっているはずなのに、やってしまいました。
川に架かる橋に入る直前のカーブでスリップ、制御不能で橋の欄干に激突!”
一瞬川に落ちるか?と思いましたが、さすがに橋の欄干は大変丈夫に出来てました。
丈夫過ぎて、車のほうがぐっちゃり・・・
右フロントが大破です。
ラジエターのどこかが壊れて白い湯気が出ました。
何しろ橋の上、道を塞いでいたので、何とか車を動かしタイヤパンクしたまま、約1K先の我が家までがたがた、蒸気シュ~シュ~と何とかたどり着いてから警察に電話しました。
やれやれ・・・・・又やっちゃった・・・・・!
本当に注意一秒、怪我一生です。まあ幸い軽いムチ打ち程度で済みましたが、車はオシャカデシタ。
その後つい最近は息子がやはり朝坂道のカーブで滑って、凍結防止剤の入った鉄製のボックスに激突、やはり車がおしゃかに・・・・
やれやれ親子揃って何やってるんだか????
てな訳で、今年は当たり年かも、と思いスクラッチの宝くじを最近3度続けて買ってみましたが、こちらはなかなか簡単には当たりませんでした。

さて、画像は地域の老人会の集いで歌っている私です。
「移植体験談とライブ」、というタイトルで1時間半ほど話して歌って来ました。
まあ患者、病院生活が何しろ長いので、話題には事欠きません。
途中で何曲も歌を皆さんと歌いながら、あっという間に終わりました。
お年は私より10才以上の皆さん。
懐かしい歌を楽しく歌い、途中インスタントヨガ、首のストレッチの紹介なども・・・
テーブルにはきれいな花も飾られお茶を飲みながらみなさんもくつろいだひと時を過ごされたようでした。

つい先週末は久しぶりに障害者の施設へ行って一時間ほど大きな声で歌をみんなで歌ってきました。
4時につくと皆さん割り箸を袋に入れる作業中でした。
2000袋10人係りで4時間作業して何と作業代金が2000円程度とのことでした。
余りに安いので、割に合わず他の作業所もやめ、その仕事は中国へ・・・
いやあこの格差、というか、最低賃金が1人一時間7~800円の時代、10人で4時間で2000円ですよ。10分の一以下の違法賃金です。

パソコン使って億単位の株をただ売ったり買ったりして博打のような事をやって一日何万円ものお金を稼ぐ人もいるのですよねぇ。

全て金、金、金、物、物、物・・・競争、競争・・・勝ち組、負け組・・・なんだか嫌な世の中です。
マイケルムーア監督の「キャピタリズム」で監督が描いているのも、この資本主義経済、社会そのものへの疑問。
もう世界は資本主義経済では回らない時代に入っていると私は思っています。
経済の仕組み、何をどう生産して消費して豊かな社会を構築していくかを根本から考え直す時代が今だと思います。
日本は資源が無いからハイテク機器を作って外国に売ればいい、という時代はもう終わりに
しないといけないのではないか・・・
食料、エネルギー、自給自足、自主自立。
難しいかもしれないが、それを目指さないと未来がないのではないか。
地域でも自給自足、地産地消をしっかり目指す。それが町、市、県でしっかり出来れば国としても足腰の強い国になる。グローバル化でいいことは実は余りない。
先ほどのように外国の安い賃金に頼って儲けるようなやり方はやはりおかしいと思うのです。
グローバル化を声高に叫ぶのは、結局は大国の金の亡者たちなのです。

ありゃりゃ・・・・いつの間にか話が横道へそれてしまいました。

当たり前の仕事がそれぞれにあって、音楽があって、美味しい食べ物とお酒があって、楽しい時間を過ごせればそれだけでいいのだが・・・
この普通の願いが何故叶わないのか??
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ありゃ又ひと月

