断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

money and banking part 14

2017-02-21 23:52:28 | MMT & SFC

とりあえず。PDFは

 

https://drive.google.com/file/d/0Bz2V1zKzg0azTUVzcHZuNnhzalk/view?usp=sharing

 

べた張りのほうは、もっと親切に

改行でもすればいいのだけれど、

もう今日はダメじゃ。突然疲れと眠気が。。。

 

 

 

Money and Banking Part 14: Financial Crises

Posted on May 11, 2016 by Eric Tymoigne | 4 Comments

By Eric Tymoigne

2008年にロンドン・スクール・オヴ・エコノミクスを訪れた際、イギリス女王は「なんで誰も気が付かなかったのですか?」と訝った。尋ねてはみたものの、返ってきたのは繰り返しエコノミストによって語られてきた物語であった。この大不況(”it”)はたまたまだ。誰にも予想できない極端な偶発的事故だ。この物語は誤っている。わずかではあるがitを予想していたエコノミストはいたし、itは偶然でもなかった。[※”it”というのは、ミンスキーの主著のタイトルに由来している。大規模恐慌のこと。]以前のブログで金融危機に対する理論的フレームワークの違いがどのような規制対応の違いとなって現れるかを示した。今回のブログでは金融危機のメカニズム、そしてどのようにして経済がそこに至るかを検討する。

 

債務デフレーション

金融危機の定義は多かれ少なかれ幅のあるものになり得る。エコノミストの中には定義を銀行危機に限定する人たちもいるし、別のエコノミストは特定の金融指標において一定率の下落がなければならないという統計的な定義を使うかもしれない。いずれにせよ、金融不安定性は1980年代以降大きくなった。

最も深刻な金融危機は資産価格とレバレッジの間のフィードバックを強化し、債権不良化と資産価格の下落との下方スパイラルを引き起こす。こうした金融危機はアーヴィング・フィッシャーの大恐慌分析以来「債務デフレ」と呼ばれている。債務デフレの重要な意味とは、過剰債務とデフレの間のコンビネーションの下での市場メカニズムの崩壊である。物価下落によって市場は一掃されず、問題を悪化させることになる。

これをグラフで描く方法としては、ひとつには次のような供給と需要のダイアグラムがある。需要曲線が右上がりになるのは、物価上昇によってより資産価値が高まり、財・サービスに対する需要が高まるのである。一意的な均衡点があるが、これは不安定均衡である。つまり、[ひとたび均衡点から離れると]価格メカニズムによっては市場が均衡に至ることはない。例えば、P1では財・サービスが過剰であるが、これによって価格が低下する。デフレーションによって供給量は低下するが、需要量も同様に低下するため、過剰は大きくなる。同じ結果は、右下がりの供給曲線を仮定しても得られる。価格が下落すれば、債務償還のためにはより多くの財・サービスが供給される必要がある。

 

Figure 1. An unstable equilibrium

債務デフレには数多くのフィードバックのリンクがあるが、しかし出発点には一定数の「過剰債務状態」になった経済主体の存在がある。以下はフィッシャーが1932 Booms and Depressionsで論じた内容である。

ステップ1:過剰債務と投売

経済主体、特に(非金融)営利事業体の中には、利用可能な貨幣資産(現金及び銀行預金)では自分の債務を償還できないものが出てくる。つまり事業体は資金的困難に逢着した後で債務返済のために十分な資金を回復するには、非貨幣性資産を売却することに活路を見出さなければならない。彼らは在庫を流動化し、貨幣性資産以外にもさまざまな種類の金融資産を売却し、有形固定資産の中からも余剰品の売却を進める。

 

 

Figure 2. Step 1: distress sales

注: 「+」は、物事がその方向へ動くことを示している。この図で言えば、過剰債務が増えると、投げ売りも増える(過剰債務が少なければ投げ売りは減る)ことを示している。

 

ステップ2:投売とデフレーション、「貨幣恐慌Dollar Disease

非貨幣性資産が突然大量に売却されると、その価格が急落する。資産価格が低下すると、事業体の資産を売却することで資金を回復させる能力が低下する。事業体はさらに投売をせざるを得なくなり、それが一層価格を低下させる。これが債務デフレ強化フィードバックループの始まりである。

 

 

Figure 3. Dollar disease

注:「-」は物事が反対方向へと進むことを示している。:投売りが大きくなるほど、価格は低下し、さらなる投売を誘発する。

 

ステップ3:デフレーションと債務の流動化;「債務恐慌」

資金が回復されると、事業体は銀行及び政府からの借り入れを返済――これによって貨幣供給は減少する――し、さらにその他からの借入(家計が保有する社債など)の返済も進める。中にはデフォルトし、最終的に負債が債権者によって償却されなければならないという事業体もあるだろうが、この場合にはその事業体の信用力及び債権者の純資産に負のインパクトが生じる。

