人村です!

舞台と結婚したと公言する「人村朱美」が綴る舞台生活 毎週火曜日更新・・・したいなぁ

奇跡の東北ツアー パート1

2017年11月21日 | 舞台
 今月15日(木)夜、日本人名ヴァイオリニスト故:若林暢(のぶ)を偲ぶ追悼公演。
 「ウィーンフィル四重奏コンサート」で、彼女の経歴を4分半ほど朗読した。

 その現場で、若林財団のプロデューサーにスカウトされた。
 彼女曰く 「 初めてお聴きして、この追悼公演にはあなたが必要だと直感したの 」
 まさに役者冥利に尽きる。

 ベタな自慢話で 我ながら恐縮(笑)

 ここに至るいきさつは多々あるが、とにかく万端繰り合わせて翌日正午の特急で、二日間の東北ツアーへと旅立った。

 まずは仙台市川内(せんだい)萩ホール 東日本大震災遺児のためのチャリティコンサート。
 敦賀と同じく入場無料公演だったが若林暢追悼の感は希薄で、財団側はおかんむり・・・。
 確かに、若林さんを追悼する為にWフィルを呼んだ財団側は無念だったと思うが、遺児を少しでも助けられるなら仕方がない流れか、とも思った。
 せめて私がもう少しドラマチックな追悼文を朗読できればよかったかも知れないが、それも急遽敦賀公演を受けた時点で概要が決まっていたので、どうしようもない。

 ここは黙々と自分の仕事に徹するのみ。

 明くる日は青森市青龍寺(せいりゅうじ)本堂での公演。
 この日出発前の寸暇に、伊達正宗が「 ここに墓を 」と指定した 広瀬川を望む地に建つ瑞鳳殿 (ずいほうでん)を一人で観に行った。
  
 <戦災で焼失後 再建された瑞鳳殿(伊達正宗の霊廟)>

 ここには弔魂碑( ちょうこんひ。戊辰戦争でなくなった仙台藩士1260人の慰霊碑 )もあるのだが、その脇に
国事犯としてとらえられた西郷軍生き残りの碑もあったのである。
  <これは仙台藩士の慰霊碑>
 
 彼らは西郷が自決した後 政府軍に捕縛され、全国に数百人ずつ労役刑に服すため送られたという。
 その中に、仙台藩での労役を望んだ者達305名があった。
 彼らは、炭焼き、河岸工事、農業などに骨身を惜しまず働き、やがてこの地で没した。
 その最後の七人の墓が、広瀬川の見事な大石で造られていたが、とても急いでいたので全部は特定できず撮れなかった。

 二百数十年前の事実と、男という生物の正義感の在り様にしばし呆然とした。
 ラスト・サムライここに在り。

 帰りは境内に待機しているタクシーでホテルへ。
 着いた時、メーターの表示額は1150円。
 が、運転手のおじいちゃんは「 千円でいいよ 」!

 これを発端にして“奇跡の東北ツアー”が始まった。
 他人様はどうあれ、私にとって百円は大金なのだ。
 タクシーを降りたら足元に一円玉が落ちていた。
 無論 拾った。

 いよいよ懐かしの青森市へ。
 ここからは、また明日。
 
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