「ノーリードにするには、どのような条件が必要だと思いますか。」との投稿があった。
犬は犬種、大きさ、性格、能力、生い立ち等その犬によって異なるので、こうすればノーリードができると、普遍的に記述することは難しい。自分の経験を書く以外に無い。
愛犬のパピヨンのパナは生後50日の時から、公園に連れて行き、ノーリードで大小各種の犬たちや子供達と遊ばせた。混合ワクチンで稼ぎたい獣医にだまされて、生後半年後に愛犬を公園に連れて行くと、はじめて見る他の犬や子供達が異常に見え、飼い主の後ろに隠れたり、抱っこしてとおののくことになる。社会性の乏しい犬になる。
罹病することをおそれて、公園などにつれていかないで、社会性の乏しい犬に育てるか、それとも、罹病防止は自然免疫で十分だと考え、公園で遊ばせて、社会性の優れた犬に育てるかの選択だ。
ノーリードにしてもトラブルを起こさない犬かどうかは、犬の社会性があるかどうかで決まるのだ。しつけのために、指示命令の言葉として最初に教えたのは、
マテ、ダメ、ヨシの3語だ。コマンドというより、会話の言葉として教えた。
だから、今では「待ってよ」とか、「駄目だよ」といっても通じる。
マテ、ダメ、ヨシの言葉の中でも、最初に、マテの意味を理解させることが大切だ。犬のすべての行動を指示制御する基本の言葉だ。マテの意味がわかるようになると、ダメ、ヨシはすぐに理解するようになる。
横断歩道を渡ろうとするときに、赤信号を見ながら、「まだだよ」といっても通じるようになる。「よし」と子供に話しかけるように言うと、飛び跳ねるように横断歩道を渡る。
登山中は危険な場所では、「待っていなさい」とか、「待ちなさい」の言葉もよく使う。
公園などで愛犬をノーリードにして自由に遊ばせるには基本的なしつけが出来ていることが不可欠だ。
1 わかりやすく言うと、おとなしい犬ならば、ノーリードにしてもよい。
各都道府県条例では「人畜に危害を加えるおそれのない」犬であり、東京都の係留(リード)を規定している条例には、係留の例外として「その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合で、規則で定めるとき。〔9条1項(二)〕」を上げている。その「施行規則」には犬の飼養の特例として「犬を制御できる者が調教するとき。〔6条(ニ)〕」とある。
逆な言い方をすると、 攻撃的で喧嘩ぽい犬はノーリードにしてはならない。
噛みつく癖のある犬は以ての外だ。
ノーリード反対派は犬が人や他の犬をかみ殺したことがあるから、ノーリードは禁止だという。一事で万事を禁止すべきと主張する人は社会良識が欠如していて、まともでない。
飲酒運転で人をひき殺す人がいるから、善良な人でも運転は禁止だと主張しているのと同じだ。あるいは飲酒はすべて禁止だというのと同じだ。
法律条例に無知蒙昧で犬嫌いの小役人は最悪だ。無視して、愛犬をノーリードで遊ばしている。公園でのノーリードは法律条例違反ではないので、当然、罰金はない。
警察も取り締まりの対象にしてない。
愛犬がおとなしいか、他人に危害を加えるおそれがあるかどうかを判断するのは飼い主だ。しつけに自信がある人は自分の責任でノーリードにすればよい。
公園管理者が責任をとるわけではないし、犬嫌いがとるわけでもない。
責任の無い者の法律条例に反する言動は無責任で、横着だ。迷惑千万だ。
2 飼い主が呼んだら、直ぐに帰ってくる犬であることだ。
愛犬のパナは山野や公園で遊んでいる時に口笛や登山用笛を吹くと、遠くから直ぐに帰ってくる。飼い主が呼んでも、勝手に遊び続けるようではしつけが足りない。
上記2点が満たされているなら、ノーリードにしても、他人からとやかく言われる筋合いはない。一部の犬嫌いや犬恐怖症の人のために、多くの愛犬家が犠牲になる必要はない。
民主主義とは大多数の国民が楽しく生活できる制度のことだ。愛犬をしつけて、ノーリードにしてやると、愛犬だけでなく飼い主も幸せになる。
(東京の公園で会った愛犬達の写真集です。お時間のある方はどうぞ。)
公園でノーリードで遊ぶ愛犬たちや珍しい愛犬たちの写真集
参考随想
犬の狂犬病注射有害無用論!随想集46編!
