桜木結月

詩と小説。和歌集はメチャクチャな古文で遊んでいます。
2017.5.27『再生記』第三章 幽霊から人間へ 更新

再生記 -『症例X』を読んで- (更新中)

2018-04-27 01:38:21 | 小説

24歳の私から、『症例X』をこの世に送り出して下さった小栗康平様と、同書を私に紹介して下さった川北様へ、内なる私達に眼差しを向けて頂いた事と、それを私に示して下さった事への絶大なる感謝を込めて。



序章 -はじめて-

透明だった私達が、まるで今日の私自身のものでない生々しい感情を強く抱き続けている事を、それらが私自身と交わり、或いは私の代わりを生きようとしていた事を、その真実の声を私はしばしば私自身の内側に聴く事となった。真実の声とは全く個々の感情だった。それらは等しく私自身である事に相違無かったが、今現在の私自身と融け合えないという点でまだ私自身ではなく、それぞれに意見を、主張するところのものを、私自身のものとは切り離されて更に独自性を持った言葉を、様々なトラウマを担当する当時の感情を、或いは全く予期せず他人に癒着し入り込んでしまった他人の感情までもを、24歳の私は私の中に入れてしまっていた。それらが暴風の様に荒れ狂って24歳のーいや、少なくとも大学生の時からー私を脅かし、自分が自分でなくなっていく耐えがたい恐怖に毎日翻弄されていた。不安は大きく振動しながら膨張し、私という入れ物をいつしか内から破り破裂させるのではないかという止めようのない危機感となって私をいつも脅かして来た。目の前の事にとても集中出来ず、それどころか発狂してしまいそうになる様なパニックに追われながら私はこれまでの人生を生きて来た。
本書の内容は、私の内なる全ての子が安らかな気持ちに辿り着け、全ての私がいつか統合される為に、それを現実的な目標として私自身に再び託していく試みの記録としていこうと思う。かの著書を読んだ今、私は内なる子達にこれまでとは全く違った対処をする道を示された。未だ到底全てではないが、姿を現してくれた子にはより本質をついた癒しの言葉をかける事が出来、何人かは既に私と一つになってくれた。その中に私のこれまで感じていた最も強大な不安を司る人格がまさにいたーその子と調和した事で、これ以上私自身を分裂させず、解離した内なる私が一人歩きをし、積極的に私を異物にしていく様な、筆舌にし難い苦痛と混乱に対して、私はついに終止符を打つ事が出来た。つまり、造り変えられて行くことに対する本来の自分自身へのギャップや無力感と、平安とはかけ離れた密かなる精神的混沌へのストレスのせいで、抑えきれない様々の激情的衝動に、このまま狂ってしまうのではないかというこの上ない恐怖から、私は永遠に別れを告げられたという何より重大な事実を、はっきりとここに残しておく。だからと言ってすぐに問題が完全に解決された訳でも、パニックの症状が完全に消え去った訳でも無い。寛解にはある程度の時間がかかる事は必須だろうーまだ殆ど薬による対症療法だけしか受けておらず、根本の部分の再生にはこれから漸く着手するのだからーその根本的なわだかまりが形を変え、24歳の私に僅かずつ親しんで来ているのを私は感じている。それは今までにあり得ない事だったー私はいつでも前に出ようとすれば私の中の最奥の透明な壁の中に引き戻されて幽閉され、代わりに私のような振りをした誰かが私の人生を代わりに生きていく姿を見ているしか無かったーそれが今、個々の魂は形を変えて、私自身の言葉を聴き入れ、そこに矛盾や差別や不調和を見出さなくなった。私自身の無理矢理なポジティブ思考、自己暗示、「〜べき思考」、そういった類のものを、私はもうここに置いて行く事が出来る。


