映画とライフデザイン

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本「映画評論入門」 モルモット吉田 

2017-08-09 08:41:08 | 映画(日本 昭和35年~49年)
「映画評論・入門」モルモット吉田著を読みました。


これは予想外の面白さである。
題名からすると、映画評論とはこうするもんだというノウハウ本のように見えるが、違う。日本の映画史で映画評論家と俳優、監督が絡む逸話を紹介する。その逸話にからんだ当時発行された映画記事を構成しているので、事実と批評を織り混ぜたよくできたノンフィクション的な要素をもつ。ずいぶんと映画を見ている自分でも知らない逸話が多々あり、名作がロードショー当時どう評価されたのかを知る意味でもよく調べて込んである本書を読むのは価値がある。

当時ピンク映画中心の活動をしていた若松孝二監督の作品が有名映画祭に出品されることになった話、映画「稲村ジェーン」をめぐって桑田佳祐ビートたけしが言い争いをする話。それに加えての「仁義なき戦い」の名脚本家笠原和夫ビートたけしの言い争いを笠原和夫の脚本「骨法十箇条」に絡めて解説する。
そのほか「ゴジラ」「七人の侍」「2001年世界の旅」「仁義なき戦い」といった有名作品が当初どう評価されたのかという話などなど、興味深い話題が多く、久々に映画本で楽しめた。

全部取り上げてみたいが4つほどピックアップする。

1.映画評論家「増田貴光」の失脚
久々に見る名前である。現在50代半ば以降の人なら、テレビの司会などで毎日のように見た増田貴光の端正な顔立ちはすぐ目に浮かぶであろう。思春期に入りつつあった自分からすると、テンポよく司会をする増田の口調はすごいとしかいいようになかった。その彼を取り上げた著者の視点に感心する。


「ベルトクイズQ&Q」は賞金が270万円と当時あまりにも高く、賞金が100万円以内と当局に決められるはしりの番組であった。昼にやっているので、そんなに見れるわけではなかったが、その番組の初代司会である増田貴光のパフォーマンスが目に焼き付く。映画解説はあまり記憶にないが、若くして土曜映画劇場の解説をすること自体すごい。

でも突然の転落だ。ゲイと自白せざるをえない離婚騒動を起こして週刊誌ネタになる。その後覚せい剤で逮捕されるくらいであるから、クスリが大きく絡んでいたのは間違いない。それさえなければ、テレビ界で長い間活躍していたのだと思う。それにしても当時人気絶頂の川口松太郎ファミリー詐欺未遂事件の話には驚いた。ここまで何でやらなければならなかったのであろうか?履歴からすると大学の先輩にあたる。70年代後半の三田キャンパスには増田貴光に似た風貌は割といたし、テンポのいい話し方と容姿が世話になった先輩にそっくりである。それだけになお残念。

2.市川崑監督の逆襲
市川崑監督石原慎太郎原作「処刑の部屋」を映画化した。その際、朝日新聞の記者井沢淳より、この映画で主人公(川口浩)が睡眠薬の入っている酒を女子大生(若尾文子)に飲ませて自分の部屋に連れ込みいたしてしまうシーンがあるけど、このシーンはカットせよというクレームが大映に入った。それをきっかけに諸団体から次から次へと映画に対する批判が沸騰する。


自分も映画「処刑の部屋をブログにアップしている。いかにも早慶戦を彷彿させる応援席のシーンから始まる映画では、野球の応援を終えて新宿の小料理屋で飲んでいる男女大学生の振る舞いをとりあげる。新宿で飲む設定だから早稲田の学生が悪さしたと連想させる。三島由紀夫がこの作品にはいい評価を与えているので、こういった映画への批判があることは知らなかった。内容からしてこの騒動は無理もないであろう。

でも犯すシーンはエンディングというわけでない。犯された若尾文子川口浩の前に姿を現し、「私のこと好きなの?」と問い詰めるのだ。好きでやったのなら許せるということであろう。そこから当時の若者の遊び三昧が浮き彫りになるが、最終天罰を食らうという構図である。それが「処刑の部屋」の処刑である。