狂犬病予防注射の問題点については通常のHPにも詳述。
狂犬病予防ワクチン注射のからくり
狂犬病予防法は御用済みの悪法だ
犬は犬種、大きさ、性格、能力、生い立ち等その犬によって異なるので、こうすればノーリードができると、普遍的に記述することは難しい。自分の経験を書く以外に無い。
愛犬のパピヨンのパナは生後50日の時から、公園に連れて行き、ノーリードで大小各種の犬たちや子供達と遊ばせた。混合ワクチンで稼ぎたい獣医にだまされて、生後半年後に愛犬を公園に連れて行くと、はじめて見る他の犬や子供達が異常に見え、飼い主の後ろに隠れたり、抱っこしてとおののくことになる。社会性の乏しい犬になる。
罹病することをおそれて、公園などにつれていかないで、社会性の乏しい犬に育てるか、それとも、罹病防止は自然免疫で十分だと考え、公園で遊ばせて、社会性の優れた犬に育てるかの選択だ。
ノーリードにしてもトラブルを起こさない犬かどうかは、犬の社会性があるかどうかで決まるのだ。しつけのために、指示命令の言葉として最初に教えたのは、
マテ、ダメ、ヨシの3語だ。コマンドというより、会話の言葉として教えた。
だから、今では「待ってよ」とか、「駄目だよ」といっても通じる。
マテ、ダメ、ヨシの言葉の中でも、最初に、マテの意味を理解させることが大切だ。犬のすべての行動を指示制御する基本の言葉だ。マテの意味がわかるようになると、ダメ、ヨシはすぐに理解するようになる。
横断歩道を渡ろうとするときに、赤信号を見ながら、「まだだよ」といっても通じるようになる。「よし」と子供に話しかけるように言うと、飛び跳ねるように横断歩道を渡る。
登山中は危険な場所では、「待っていなさい」とか、「待ちなさい」の言葉もよく使う。
公園などで愛犬をノーリードにして自由に遊ばせるには基本的なしつけが出来ていることが不可欠だ。
1 わかりやすく言うと、おとなしい犬ならば、ノーリードにしてもよい。
各都道府県条例では「人畜に危害を加えるおそれのない」犬であり、東京都の係留(リード)を規定している条例には、係留の例外として「その他逸走又は人の生命、身体及び財産に対する侵害のおそれのない場合で、規則で定めるとき。〔9条1項(二)〕」を上げている。その「施行規則」には犬の飼養の特例として「犬を制御できる者が調教するとき。〔6条(ニ)〕」とある。
逆な言い方をすると、 攻撃的で喧嘩ぽい犬はノーリードにしてはならない。
噛みつく癖のある犬は以ての外だ。
ノーリード反対派は犬が人や他の犬をかみ殺したことがあるから、ノーリードは禁止だという。一事で万事を禁止すべきと主張する人は社会良識が欠如していて、まともでない。
飲酒運転で人をひき殺す人がいるから、善良な人でも運転は禁止だと主張しているのと同じだ。あるいは飲酒はすべて禁止だというのと同じだ。
法律条例に無知蒙昧で犬嫌いの小役人は最悪だ。無視して、愛犬をノーリードで遊ばしている。公園でのノーリードは法律条例違反ではないので、当然、罰金はない。
警察も取り締まりの対象にしてない。
愛犬がおとなしいか、他人に危害を加えるおそれがあるかどうかを判断するのは飼い主だ。しつけに自信がある人は自分の責任でノーリードにすればよい。
公園管理者が責任をとるわけではないし、犬嫌いがとるわけでもない。
責任の無い者の法律条例に反する言動は無責任で、横着だ。迷惑千万だ。
2 飼い主が呼んだら、直ぐに帰ってくる犬であることだ。
愛犬のパナは山野や公園で遊んでいる時に口笛や登山用笛を吹くと、遠くから直ぐに帰ってくる。飼い主が呼んでも、勝手に遊び続けるようではしつけが足りない。
上記2点が満たされているなら、ノーリードにしても、他人からとやかく言われる筋合いはない。一部の犬嫌いや犬恐怖症の人のために、多くの愛犬家が犠牲になる必要はない。
民主主義とは大多数の国民が楽しく生活できる制度のことだ。愛犬をしつけて、ノーリードにしてやると、愛犬だけでなく飼い主も幸せになる。
(東京の公園で会った愛犬達の写真集です。お時間のある方はどうぞ。)
公園でノーリードで遊ぶ愛犬たちや珍しい愛犬たちの写真集
参考随想
犬の狂犬病注射有害無用論!随想集46編!
狂犬病予防注射の問題点については通常のHPにも詳述。
狂犬病予防ワクチン注射のからくり
狂犬病予防法は御用済みの悪法だ