桜木結月

詩と小説。和歌集はメチャクチャな古文で遊んでいます。
2017.5.27『再生記』第三章 幽霊から人間へ 更新

手記 -内在性解離-

2018-01-12 04:00:58 | 小説




はしがき
第一章 忘却
第二章 非存在
第三章 強迫
第四章 違和感
第五章 解離
第六章 道化
第七章 透明
第八章 邂逅
第九章 かつ
終章 手紙




はしがき

私の中で起こっている事について幾つかの手記を記す。
同書の中では、私の伝えんとする内容について、具体的な事柄やトピックはそれ程登場していない。また、ストーリー構成もなく、ただ思いのままに書き連ねているせいで、話が前後したり、一層マッチしたであろう見出しを他の記事に付けてしまっている様なこともきっとあるかもしれない。またそういった所存であるせいで文章の釈然としなかったり、言わんとする事が途中からすり替わっている様に感じられたりする事もあるだろう。私は完全無欠な文章を構成する事を目指していない。私はそういった懸念を払拭する為に思考を費やすよりもはるかに、私自身の体験して来た感情や抱いて来た疑問、現在進行形で抱えている問題の事を、私自身の生きて血の通った言葉で書き記したい。
読者の方々におかれては、どうか引きずり込まれずに自分を強く持って同書を読まれる事を願う。元々精神的な持病のある人や、いま心底鬱々としている事柄がある様な人には、読む事をお勧めしない。私は私の書いたものが、それを読んだ人の自己を分裂させる手助けをする事を嫌う。



第一章 忘却

脳内を不意に訪れる様々な性質たちの来客を、私はいつでもそのすぐ側に立って為すすべもなく見送ってきた。訪問してきたかと思えば彼等はだいたい忙しなく通り過ぎていったり、または靄のようにはっきりと顔をあらわさなかったり、ゆらゆらと瞬く間に他の物事に同化してしまったりした。そうしてゆっくりと何年もの時間をかけて、重要な事もそうでない事も、等しく私の頭の中から押し流されてしまうようになった。
物事について思考し、記憶しようとする力が乏しくなっていったのは、二回生に上がったばかりの大学を中退した頃からだったか、それとも社会に出て一端の大人のように振る舞わなければならないことを実感したくらいの頃だったかは鮮明でない。今の私は、物事を人並のまともさを持って考えることができない気がしていて、もう随分長くそれに精神を脅かされた上でこの文章を書いている。
私の中の、これから問題にしようとしているところのものは、記憶力や考え方といった表面的な部分ではない。そういったものが本当に大事な部分をいつでも隠してしまう。私は、私の乏しい記憶力や不安がちな考え方以上に、周囲への疎外感や、得体の知れない危機感や焦燥感といったものにもう何年も翻弄され続けている事を叫びたい。
いちばんわかって貰いたいのは、前者が後者の原因となるのではなく、後者が結果として前者を生んできたということだ。則ち不安だから気持ちが焦ったり脅かされたりするのではなく、既に脅かされているから不安であるのだ。そしてその原因を、これまでの半生や、幼少時の家庭環境といった外因的な要素によって作り上げられることに、私の心は悲鳴をあげている。それらは確かに重要な事だったかもしれないーそれでも結局のところ、私の本質には全くといっていい程関係がなかった。私は異端であった。いつも周囲に対して、世界に対してただ透明であろうと努めた。そして本当の願いがそこにないという事実まで至りかけたところで、私の脳内はいつも空白に染まる。