第一章 本当の自分

私は今、本当に少しずつ仕事をしている。ほんの小さな目標を自分に課す事が現在の私の目標であり、たった一人の私で出来た事から確実に評価していく事こそが最も重要な課題だった。例えば仕事を少しでも覚える、ではなく、自分自身の為にもできれば今日一日不安に晒されずに過ごす、できなければ最低限出勤する、といった具合だった。どの様な心持ちで一日を過ごそうが、起こる事は事実のみであり、その事実は良いとか悪いとかではなく、ただ現在の自分自身の行動や在り様といったものが世界から反射して現象化されたものであるから、それに対して見出すべき付加価値や下していく結論は全く自分次第であるという事を、ある種の重みを持って見つめている。そして私はもう私自身にとって力のない他人ではないから、何としてでも周囲に馴染もうとするだけの張りぼての私ではなく、真実の私自身に影響を及ぼしていく事を学ぶ事ができ始めている。
私は非常に混乱しやすく、不器用で、まじめにやろうとする程に心が強張り、思考がしばしば凍りついてしまった。この様な自分を肯定し、私に出来る歩幅で、人よりも遥かに短いゴールを設定させて歩かせてくれる存在が何よりも必要だった。
私はこれまでの人生で、弱い自分や迫害され得る自分の事を否定してきたつもりはなかった。だが生きていくには何とかして自分を周囲に馴染ませねばならず、また共に育ってきた強大な依存心のせいもあって、私は私自身たる事の意志や主張やアイデンティティを差し出す様にして精神的平安を勝ち取って来てしまった。その依存的手段こそが、結果としてただあるがままの私自身を否定し、都合の悪い存在と見なしてしまっていたのかもしれない。
私は平和が欲しかった。精神的平安には愛情が不可欠であった。相手の都合によって翻されることの無い愛情ーー私は何よりもそれを求めていた。生きる為には、自分自身を無くしてでもそれが必要だった。それがあれば私は混乱しなかった。あの耐え難いパニックから遠ざけられた。そのパニックの苦痛さえ、以前の自己の勝手な分裂の苦しみには及ばなかった。当時、と称するには余りにも最近の事であるが、私は、私に私ではない事を誰よりも要求していた。私自身に、もっと周囲に対して限りなく都合の良い私であれる術を望んでいた。それでいて私が私のものでなくなっていく感覚にこれ以上無く脅えていた。
私が自分で自分を愛するには未だ、かつての自分自身が直面したトラウマ的体験に対する応えが欠けていた。数々の体験と記憶は固定観念となって私の中に根付いてしまっていた。母は私に愛していると何度も言った。だが、それは私にとって受け入れ続けなければならない暴力だった。何故私に裏切らない愛を教えてくれなかったのかーー何故ちゃんと愛してくれなかったのかという震える様な声が、当時は感じていなかった憎しみや怒りや寂しさを持って、私の耳に語りかけてくる。


第二章 最初の私が怖かったもの

まるで脱皮をしている様な感覚を覚えていた。
少しずつ、本当にゆっくりと、まだまだ大部分の皮は被ったまま、だが確実に、今まで見なかった新しい自分が内側に息づいているのを感じた。
私は人に嫌われる事が怖かった。曲がりなりにも愛されて育った私は本能的に他者を愛し求め、また受けて育った愛情が、誰よりもそれを与えてきた本人からこそ、無情に奪われうるものだという事を魂に刻みつけられていた私は、本能的に他者に怯えていた。人を、愛情を、認められる事を、許される事を、強く求めながら何よりも恐れていた。仕事、職場とはーー即ち集団とは、それに属する事とは、昔から何処に行っても浮いていた私にとって、人に嫌われに行く場所であった。人と歩幅が合わず、心の奥底では人に怯えている自分にとって、完璧でいられない場所であり、こんな自分では到底好かれまいと思う様な見たくない自分を見させられる場所であり、自分の全価値を無くされる場所だった。本当の自分はその様な思いを抱いていた。自分と向き合う事がこんなにも不安で怖い事だなどと思ったことは無かった。
私は自分の人生で、何よりも自分自身と向き合う事から、思考ごと遠ざけられていたように思う。この事は今までの人生の中で最も深い部分の自分と調和し、何ともいえない衝撃を私に与えた。私自身の歩幅は今まで許されなかった。本当の私の弱さを、小ささを、それらを自分のものと認め内包した私本来の感情を語れる事を、私の家族は誰も知らなかった。本当に知って欲しかった人は。知る、いや、もっと幼かった頃にいち早く気付いてきて、認め、愛して欲しかった。あんなにも愛情深い母に育てられていながら、本当の私は、本当の自分自身で愛されたという感覚を持たなかった。私自身でいた事などなかった。私自身でいていいのだと思った事がなかった。

小さな小さな私は、本当に困って問題としている部分だけは、決して受け止めて貰える事はないと昔に悟っていた。
故にその弱い自分を自分自身と感覚しなければならない事が、それと向き合わなければならないような場面が、私自身たろうとする事とその都度抱く希望に何度も敗北と死を与えて来たのだった。

