楽しく遍路

四国遍路のアルバム

箸蔵街道  別格15番 箸蔵寺 

2017-11-15 | 四国遍路


 
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はじめに
申し訳ありません。古い記事をリライトして、更新の「責」を果たさせていただきます。
雨つづき、台風の襲来。加えて体調の不良。残念ながら、恒例ともなっている秋遍路が、まだ歩けていません。


土讃線讃岐財田駅
平成21年10月、讃岐の北、海岸寺から南下し、善通寺→金刀比羅宮→神野寺(満濃池)→箸蔵寺へと、交通機関を使いながらでしたが、詣りました。
今号ではその内の、箸蔵街道-箸蔵寺の部分を、ご覧いただこうと思います。歩き始めは、土讃線讃岐財田駅です。


駅前のタブノキ
駅前の立派なタブノキの下で荷物を詰め替えていると、若いお母さんと一才くらいの男児がやってきました。
すると、どこで見ていたのでしょうか、お年寄りが一人二人三人と集まってきて、「おーおー、上手に歩くわ」「かわいいねえ」など、口々に言いながら、子供と遊び始めました。
天気のいい日は、いつもこうして遊ぶのだそうです。男児はこの辺の王子様。お年寄り達のアイドルなのでした。
あの児も今は小学三年生。すこし生意気になっている?


道標
さて、王子様とお年寄り達にバイバイをして、私は歩き始めます。
歩き始めは、10:00でした。ネットから得た情報では、財田駅から箸蔵寺までの所要時間は6時間。16:00には着ける計算です。
線路に沿って上り方向に向うと、すぐ写真の標識があり、これに従って線路を越えます。
  讃岐財田駅 0.2キロ  金刀比羅宮 9.7キロ  塩入駅 8.6キロ  二軒茶屋 5.8キロ、
とりあえずの目標は、二軒茶屋です。



二軒茶屋は地名です。かつて二軒の茶店があったそうですが、今は営業していません。
平成21年時点では、この先、箸蔵寺まで、食べ物、水ともに、調達できる所はありませんでした。



お年寄り達の話では、財田から登る人より、箸蔵から登る人の方が多い、とのことでした。財田からの方がキツイからだろう、と言います。
察するに、箸蔵からの急坂をケーブルで上り、その後、緩やかに坂を下ってくるのでしょう。たしかに、その方が楽のように思われます。



箸蔵街道を歩く人の多くは、金比羅さんの奥の院、箸蔵寺に参る人たちでした。
説明看板には、・・金比羅さんに参拝した人は箸蔵寺にもお参りしたものです。箸蔵街道は、こうした参詣人のための街道として栄えた道で、・・毎日、20-30人ずつの人が列をなして、この街道をつぎつぎと行き来したそうです。また農繁期前後には、何百頭もの借耕牛(かりこ牛)が鈴を鳴らして通った、ともいいます。・・とあります。
借耕牛とは、水田の多い讃岐地方の農家が、水田の少ない徳島の山間部の農家から、農作業のために賃借りする牛、またはその制度をいいます。



箸蔵寺に参拝する人の中には、四国遍路の人も多くいたに違いありません。
寂本さんは四国遍礼霊場記に、・・金比羅は順礼の数にあらずといへども、当州の壮観名望の霊区なれば、遍礼の人当山に往詣せずといふ事なし、・・と記しています。とすれば、その奥の院まで足をのばす人も、いたことでしょう。


箸蔵寺百丁の道標
10:10 箸蔵寺百丁の道標につきました。これより箸蔵寺まで、一丁109㍍として、およそ11キロです。
道標は、萬延元(1860)、奥州行方郡栃窪村(現・福島県南相馬)の人が寄進しています。頭部の龕に坐すのは、弘法大師のようです。



傍の説明看板には、・・明治8年(1875)から同10年(1877)にかけて、大久保諶之丞(四国の道造りに、大きな視野をもって貢献された方らしい)が、太鼓木から石仏の中腹に六尺(1.8㍍)の新道をつくりました。この道は新街道とか太鼓木道ともいわれています。ここ荒戸には今も「箸蔵寺百丁」の道標が残っており、・・とあります。
「新街道」と呼ばれるのは、西方に、猪ノ鼻峠を越える阿波街道(現在は国道32号)が通っているからでしょう。