貨幣数量説(フィッシャーにより展開された)によると、貨幣供給の減少が物価水準をさらに引き下げ、これが2巡目の強化フィードバックとなる。債権の投げ売りが一層進み債務が一層流動化され、これにより貨幣数量が減少し、物価が低下し、さらに投売が進む。

 

Figure 4. Debt disease

ステップ4:物価、利益、純資産、「利潤恐慌」

債務とドルの恐慌によって生み出されたデフレスパイラルは、さらなるフィードバック・ループによって一層強化されるまず資産価格が下落すると、他を同一として、売上からの利潤及び事業体の純資産が減少し、これによって更なる過剰債務状態が悪化し、これがさらに貨幣・債務恐慌としてフードバックする。

資産価格はさらに下落する。

 

 

Figure 5. Profit disease

ステップ5:「増幅効果Amplifier effect

利潤および純資産の減少によって、非金融部門の事業体は従業員を解雇するインセンティブを持つことになる。同様に銀行の中にも閉鎖するところが出てくるだろう。というのは債務者の損失による影響があまりにも大きく、バランス・シートを維持することができなくなるからである。家計もまた、所得の縮小と失業の見込によって、消費を減らす。失業率が上昇すれば集計的支出が減少し、それが次には利潤と集計的所得を減少させる。加えて、支出の減少はさらに財・サービス・その他実物資産の価値を押し下げる。ここで事業体に加えて家計も債務償還に問題を抱えることとなり、再び銀行の債務償却と純資産の減少を繰り返す。

 

Figure 6. Amplifier effect.

 

ステップ6:ペシミズム

物価の下落、経済活動の停滞、失業率の上昇、デフォルト率の上昇、バランスシートの収縮、、、が記録されると、経済主体の確信が悪化し、資金退蔵が増加する。資金退蔵の増加によって貨幣の流通速度が低下すると、物価にはさらに引き下げ圧力がかかる(ここからまた貨幣数量に戻る)。確信が悪化すると、銀行の信用発行意欲が悪化し、払戻し、インターバンク決済、その他の支払いを最低のコストで行うことに備えての準備を確保する意欲が増加する。 翌日物インターバンク市場がフリーズする

 

Figure 7. Confidence crisis

ステップ7 金利の拡大

確信の危機が広がり、デフレ圧力と経済危機が拡大するにつれ、金利も急上昇する。金融契約が変動金利で結ばれている場合には、この危機は急激に全債務へと広がり、正味利益(利益‐債務コミットメント)を圧縮し、過剰債務状態を悪化させる。

 

 

Figure 8. Risk Premium Disease

結末:債務デフレーション

債務過剰状態とデフレーションは、いくつかのフィードバック・ループを通じて相互に影響を与え合って大きくなる。こうしたフィードバック・ループのすべてが物事を悪い方へ悪い方へと向かわせる。債務償還が難しくなれば物価が低下し、それよって債務償還がますます難しくなる。

 

放置しておけば、債務デフレは償還と不良債権償却の結果、未償還債務残高が償還可能水準まで低下するまで続くことになる。債務負担が低下すれば投売の必要性も減る(図9)。勿論、この過程で銀行は閉鎖され、家計は蓄えを失い失業者が増え、事業体も閉鎖され、そして資源が無駄にされる(生産物は使い物にならなくなるまで放置され、労働力や知識は使われないままあっという間に減衰し、資本設備は減価させられるなどなど)。市場による解決を主張する人たちに従うなら、これは善いことだ。というのは債務デフレーションによって「悪い」決定をした人たちがみな罰されるからだ。信用を供与しすぎた銀行が、顧客を満足させることのできなかった事業体が、十分に伸縮的でない家計が、、、罰されるのである。財務省長官アンドリュー・メロンは大恐慌のさなかにこう述べた。「労働の流動化、在庫の流動化、農業経営者の流動化、不動産の流動化、、、、、こうしたことによって経済内の腐敗物が取り除かれる。生計費は低くなり贅沢な生活が切り詰められるだろう。国民はもっと熱心に働くようになり、より道徳的な生活を送るようになる。価値観が変わり、先取の気性のある人々が能力のない人々の中から抜き出ることができるようになる。」

 

この見解には大きな問題が二つある。まずブログ第8回で説明したことだが、ここで「悪い」/無能な決定と言われているものは後知恵的に過ぎず、危機が始まるまではそれらの判断によって競争力が維持され、市場シェアの減少が回避され、所得減少が避けられたのであって、決して悪いことではなかったのかもしれない。第二に、債務デフレとは選択可能なプロセスではない。純資産の減少、仕事の喪失、蓄えの喪失、確信の低下、金融調達手段の突然の消失、その他すべての経済活動の急激な低下、こうしたことすべてが拡散し、だれかれ構わず経済状況が破壊されるのである。誰かのタバコの火の不始末で火事が起こった時のことを考えてみよう。火を出した本人は家を失うに「値する」のかもしれないが、しかし誰も火事を止めるための活動をしなければ、街全体が消失してしまうかもしれない。