本当に必要で手を差し伸べて欲しかった部分には、目を向けて貰う事さえ望んではいけないのだと思い知らされていた。そしてこれだけ自分を造り変え、どこまでもあの人に応えようとしたところで、それが報われる事はついになかった。言いなりになってはいけなかった。私は自分の為に怒り、離れなければならなかったのだ。何よりも大切だった世界の全てから。意思、感情、犠牲を持たない自我、自分自身のものをどれだけ無くしても大好きだった家族から。応えるつもりのない、或いは業のせいで応える術を持たない相手に、愛される事を死に物狂いで求めて、解離し、世界に都合のいい自分になり、一度きりの人生を生きるかけがえのない経験と、ただ一人の私自身たる感覚を奪って一人歩きをし、私のふりをし続けようとする壊れた道化から。


第三章 幽霊から人間へ

私は既に以前の私ではない。かつての人物はもう心の引き出しの中にしか存在しなかった。非常に目まぐるしい激動の人生を生きていたかつての自分は、現在の私自身とはまるで違った望みを抱き、違った景色を見据え、違った道を歩いていた。その自分が、あの家を飛び出した時から卵の殻を破り、様々の事を私のみの意思と意見によって拙いながらも思考し選択してきた。その諸々の事が内なる私自身の本来生きるべきであった真実の叫びを表現し、外の世界に対して存在への反応を求めていた。何よりそういった自分自身の行動によって、私は透明な幽霊ではなくなっていた。
私の人生は既にそこで一度終わってしまった。何の為に生きてきたか、何が大切で、何を願い、何を希望として生きていたのか、その全てが今日の私にとってこそ他者の人生だった。以前の自分はそこが違った。かつての自分にとっては、避難したい、救われたい、守られたい、本当の言葉で語りたいという私本来の感情や自我こそが他者のものの様に感じられ、放出してしまえば庇護者からの否定という形で殺されてしまうという点で、私の人生を使って表現すべきではない危険物の様に感じていた。私は私として生まれて来ながら、私という人生を生きる事に対して力を奪われ、術を取り上げられた。その補償行為として相手を愛し続ける事で、私という人格に空いた空洞を、欠けていた部分を見ないようにしてきた。
時間が解決するというのは本当にあるらしい。全てではないが、時間というものは問題としていたところの概ねの事をもはや追究すべきものではなくしてくれる。万事完璧を追い求めずとも、自分の弱さを認め自分に出来る事で立ち向かっただけで、自分自身にどれだけ救いを与える事が出来るか、忘れるべきではないだろう。
根本の原因から物理的な距離を取り、環境を変える事は、私の人生で最も大きな選択であり行動だった。私は自分自身が破壊され、ばらばらにくだけ散り、それが二度と戻らない様な絶望感を味わった。それ程に逃げ出してきた居場所とかつての自分の生き方は重かった。自分自身を救出する事の選択はそれ程に困難であった。失う事になる絶対的存在と愛情、それらを自分の意思で裏切った今までで一番の罪悪、信じようとしてきた相手とこれまでの自分に限界を見せつけられる事の認められない痛み、自分の中で何度シャッターを切ったか解らない、愛する人達の肯定と笑顔ーー叶わなかった理想に今でも喉が熱くなり涙がこみ上げてくる。それらと引き換えに、私は本当の私自身の感情を手に入れた。本当の怒り、心の底からの悲しみ、感じる事の無かった私自身の肉体を持たない事の原初的な寂しさ、外の世界からも自分からも無視されてきた、私がいない事への叫び、誰にも気付いて貰えない事の、癒やされる事の無い空洞と耐えがたい痛み…私の元に還って来た本来の感情の子ども達は、どの子も私自身が否定してしまっていた子だった。認められない、ここにいたくない、誰かに否定されて消されてしまいたくない、だから無い方がいいと隠してしまった、私の何より大事な部分だった。
誰かに嫌われてでも、自分自身でいようとする事を、私はまだ認められていない。今はもう勝手に解離してしまう事こそないが、私の意識下で、不安のせいでまた分裂する事を視野に入れている自分達がいた。それらをその都度宥めて落ち着かせながら、それは自分自身を強迫して自由意思を持つ事自体を迫害する行為なのだと、それは私の望んでいる事ではないのだと根気を持って「自分に」言い聞かせ、どうしたらより自分自身を認める事が出来るかという事を考えている。幽霊では意味がないのだ。好かれるか嫌われるかではなく、何かが生まれる行動か、何も生まれない行動か、小さく弱い自分自身の為にこそ、今度は健やかに育む選択をしていきたい。


第四章


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