第二章 非存在

私は恐ろしい。だが、何が?
どんなに早くメモを残そうとしても、3秒前に恐怖心を覚えた内容について、私はもう忘れてしまっている。忘れてしまう、というのには既に語弊があって、まるで誰かに消しゴムをさっとかけられてしまうように、その部分を空白にされてしまうのだ。もう少し細かくいえば、私の考えていたものが、すなわち私のものだった何かが、私の意思ではない誰かの存在によって、私の意思の到底届かないような場所にすくい上げられ、勝手に空白処理されてしまう。私はいつもそれを、子供が持っているものを親に取り上げられてしまう時のように、ただ自分から遠ざかっていく様を見上げているしかなかった。どんなに目を凝らしても、もう何も見えない。手繰り寄せようとすればする程、うごめくのはいつもの既視感と無力感ーいや、無そのものだった。
自己とは無であった。その様に定義付けたがる声が聞こえた。それは私の意思ではなく、遠くから反響する誰かの声だった。私はさわる事も近付くことさえも出来ずに、ただ時々このように存在を感じながら見守っているしかなかった。
私は辛かった。毎日同じ事を思うのが辛かった。毎日忘れていく事が、それを追いかける事もできないのが、それを独りで見ているのが重かった。これを打開する為に、私はしばしば頭を回転させようとした。暗がりでのろのろと動く塊の背中を力一杯押してやっても、塊は私を押し潰そうとするようにその重力を増し、頭の中の圧迫感となって私を疲弊させ、また少し私から遠ざかる。悪い視力で遠くの物を見ようとするようにしんどく、平生へいぜいがこのようであるせいで、何もしていなくても疲労感が頭の片隅に付きまとい、私から体力や気力を奪った。楽しい事もあれば笑う事も出来たが、このしんどさを誰かに伝える事だけが出来ずにいる。
これを見ないふりをしながら生き続けるーこれ以外の喜怒哀楽だけを感じ、ただそれだけのように表現していく。考えただけでも地獄だった。私は生きているのに存在していなかった。
私がどこにもいない。その事を既に大分昔に恐怖していたという事も今思い出す。もしも一生違う人間のままだったらーそう考えて、誰かがゆるやかに思考を修正する様をまた見ている。その空白処理は地層の様に重なって、もう下の方は何もわからない。ただ背景が途切れ、そこに何かがあった痕跡だけを残す。
喪われた私だった。



第三章 強迫

足元が段々崩れていくので、走り続けなければいけないというような気がしている。
先は見えず、ひたすら遠く、それなのにもう少しもう少しと先へ行きたがり、焦燥感が酷く、思考は追い付かない。頭がずっしりと重く痛んだ。
自分を何とかしようと考えれば、厚く重い鎖が長く続いていくように、果てしない道のりが垣間見える。その道を歩くのも作るのも自分であり、終わりのない仕事そのもののその道のりは、私を年老いて疲れきった老人のような心持ちにさせた。
かといって、考えなければすぐに思考は端から千切ったように消えていく。一刻も早く私でなくなろうとするように。そうして出来た空白に、私のような何かが形だけ真似て入っていく。私でない何かが、私になろうとする為に、私であるような振りをする。それが生きるという事だった。生きる事は恐ろしかった。私にはどうすることもできなかった。


        わたし以外の誰でもないわたしが
        わたし以上でも
        わたし以下でもないわたしが
        わたしとしての役割を果たす
        ただわたしであるがために
        わたしにさえも選ぶべくもなく
        わたしがあるかのような錯覚を起こし
        わたしに言うことを聞かせ
        わたしのような口ぶりで
        わたし次第だと
        わたしをわたしでなくさせようとする
        必死にわたしになろうとしながら


                  Thu.14, Mar.2013 




第四章 違和感

一体いつから私はいなくなったのだろうか。
何故、本来の私でなくなり、ただ私のようなもので生きようとしたのだろうか。何故それを、私の体で、私の人生を以てして実践しなければならなかったのか。
どうして私の意思も届かない場所まで行き、そこで私の制止の絶叫も聞き入れずに、あんなにも積極的に自らを造り変えて、違う自分に苦しみながらそれを生きていたのか。
私は、私自身が、未知で溢れた他者の存在だったように思う。それを私と呼ばなければならなかった為に、私は違和感に浸された。それを知られずに周囲に馴染まねばならず、けれども私自身が未知であるが故に挙動は不審となり、反応は一歩遅れ、理解できないまま首を縦に振った。簡単な事を理解する為に、私はしばしば頭と感覚の中で多大な手順を踏まねばならなかった。