 

 

Figure 9. A stabilizing loop

債務デフレーションの起源

債務デフレのメカニズムについてはよく知られ広く受け入れられている一方で、その原因が何であるかについては論争中である。そもそもなんだってそんな過剰な債務を抱えるのか?繰り返しになってしまうが前のブログの区別に従って今回も、実物交換経済理論と貨幣的生産理論との間に区別を立てよう。

 

実物交換経済理論:効率的市場と不完全性

この立場では、貨幣と金融は中立であり、金融市場は効率的とされる。効率的市場仮説(EMH)では市場は希少資源を最も生産的な経済活動へ、そして金融リスクを最もそれに耐性を持っている経済主体へと配分することになっている。前FED理事長のアラン・グリーンスパンはEMHが現実世界ではどのように用いられているかを、うまく説明している。

 

ABSCLOCDSのような金融商品の発展によってリスクは分散が容易になる、、、それによって徐々に金融商品が複雑になったことで、この25年間に存在したどの金融システムよりはるかに伸縮的で効率的、かつ回復力に富んだ金融システムの発展が促進された。(Greenspan 2005

 

効率的市場仮説はまた、市場メカニズムというものが自己矯正的であり、バブルやバブル崩壊といった不均衡をすべて排除する、と論じている。金融危機の可能性を導入するためには、市場が不完全であるか、市場参加者が不完全/不合理に行動することが必要となる。

 

市場の不完全性について言えば、情報の非対称性に大きな力点が置かれていた。銀行は融資申し込み中の顧客に比べれば、そのプロジェクトの質についてはわずかな情報しか持っていない。銀行家は自分自身の保全のため担保を要求する。これによって資金の融通を求めている経済主体には自分のプロジェクトを最大限成功させようとするインセンティブが生まれるものと想定されている。マイナスのランダム・ショックの後、担保の価値が減少すれば債務者は企業努力を減らすはずだし――というのは、担保の価値の低下とは、デフォルトしたときに失うものが減ることを意味するわけだから――、それによって金融上の問題が発生するきっかけが増えることになる。銀行は状況を察知し、信用を制限し始める。ここからクレジット・クランチが始まり、そのためさらに純資産と担保が減少し、そして営業努力が停滞し、デフォルト・リスクが増える。

 

近年のREEアプローチによる研究では、伝播メカニズム(ショックの後どのようにして危機が広まるのか)より反転メカニズム(危機が如何にして生じるか)の方に焦点があてられている。危機は景気循環と結び付けることによって内生化される。各個人がより大きな努力を事業に注入すれば、より生産性が高くなり、その結果製品の供給が増え物価が低下する。物価が下がれば純利益も低下し、そこからビジネスへの努力が減り、それゆえデフォルトのリスクが高まる。

 

この観点を裏付けるために開発された数学的モデルはすべて実質単位で記述されており、ランダム・ショックが投入財(例えば土地)の生産性に適用されているということを考えると、どうやらこの種の分析は、前資本制的農業経済に当てはまる。自然によって、どのような経済現象が起こるか(天気が良いか悪いか)、決定される。金融危機は天災による凶作と同じものなのである。

この議論の不完全性を補うのがマネタリストの金融危機論と行動経済学による非合理アプローチである。前者は金融危機の原因を政策立案者の不完全性にもとめ、後者は個々人の行動の不完全性が危機発生に一役買っているとする。国民の認知能力は限られており、情報を取得し解釈する能力には限界がある。そして市場参加者は「合理的な経済人」であれば考えるはずのないことにあれこれこだわる。結果的に市場経済はしばしばバブルとなり、群集行動を引き起こし、情報は洪水となり、資源は変な風に配分され、過剰債務と、そして最終的には債務デフレへと至る。これを正常化するためには市場参加者が正常な判断をできるようなシグナルが発される市場を創造することが試みられることもある。

 

貨幣的生産理論:金融不安定性仮説

MPE理論によれば、前のタイプの分析は資本制経済の重要な側面のいくつかを見落としている。例えば政府赤字が金融安定性を促進する、という面が見落とされているが、これはREE理論によれば政府赤字は投資をクラウド・アウトし市場経済を悪化させる、ということになっているわけだから、経験的試金石だろう。REE理論はまた極端にミクロ志向であり金融危機のシステム的観点を見落としている。システム的思考では不安定性の主要な源泉を個人の行動・努力の領域の外に認識する。

 