道標
  讃岐財田駅 1.5キロ  二軒茶屋 4.5キロ
財田駅から二軒茶屋までは、「四国の道」になっています。


交差
林道で道が分断されています。しかし標識はしっかりしており、迷うことなく、写真奥方向へ進みました。
繰り返しますが、本記事・写真は、平成21年時点のものです。


景色
10:50 だいぶ上がってきました。景色は、財田方向だと思います。


登る
坂の上で、キノコ採りの男性に会いました。この方が、街道で出会った唯一の人でした。
・・この坂で登りは終わりでしょうか?
・・なーに言ってる、半分も来とらん。  


イノシシのお風呂
・・イノシシは昼間は出てこん。心配いらん。霧があったりすると、バッタリ、もあるかもしれんがな。
・・寒いけん、ハメも心配いらん。ハメいうたら、マムシのことよ。



快適に進みます。



よく整備されています。これではハメも出ないでしょう。


道標
11:30 ずいぶんのんびりと歩いてきたものです。1時間半で、3.8キロ進みました。
  二軒茶屋 3.0キロ  讃岐財田駅 3.8キロ 


68丁
さきほどの百丁石を起点とする丁石です。箸蔵寺まで68丁。およそ7.5キロです。


薬師さん
12:15 薬師さん着 石の上、3Mほどの所に薬師如来像があります。天保十五年辰二月吉日(1844)と刻まれているそうです。
・・昔、讃岐の作造さんが阿波の親戚を訪ねての帰りのことじゃ。峠にさしかかると、親戚の者が追いかけてきて、風呂に入ってもらうのを忘れとったから戻ってくれと言います。


薬師さん
・・作造さんは戻って風呂に入り、背中を流してもらったお返しに、親戚の者の背中を流すことになったんじゃが、ゴシゴシ ゴシゴシ、いくらこすっても、もうよいと言ってくれません。作造さんは性悪タヌキにだまされて、夜が明けるまで、薬師さんの背中をこすっとったんじゃと。タヌキが阿波タヌキか讃岐タヌキか、それは知らん。ここは阿讃の境じゃけんの。


石仏越え
12:16 財田から登るとき、厳しい登りはここで終わります。標高789.9M。
財田駅の標高は約150Mですから、実標高差は640Mほどです。
四国の道道標の右方向は讃岐財田駅への距離を、左方向は二軒茶屋、箸蔵寺への距離を示しています。数字は、残念ですが写りが悪く、よみとれません。斜め奥方向は、石仏の所在を示しています。 


石仏像
「石仏」の標識から30Mほど奥には、地蔵菩薩がいらっしゃいます。どうやら「石仏」は、薬師さんと地蔵さんを指しているようです。


二軒茶屋
13:05 二軒茶屋です。後から知ったのですが、石仏越えから二軒茶屋まで、(道標はないそうですが)、四国の道とは別に、旧道もあるのだそうでした。


49丁石
二軒茶屋の近くに49丁石があります。ほぼ中間点です。


採石場
採石場があるようです。


分岐
13:20 右方向は いぼ地蔵を経て国道32号猪ノ鼻峠。こちらが四国の道です。下部に「雲辺寺」の道標があります。いつか歩いてみたい道です。
箸蔵寺へは左方向に進みます。従って、これより先、私が進む道には、四国の道の道標はありません。


山並み
「山波」が寄せてくるようです。陽当たりの中に座り込み、水を飲み、不二家の「塩アメ」を口に入れました。
・・一人で大変じゃったな。お大師さんの道じゃから歩けるんやろな。
これは、今夜お世話になる宿の女将さんの言葉です。


廃屋
14:00 馬除(うまよけ)という集落の跡です。 
二軒茶屋で見た昭和61年作製の案内板には、「ここ(馬除)まで行くと民家がある」と記されています。その頃は、まだここに暮らしがあったのです。
昭和42(1967)には、猪ノ鼻峠など数カ所にトンネルが抜け、国道32号が開通。箸蔵街道の有用度は下がりましたから、馬除の人たちは、その後もずいぶん長く、頑張っていたことになります。なお、同案内板は讃岐財田駅を、「国鉄 讃岐財田駅」と記していました。翌年、62年、民営化されます。