私は常に何かを試みていた。言うなれば、自分の把握できる完全な自分というものを創造しようとしていた。完全な自分ーそれは欠点のない、完璧なという意味では決してなく、自分を自分のものとできるただ一つの安全な、という意味に尽きる。私は私の中にある限り安全ではない。何故なら本来の私ではないものにさせられてしまう。他ならぬ私自身の手によって。私こそが、私自身に抗う術を持っていない。終始が当事者である筈の私に無力であり、私は力の入らない人形の傍観者だった。そうでしかあれなかった。私の身体は船であるのに、肝心の私自身は操縦する権限を奪われた船員だった。私が私の手足や表情を動かす時、私の意識はその酷い重たさや人工的な様、不自然さや違和感や強迫的なものに絡め取られていた。私は私がどうあるべきか知っていた。或いはそれを強く私に願っていた。私はそれを叶えんと努め続けた。それが人生というものだった。勉学、運動、教養、品行、そういったものの話ではなく、私が努めていたのは、私という一個人の肉体と精神と存在とに私自身が抱いてしまう謎を、全く未知のものに感ずる不安や不調和を、その一切を表現させず、無かった事にしながら生きていく事だった。
果てしない道のりー一切が私の掌に落ちて来ず、それでもそれを私と認識しなければならない事は、何よりつらい労働だった。私はそれに耐える力が欲しかった。強くなりたいのではなく、普通になりたかった。それを創造しながら自分に貼りつけて生きるのに、私はもう息切れを覚える程疲弊している。何故そんな事をする必要があるのか、誰よりも私自身がそう問いたいが為に、誰にも話す事が出来ずにいる。私は精神科に通っていたが、今この少しの間だけは通院と投薬を止めている。薬は私の気分を浮上させ、そこに留めさせてくれるが、私の抱く違和感や根本的な寂しさ、偽物感、いつも私という人格をコントロールさせる精神的な労働への無力感を、少しも消してくれはしなかったからだ。薬を飲もうが飲まなかろうが、私のやる事は決まっていて、それを強いられる人生に何の救いも持たらさなかった。寧ろ、薬を飲む事は、時に私という人格を益々加工処理させる手助けとなった。私にそれを止める術が無い事は何度も記してある。ただ、その傍若無人な行いに対して、いくらか寛容な気分でいられるように仕向けられるだけで、しかも私は意識の最奥まで追いやられていて、それを見ている事しか出来ないので、実際の本音は心中穏やかになるどころか、自死を益々促されている様にしか感じなかった。



第五章 解離

何もかもが遠く、霞んだ様に朧な私の世界だったが、忘却の為に自分が救い出されたと思う事もあった。それは他ならぬ私の実母に関する事だった。
私は、今ようやく、彼女の記憶を無の中に置き去る事が出来ている。少しずつ、ここ一年余りの間で。およそ十四ヶ月前に私は家出をし、戸籍と住民票を凍結させ、居場所を知らせず、家族と一切の連絡を絶ち、度重なる警察からの電話を拒み続けた。それらは私が初めて真実自分を避難させるべくした能動的な行動だった。そこに辿り着くまで、世界は混沌としていた。自分というものはぐちゃぐちゃに荒らされ、私には何一つ私自身の決めたものが無かった。自分を掌握出来ず、自分が一人歩きをしたり、殊更ことさら自分のいやがる事に自分から手を染める様を見た。そしてそれらが招く結果を自分がこうむらねばならない事も全部わかっていながら、そんな事態を見据えた上で、そういった精神的な自傷の様なものに走って行く様を見た。
私は既に冒頭の方で、これまでの半生を私の苦悩の原因に作り上げられる事を拒否しているが、この実母に関する話は、それでも私の中で二番目程に位置する重要な事柄だった。十四ヶ月前までは、寧ろこの話の方が私の人生で最も追究すべき問題を提示しただろう。だが今、私は私の足でそこを出、私の意思で距離をはかり続ける事が出来ているー時々無性に恋しいと思う事はあっても。そのおかげで私は私の抱いてきた本当の疑問を、私の原初の問題として捉える事を許された。今までそれを私から取り上げ続けてきた私自身から。
私の空白処理は比較的ここ最近始まった事だったが、その前は形を変えたものが少なくとも大学生の頃からあったーその頃は忘却するというより、閉じ込められ、引き離されるといった方がしっくり来た。学内のカウンセラーに自己を吐露しようと前に出かけた私の意識は、私の中の私の意思ではないものの手によって襟首を掴まれ、扉の無い透明な壁の様なものの中に引き戻され、私はそこで絶望を湛えた目で壁の外からこちらを見るもう一人の私の姿を見た。その私が私の代わりに世界へ出て行き、全て問題の無い様に交渉する様を見た。私は不要であった。私達はどちらも同じ哀しみを共有していた。私にできない事は全て彼女が前に出て代わりに行った。
あの家族の元にいる間、私は今よりもっといびつで、最も不安定な時代を過ごした。それについては到底語り尽くせない程、私は私である事に苦痛を与え続けられてきた。あの家に適応し、私の安全欲求や親和欲求、承認欲求といった人間の根源的なものを、何と引き換えにして守ろうとしていたのか、私達二人共気が付いていなかった。外に出ていた私も、本当の私も。

