楽しく遍路

四国遍路のアルバム

北条 鴻の坂 窓坂 ひろいあげ坂 元遍照院跡 大西へ

2017-09-20 | 四国遍路

 
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北条鹿島
北条を「鹿島立ち」 して北上し、浅海(あさなみ)に向かいます。


北条港内港から
浅海は山の向う側です。腰折山の麓にある鎌大師から、鴻の坂を登り、浅海に降りてゆきます。
腰折山は、真ん中の山です。鴻の坂は、その左側の鞍部を通っています。


北条辻
浅海までは、5年前の平成24(2012)と、ほぼ同じ道を行きます。
H24春遍路 伊予路③ を合わせ、ご覧いただければ幸いです。コメントの重複は、できるだけ避けようと思います。
「花へんろの町」は、早坂暁さん脚本のテレビドラマ「花へんろ」に因みます。早坂さんは、北条出身の作家です。
「松山札の辻より四里」は、松山藩の里程標で、五里は、浅海にあります。


享保の地蔵
リップがほどこされているようです。見過ごしていましたが、享保15の年号が台座に刻まれています。
翌16年末より天候が悪化。享保17(1732)には、凶作、虫害、大飢饉に見舞われ、松山藩での餓死者は5700余人、との推定があります。その惨状を見てこられたお地蔵さんです。


法然寺
慶長11(1606)開基。火災などで場所を変え、元禄12(1699)、現在地に定まったとのことです。


法然寺
きれいな庭を造っています。


三穂社
事代主命と菅原道真公を祀っています。
事代主命は多くの場合、恵比寿神と集合し、海の神、五穀豊穣、商売繁盛の神として信仰されています。しかし此所、北条では、鹿島神社との関連で考えるべきでしょう。事代主命は鹿島の神に協力し、「国譲り」を円滑ならしめた神です。
実際、鹿島神社では、国譲りを迫った側の武甕槌命、経津主命に加え、いち早く応諾した事代主命をも、合わせ祀っています。


養護院
養護院は、青面金剛を祀り、青面山と号します。
真っ青なお顔の青面金剛さんは、鬼病を流行させる鬼神です。病魔を退散させるには、病魔中の病魔にお願いするのが一番。拝み倒して、味方になってもらいました。毒は毒を以て制す、ということでしょうか。


杖大師
また養護院は、「お杖大師」とも親しみ呼ばれ、異なる由緒をもっています。
・・文政8(1825)8月25日のこと。北条に住む亀次郎宅を、一人の修行僧が訪れ、托鉢を請うたそうな。なにがしかをお渡しすると、修行僧は喜ばれ、その後、何度も立ち寄り、また宿泊もするようになったといいます。


杖大師
・・翌年の正月のことでした。修行僧は亀次郎の夢枕に立ち、仏教の教えを説いたうえ、杖、念珠、草履などを置いて、立ち去りました。
・・この話を聞いた、京都智積院の明星法印は、修行僧が弘法大師であったことを確信。残されたお杖を「仏の慈愛の杖」とし、当寺に奉納したとのことです。以来、当寺は、「杖大師」と呼ばれるようになった、とのことです。


立岩川河口
「えひめの記憶」が採録している話があります。
・・杖大師という庵がございますが、あすこが北条の一番北の端じゃったんです、昔は。
・・昔は、どこでも、村はずれに道祖神なんかを祭って、悪魔ばらいをしよりました。昔はねぇ、ホウソウ(天然痘)の神様なんかが、とことこ歩いてくるように思うて、「ここからは、ホウソウの神よ、入るなよ」と言わんばかりにね。・・。
北条の北のはずれ一帯は、立岩川がつくる湿地帯で、木製の橋がかかっていたそうです。橋をわたる一人ひとりを、青面金剛さんがチェックしていたのかもしれません。


腰折山
5年前、行きはぐった大通寺に、参ることにしました。腰折山の南麓にあります。


大通寺
寺名碑に、
  河野 久留嶋家 開基  
  禅 曹洞宗   大通寺
とあります。なお「大通」は、大通智勝仏(だいつうちしょう仏)から来ているのでしょう。大通智勝仏は大山積神の本地仏とされ、河野氏に信仰されました。


大通寺
ところが、またまた心残りなことになってしまいました。近くに来島水軍の墓所、恵良城主・得居通之の墓、また河野通朝の墓があるのですが、細かな場所が曖昧のままに来てしまい、しかも尋ねる人にも出会えませんでした。
また来る?