金融不安定性仮説はEMHに対するオルタナティブである。FIHの主要な主張によると、経済的安定期は金融脆弱性成長のための豊かな土壌である。ハイマン・P・ミンスキーはフィッシャー、ケインズ、シュンペーターの業績を基礎として、FIHを発展させた。そして「債務過剰」が意味するものが何か、そしてその影響はどのようなものかといった問題についてより詳細な分析を提示した。

 

金融脆弱性

 

ミンスキーによると、ある経済主体の金融脆弱性の程度――どれほどひどい過剰債務状態か――を、ヘッジ金融、投機的金融、ポンツイ金融に区分することができる。ヘッジ金融とは、その経済主体が債務コミットメントを日々の日常的業務(大部分の個人にとっては給与を得る仕事、営利企業体については利潤)から生み出されるネットキャッシュフローと手許貨幣[貨幣性資産]残高とで賄うことができると期待できる状態である。たとえ債務残高が(収入との比較で言っても)大きかったとしても、大部分の経済主体がヘッジ金融に依存しているような状態なら、異常なキャッシュインフローの減少および/または異常に巨額のキャッシュアウトフローが発生しでもしない限り、債務デフレにはなりにくい。その場合でも、通常は貨幣貯蓄[貨幣性資産]があり、予見不可能な問題に対してでも一定のバッファーが提供されるのでそれで十分である。というわけで債務償還が問題になることはあまり期待されず、借換(現在の債務を償還するため債務を発行する)も問題にならず、そして/あるいは非貨幣性資産の売却も考える必要がない。

 

投機的金融とは、日々のネットキャッシュフローと貨幣残高[貨幣性資産]で債務コミットメントのうち金利要素部分(支払利息、支払配当金、等々)を支払うには十分だけれど、元本要素部分(債務元本、マージン・コール、現金払い戻し、等々)を支払うには十分でないと考えられているケース。結果として、その経済主体は元本償還のためには改めて負債を発行するか、非貨幣性資産を売却しなければならない。経済主体は通常、非貨幣性資産の流動化よりは債務の借換(たとえば新しい債務を発行することで古い債務の元本を支払う)ができるものと期待している。日々のキャッシュフローが元本支払いに不足すると期待されるまでの期間がどの程度なのかは、経済主体ごとに違っている。第8回 で説明したが、銀行業のビジネスモデルでは通常は負債元本の構成部分を償還するには借換えが必要となり、それゆえに銀行業は信頼できる安価な再借入の資金源を必要としている。その他の事業では債務の借換が必要となるのは一時的に過ぎない。[※これは国によっても多少は違うかもしれないが、いささか違和感のある説明である。少なくとも運転資金を短期資金で借り入れている企業が1年や2年といったわずかな期間で借換えを必要としなくなるケースはそれほど多いとは思えない。この部分はあくまで設備投資などのための借入を念頭に置いた記述と考えたほうがいいかもしれない。]

 

ポンツイ金融、別の言い方として利息の資本化[※元本組入れのこと]金融ともいうが、これは、経済主体が日々の事業活動からだけでは十分なネットキャッシュフローも生み出せないし、貨幣性貯蓄[貨幣性資産の保有高]も十分ではないため、残存債務コミットメントの元本部分も金利部分も償還できない状態のことである。結果として、所定の債務を償還するには、ポンツイ金融主体は再融資の資金源が成長することおよび/または、非貨幣性資産の価格上昇を当て込んでその売却による資金調達に依存することになる。ミクロ経済レベルでは、保有資産の資金源としてポンツイ金融を用いている経済主体は、相当金融的に脆弱である。マクロ経済レベルでは、経済成長の背後でカギを握っている経済主体がポンツイ金融に関わっている場合には、経済システム全体が債務デフレに陥る可能性はかなり高い。

 

注意してほしいが、この分類は何も外部金融利用の程度(つまり、レバレッジの規模)を測定するためだけにしか使えないわけではない。レバレッジの質を測定するためにも用いられる。この分析カテゴリーの中心にあるのは、金融契約を満たすために使われると期待されている手段の分析である。

ヘッジ金融では債務償還のため再融資業務や非貨幣性資産の売却などは期待されていない。ポンツイ金融では債務償還のため再融資のための資金源をますます広げることや、非貨幣性遺産の売却も必要になる。

