映画とライフデザイン

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映画「ぼんち」 市川雷蔵&越路吹雪

2014-04-19 05:08:51 | 映画(日本 昭和35年~49年)
映画「ぼんち」は1960年の市川崑監督による大映映画だ。

山崎豊子の出世作で船場ものである。足袋屋の跡取りを市川雷蔵が演じて、正妻、二号に当時の日本映画を代表する美女が出演する。御大山田五十鈴が母親役で、雷蔵の相手役は大映の若尾文子、中村玉緒、京マチ子に加えて、東宝から草笛光子、なんと越路吹雪まで出演する。まさに映画全盛時代を飾る作品といってもいい。

昭和の初めの大阪船場が舞台だ。
四代続いた船場の足袋問屋河内屋の一人息子喜久治(市川雷蔵)は、女系家族の中で育った。河内屋は三代も養子旦那が続き、父親(船越英二)は丁稚奉公から婿に入った。祖母・きの(毛利菊枝)、母・勢以(山田五十鈴)にすすめられ砂糖問屋から弘子(中村玉緒)を嫁にもらう。二人は家事の細かいことに文句を言い、弘子をしめつけた。妊娠した弘子は病気と偽って実家へ帰り、久次郎を産んだ。喜久治には不満はなかったが、姑たちは弘子を離別するよう仕組んだ。

昭和五年、弘子を離縁してからの喜久治は新町の花街に足を入れるようになった。「富の家」の娘仲居・幾子(草笛光子)が好意をよせた。父が死に、喜久治は五代目の河内屋の若旦那におさまった。

襲名の宴を料亭浜ゆうで開いたが、仲居頭のお福(京マチ子)にきのと勢以は魅せられた。彼女を喜久治にとりもち娘を生まそうと企んだ。喜久治は待合で芸者ぽん太(若尾文子)と馴染みになった。妾となったぽん太はしきたりに従って本宅うかがいに現われた。さすがの勢以も気をのまれた。ぽん太に男の子が生れた。

きのは五万円の金で生れた子と縁切りをするよう言った。喜久治は幾子が芸者に出るのを知ると彼女も囲った。
日中戦争が始まり、世の中は不景気の一途を辿っていた。喜久治は道頓堀のカフェーで女給比佐子(越路吹雪)と出会った。愛想のない女だったが気にいった。幾子が難産の後、子癇を起して死んだ。妾の葬式を旦那が出してやることは許されない。喜久治はお福のはからいで浜ゆうの二階から幾子の葬式を見送った。男泣きに泣く喜久治を、お福は自分の体を投げ出して慰めた。日中戦争から太平洋戦争へ。喜久治は灯火管制下にも妾の家をこまめに廻った。空襲で河内屋も蔵一つを残し全焼した。ぽん太、比佐子、お福がやって来たが。。。

凄い女優陣である。
京マチ子をはじめとした大映スターのことはこれまで繰り返し語ってきた。
草笛光子についても語った。「光子の窓」の時代からまだ現役を続ける彼女には敬服する。

(越路吹雪)
越路吹雪についてはブログで初めて取り上げる。この映画での彼女の顔つきは印象的だ。

まだ小学生になってまもない時、紅白歌合戦の赤組で異色な女性がいることに気づいた。越路吹雪である。まず顔が普通の顔をしていない。歌も異彩をはなつ。子供の自分からすると怖く見えた。テレビ画面に向かって目を伏せた記憶がある。
その彼女の良さがわかるには時間がかかった。中学生になり洋楽を聞くようになった後で、彼女の歌の良さがわかるようになっていた。当時彼女のコンサートチケットを入手するのは困難だった。ライブ映像を見た時、凄い人なんだと思う。

宝塚出身である。テレビのワイドショーで乙羽信子と一緒に出ていたことがある。同期だ。雰囲気があまりにも違う2人だが妙に気が合ったそうだ。乙羽らしくやさしく「コーちゃん」と呼ぶ声が今でも印象に残る。月丘夢路も一緒らしい。
そんな彼女をスケッチした絵がある。文化勲章を受章した日本画の小倉画伯によるものである。

いかにも彼女の特徴をつかんだ女性画家らしい傑作である。。ちょうどこの映画と同じ時期だ。

映画の中でお風呂で若尾文子、京マチ子と戯れるシーンがある。

こんな肌を見せるシーンは他にはないだろう。それを見るだけでもこの映画は価値があった。


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