この内容について話すことは、今の私が抱いている悩み以上に、重く、涙が出る程苦しい。だが、私の人生で最も多く、最も困難で、最も傷付き、やっとそこから出て来た今も、終わる事無く尚続いている闘いを、無かった事の様にしてのうのうと生きる事は私にはできない。死ぬまで私は私にはなれない。私が、私ではない私のまま、それを生きようとした事実も時間ももう返っては来ない。何の為にそれを欲したか、自分ではないものを自分に貼り付けて、私自身であるかの様に振舞わなければならなかったのか、それが余りにも重すぎる。私は私以外にはなれないのに、何を感じ、何を見て、私は私のまま外の世界に打ち勝とうとする事を止め、私の内側に目を向けて、本来の形が無くなるまで私を叩き壊して造り変える事を選択してしまったのか、その喪失がどうにもならない。それと引き換えにした唯一絶対のものは手に入らなかった。それを求めるのではなく、それから逃げなければならないと気付くまで、私はもう多くのものを私のものではなくしてしまった。人工的で、造り出された、不自然な、違和感だらけの、冷たく、歪で、ただ一つのものだけをひたすらに求めるものが、それと引き換えに自己を破壊し、ただ受け入れる為だけのものにならなければならなかったものが、私の中心で、もう私でもどうしようもない程に私を生きてしまった。
与えられ、許される何もかもが今さらの事であり、私には遅すぎ、また的外れであった。これまでの出来事を吐露し、誰かと分かち合い、親身になってねぎらわれ、優しく慰められ、今の自分を認める事を許され、これからの事を勇気付けられる様を私は私の隣で見ていた。それが私の中の私に届かず、虚しく反響する様を見た。