分岐
迷いそうですが、道標がありました。正解は右です。


20丁石
 箸蔵寺江二十丁
 讃州煙草問屋 阿波屋
阿波の池田や三好は、煙草(きざみ煙草)の産地として栄えていたそうです。この問屋は、その阿波から讃岐へ店を出して、財をなしたのでしょう。


一升水
柄杓の下の蓋を開けると、水があります。
・・お大師さんはのどが渇いて水を飲みたいともうた(思った)。ところが、どこにも水はない。ほんで、持っとった杖の先を土ん中へ刺すと、ほこからきれいな水がこんこんと湧き出たそうな。ほれから、この水を「一升水」ちゅうようになったんじゃと。どんな時でも絶えんというぞ。


道標
もうすぐです。


88ヶ所お砂踏
15:20 箸蔵寺着。5時間20分で着きました。ただし、ここはお寺の奥の部分、88ヶ所お砂踏だそうです。
88ヶ所各霊場から取り寄せた砂がまかれていて、これを踏み歩いて、実際に廻ったと同じ功徳をいただきます。なにかの理由で四国88ヶ所を廻れない人のための、四国霊場です。


御影堂
進むと御影堂に出ます。大師堂です。
本殿参拝の後、お参りに来ますので、ひとまず軽く頭を下げて通過。本殿に向かいます。


御本殿・国重文
箸蔵寺では「本堂」とは言わず、「本殿」と呼んでいます。神仏習合の寺らしい呼称です。
実際、本殿で祀られているのは金毘羅大権現です。権現は、仏が神に化身して、権(かり)に現れた姿をいいますから、まさに箸蔵寺は、神仏習合の寺であるわけです。
なお、ご本尊は大師御自作の秘仏で、開山以来、歴代の住職でさえもそのお姿を拝んだことがないのだそうです。


御本殿
明治に入り、神仏分離政策が強行され、もちろん箸蔵寺の本寺である松尾寺もまた、金比羅さんから分離され、廃仏毀釈の嵐にさらされたのですが、そんななか、その奥の院である箸蔵寺が神仏習合のまま存続できたのは、どのようにしてだったでしょうか。
その経緯を箸蔵寺HPは、次のように記しています。・・当時の仁和寺の門跡は、最後の皇室出身者である純仁法親王でした。親王は勅命により還俗し、小松宮彰仁親王として戊辰戦争で旧幕府軍を討伐する官軍の大将となりました。・・


本殿額
・・「宮さん宮さん」の歌で錦(にしき)の御旗を掲げる総大将その人です。つまり、新政府側であり、なおかつ天皇ゆかりの方が御室派のトップであったことが、箸蔵寺が神仏分離を免れた大きな理由です。戊辰戦争にかかった莫大な費用の多くは、親王が御室派の寺院から調達したと言われています。箸蔵寺も何らかの形で戊辰戦争に関わっているのかもしれません。
おもしろい歴史の一コマです。


薬師堂
文久元(1861)直前の建造と考えられるそうです。祈祷札から割り出した建造年だそうです。国の重文に指定されています。


石段
箸蔵寺の寺名は、金毘羅大権現からご神託を受けた大師が、・・箸を挙ぐる者、我誓ってこれを救はん・・と決意されたことから来るそうです。
「箸を挙ぐる者」は、「全ての人」を意味します。全ての人々の救済を、大師は当地にて、誓われたわけです。


鐘楼堂
本殿や薬師堂、また(下の写真の)護摩堂とは異なり、彫刻が施されておらず、簡素な印象を受けます。しかし本堂などと一連する建造物だそうで、これもまた国の重文です。
鐘楼堂としては大きい印象をうけます。


護摩殿
本殿を見本に建立された、とのことです。本殿や薬師堂とともに、細密な彫刻が施されています。国の重文です。


ケーブル
朝の天気予報は「晴、ただし急なドシャブリ、雷に注意」でした。どうやら、そのドシャブリに見舞われそうです。
残念ですがケーブルで、急ぎ降りることにしました。ケーブルは15分間隔で運転されています。