これは規制という観点から非常に重要である。というのは、第9回でも示したが、どのように償還するか、を知ることは、償還できるかどうかを知ることと同じくらい(それ以上に、とは言わないが)重要になるからである。デフォルトの可能性を引き下げる(償還できるかどうか問題)ことは、金融不安定性を引き下げる(どのように償還するか問題)ことと同じではない。ポンツイ金融は「バブル」が存在するか否かの問題からは切り離されるべきだ。このカテゴリー化は、債務の償還に用いられる資産の価格の適切性の測定(確かに定義してはいるが)を目的とするものではない。ポンツイ金融[がうまくいく、ということ]はレバレッジ及び資産価格が最終的にはともに上昇し、ともに支えあうことを意味する。レバレッジを高くするには担保価値つまり資産価格も高くなることが必要で、そして資産価格が所得の上昇より速い速度で成長するにはより高いレバレッジが必要だ。資産価格が正常かどうかなどということよりはこちらのダイナミズムのほうがはるかに重要である。というのはバブルであろうとなかろうと、ポンツイ金融の利用期間が延びるほど、債務デフレーションの潜在的規模も大きくなるからである。ポンツイ金融がなければ債務デフレも起こりえない。というのは資産価格上昇を当て込んだレバレッジは存在しないからだ。債務インフレーションがなければ、債務デフレーションもあり得ない。

 

ポンツイ金融とは、詐欺行為ともまた違う(詐欺行為はヘッジ金融、投機的金融、ポンツイ金融のどの状況であろうと広まることがある)。ポンツイ金融とは、金融構造の合法性とはかかわりなく、持続不可能な金融プロセスである。実際、ポンツイ金融を追い続けるには、この金融への参加者があり得ない数にまで増えなければならず、最終的にはこれに参加することのできる・しようとする意思のある経済主体の数によって限界が画されることになる。

 

ヘッジ/投機的/ポンツイのカテゴリーは貨幣主権性を持つ政府、つまり兌換性のない自国通貨を発行し、その通貨建ての公的債務を発行する政府には当てはまらない。貨幣主権性を持った政府の例は、合衆国の連邦政府、日本の国民政府、イギリスの国民政府、中国やメキシコの中央政府である。[※なぜここで、日本やイギリスがnational government で中国やメキシコがcentral government なのか不明。多分深い意味はないので、「国民政府」と「中央政府」なんてな訳し分けの必要はないと思うのだけれど念のためだけ。]貨幣的主権性のない政府の例は、ユーロ圏内の国民政府、1933年以前の金本位制化の合衆国、現在の合衆国の州・地方政府、外貨建ての債務を発行しているすべての政府である。政府が貨幣的に主権を持っている場合には、独占的な通貨の供給者であり、それゆえ常に満期になった自国通貨建て債務の償還に応じることができる。ヘッジ金融は自国通貨を発行しているすべての通貨主権政府に当てはまる。というのは政府がデフォルトを強いられることはあり得ないからだ。デフォルトする場合は常に自発的[※誤解を避けるためには、「自発的」というよりはせいぜい「戦略的」あるいはそれより「自縄自縛的self-imposing」(Wray)とすべきでしょう]である。のみならず、連邦政府は債権及びその他デフォルト・フリーの流動証券をわざわざ供給して、民間部門のバランスシートの流動性を一気に引き上げることもある。第二次世界大戦後、合衆国が長期にわたって金融的に安定していたのは、民間部門のバランスシートの流動性が著しく高かったからであるが、それは第二次世界大戦中の巨額の政府債務発行の結果、民間部門が安全資産に満たされたからである。

 

金融不安定性仮説

 

FIHに従えば、拡張期間が延長される間、投機的金融そしてポンツイ金融に関わる経済主体の比率が大きくなり、そして債務デフレーションのリスクも高まる。拡張期にも、小さな景気後退が記録されることもある――例えば合衆国で1991年や2000年にみられた不景気である――が、これは民間経済主体の期待の状態を鎮静化させるほどに大きくはない、ということはつまり、アンダーライティング(引受け)業務をより賢明なものに改めるほどは大きいものではない、ということである。つまり、FIHは景気循環の理論ではなくて、むしろ大規模なリセッションを引き起こすものに焦点を当てているのである。行動経済学的な説明とは反対に、非合理性は不安定性の中心にはない。過熱、マニア、こうしたものはただ拡張期が引き伸ばされている間にすでに発生し始めたダイナミクスを拡大するだけである。市場の不完全性の説明とは逆で、市場メカニズムとは安定性ではなく不安定性を促進するものだ。問題の核心はばかげた意思決定を行った個人の内面に見出されるのではなく、彼らが業務に携わっているシステムの中に乱される。資本制とは、以前に存在したどのようなシステムより金融的にはるかに不安定な経済システムである。資本制のインセンティヴとメカニズムは経済主体をポンツイ金融へと押しやるのである。

 

金融不安定性が成長するにはいくつかのチャンネルがある。またこうしたチャンネルは所得と債務償還額の間の比率を変化させる何事かと関係している。経済主体をして、所得のほうが債務償還額より大きい状態から所得のほうが償還額より小さくなってしまう方へと押しやる何事かである。こうしたことは所得(あるいはその伸び率)の減少および/または債務償還額(あるいはその成長率)の増加のいずれかの結果として発生しうる。両者に影響を与える要因を簡単に述べると

 

