平凡な日々に向き合う・・・平凡な日々の中に、幸せがある。かも

無常こそ常。平凡な毎日に感謝と努力を。とは言え実際のところはさりげない日々の記録です。

多分だけど、親孝行の話を書いておかないと・・

2017-03-19 18:28:44 | 日記

昨日の、親孝行らしき話。

(らしきというのは、おそらく他の人なら普通にやっていることなのだろうと思うから・・)

実は、2年くらい前から老母が他県の姉の墓参りに行きたいと言っており、昨年に行こうかなどど話していましたが、時間はあるのに実行せずでした。

そうこうするうち、1年経過。今年も具体的には決まっていなかったものの、「行こう!」と決めれば何ということの無い行動範囲です。

一念発起、それこそ、動き回れる今、行かないでいつ行くの?いまでしょう~、と行ってきた次第です。

 

往復で250キロ+私の返り分50キロです。

疲れもせずに、姉弟3人の写真も撮れたし、私も、昨年からの心のつかえが下りてよかった次第です。

 

前二つの投稿と合わせ、諺的に言えば、「親孝行は親のためならず」(情けは人のためならず、のもじり)

 

もちろん意味は、「親孝行すると親のために良くないのでしてはいけない」、という意味ではなく、「親孝行することは、自分の幸せにもつながるもんだ、(出来る範囲で出来るだけ)やることだ」という意味です。

 

本日は、廃棄PCの用紙が来ていたので、箱に詰めて郵便局へ。集荷も依頼できますが、運動を兼ね自転車で・・・(しかも、大した金額にもならないのに負担になるのを避けました)

それが良かったのか、帰ってから、オートバックスさんに、ワイパーブレードの変えゴムを購入に行ったら帰りに「某有名店のクッキー」を小分けしたプレゼントを頂きました。

おお、美味しい

私は知りませんが、女房殿は良くご存じで、思い立って幾つか贈る用に昼から一緒に出掛け、早速買ってきました。少々自分達のも・・

で、その時、少々険悪な雰囲気に。

今日のひとこと

「カチンときてはいけない」と反省

では、本日も有難うございました。

おやすみんさい。

 

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深考:親孝行したいときには親はなし

2017-03-19 09:21:07 | 日記

再度、同じテーマ

昔と違うのが、「寿命」

信長なら50年と言っていましたが、実際、大体何歳くらいで一般の人が亡くなったかは推計です。

で、60歳還暦で、古稀が70歳とのことなので、70まで生きる人が少なかったのは間違いありません。

チョーざっくりいけば、明治くらいまでが50~65歳くらいでしょうか?

 

今や、80~85歳=子供の年齢は50~60くらい?

孫は20~40くらい?

 

老親の関係者(本人・親類・お仲間)の意見を聞いていると、「子供が親を看るのは当たり前・・・」のたまわっていますが、悲しいかな世の中が変化して、自分たちが新たな変化の局面の中の真っただ中にいるのに気が付かない、あるいは気が付かないふりをしている感じです。諺のできたころの世代を一つオーバーしている、医療が異なる、など大きく異なります。

 

当然、変化に合わせて、最後まで変化に対応してゆく方も多くいらっしゃいます。

老親には悪いが、私も変化に応じて対応する、そのように生きてゆきたいと思います。

老親からすると、私の考えは「冷たい、裏切られた」と捉えられるかもしれませんが、生物の本質はDNAの存続ならば、私の考えが正しい。

「親の面倒は子供が看るのが当然」とは、「本質」に逆らうある意味昔の年寄りが作った都合の良い考えかも。

逆に、「子供の独り立ちに力を尽くす」は、やはり、本質と思います。

 

〇親孝行したいときには親はなし

〇親孝行されたいときには、思うようにいかず?

でも、「されたいときって」何時だろう?今はまだ、体が動くから分かりません。私も、もっと年齢行くと同じこといてるかもしれません。子供が親の・・・

わがままなものです。( ´艸`)

 

なかなか、大変です。

ありがとうございました

 

 

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