鎌大師
5年前、この境内で、おじいさんとの出会いがありました。ここにエヒメアヤメが咲いているので見せてやろう、とおっしゃるのですが、実はそれは、おじいさんの古い記憶の中でだけ咲いている花で、実際には、もう咲いてはいないのです。
「ないなあ、誰か、もらっていきよったかぁ?」などと言いながら、境内の隅々から近くの墓地まで、丹念に探して歩いてくれたのでした。穏やかな人でした。


境内の一茶碑
・・寛政七年正月十三日夕ぐれ、小林一茶は茶来をたずねて この道を最明寺へ・・とあります。
ところが、訪ねてみると、茶来は十年も前に亡くなっているのでした。・・一茶の歩いた道については、よろしければ冒頭のリンクから、ご覧ください。


鎌大師古墳
鎌大師古墳は、新城古墳群のひとつです。玄室が露出していますが、円墳です。当然、元は土に覆われていました。
最初の被葬者はわかっていませんが、今は十八人塚と呼ばれ、赤橋重時主従、十八人の墓とされています。古墳の再利用は、衛門三郎の子たちの「墓」とされる八塚でも、みられたことです。また前号でお伝えした国津比古神社などでも、みられました。


十八人塚
赤橋重時は、南北朝戦乱の時代、北朝(武士)方についた武将です。建武2(1335)、恵良城(烏帽子城)に立て籠もりましたが、南朝(宮)方についた忽那・土居・得能の連合軍に包囲され、自刃して果てました。
58番国分寺のところでもふれますが、南-北朝の戦いは伊予国でも、激しく戦われました。


鴻の坂の道標
鎌大師から鴻の坂を上がると、浅海の街が見えてきます。道標については、前記リンクをご参照ください。



これより下ります。歩いていらっしゃるのは、カナダから来た人でした。


五里
坂を降りると、松山藩の里程標が立っています。レプリカです。


お化粧地蔵さん
六地蔵さんは、年に一度、8月にお化粧してもらうそうです。


地蔵
なんとまあ、おきれいな。


おじのっさん
鴻の坂を降り、国道196号に出ると、三角地帯に、原のおじのっさん(お地蔵さん)があります。右が国道196号、左は集落の中を通る古い道です。
また、ここは番所跡だそうです。なぜ番所が置かれていたのかは、後述します。おじのっさんは、おもしろい譚をのこしていますが、ここでは略します。


原の大師堂
地蔵堂の国道を隔てた反対側、ちょっと奥まったところに、大師堂があります。
村人から篤く信頼される庵主さんが住んでいらっしゃったが、・・今は、地域で順番に掃除をしています。お遍路さんも泊まることができるようになっています。・・とのことです。
掃除は、実に行き届いていました。泊まりたいときの連絡先も表示されていました。


小竹地蔵堂
原地蔵堂から2キロほどでしょうか、歩くと、(協力会の地図には記載されていませんが)小竹地蔵堂があります。風早番外18番札所だそうです。
この地点には、(協力会地図では直進の道のみが示されていますが)、実際には、右方向に進み、国道196号と予讃線を渡り、県道339号に出る道があります。
今回、私が歩く道は、この道です。現へんろ道から離れ、旧へんろ道を探ります。