  • 構造的要因:
    • 銀行は投機的主体である:銀行債務の満期は銀行の資産に比べ満期が短く、常に再金融の必要性に迫られている。銀行は自分たちの資産の満期を短くして満期のミスマッチを減らそうとするが、それによって今度はノン・バンク部門の投機的金融が促進される。例えば合衆国では、30年もののモーゲージ債は民間銀行の商品ではなく、政府の介入によって生み出されたもので、それを維持するためにはある種の助成が必要不可欠である。銀行はより短期のモーゲージ債(例えば10年)の方を好み、そのため家計は際金融が必要となるが、それが住宅価格の上昇への依存を生み出すこととなった(もし住宅価格が下落すれば借り替えはできないかもしれない)。
    • 銀行業における事業内容の変化:銀行業の事業が組成-保有モデルから組成-売却モデルへと変化したこと。これによってアンダーライティング業務や債務再融資の条件に逆方向のインセンティヴが働くようになった。
  • 経済的要因
    • 利潤とマーケット・シェアの追及、市場の飽和:ROE = ROA x レバレッジ。
    • 格差:所与の生活水準を維持するために負債を活用する必要性が生じた(学生ローン、医療ローンなど)。[leaving をliving の誤字と解釈したが。。。。おいらじゃあるまいし、そんなひどい誤字を放置するとは思えないが。。。。leaving だから「年金」と絡める、という手もあったんだけれど。。。。原文は”Inequalities: the need to use debt to sustain a given standard of leaving has increased (student debt, healthcare debt, etc.)”]
    • 予測不可能な出来事:FIHは逆ランダムショックの余地を残している(例えばハリケーンによって数多くの住宅や事業が破壊され、保険会社が巨額の支払を行わなければならないことになるなど)。
  • 政策的理由:
    • 規制緩和、監督廃止、強制執行の停止
    • 財政政策:貨幣主権政府主導による拡張が長引くことで金融不安定性が生まれてくる。財政赤字は経済全体の利潤と個人貯蓄を引き上げ、民間部門に対してキャッシュフローと安全な金融資産とを提供する。 ところが第13回にも見たが、政府の黒字達成への意志と自動安定機能とが混ざり合って、非政府部門のほうが赤字になることが強いられることがある。
    • 貨幣政策:拡張期にわたり中央銀行は金利を引上げるが、それによって債務の重荷が増える。ミンスキーの考えでは微調整と金融安定性を維持することとは両立不可能であり、中央銀行は金融安定性に集中するべきだと論じた。
  • 社会心理学的理由
    • 繁栄期間が長期にわたるとリスクに対する感覚が衰える。というのは経済ニュースはいいことばかりだし、後ろ向きに考えることには多大な費用が掛かるのである
    • 不確実性とは、経済主体が意思決定をするに際してノルムに依存する、ということである。こうしたノルムは慣例[コンバンシオン]を通じて合理化される。慣例[コンバンシオン]とは現在の経済トレンドと期待されるべきものについての心理的構築物である(think new economy/era convention)。[※ここで出てきているconvention は、直接にはもちろん第8回でも扱われたケインズの『雇用・利子・貨幣の一般理論』の第12章に由来するわけだけれど、ティモワーニュはフランス語圏の人なので、当然、アグリエッタ&オルレアンのコンバンシオン理論も念頭にあるものと思われる。実際Rise and Fall of Money Manager Capitalism ではアグリエッタ&オルレアンなどが参照されているほか、英語で書かれたものでは(日本語の翻訳もあったと思うけれど)、James R. Crottyの”Neo-Classical and Keynesian approaches to theory of investment” (Can the Free Market Pick Winners? Ed. P. Davidson 1993所収)で論じられたコンバンシオン(コンベンション)に言及されている。クロッティの他にも確かアグリエッタもオルレアンも邦訳はたくさんあったような気がするので、興味ある方はそちらをご参照くだされ。『貨幣の暴力』とか、あたしゃくじけたけど。。。そういえば上に出ていた「ノルム(規範)」というような言葉もアグリエッタではしばしば重要な概念(「ノルム化」だったか「ノルマリザシオン」だったか)として出てきていた。]ここにはマーケットシェア喪失あるいは規制当局の注意を引くことを避けるために慣例(コンバンシオン)に従おうとする強力なインセンティブがある。従ってポンツイ金融が普通だと考えられてしまえば、銀行はそれをやるだろうし、「みんなもやってるんだから大丈夫だ」という事実に安楽の境地を見出すだろう。

 

金融危機をどのように扱うのか

金融危機が深刻になり政府の介入によってはコントロールできなくなると、数多くの災禍をもたらすことになるこの政府の介入には目先の問題を素早く落ち着かせることと、モラル・ハザードを防止し安定性を強化するための長期政策とが含まれる。近年の世界金融危機に対する対応は、何をしてはいけないかの例を示してくれる。