市川崑監督は朝日新聞社の記者が映画に対しての批評をせずに倫理面だけを強調していると反論する。確かにそれらしき作品に対する批評はしていないようだ。「書くなら感情ではなく、徹底的に、いやだということを、つきつめて書かなければ批評にならないとおもう。」という市川崑の主張はその通りである。

3.映画「東京オリンピック」評価と高峰秀子の直訴
自分は前回1964年の東京オリンピックをリアルで知っている一番下の世代だろう。オリンピックが終わった後は大きなグラビア雑誌の特集が家に転がっていて、食い入る様に見た気がする。オリンピックを記録した映画「東京オリンピック」はかなり大人になってから観た。映画ではハードルの依田郁子選手のスタート前逆立ちパフォーマンスが強く印象に残り、ひと時代前の東京の風景の中をアベベ選手がさっそうと走る姿と、苦しそうに走る円谷幸二選手が最後競技場内で抜かれるシーンに悲哀を感じた。

そんな映画が完成した後の1965年3月10日の上映会で、天皇をはじめとした皇族も観ているのに、当時の実力者オリンピック担当大臣だった河野一郎(外務大臣河野太郎氏の祖父)が「芸術性を強調するあまり、正しく記録されているとは思われない」と批判する。そのあと「記録か芸術か」で世間を揺るがす大きな話題となる。建築家丹下健三をはじめとした映画支持者と河野一郎の権威にひざまずく官僚をはじめとした茶坊主軍団であるオリンピック関係者との論争が続く。しかも、河野一郎は外国版の編集を市川崑でない第三者に依頼させようとしていた。

その時、大女優高峰秀子が東京新聞に「わたしはアタマにきた」と投書するのだ。この話にはほんとにしびれた
高峰の文章は「東京オリンピック」を絶賛し、映画作家市川崑の特色を指摘したうえで河野大臣やスポーツ関係者の不見識を具体的に指摘して反論したもので、意見文というよりも「東京オリンピック」の映画評であり、優れた市川崑論になっている。(本文引用 p82)



実はこの3年前にも高峰秀子林芙美子の「放浪記」の映画化にあたっても朝日新聞に対して徹底抗戦している。いやはや、これらの話にはビックリである。一般公開され、時の佐藤栄作総理も鑑賞し、全体としてはよくまとまっているという評価を加える。高峰秀子の投書をきっかけに一気に世間の評価の流れが変わっていく。映画は記録的大ヒットとなる。最終的には河野一郎と高峰秀子は3月26日週刊誌で対談して和解。そこでも直訴してすでに始まっていた第三者による外国版編集を取りやめさせるきっかけを作る。なんという行動力だ。

映画人に味方がいないなら、私がやるわ!というすごい気概をみせる凄みには感動する。その後、河野一郎氏はその年7月8日その生涯を終える。まさかこの件は何も関係ないと思うが。。。

4.日活ロマンポルノと評論家煽動
自分は中学生の分際にもかかわらず、18禁の日活ロマンポルノにこっそり?入ってみていた。受験勉強の合間にすっきりしたかったのだ。
大映が倒産し、日活映画がポルノ路線に入ったとき、映画雑誌では全然取り上げられなかったのが、徐々に注目を集めるようになる。その時、キネマ旬報社の白井佳夫編集長は、ロマンポルノを見ない老映画評論家たちをわざわざ試写に参加させる。歴代のキネマ旬報ベストテンをみて、あるとき日活ポルノ作品が出てきたなあと思っていた理由がわかった。

その時反発を示して、キネマ旬報のベスト10の評者から退いた評論家もいた。津村秀夫である。実は津村秀夫は私の大学で「映画論」を教えていた。いわゆる一般教養の日吉での講義でなく、専門課程の三田での定例講義であった。テストもあり、今でもその時の教科書は私の書棚にある。昔のベスト10を見るとき、津村秀夫と私の高校の大先輩である双葉十三郎の2人がどう評価しているのかをチェックしている。ある時選者からはずれ、自分が講義を受けたのはずっと後なのでどうしたのかと思っていた。なるほどこういうことなのね。

映画公開時を知らない1978年生まれのモルモット吉田の丹念な映画資料の調査力に感動する。

映画評論・入門! (映画秘宝セレクション)
最近の映画本ではいちばんおもしろい。


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