窓坂へ
旧へんろ道は、峠越えの道です。風早郡と野間郡の郡境がある窓坂峠を越え、さらに「ひろいあげ坂」を越えて、菊間に出ました。明治43(1910)、浅海と菊間の間に、国道196号のベースとなる海沿いの道が拓かれるまでは、この道が今治街道であり、遍路道でした。
真念さんは四国遍路道指南に、次のように記しています。
・・あさなみ村 番所あり、切手をあらたむる。過ぎて まど坂、ひろいあげ坂、この間一里余村なし。きくま村・・

   
道標右面                   道標左面
小竹地蔵堂境内に立つ茂兵衛道標です。
  右面: 132度目 為供養建之  願主 中務茂兵衛義教
  左面: 明治26年10月吉辰
残念ながら正面は、サツキが邪魔をして、全体が見えないのですが、浮き彫りされた指差しが上部にあり、県道339号の方向、つまり私が進もうとしている方向を指しています。元からここに立っていたかどうか、確認できていませんが、この道標が旧道を案内していることは、建立年から考えて、間違いありません。


県道339号
新道が拓かれた時の、旧道の多くがそうであるように、窓坂-ひろいあげ坂もまた、荒廃の一途をたどりました。窓坂のおよそ半分はミカン畑の中に消え、残る部分も藪に埋もれました。ひろいあげ坂は、大半がゴルフ場の中に韜晦しています。
にもかかわらず、面影をたどり歩くことができるのは、路をさがしては藪を払うなど、汗を流してくださった、多くの方々のおかげです。ありがたいことです。感謝申し上げます。
正面に名石山(めいし山)を見て進みます。名石山は標高297㍍。


郡境碑へ
進むべき道の詳細を記すことはできませんが、この石垣は大きな目印です。


郡境碑へ
名石山が近づいてきました。路は簡易舗装されています。


郡境碑
左に窓坂池の堤防が見えてきます。溜め池です。右の白い看板が、郡境碑の説明看板です。


是従南 風早郡
風早郡と野間郡の境界を示しています。
ただし、えひめの記憶は、・・この石碑は、本来在った窓坂峠の郡境地点(現在地より北方約1kmの峠の頂上)から昭和53年(1978)にここへ移設されたものである。・・と記しています。


是従北 野間郡
行政区画の変化にともない、郡の境は、北条市と菊間町の境と変わり、今では松山市と今治市の境になっっています。中予と東予の境でもあることは、終始変わっていませんが。
ところで、「郡」の字ですが、この文字を書いた人は、縦線を長く引きすぎたのではないかと、後々まで案じていたそうです。・・たしかに長い、かな。


景色
景色を楽しみつつ歩きます。


後方
ふり返ると浅海の街が見えます。


窓坂峠へ
峠への登り口です。



HP「四国の古道 里山を行く」の著者である「熟年夫婦」さんは、・・数年前は先ほどの標識もなく、薮に突き当たって苦労したが、今は薄暗くて寂しい道ではあるが、通行に支障ない程度に切り開かれ、たやすくみかん畑の上部に出られる。・・と記しておられます。
おそらく今は、熟年夫婦さんの時より、もっと歩きやすいのでしょう。


ミカン畑へ
ミカン畑の農道に出る手前で、道を失ったかな?と、一瞬戸惑いましたが、行き止まりであってみれば、あたりまえのことでした。よく見ると、側を農道が走っていました。



農道を下ります。この辺を窓坂が通っていたのでしょう。



田植えが終わったばかりのようです。撮影は5月14日でした。


小祠
右上に棚地をつくり、石仏を祀っています。えひめの記憶は、かつては棚地と同じ高さに、田圃があったという古老の話を採録しています。地面を掘り下げた、ということです。


