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原発事故から6年、いまも20km圏内に取り残された動物たちを世話する人々

2017-03-16 06:02:10 | 東日本大震災

原発事故から6年、いまも20km圏内に取り残された動物たちを世話する人々

2017.03.07 日刊SPA!


事故から6年が経っても、牛舎には餓死した牛の骨が多数散乱していた

’11年の原発事故から6年間、警戒区域内に取り残された動物たちを撮り続けている写真家がいる。
太田康介さん(58歳)だ。
事故後、人間たちは辛うじて避難することができたが、自力で避難することのできないペットや家畜は置き去りにされ、その多くは餓死していった。
「当時、原発20km圏内には、牛が約3400頭、豚は約3万1500頭、鶏は約63万羽が取り残されていました。犬は登録されているだけで約5800匹でしたが、未登録の犬もかなり多かったと思われます。猫に至っては、その数はわかっていません」(太田さん)
6年が経った現在の原発20km圏内には、その痕跡がわずかながら残っている。
福島県富岡町のある牛舎には、餓死した牛たちの骨がいまだに多数転がっていた。
柱には、腹を空かした牛たちが飢えをしのごうとかじった跡がくっきりと残っている。
周辺の田んぼでは除染が行われていたが、この牛舎内だけは時が止まっているかのようだ。
現在の20km圏内は除染が進められ、地震や津波で破壊された家屋も解体が進んでいる。
この地域に、太田さんは東京から2週間に1度のペースで通い、猫の世話をしているという。
「まだ、世話が必要な猫が残っているんです。普通に餌を置いておくとアライグマや狸、猪などの野生動物に食べられてしまうので、猫だけが入れるサイズの『えさ台』を高所に設置しています」


「えさ台」を設置する太田さん。入り口を、ちょうど猫が入れるくらいの大きさに調整している

現在、20km圏内は部分的に住民の帰還が進められているものの、戻ってきた住民の数は少ない。
人間から餌をもらう動物である猫が生きていく環境は、整っていない状況だ。
太田さんはボランティアと協力して、えさ台を置いてもらえるよう地権者に交渉しつつ、猫の数が増えすぎないよう去勢手術も行っている。
(※太田康介さんの「えさ台」活動については個人ブログ「うちのとらまる」を参照)

人間以外の動物はみんな被害者

「牛は犬猫と違ってよく食うから、餌をやるのが大変だ」と語る松村さん

原発から12kmの富岡町内で暮らし、犬や猫、牛や馬を保護している松村直登さんは、震災直後に街をさまよっていた動物たちを路上で捕まえて保護してきた。
一時は近くのダチョウ園から逃げ出したダチョウも飼っていた。
「警戒区域に残った家畜は殺処分するって国が言うから、我慢できなかったんだな。俺が助けてやっからなと。ペットも餌やらねえと自分じゃ生きていけねえっぺ。人間以外の動物みんな被害者よ。人間が作るものに完璧なものはねえ。原子力が“夢のエネルギー”なんて嘘だったんだ」(松村さん)

『週刊SPA!』3月7日発売号掲載記事「[原発20km圏内]に残された動物たち」では、6年が経った原発20km圏内で、いまだ取り残されている動物たちの世話をする人々の姿をリポートした。
(取材・文/北村土龍 写真/太田康介)

6年が経つ福島第一原発20キロ圏、この場所で今も動物たちのために活動している人々を紹介。

希望の牧場 吉澤正巳 氏


3.11レスキュー日誌 赤間 徹 氏


がんばる福島 松村直登 氏

「原発事故から6年、いまも20km圏内に取り残された動物たちを世話する人々」
今回はもと住民で活動をしておられる方々の紹介です
もちろん、他県から来られているボランティアさんたちが頑張っていることを忘れてはなりません。
20キロ圏内の現状を知っていただき、それぞれ何が出来るかを何度も何度も考えていただければと思います。


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