わくわく郷土史研究会福岡

福岡を中心に郷土史を楽しく研究しようというグループです。

小金丸の「「やくじん様」。

2016年10月16日 | 小金丸考 

私たちが小さい頃から「やくじん様」といって親しんできた、志摩小金丸の鎮守の杜。・・・でも、この神社がいつごろから祭られているのかは知りませんでした。・・・このたび嬉しいことに、その由緒がまとめられているものを手にすることができました。それによりますと・・・

正式には「港疫神社」。通称「やくじん様」。祭神はスサノオの尊・櫛稲田姫尊・大己貴命・少彦名命・事代主命。明治十年創建。

社説によれば明治初年悪症(伝染病)がはやり、それを鎮めるために佐賀県唐津市湊港疫神社より悪症免除のため勧請。その時期、陸路より海路が近いため、岐志浦西村氏(網元)の船にて渡海、小金丸に至る。当時の境内はこんもりとした砂山で、松の大木が繁り西向きに建てられていたもので、現在の境内は船形となり東向きに建てられている。

江戸の頃かと思っていましたが、創建は明治初期でした。当時二丈から唐津への道路はまだ完備していませんでしたから、陸路より海路が便利だったのでしょう。・・・船で運んできたことやこんもりとした砂山だったこと、そして船形をしていることなどは初めて知りました。で、・・・早速確かめてきました。


☆そういわれれば・・・・たしかに船形をしているではありませんか。

☆鳥居は大正七年です。

「 当時の境内はこんもりとした砂山」だったということが気になります。昔から、すぐ近くにお墓があったことも考えあわせれば、もしかしたらこの辺りは古くからの墳墓だったかもしれません。

また、やくじん様の一角に小さな社がありますが、これは「大山祇神社」だそうです。このことについても由緒のしおりに書かれていました。

大山祇神社(通称山の神)・・・祭神 大山祇神・萱野姫命

山の神の所在地は昔大牟田の山中に住み小金山の山番として山の神と共に在り。火事にあい現住所小金丸二千百八十一番にうつり住み、山の神も港疫神社境内に移転し祭るようになり現在に至る。

聞くところによりますと、昔、山の神は大牟田つまり現在の志摩中学校敷地内に祭ってあったそうです。このあたりは小金山といい私たちが小さい頃は今よりも広く松林が続いており、「松葉かき」や「松露とり」などをした記憶もあります。・・・山の神を祭るほど地域にとって大切な山林だったのでしょう。

 

ブログ[Basan World]過去記事より編集しなおしました。(2016.10.16)

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