ケーブル
大きな景色です。吉野川が見えます。
ケーブルの下の駅は土産物店になっていました。「お茶をどうぞ」と勧めていただきました。気は急いてはいましたが、有り難くいただきました。美味しかったです。


土讃線
余裕があれば隣駅の坪尻駅まで行って、スウィッチバックなるものを見物したかったのですが、もうそんなどころではありませんでした。駅舎は線路の向側です。鉄道工事の人たちの許しを得て、線路を横断し走りました。発車時刻だけでなく、雨雲も迫っています。


黒雲
風雲は急を告げております。駅舎の辺も暗くなってきました。
にもかかわらず、こんな写真を撮った自分に、今、あきれています。


駅舎
16:45 箸蔵駅着。待つ間もなく、列車が来ました。ディーゼルの一輌車です。
乗るや、モーレツな雨と雷。ディーゼルは潜水艦と化して、果敢に進みました。
同乗の男子高校生の会話です。
  ・・ワシャー、傘がないがあ
  ・・役に立つかあ、ほんなもん!



後から気づいたのですが、ディーゼル車だから走れたのでしょう。電車だったら、落雷で止まっていたかもしれません。
池田駅で小降りになるのを待ち、宿に向かいました。宿ではすばらしい、女将さんとの出会いがありました。

ご覧いただきまして、ありがとうございました。次回更新予定は、12月13日です。
ただし、内容が秋遍路となるか、はたまた別のなにかになるか、それはまだわかっていません。

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4 コメント

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Unknown (枯雑草)
2017-11-20 21:23:16
こんにちは。体調がご不調だとのこと。私のが伝染したのでないことを・・。一日も早い回復をお祈りします。
さて、私は先月、長くは歩けないもので、車に乗っちゃって長州大工が建てた愛媛の15の社寺を廻っておりました。幕末以降の新しいものですが、その村や町の人々にそれはそれは大事にされている神社であるということが一番心に残りました。そのうちでも、その背景を含めて最も感動したのは、今ブログに出している伊予市の山吹御前神社でした。あと2回ほど後には東温市の金毘羅寺も出てきます。楽しく遍路さんが行かれた箸蔵寺と同じ金毘羅権現を祀る神仏混淆の寺ですが、ここは真言宗豊山派です。箸蔵寺のことと併せて寺の成り立ち、存続の不可思議を思います。
さてとりとめなく・・楽しく遍路さんの楽しい紀行報告を心待ちにさせていただきます。
Unknown (楽しく遍路)
2017-11-22 08:39:05
枯雑草さん こんにちは。
周防大島に興味を持ち始めて以降、ずっと長州大工のことは気になっていました。機会を見て、後追いさせていただきます。ただし退職後、私は車を捨て、免許も返納しましたので、(運転がとても下手だったんです)、15全部は廻れないと思います。
その分は、貴ブログで見せていただきます。これから金比羅寺なども登場するとのこと、楽しみに待ちたいと思います。

寺の存続のこと。
豊山派だけれど神仏混淆の寺もあれば、御室派だけれど、すっかり神仏分離されている寺もあります。たしか徳島の建治寺も神仏混淆の寺だったと思い、調べてみましたら、宗派は東寺真言宗とありました。
わからなことだらけです。これからも、いろいろと教えてください。

体調は、どこが悪いというのでもないのですが、なぜか不調なのです。歳を重ねたせいであろうと思いますので、秋から冬へ、季節も定まれば、なんとか回復するのではないでしょうか。
とにかく、秋遍路はすっぱりあきらめ、今は冬遍路をうかがっております。それもだめなら春遍路です。無理はしたくても出来ませんから、その点は安心です。
枯雑草さんも、かならずしも体調万全ではないご様子ですが、どうかご自愛ください。車でない遍路紀行も、やがて拝見できればと、楽しみにしております。
🎵ムヒぃ~が丘に、かゆみを止めてぇ~ 池田、池田、模範堂~♪ (天恢)
2017-11-22 10:52:34
 早いもので、今年も冬の便りが首都圏も含めて各地から聞こえてきます。 まだ11月ですから、この分だと本番の真冬の到来が気になるところです。 今回は平成21年10月に歩かれた「海岸寺−金刀比羅宮−満濃池−箸蔵寺−祖谷渓・・・高越寺」の「箸蔵街道 箸蔵寺」の部分のリライトだそうですが、こんな趣のある静かな旧街道があったのかと楽しく読ませていただきました。 

