断章、特に経済的なテーマ

暇つぶしに、徒然思うこと。
あと、書き癖をつけようということで。
とりあえず、日銀で公表されている資料を題材に。

MMT101:批判にこたえる Part 6

2017-05-14 08:48:10 | MMT & SFC
批判にこたえる、シリーズの最終回。


https://drive.google.com/file/d/0Bz2V1zKzg0azSFhGSEtBVUc2QnM/view?usp=sharing


「政府はいくらでも赤字を出せる(「資金不足」に
陥る恐れはない)」というと、必ず出てくる反論が
「では租税はいらないですね」というものだ。
この反論は「租税」の役割を「政府の財源調達」以外には
ない、と信じているということの独白だ。
同じことは国債や法定準備制度にも言える。
政府が財源調達を必要としていない、ということは
国債発行が不要だ、ということにはならない。
(ほかに代替的な手段があるなら別だが。)
何故なら、国債には財源調達以外にまったく別の
役割・機能があるからだ。(どのような代替手段が
あり得るかは、これが現にどのような機能を果たしているかを
考察することなしには提案しようがない。)
法定準備制度によって貨幣供給量が決まるわけではない、
ということは、この制度が他に果たしている経済的役割が
あり得ない、ということを意味するものではないのだが
そういう結論に飛びつく人が少なくない。

他方で、中央銀行による国債直接引き受けの禁止条項は
現実に期待されている機能を全く果たしていないし、
他に(経済的な)機能を何一つ持っていない。
従って、これは大枠で考える場合には
捨象されるべきだし、
具体的な政策上の意思決定の場面でも
実像にあった枠組みで考える必要がある。
実際に期待されている機能を果たしておらず
そもそも期待されている機能そのものに意味がない、としても
それは現にある法律的手続きを無視してかまわない、
ということにはならない。この種の法律手続き(債務上限条項など)は
それが実際に期待された機能を果たしておらず
ただの障害にしかなっていないことは
明確にされるべきではあるが、
その変更は、政治的な決定になるだろう。

それより警戒すべきは
こうした法律があることによって
その法律が何かの歯止めになっており
本来行わなければならない国民の負担が軽減されている、と
国民に信じ込ませないことである。
予算の決定、執行が透明性あるもの
民主的手続きに沿ったものであること、
恣意的で政治的癒着や政治的横暴といった不正の温床にならないこと、
こうした政治的監視と権力抑制の義務と権利は
国民・地域住民・国内居住者に固有のものであり、
均衡財政条項やら中央銀行の直接引き受け禁止などといった
無意味な「歯止め」によって代替できるものではない。

その上で、適切な政府赤字の規模や支出目的が
論争の対象になるだろう。
(資金的な意味で)政府はいくらでも赤字を発行できる、
ということは、いくらでも発行すべきだ、ということにはならない。
いくら発行すべきかは、相変わらず論争のネタになるだろう。
MMTが具体的な政策提案をしていない(全くしていないわけじゃないけれど)というのは
こうした意味である。
MMTは、議論の土俵(「枠組み」)を作り替えたいのであって、
そこでどのような相撲が取られるかは、やや次元を異にする問題なのである。
何故なら今の土俵でとられている相撲は、どちらが勝とうと
柳の幽霊を恐れてのものに
なりかねないからである。
ジャンル:
経済
コメント   この記事についてブログを書く
この記事をはてなブックマークに追加
« MMT101:批判にこたえる Part5 | トップ | Money Manager Capitalism »

コメントを投稿


コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。

あわせて読む

トラックバック

この記事のトラックバック  Ping-URL
  • 送信元の記事内容が半角英数のみのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • このブログへのリンクがない記事からのトラックバックは受け取らないよう設定されております。
  • ※ブログ管理者のみ、編集画面で設定の変更が可能です。