真相世界(The truth world)

200712朝日新聞 南京大虐殺30万人説は嘘と認める


朝日新聞の与太社説である。

70年前の12月、中国を侵略していた日本軍は、直前まで国民党政府の首都だった大都市、南京を陥落させた。日本軍は中国兵士を捜し回り、その過程で多数の捕虜や一般市民も殺した。

「直前まで」と言う表現がイヤラシイ。一応首都だったことには間違いないが…。
「占領軍」を「進駐軍」、「進駐軍」を「米軍」と称している日本のマスコミである。戦争状態だったので「を侵略した」を「に進撃した」にしても意味的には変わらないだろう。
「多数の捕虜や一般市民も殺した。」のは事実だろう。問題はどのくらい「多数」かと言うことである。場合によっては逃げる中国軍が行った「虐殺」の方が数的に多かったかも知れない。しかし、自国の軍隊に殺されるのと他国の軍隊に殺されるのでは国民感情が違ってくるのも当然である。

南京事件である。南京大虐殺とも呼ばれる。その様子を記録し、展示する現地の大虐殺記念館が2年がかりで改装され、一般に公開された。

過去の中国政府の事例からして捏造を既成事実化させているのだろう。

大幅に拡張された展示スペースには、従来の約6倍にあたる3500枚もの写真が掲げられたという。むごい写真に驚きの声が上がり、目をそむける人々も、食い入るように見る人々もいた。

ほとんどが捏造写真と断定していいだろう。虐殺写真が南京のものである保証などない。朝日新聞も中共政府の一方的報道を鵜呑みにするお間抜けな報道はしない方がいい。最低、専門家の鑑定を確認してから報道してもらいたいものである。中国軍や馬賊による人民虐殺写真を日本軍のせいにしているのは事実なのである。

今年は、日中が全面戦争に突入した1937年から70周年にあたる。中国ではさまざまな記念の催しが計画され、南京大虐殺についても多くの映画が制作されると伝えられた。反日感情の再燃が心配されていた。

捏造の既成事実化を画策しているのである。

だが、中国当局もそれを意識していたのだろう。それらの映画は公開されず、記念館の開館式典にも、党や政府の大物指導者は顔を見せなかった。

当たり前である。捏造がばれたとき、みっともないからだろう。

新しい記念館の壁などには「30万人」という犠牲者数が書き込まれている。中国での戦犯裁判で確定した数字、というのが中国側の公式見解だ。しかし、これにはさまざまな見方があり、日中間の感情的な対立も招いている。
日本の専門家の間では、数万人説や「十数万から二十万人」説などがある。

私たちも30万人はいくらなんでも多すぎると思う。

ということで、さすがの朝日も「中国サイドの一方的捏造報道を今まで鵜呑みにしていたのはまずかった」と反省しだしたのである。
朝日に限らず、新聞の購読数は激減している。読むに値しない与太記事ばかり書いていても読者はますますそっぽを向くだけである。

だが、一部では虐殺自体を否定する暴論まで語られている。新記念館に掲げられた数字は、そうした日本の論議への怒りを表してもいるようだ。
「馬鹿も休み休み言え」である。その理屈なら「100億人虐殺」とでも掲げればいいわけだ。

事件から70年を経たが、日中相互の反発やわだかまりは縮まらない。和解へ歩み出すことの難しさを痛感する。

また馬鹿を言っている。目先の経済利益に目がくらんで中共の国体を無視した外交を続けた結果だろう。
中共政府に対する正しい報道をしてこなかった政府とマスコミに馬鹿が騙されただけの話である。

殺戮(さつりく)の状況は、現場にいた日本軍の兵士らも日記などに書き残している。日本政府も「南京入城後、多くの非戦闘員の殺害や略奪行為があったことは否定できない」と認めている。

戦争状態だから殺戮の状況は当たり前である。相手の都合のいい資料だけかき集めればすごい内容になるだろう。
「沖縄戦」の事例を参照してみればいい。

数字の探求は専門家に任せるべきだ。実は中国の学者の間にも、一つの数字にこだわらず、より実証的な研究を求める声がある。冷静な学術研究を通じて、いずれ数字は変わっていくのではないか。

どんな御用学者を連れてくるかで、数字なんかどうにでも変わるのである。
「私たちも30万人はいくらなんでも多すぎると思う。」と書いた言い訳をこんな行の離れたところでやっている。

両国の政治にとっていま大事なのは、この事件を日中間の障害とせず、和解に向けて手立てを講じていくことだ。

臭いものには蓋、うやむやにするのが両国にとって一番賢い選択だろう。

過去にも、そんな取り組みはあった。村山、小泉首相は盧溝橋を、橋本首相は旧満州の瀋陽を訪ね、歴史を直視する姿勢を見せようとした。橋本氏は南京訪問すら検討し、下見も行われたが、実現しなかった。中国側の数字を正式に認める形になるのを懸念したのだろう。中国政府にはそうした実情も理解してほしい。

「捏造に付き合うのは御免だ」とあからさまに言うと中国が怒り出すだろう、ということだな。

このまま放置するわけにはいかない。福田首相は70年の節目に、追悼と和解への思いを語ることはできるはずだ。そうした積み重ねが、やがて数字の壁を越え、和解への扉を開くに違いない。

というわけで、まるでまとめになっていない。まとめられない社説など最初から書くな。2流高校の生徒以下の作文でした。

中共政府は日本軍による虐殺を全国民に徹底して教え込んでいる。日本に押し寄せる大量の中国人凶悪犯と無関係ではないのである。中国では軽犯罪を犯しても死刑だが、日本に出稼ぎで凶悪犯罪を行っても、中共政府は事実上不問に付している。日本で凶悪犯罪を犯しても悪逆非道な日本人を天誅した義賊なのである。
韓国も同じだけど…。

(記事)
南京事件70年―数字の争いを超えたい


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「外寇問題」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事