2009-12-28 00:20:28 | Weblog
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手術が無事終わり、その後若干のトラブルはあったものの、今現在は周りの人や私自信も驚くほど元気元気で、もちろん病院には通ってますが問題は今のところありません。
そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。
でも、書き始めから1年位のブログはけっこうはらはらどきどきものです。
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いやはやなんと前回の日記からひと月半もたってしまいました。
ショックな出来事が一つありました。
尊敬する詩人の突然の訃報です。
沢山の素晴らしい詩を残してこの世から去ってしまったのです。
まだ20代の頃から彼の詩に沢山曲をつけてきました。
恋の歌、反戦の歌、ふとした幸せを歌った詩、命の詩・・・藁の家のHpの扉を開けると出てくる詩は、私がまさに肝臓移植で生死の境におかれた状況の時に病院へ届けて頂いた詩でした。
元気になり藁の家ね私が復帰して、初めて藁の家を訪ねてくれたすぐ後にも、「藁の家」という題名の詩を送っていただき、早速曲をつけて、お客様にも時々披露しておりました。
昔埼玉か千葉で、詩を彼が読み、その後私が歌うというコンサートもやった事があり懐かしく思い出されます。
海岸の砂浜を歩いた思いでもあるので、やはり千葉県かもしれません。
藁の家に2年前位に来てくれた時はあんなに元気だったのに・・・風の便りに具合が悪いとは聞いていたのですが本当に突然で信じられない思いだったのと、それほど重篤な闘病生活を送っていたのに何もせずにいた私への怒りと後悔で、今でも情けない気持ちで一杯です。
私の大変な時に勇気をくれた素晴らしい詩を書いて送ってくれたのに、なのに彼が一番苦しい時に何もしてあげなかった私はただただ後悔・・・・
後悔だけはしない人生を送ろうと心がけてきたつもりの私なのに、不覚です。
葬儀にも忙しくしていて行けなかったので、せめて、と明日自宅へ伺おうと思います。
人がつらい時にすぐ駆けつけてあげられる人間であらねば。自戒です。

さてこのひと月以上の間に、まあ沢山の出来事がありました。
山形のある病院で行われたXマスコンサートは大変寒い雪とつるつるに凍った道路に悪戦苦闘。
ロビーに集まった車椅子と点滴姿の患者さん、スタッフの皆さんと一緒に歌や演奏を楽しんでもらいました。
市役所の合唱団の皆さんのうたごえ、職員のい皆さんによるハンドベル。
私はキィーボードを弾きながら懐かしい歌をみんなと一緒に歌いました。
思いがけない出会いもありました。私が藁の家を作る前やっていた石臼挽きコーヒーの喫茶店時代に何回か来て頂き、なんと高価な石臼まで買ってもらった医師がその病院の外科の先生だったのでした。もう8年前の事です。
終了後、懐かしく昔話などをして又の再開を約束しました。

オペラ「命の火」AKIRAのコンサートもすごかったです。http://profile.ameba.jp/akiramania/
自らの命を絶とうとして未遂、命と引き換えに筋肉を失い車椅子生活を送る、やよいさんのセルフストーリーオペラ。
真実の話にAKIRAの魂を揺さぶるうたごえが聞く人の心を揺さぶり、さらに、命の火を連想させるファイアーダンスが観衆の心臓をわしづかみにします。
命の火が燃え、揺れ、音をてたて激しく舞い踊り、会場は熱い熱気と涙に包まれました。
11月から12月にかけて、若い二人の結婚式の司会を2組担当しました。
二組とも司会の他に、ピアノ伴奏、フルートなどの演奏や企画やパンフレット、スライドショーのお手伝いもで、かなりいそがしい日々でした。
二組目は140人も招待客がいて、会場も超一流の豪華ホテル。それなりに緊張もし苦心しましたがおおむね好評で、弟さんが「僕のときもよろしく」と・・・そのお姉さんの披露宴でしたが、その母親と父親の結婚披露宴の司会を実は25年以上前にやった縁で頼まれたのでした。
親子2代の司会というのもなかなかないかも・・・・これで3代にわたり、となれば大変な事でしょうが、もうその頃はさすがに私は消えているかもしれません。

先週末は障害者の弦楽サークルの発表会で舞台の裏方をやり、ついおとといはやはり障害者の作業所で歌をみんなと一緒に歌ってきました。

で昨日は藁の家今年最後の交流会という名の飲み会。忘年会でほぼ今年の催しは終わりです。
昨日は約30人の参加者で、歌い演奏し飲み食べ語り2時まで盛り上がりました。
はい今年も色々とご苦労様でした。
今年はかなり動き回りました。
糸の切れた凧、鉄砲玉、などといううわさも・・・・









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色々ありました

2009-11-10 22:35:31 | Weblog
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そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。
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前回書いてから何と、ひと月以上が経ってしまいました。
季節はもう晩秋・・・
枯れ葉の舞う季節になってしまいました。
この間又色々ありまして、かなりハードな日々でした。