第六章 道化

様々の物事が外側の私には届いたが、そちらの私が感情する感謝の気持ちや安堵感、また自己を許容され自分でも許容しようとする動きや、激励を我が身としようとするポジティブな思考の働きは、それらを全て傾聴していた内なる私にその穴を見抜かれた。本来なら同調し、身をまかせるべきであったそれらの何も、私の中にいた私の姿を見なかった。そしてその時の私は全く外側の私となっていたので、向けられた親しみや与えられた救いや言葉達が、指し示された未来への道標が、ことごとく私自身を素通りしていくのにも気付いていなかった。他ならぬ私自身の事であるのに、肝心の私自身が存在すべき肉体を持たず、私の「代わり」に受け止めさせるより他に無かった。外側の私は自己の道化であった。
外側の私が出ている事が私にとって顕著である様な時、内なる私は特に言語というものを喪った。思考はおろか、簡単な事を覚える事も理解する事も難しくなり、何が疑問でどの様な問題を抱えているのかさえ言葉にする事が出来なくなった。まるで、私の身体をもう一人の私が使ってしまっているので、思考力も自己認識能力も奪われてしまっていた様だった。
これは大体私が十九歳当時に大学を中退した位の頃から、約十四ヶ月前に家出をするまでのおよそ四年程の間、最も深刻に私の精神を蝕んだ。私はこの様な解離、健忘、思考力低下の頻発する状態で仕事に赴かねばならなかった。説明を理解する事も、自分の体と周囲に置かれた状況を自分のものとし、落ち着いて精神を保っている事もままならない状態で。
私はもうずっと病気だった。二年ほど前に漸く最初の精神科を訪れるより前からー大学の学内カウンセリングに足を運んだ時からー高校時代に会議室で授業を休ませて貰っていた時からーそれよりも恐らくもっと前から、私は自分で自分に馴染めない事に苦しんでいた。それを封じて学生生活を送り続けていた。外側の私と内なる私との二重生活を。本来健全な人間が何の疑問も持たずに表現している自己というものの隠匿と、外の世界に私の道化師を送り出し、年々成り代わっていく私の代わりの人生を。
外側の私が出、本来の自己である私が薄くなってしまって言語を持たない間、私は理解されたいと欲しながらそれが不可能である事を知っている葛藤に苦悩した。私が自己を代弁しようとしても、私は言葉で現せられるものにはならず、また空白処理は行われた後であった。一体、この私というものを説明し、如実に表してくれるものを、私をこの世界に生まれさせてくれる何かを、私は探す事ができるのだろうかー空白処理を、隠匿しようとする私ではないものを、もう一人の私を、道化を、それを送り出す私をもかわして。それは途方も無い経路だった。私は私という迷宮の中にあり、普通を生きようとした為にその数々の罠に引っかかり続けた。外側の私もそうだった。私達はめいめいが原初的な同じ目的を見据えており、普通の人がただ一人で、則ち個人の持っている唯一のアイデンティティで難なく通り過ぎる様な道を、私は都度にそれぞれの自己となり、しばしば眼前に立ちはだかる困難として立ち向かわねばならず、私の全てを以てして乗り越えねばならなかった。
これで普通といえようか。私は何という道化だったろうか。この私は今も私であり続けている。いつか本当の自分を出す事が私の夢だった事もあったーそれが如何に困難か痛い程わかっていながら、その夢が叶わない事が、私はこの世に生まれ出でる事さえ赦されなかったという事になるのだという、おそろしく冷たい現実が、誰からも本当に抱き締めては貰えない哀しみの世界が、両腕を広げて私を待ち受けている様にしか感じられなくても。



第七章 透明

何故、私は私を演じてしまうのか。
私は少なくとも二人以上居て、出るべき場面を各々おのおのが受け持って来た。それに対して、私は今も自分の肉体が唯一のものである事に対して度々ギャップと狼狽を感じている。私は、私の内なる複数の自己が内側に在って、それぞれがめいめいに、このただ一つの体を思い思いに使っていく様をはたから見て来た。全く性質の異なる自己を内側に内在させている事に、昔の私の人格がその事に耐えられず、各々になってからも依然としてそれぞれが時と場面に置いて主張すべきものを持ち続ける事に、そしてそれらが私に必ずしも従わない様な時に、私は意思の死と私自身への術なき無力感、自己をそうと認識する事への途方もなさや実りのなさ、報われなさといったものを感じて来た。
私は私自身のものにはならなかった。本当の意思を前に出す事も生む事も制限されていた。私の意識はいつも不自由だった。私自身にストレスやプレッシャーがかかっている様な時、全く唐突に私は入れ替わりを命じられ、目の前の世界に放り出された。外の役割をこなしていた私の代わりに。私は自分の置かれた状況を、私の仕事を、為すべき事を、私のものと捉える事が出来なかった。依然として私の意識は私をもう一人の私と捉えていた。私は私では無い誰かが代わりに動かしていた手足を、行って来た事柄を、意思していたこの先を、まるで他の誰かのものを私と呼ばねばならず、それを私のものとして、私として振る舞わなければならなかった。
違和感はすぐに流れ出た。私には思考力と自己認識能力が欠けていた。あらゆる場面や行動に問題を抱え、それを解決する為の手段や方法は私に適用されなかった。仕事が出来ない時、何がわからないのかもわからなかった。それは私に十分出来る、これまでの生活に親しんできた内容の仕事だった。だが私には出来なかった。私に教えようとしてくれた人は、私が何がわからないのかもわからないせいで、お互い首をひねるしかなかった。
私の体が、脳みそが、意思が、私のものではなかったというだけの事だった。私はうまくやらねばならなく、また自分がその様な問題を抱えている事も度々空白処理されてしまったので、外に出された私は単に理解力の浅く、しょっちゅう記憶を飛ばす扱いづらいだけの存在だった。しばしば一緒に住んでいた家族を苛立たせたりもした。
私は私の事を相談したかった。誰でもいいから、私の存在に気付いて、私の事を見て欲しかった。だが最もそう切望する時、私は言語を奪われ、思考を喪わされた。心の最奥に幽閉され、そこで絶叫しながら、外側の私は周囲の人に笑いかけ、調和に加わり、普通にお喋りをしたりした。全く本質とはかけ離れた、だがそれっぽい様な悩みを知人に打ち明け、相談し、解決への糸口を得た様な時は普通に感激してみせ、またそれが私である様に様々の感情をし続けた。そうして私は透明になった。