石像
お地蔵さんかお大師さんか、わかりませんが、台座には薄く、右へんろ道、とあります。この辺に旧遍路道が通っていたことの証です。


ゴルフ場
農道が行き当たった道は、ゴルフ場入り口に通じる道です。この道を歩いてゴルフ場を抜け、県道197号に出ます。


ゴルフ場
ゴルフボールの直撃を避けるため、ネットが張られています。


丸山池
県道197号を北上すると、やがて溜め池があります。丸山池です。



池を過ぎる手前に、左に上る道があります。この道を上り、民家の所を、さらに左に入ると、・・


里程標
ゴルフ場から出てくる具合の道に、里程標が立っています。元は、もっと先に立っていたそうですが、そこは今は、ゴルフ場になっています。


里程標
松山札の辻六里 です。鴻の坂を降りてきた所に五里の標識が立っていました。


県道197号
同じ道を下って、県道197号に戻ります。「長坂」という地名は、気にかかります。


長津神社
民家の後ろの杜は、長津神社です。神社は古墳の上に建っています。
分岐した道を左に行くと、予讃線踏切を渡り、遍照院に出ます。5分余の距離です。私はまず遍照院にお参りし、ふたたびこの地点に戻って、右に進みます。遍照院の元所在地を訪ねるためです。
菊間町友政に在った遍照院が現在地に遷ったのは、元禄4(1691)とも言われています。火災に遭ったことが、きっかけのようです。


遍照院
厄除け大師とも呼ばれています。


友政へ
長津神社の分岐に戻り、友政(とまさ)に向かいます。


菊間川
菊間川を渡り、・・


参道
写真奥の、立派な塀の下を、左方向に進みます。


遍照院元所在地 
遍照院元所在地は、菊間の町を見下ろす所にありました。



菊間町指定旧跡 遍照院元所在地、とあります。昭和53(1978)の建立です。


子育薬師  
跡地側の石段を上がると、子育薬師があります。


復する道 
跡地を降り、山裾を回るように歩くと、・・


復する道
すこしずつ予讃線に近づきます。


復する道
踏切を渡った所が、国道196号の八幡前バス停です。ガソリンスタンドがあります。
これで現在の遍路道に復しました。


お供馬
加茂神社の「お供馬」のポスターがありましたので、載せておきます。秋遍路は、これに合わせようかしらん?
その興りなどは前に記しましたので、冒頭のリンクからご覧ください。


びわ
ご覧いただきまして、ありがとうございました。
次号更新予定は10月18日です。国道196号の「八幡前」から大西町までをご覧いただきたいと思います。ただ、秋の遍路がからむと、・・?予定に変更があるかもしれません。その時は、ご容赦を。

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♬ 走れ 走れ コウタロー 本命穴馬 かきわけて ~ (天恢)
2017-09-25 09:23:34
 早いもので、喪中はがきの印刷やお節の案内を目にする季節となりました。 今年は冷夏の影響で彼岸花が本番前に倒れたり、枯れたりして興ざめのお彼岸になりました。 今回の「北条 ~ 大西へ」ですが、初回分の北条から菊間までの道中記を楽しく読ませていただきました。

 さて、今回のスタートは花へんろの町・北条、鎌大師を経て浅海へ。 ここまでは協力会遍路地図に沿ってとなるのですが、小竹地蔵堂からは今治街道の旧道に入り、地図上にはないミカン畑やゴルフ場に埋没した窓坂、ひろいあげ坂を越えて、菊間の遍照院へ。 ここで遍路道に合流と思いきや、地元の人さえ忘れ去った?小高い丘の上にある元遍照院跡に回り道されて、浜へ下って国道196号の八幡前バス停で、やっと現遍路道に復されました。 
 北条を朝立ちするお遍路さんは菊間まで約2時間半、大西までは半日程度で歩き切る距離ですが、地図にもない旧街道を実際に歩くとなると、事前に相当な下調べが必要となることでしょう。 天恢もグーグルの地図で何とかポイントは押さえたのですが、HP「四国の古道 里山を行く」を拝見して、おぼろげながら全体の道程が掴めました。 山中ともなると簡単に道を尋ねることもできません。 好天の日ばかりじゃありません。 どうして「楽しく遍路」さんは、こんな苦労までされて歩かれるのか? ですが、埋没して、消えた旧街道や遍路道を掘り起こし、復元し、維持・保存される方たちが現にいらっしゃる限り、コリャ歩くしかありませんね!