 さて、箸蔵街道は金刀比羅宮の奥の院として親しまれる箸蔵寺をお参りするために栄えた参詣道だそうで、往時は毎日、20-30人ずつの人が列をなして、この街道をつぎつぎと行き来したとなると、さぞ壮観で、にぎわったことでしょう。 今も「四国のみち」として讃岐財田から標高800mに近い「石仏越え」て、「二軒茶屋」を経て箸蔵寺までの整備された山道で、「雲辺寺」への分岐もあって、ここも一度は歩いてみたい旧街道です。

 さてさて、タイトルの「🎵ムヒぃ~が丘に、かゆみを止めてぇ~ 池田、池田、模範堂~」ですが、富山・池田模範堂の「かゆみにムヒ」のCMソングで、ユニフォーム姿の藤田まことさん登場します。 1985年のCMですからご存知ない方も多いことでしょうが、このCMの由来は箸蔵寺のある池田町(今でこそ三好市)にある池田高校にあります。 甲子園にさわやかイレブン・やまびこ打線旋風を巻き起こし、広く存在を知らしめた池田高校野球部。 1974年の春甲子園に初出場し、いきなり準優勝。 その後も蔦監督の指導の下で、三度の全国優勝を果たしました。 池田高校の強さにあやかって、校歌をモチーフにして制作された「ムヒ」のCMとなると今の世なら叱られそうですが、懐かしき良き時代でした。
 「楽しく遍路」さんが箸蔵街道を歩かれたのが8年前、その頃の記録や孫の成長ぶりを見るにつけ、歳月の流れを感じましたが、池田高校の初出場や活躍の時代からは、もう3、40年以上も過ぎているのですから天恢もどうりで年をとりました。 今回の「枯雑草」さんや「楽しく遍路」さんのコメントを読みながら、「老いは、遅かれ早かれ等しく人に訪れる」ということで、自分自身の「人生の仕手舞い」をどうするか? しみじみと考えさせられました。
♫しののめの 上野が丘に 花めぐり・・ (楽しく遍路)
2017-11-23 12:15:35
ムヒぃ~が丘に・・のCM、今ならネット炎上ネタ間違いないでしょうね。
当時も、けっこう顰蹙をかう向きはあったようですが、大坂芸人の毒気といいましょうか、藤田まことのキャラクターでしょうか、それらは吸収され、やわらげられたようです。放送コードギリギリをねらったCMではあったのでしょうか。

ご存知、「正調」県立池田高等学校校歌は次のようです。
しののめの 上野が丘に
花めぐり
そびゆるいらか みどりこき
阿讃の嶺と きそうなる
これぞわれらが学びの舎
ひかり ひかり ひかりを呼ばん
  ・・・
  たたえよ 池高
 輝く 池高
 池高 池高
  おお われらが 池高

ムヒが丘は、正調校歌では「上野が丘」です。2.5万地図上では、上野は「ウエノ」と表記されています。
上野が丘は、東西に延びるウエノ丘陵で、北は吉野川に削られた急崖、南は中央構造線が造る坂です。池田高校は、中学校、小学校、幼稚園とともに、この丘陵の上に建っています。

さて、天恢さん、私は今、いいお題をいただいた噺家の気分でいます。
次号のタイトルは、ぜひ「池田の街歩き」とさせてください。枯雑草さんへのお返事でも書きましたが、秋遍路をあきらめ、今は冬遍路をうかがっている状況です。次号に間に合いそうもありません。
池田のお題、ありがたく頂戴いたします。

なお天恢さん、けっこう私はしつこい質でもありますので、手仕舞いまでには、まだまだ時間がかかるかと思います。それは天恢さんも同じではないでしょうか。そして、間違いなく枯雑草さんも。
箸蔵寺は地理的に、なかなか計画しにくいお寺ですが、いつか、ぜひ歩いて見てください。

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