第八章 邂逅

先だって、私の就労について御世話になっている人物の来訪があった。話の内容は私の通院の事だった。四話の後ろの方で触れた通り、私は精神科に通っているが、ここ一ヶ月程通院と服薬を怠っていた。薬を飲む事に関して私の抱く危機感と恐怖を、拙いながらもぽつぽつとその人に打ち明けた。
私はその人に向かって外の自分が出、明るく元気に振る舞って何事にも前向きに取り組もうとする姿勢を見せようとするのではないかと非常に危惧していた。私は私の、出来ない事を出来ると確信めいた口調や表情で口走り、それを私の本心と錯覚し、また全く理解の及んでいない事について首を縦に振ったりする事を知っていたので、私はいつ重要な場面で私が私でなくなってしまうのかということを常に恐れていた。
約一年前に医者にかかりたがったのも、投薬治療を望んだのも私だった。その効果は十分にあった。私の診断は鬱病ではなかったが、抗鬱薬は確かに私の精神に作用し、私に出来る以上の力で私を苦しめているもの達から私を引き離し、明るい方へ浮上させ、新たな方向を見させてくれた。基本的にはその位置に私を留めていてくれた。薬が無ければ先述した思考力低下と酷い鉛様なまりよう麻痺と強いパニック不安の為に、私は仕事に行く事が出来なかった。
だが四話で先述した通り、薬は私本来の自我を無くすものでもあった。過去を棄て去り、新たな自分やこれからの創造の為と銘打つならば、それはせん無きことであったが、私にとっては全くそうではなかった。それは自己を尚も崩壊させる手助けをするもので、私は補修されて新たな自己を得るどころか、救い出して光を当てるべき真実の自己を益々ひた隠しにされ、私自身は渇望する癒やしから遠ざけられるばかりだった。
だが、私はもはや投薬に復帰しなければならない所まで来ていた。通院を途切れさせたのは約一ヶ月前からだったが、その時には服薬量を増やして貰えるように頼み、それを用量以下で更に途切れがちに常用していた為、完全に薬の効果が切れて来たと実感したのは本当にここ最近の間の事だったのだ。そうして私は今月の上旬から、この手記を書き始めた。
薬を飲んでいる間、片方の私だけが強くなり、生き生きとし始める。そうしている間は、私のこの内面に携わる事柄について自分でふれることは叶わなくなってしまう。私はただでさえ傍観者であり、私の人生の脇役であった。だが薬の切れてきた今、初めて再び私の精神はあの場所に戻り、元の自分自身だったものを見つめ直す機会を与えられた。私は服薬を開始する事でそれを妨げられたくなかった。また道化と葛藤の日々に戻され、自己を消失させられる事ほどーそしてそれを自らの内に推奨しだしてしまう事ほど、私の望まないものはなかった。これ程逃れがたく恐ろしいものから、私は全く初めてと言っていい程、空白処理の行われづらく、内側と外側の反転の起こらない地点まで距離を取って、その間合いを見極め、対峙する事が出来ている。
それこそが新たな自己との邂逅だった。偽の、そうなりたがった道化ではなく。だが、薬を止めているが故の危険も常に付きまとった。自分の中の透明な壁に手を当て、その内からぼんやりと浮かび上がってきた、秘められた内なる自己と対話をし、本来の感情を取り戻していく事は、暗闇に引きずり込まれてしまうような凄まじい鬱とパニックを私の中に引き起こした。私の頭はめちゃくちゃになり、思考を巡らせただけで涙したり、動機がしたり、当時の意識が感じていなかった憎しみのような激情を感じて自分が手に負えなくなったりした。一度ひとたび引き込まれてしまえば、それらから距離を取り直す事は非常に難しく、どうやって昨日まで、つい先程まで常人の様に振る舞っていたかもわからなくなってしまう。もしそのままでいれば、私は襲い来る鬱と鉛様麻痺に日毎体を動かす事が叶わなくなり、気分の上下と焦燥感と思う様に動かない体に精神を削られて、やがて廃人の様になってしまうだろう。
薬でそれを抑えつつ、だが私の根幹には触れさせる事無く、私本来の自我の放出を手助けさせる事が出来れば私にとってそれ以上はない。だが、私は複数存在しており、未だ完全に私が私のものとなった訳ではなかった。めいめいが私の体を我がものとしてしまう様な時があると前述している通り、私の意思は時にその存在と主張を薄くされ、意識は逸らされて、私の本質から、私の為すべき事から、真実私である様な事から遠ざけられてしまう時がある。
じきに通院に復帰した時、私は今のこの私を保っていられるのか。昔に自身の事を文章に起こして翌日にはそれを消去していた様に、私は存在を奪われずに意思を持ち続けている事が果たして出来るだろうか。