 

  • 流動性危機を止めるために:中央銀行は資金を提供するが、ただし支払い能力のある金融機関に対して、安全な担保がある場合に、ペナルティー的高金利を課して行うべきである。危機の間、確信の欠如や経済的展望の悪さゆえに、それまでは安全と思われていた数多くの金融資産のことを危険資産になったと言い出す人が出てくることがある。優良モーゲジ債券だって債務者の失業すればデフォルトになるかもしれないじゃないか、というわけだ。この問題は回避可能だ。中央銀行は次のような厳格なアンダーライティング業務によって組成された金融資産だけを受け入れるべきである。つまり危機が発生する前の段階でヘッジ金融資産と投機的金融資産だけを含んだ商品である。たとえ強力な信用力を持つ経済主体の債権であっても債務デフレの影響を受けることがあり、それによって中央銀行が損失を被ることもあるが、それは最小限に抑え込まれるべきだ。たとえデフォルトにならなくてもポンツイ金融を含んだ金融商品を買い取ってはいけない。
    • 実際の今次危機の対応:Fedによる資金提供は、0%近い金利で、ごみのような担保の証券に対して、額面で、わけのわからない金融機関や、ノン・バンク金融機関に対しても行われた。
  • 決済危機を止めるために:定期的に(たとえば、大恐慌の時の様に1週間ごとに)金融機関の帳簿を詳細にチェックするための銀行休日を設け、決済能力に不測のある銀行を閉鎖する。所得を下支えし、債務負担を減らすための行動をとるべきである。債務負担を引き下げるために、債務の組替によって償還できるようになる経済主体の負債を組替する(大恐慌の最中には政府が元利一括返金のモーゲージ債を銀行から買い取り、30年間固定金利の完全償却モーゲージ債に置き換えた)。所得を下支えするにはたとえば就業保証プログラムのような大規模長期財政政策を創出する(大恐慌時の労働プログラムは開始まで数日しかかからなかった)。
    • 今次危機の場合:帳簿の分析はさほど行われなかった(わずか2名のFed職員がリーマン・ブラザーズに派遣され、上っ面のストレステストが行われただけ)し、所得を安定させるためのアクションもこじんまりとしたものでそれも遅々として進まなかった(7千億ドルという不十分な額が数年にわたって支出されただけ)うえ、レベル3評価[※市場で取引されている資産・負債の時価がそのまま無調整で表示されるものがレベル1、市場で活発に取引されているものがない場合に相場価格を用いるか、またはモデルによる価格計算を行うがインプットされるデータは直接または間接に、資産・負債の存続期間全体にわたり観測可能なデータを用いる場合がレベル2、評価モデルを使って評価額を決定する資産・負債のうち、インプット・データが観測不可能なものである場合がレベル3](いわゆるmark-to-model[※資産価格の評価を市場価格ではなく金融モデル上の計算値で産出する])の範囲を広げることで金融機関の損失を隠蔽し、実質的に下院によるチェックまったくなしに財務省を通じて銀行に資本注入を行い、非銀行部門の経済主体の債務の組替を全く行わなかった。
  • インセンティブや規制・監督・強制執行を変える:詐欺行為を行った経営者の起訴、排除措置cease and desist orders、問題を扱う監督と規制の大幅な改革、ヘッジ金融の奨励と必要な場合には、ポンツイ金融の禁止。
    • 今次危機の場合:詐欺行為が明々白々であった場合ですらトップ・エグゼクティヴが起訴されたケースはただの1件もない(疑問に思うならFBIあるいは最終的にモーゲージ契約全体を統括している格付け機関に確認すればいい)。刑事事件にならなかった民事事件の場合も同様(金融機関は罰金を支払い、二度と同じことをしないと約束した)、規制見直しの大きな動きもなく、危機の前後に既存の法律の強制的な執行もなかった。

たとえ金融システムが崩壊の瀬戸際にありパニックがまさに生じようとしているときであっても規制は法律に従わなくてはならない。必要とあらば、規制当局は緊急行政権(バンク・ホリデー)を行使して金融システムを一時閉鎖し、問題の底をさらうことが必要だ。下手に甘やかしては不安定性を長期化させることになる。というのは政府によるセーフティー・ネットの存在によってモラル・ハザードが促進されるからである。かといって、例えば中央銀行の最後の貸し手行動のようなセーフティー・ネットがなかったら経済危機はとてつもなく深刻なものになってしまうだろう。

 

To go further: Ponzi finance and the balance sheet

 