私の小学6年6組の皆さんによる、展示会(パッチワークやステンドグラス、他)
藁の家で、秋保の民話を語る催しが5回。
収穫祭に向けての準備、ローソク作りや、竹を組んで収穫物(大豆)を干す所を作ったり・・・
毎月恒例の交流会、(27名参加)その準備と片付け・・・
収穫祭
夜の火祭り(50名参加)
山形へ出張演奏(4人で)
他に12月12日のライブオペラ「命の火」の打ち合わせ
今月14日の音楽仲間の結婚式の準備あれこれ
12月12日の友人の娘さんの結婚披露宴の司会の打ち合わせ

ざっとこんなことが、ここひと月半の間にありました。
忙しさの一つのピークは過ぎましたが、今週末の結婚式と、次の日の味噌仕込みワークショップと、忙しさは続きそうです。
便りの無いのは無事な証拠・・・というわけで、次に書き込みをするのは何時の日になることやら・・・

なんやかんやで今年もあっという間に終わりそうです。
最近少し体力の衰えを若干ですが感じるようになりました。
物忘れする事が多くなった気がします。
一年前は結構寝不足でも頑張れたのに、最近はきちんと睡眠をとらないとちょっと疲れを感じるような気もします。
20代の若い肝臓が入ったのですっかり若返ったつもりでしたが、やはり年相応か・・・
でもたまに会う人には、「会う度にどんどん若くなる」なんてお世辞を言われてその気になったりはするのですが、いよいよ来年は還暦です。
わお~~~~~~~~~~~~
信じられな~い・・・・・・・です。

来年からは漠然と毎日を過ごさずに、残された時間を有効に使わなければ。


画像は土曜日の火祭りのひとコマ。
ディジュリドゥ、タブラ、二胡、津軽三味線の演奏もありました。
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交流会

2009-09-29 21:28:40 | Weblog
「肝臓ありがとう」というタイトルを見てアクセス頂いた方は申し訳ございませんが、3年前に遡っての日記をご覧下さい。
手術が無事終わり、その後若干のトラブルはあったものの、今現在は周りの人や私自信も驚くほど元気元気で、もちろん病院には通ってますが問題は今のところありません。
そんな訳で肝臓移植に関する話題が余り無く、日常のどうという事も無い日記を最近ではたまに思い出した時に書いているだけなのです。
でも、書き始めから1年位のブログはけっこうはらはらどきどきものです。
折角このブログを開いてくださった方は是非過去に遡ってご覧いただけたら幸いです。

さて、先週末は恒例の藁の家交流会があり、15名程の参加者と楽しい時間を過ごしました。
酒のつまみはRさんが前日釣ってきたハゼの天ぷら、それから季節柄芋煮汁。
サラダに鶏肉のハーブ風味焼き、カナッペなどなど。
今回は沖縄民謡が素晴らしく上手な人が初参加、もちろん三線も沖縄方言も本格派です。
そしてやはり初参加、インドの打楽器「タブラ」を演奏してくれたのは、素粒子の勉強をしている大学院生、Tさんです。彼はインドに出かけて行ってタブラを覚えたそうです。
そして、オーストラリアの先住民、アボリジニの民族楽器、ディジュリドゥを演奏するMさんと一緒にコラボしてくれました。
この日は私が30年前にうたごえ喫茶の店をオープンしたときに一緒に音楽活動していたYちゃんも初参加。
昔一緒に歌った歌を懐かしくギターピアノにのせて歌いました。
二胡、サックス、フルート、トランペット、ディジュリドゥ、ケーナ、津軽三線、沖縄三線、ギター、ドラム、ジャンベ、カホン、ベース。沢山の楽器とミュージシャンが交流会に参加してくれました。
この交流会、去年の忘年会から始まったのですが、毎月休まずに、よく続いたものです。
毎回15名から多い時で30名が参加。
まあなかなか面白いです。
毎回のように参加している常連さんたちに共通しているのはは、なるほど、音楽好きというよりは、無類の酒好き?
おじさん達は好きだねえ・・・・実はアル中だったりしてね。
肝臓が心配です。
私も最近ビール一缶位を飲むようになりました。他にもワインなどもたまに・・・
風呂に入ってくつろいだとき、ビールを飲んでほろ酔いの時、息子に感謝感謝と心でつぶやく私です。
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