第九章 かつ

人間は皆生きるという事に何らかの価値や目標や意味といったものを個々に見出し、めいめいがそれに終身向かっていくものの様に思う。或いは真っ直ぐに力強く、或いは脇道に逸れながら軸の周囲を徘徊する様に不確かにでも。
私の目的は何だろうか。私という人格の、形成されて来た自己の、元々持っていた自我の、その選択した様々の術は、結局の所一体何を見据えて今日まで有ったのだろうか。私が私を生きた理由は一体何だったであろうか。
私はこれまで述べて来た苦難を、自分で一々考えて選択して来た訳ではない。いつの日も私はただ普通を生きてみたかっただけだった。そこから果てしなく遠い所に自分が生きている事をいつも知っていた。それを思い込みと叱咤される事が、考え過ぎだと励まされる事が何よりも辛かった。私とこういった複数の自己や違和感、自分自身に対する他人感、普通の人の自己を邁進させる為の努力や葛藤といった克己が素通りして行く内なる私の存在は、切っても切り離せる様なものではなかった。取り去ったり、これそのものを治療させるべきものの様に思われる事が、昔程ではないが今も私には冷たく恐ろしいのだった。一体、私のこの生涯を通して私は何を得んとしているのか。私とはそもそも何だったのか。私はいつか心から安堵する事が出来るのだろうか。
私は癒されたかったー満たされたかった。心の底にはいつも穴が空いていた。私にもたらされる祝福や恩恵は、漏れなくその穴から落ちて行った。底の空いたバケツの様に、私の根本は飢え渇き、いつも同じものを渇望し、またそれがいつでも私の手をすり抜けて行くさまに更なるかつえと絶望を生んで来た。生涯手に入る事のない何かの為に、私はそれでも全人生を捧げようとは思わない。私の一部は死に近い所にいた。その私が私の第一人格となり、この身体を引っ張って行く事は不可能では無かった。
私は寂しかった。時折、道端ですれ違った女子高生の様な人でも誰でもよいから抱き締めて欲しいと願う事がままあった。私の心は子供だった。そして、今まで付き合って来た恋人達にいくら抱擁されようと、その欲求が完全にしずまることは結局無かった。愛情に飢え、また誰かを愛する事にも飢えていた。私は必要とされたく、それ以上に必要なものを得たかった。依存や欠乏を乗り越えて私自身からのみ湧き出でる源泉が欲しかった。そしてこれ以外の何を私は生に求めるべきだったろう。私の中に循環を生み、二度と途絶えさせる事のない平和を自らの内に見出して、それを私の中心とする事が出来たら、私はきっともう二度とあんなにかつえる事無く、何にも脅かされずに、全くただ一人の純粋な私として世界に存在する事が出来るだろう。私の外側だけでなく本当の私自身の心までもを抱き締めて貰う事が出来るだろうー