ポンツイ金融に関与している主体は、元本および金利支払いのため、債務を負わざるを得ない。例えば、クレジットカードの残高が100ドルだとして、これが1か月間の支出を表しており、さらに加えて10ドルの金利がかかるとしよう。クレジットカード債務を償還するには、この人は新しいクレジットカード会員になって最初のカード#1の期日には110ドルを支払わなくてはならない。次の月には$110+$11の金利を2番手のクレジットカードの期日が来る。金融負債の額は増加する。クレジットカード#1の負債を償還するもう一つの方法は、何らかの資産を売却して110ドルを獲得することだ。つまりポンツイ金融は純金融蓄積(NFA)の低下を意味している。というのは金融資産の価額が減少するか金融負債の価額が増加するからである。NFAと純資産の関係は、すでに学習したとおりである。

 

ΔNW = ΔRA + NFA

 

すべてを所与とすると、ポンツイ金融によって純資産は減少することになる。この低落を緩和するには二つの方法がある。

 

  1. 時間が経てばポンツイ金融によって資金調達された資産が債務償還をカバーするに足るキャッシュフローを生み出すようになることがある。例えばある企業が設立されたばかりで、所得を稼ぎ出すようになるまでまだ時間がかかるというケースがある。しばらくの間、従業員に給料を支払い、事業の準備を整える等々のため、資金を調達しなければならない。この期間、この企業の純資産は低下し続けることになるが、しかし最終的に事業で利潤を上げることができ、債務を決済するための十分なキャッシュフローが生み出されるものと期待されている。こうしたケースを所得ベース・ポンツイ金融と呼んでいいかもしれない。当面は所得が不十分であっても、それは一時的なことだと期待されているケースである。
  2. バランス・シート上に残存している実物資産及び金融資産の価格が、債務の増加及び資産の減少を補って余りある速度で上昇するケース。近年の住宅ブームでは家計は純資産の極端な急上昇と同時に債務の極端な急上昇も経験したわけで、これはこうしたダイナミクスの一例である。アンダーライティング業務の質が著しく悪化していたので、モーゲージ債で利益を上げるためには担保になっている住宅を元本・金利の償還を十分カバーできる高い価格で売る以外に方法はなかった。これを資産ベース・ポンツイ金融あるいは「ピラミッド」[ねずみ講]型と呼ぶことができるだろう。いつの日か所得によって債務を償還できるようになるという期待はない。担保あるいはその他資産が高い価格で売れるという期待だけがポンツイ金融を利益あるものとし、純資産を増加させることができるのである。

 

さらに進んだ学習のため:ミンスキーと、所得 vs. キャッシュインフロー

ほとんどのFIHの説明では、所得とキャッシュ・インフローは注意深く区別されていない。例えば、FIHはしばしば利潤 U を得るビジネス部門の債務DSを満たす能力の有無を示しているとされる。つまり U > DS がヘッジ・金融というわけだ。マクロ経済レベルでは、U はカレツキーの利潤方程式で決まる。

理論的レベルであればこれでも十分かもしれないが、経験的レベルだとそうはいかない。所得とキャッシュフローは、二つの別のモノなのである。所得は純資産への追加を表すものであり、キャッシュフローは貨幣性資産の増減を表すものである。カレツキーの利潤方程式は貨幣性資産の獲得については何事も語らない。例えば売れ残った在庫の増加でも利益は発生する。というのは在庫品の増加は実物資産の増加であるから。[※企業単体では在庫品の増加は貨幣性資産が実物資産に置き換わるだけなので利益は発生しないが、マクロレベルではある企業の在庫品の増加は他の企業の売上高の増加であり、売り上げた企業が赤字でない限りそちらで利益が発生している。ただし連結ベースで考えると繰延内部利益が控除されなければならず、利益は、家計部門か政府部門・海外部門に最終的に売却されるまで発生しない。ここでは繰延内部利益を控除する前の集計的利潤レベルで議論をしている。]同様に家計についても個人所得には、わずかとはいえ貨幣収入とは関係のない項目も含まれている。庭で育てた野菜、持ち家サービスといったものが、特に帰属所得としてカウントされている。残念なことに、債権者は貨幣による支払いを求めるので、実物形態で得られた所得は債務償還の役には立たない。

 

実際に重要なのは、ミンスキーが「手提げ金庫条件」と呼んだものとそれに基づいた期待である。キャッシュ・インフローと貨幣性資産の合計額を、どのようにして現在および将来のキャッシュ・アウトフローと比較するのだろうか。利潤や個人所得と関係あるかもしれないし、ないかもしれない。期待に加えるものとしては、キャッシュフロー・ステートメントのほうがインカム・ステートメント[損益計算書]よりは金融契約では考慮されるものである。というのは、経済主体の金融的脆弱性にはこちらのほうが良い情報を与えてくれるからである。

 

今日はここまで!

これでマクロ経済トピックスを終えたことになる。

次回は本シリーズ最後の話題で、金! カネ! かね! かああああああねええええええ!

 

[Revised 8/16/2016]

 



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