 さてさて、タイトルの「♬ 走れ 走れ コウタロー本命穴馬 かきわけて~」 は、大阪万博のあった1970年に大ヒットした「走れコウタロー」です。 「走れ 走れ コウタロー 追いつけ追いこせ 引っこぬけ」と続きます。 高度経済成長期に入った日本が、とにかく前へ、前へとがむしゃらに進んだ元気のあった時代でした。
 ブログの終わりに菊間・加茂神社の催事「お供馬の走り込み」が紹介されて、この「走れコータロウ」が懐かしく蘇ったしだいです。 まっこと情報を得るには有難い時代で、YouTubeで「お供馬」が簡単に再現されました。 馬上の正装した美少年たちが馬にまたがり参道の坂道を一気に駆け抜けます。 「楽しく遍路」さんが『秋遍路は、これに合わせようかしらん?』と、ありましたが、ぜひぜひとお勧めしたいものです。 余談ながら、乗馬する少年たちは大勢のようで、それに比べて馬は少数のため、馬は何度も何度も走らされるので、馬にとっては大厄日になるかも・・・・・。
♪空をこえて ラララ星のかなた ゆくぞ・・ (楽しく遍路)
2017-09-27 15:19:47
彼岸花、そうでしたか、今年は冴えないなあなどと、私も思っていたのでしたが、冷夏の影響だったのですね。
   渾天を支へて曼珠沙華の紅  狩行
曼珠沙華はやはり、こうでなくては。

今回も楽しいコメントありがとうございました。そして、私の感謝の気持ちを取りあげてくださり、ありがとうございます。
おっしゃるとおり、・・・埋没して、消えた旧街道や遍路道を掘り起こし、復元し、維持・保存される方たちが現にいらっしゃる限り、コリャ歩くしかありません、・・・です。
しかし私の古い道歩きは、けっして苦しいものではなく、楽しいものです。喜怒哀楽はありますが、苦はありません。なにしろ先人達から、美味しいところだけをいただいていますから。
時には髷姿の通行人を想ってみたり、また時には、空飛ぶ役行者を想像してみたり、・・それが鉄腕アトムのポーズだったりして、・・車も走っていませんので、自由に時間と空間を使わせていただいております。

YouTubeのお供馬、私も拝見しました。
全体としては勇壮なものですが、中には、農耕馬か荷駄馬の血統を引くらしい馬も出ていて、騎手の少年がいくらむち打っても、ポコポコのんびり、少年の焦りを他所に、立ち止まってみたり、面白い場面もありました。

ただし昔は、その歳の吉兆、豊凶を占う神事でしたから、坂の上には高い壁があり、(今は駆け抜けていますが)、馬と少年は、これに挑み、これを越えなければなりませんでした。危険であるだけでなく、村落の命運にかかわることでもあり、面白いどころではなかったようです。
それだけに、壁に挑んだ少年はその勇気を称讃され、見事乗り越えたときには、村落に吉、豊をたぐり寄せたとして、その功が称讃されました。

菊間加茂神社の見ものは、お供馬の走りもさりながら、なんといっても御神幸行列でしょう。
神社のHPによると、行列立ては次のようです。
・・牛鬼(牛鬼は宇和島だけのものではありません)、→猿田彦命(ダイバ=天狗、の姿をしています。猿田彦命が天孫降臨の案内役をはたしたことに因みます)、→獅子(ムカデ型の獅子です。継ぎ獅子も演じられます)、→露払い、神旗、毛槍、弓、立傘、鉾、盾、幟、と続き、→いよいよ、加茂神社本社の神輿、末社の神輿が往き、→しんがりに供奉するのが、少年達の騎乗する馬、すなわち「お供馬」です。
いやー、見たいのですが、今回は残念ながら、時間的に無理のようです。見送りです。

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