終章 手紙

この手記は、私が再び精神科の薬を飲み始めるまでの、内なる自己の記録となってしまった。
私は今日、薬を貰って来、それをもう今夜には飲まなければならない。私が出ていられる時間は、もう後半日程しか残っていなかった。
勿論飲み始めてそんなにすぐに効果の出るものではない。薬の性能如何に関わらず。だが重要なのはそこではない。私が、私の手で、私の意思で、内なる私の存在を感じたまま、その声を側で聴きながら、それでも服薬する事を選択するという事が何よりも私自身の自我を否定する事なのだ。それを実行してしまえばもう、後は私自身をフィクションにしてしまう強い誰かが私の内から出て来、知られざる間に私と入れ替わりを果たすだろう。私は敗れ、意識を追いやられ、自我を奪われて、魂は奥深くに再び幽閉され直すだろう。私はまたそこで私の様に振る舞っていく誰かを見るだろう。
これまで、半分遺書を書く様な気持ちでこの手記を綴って来た。今のこの私の、いつ自我と存在とを奪われてもおかしくなかった私の。その決定的な瞬間はもうじきやってくる。私は仕事をせねばならず、生きて行く為には私を消さねばならなかった。鬱々とした感情や混沌とした闇、パニック、声、もう一つの世界を連れて来るものを、薬によって私から遠ざけねばならなかった。そこに私自身がいた。だが私は傷、トラウマ、忌むべき病、過ぎた過去ではなかった。真実であり、魂の叫びであり、本来の私のこの肉体の持ち主であった。私の私たる人生を、生命を宿す自我を持つ唯一の存在だった。
私達は溶け合う日が来るのだろうか。心の最奥に追いやられはしても、決して消えはしないこの原初の叫びを、眼差しを、消してしまわずに我がものにし、いつか私の言葉で話す事が出来る日が来るのだろうか。私は全てを出したかった。私の内なる生命を、私の中で最も生き生きとするものを、私以上に私を生きていた存在とその姿を。私は私の感じていた感情を、思考した内容とその事実を、見つめていた先のものを忘れたくない。
私の主治医には服薬を開始し、薬が精神に変化をもたらしていくことが、自分が自分ではなくなっていく様で不安なのだろうと言われてしまった。それが見当違いである事を説明する術を私は持っていなかった。私の伝えたかった事は、薬を切らした事による気分の低下や不安定さの事などでは無く、元々存在していた私の複数の自己との衝突、入れ替わり、意識の不自由さや意思の奪い合いに関して、薬が私を助けずに、寧ろ闘いを助長させてしまう事だった。
この生き残りの闘いを何とかしなければ、私は永劫私のものにはならず、日常生活や社会生活等の全てにおいて、私は半透明のままだろう。私のものだった筈の思考を忘れ、自我は他ならぬ私によって無かった事の様にされて、それを私自身の意思であるかの様に塗り変えていくのを見るだろう。貼り付けられた人工的なものに心は休まらず、精神は分裂し、意識を戻そうとする思考は空白処理をされ、霞がかった様にぼうっとするだろう。いつ反転の起こるか知れず、本来の感情も願いも全てを透明にし、私を生きられなかった私の欠片に慟哭するだろう。自己の核を担う最も原初の部分を殺して行く度、私自身の自我は内なる孤独の中で、誰に知られる事も無く喪に服していくだろう。




Wed.1, Feb.2017
桜木結月



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