温泉おやじのつぶやき

屈斜路湖周辺の自然、温泉そして身辺雑記

「人間がいなくたって、地球は困らない」

2008-06-26 23:57:31 | Weblog
アイヌの祖先は温泉のことを「トイケム」(大地の血液)と呼んでいたそうだ。
これは、舘浦あざらし責任編集「いい旅研究室9」の新連載「カムイイピリマ」の中で現代稀有のアイヌのアーティストであるアトイが語っている。
アイヌの言葉は、森羅万象をその実態に即して表現している。実に合点のいくことであり、言葉の響きが耳にやわらかだ。
温泉は大地の血液である。その血液の提供を生業とし、その恩恵にも浴していることは本当にありがたい事だとおもっている。
しかし人間は因果なもの。あまり慣れ親しみすぎると、そのありがたさを忘れてしまう。挙句に見下してしまうことがある
自然と人間の関わりは、自然のほんの一部にしか過ぎないのが人間であるということ。
「人間がいなくたって、地球は困らない。」と知人のアイヌはさらりと言う。

先住の民の警鐘に改めて耳を傾け、今一度私自身、自然の恵みに生かされていること肝に銘じた。




八十四歳を迎えた母

2008-06-25 22:44:52 | Weblog
我が母親が八十四歳の誕生日を迎えた。
私の家族と姉夫婦、姪夫婦とで近くの屈斜路プリンスホテルでお祝いをした。
そもそも温泉宿をやろうと言ったのは母親である。若いころからの夢であったらしい。
今、こうして母をまんなかにして妻と私、この温泉宿を三人できりもりしている。もう、二十三年が過ぎた。
「更賜寿命」(きょうしゅじゅみょう)と言う。若くして物故した親父の思い奥底に、お袋は信じた道を生き抜き、気がつけば親父の分まで生命(いのち)をいただいている。本当に有難い事だと思っている。
お袋さん、まだまだお付き合い宜しくお願いしますよ。

もう、真夏の佇まい

2008-06-23 21:55:53 | Weblog
露天風呂の清掃の時に気がついた。
トンボが飛んでいるのだ。尾っぽを瞬間、湯面にくっつけている。
耳を澄ますと林の方から賑やかな蝉しぐれ。
六月の中旬というのに真夏の佇まいだ。
やはり温暖化の傾向か。
でもここ最近、天候不順。寒暖の差がありすぎる。作物にとっては旨さ・甘みをひきだすが、老体にとってはしんどい天気だ。
季節は新緑を終え、盛夏へと向かっていく。

    露天風呂湯音に負けぬ蝉時雨

別荘は何年維持できるのか

2008-06-11 23:05:58 | Weblog
別荘は何年維持できるのか。
私の温泉の近くに今は廃墟と化している昭和四十年代の温泉分譲地がある。何軒か廃屋となっている建物があるが、少し広めの庭や雨ざらしとなっているバーベキューの炉の跡が別荘の名残をとどめている。
別荘を持つことは庶民の夢に違いない。しかし別荘は何年維持できるのか。
正月、お盆、連休など休暇ごとに利用していたのが、その家族の構成も変わり家族を取り巻く環境も変化していく中でせいぜい年に数回しか訪問できなくなる。
人の住まない家は、どこかいたんで来る。いためば修理しなければならない。それが年を経るごとに修繕費としてかさんで来る。
やがて別荘を維持する事が、固定資産税などの経費で家計を圧迫する事態になる。そして売却にいたるのである。
日本人のライフスタイルにあって、別荘を持つ意味を今一度考えてもいいのではないか。

6月のある朝

2008-06-03 00:07:38 | Weblog
六月に入ったというのに寒い日が続いている。
まだ朝晩は、薪ストーブで暖をとっている。薪は十分にある。
今年の冬、急遽地域の友人に助けられ、かなりの薪をつくった。
そのせいか、どことなく気持ちに余裕がある。

林越しに屈斜路湖の水面が見え隠れする。
湖からの肌寒い風に煽られ、露天風呂の湯気が辺りにたちこめる。
脱衣所に置いてある薪ストーブからの煙と交じり合い、北国ならではの独特の温泉風景だ。
                      
いつもの様にエゾリスや野鳥達に朝食の準備をする。もう20年以上も続いている。 
焼き網に挟んでいる豚の脂身が少なくなっている。ヤマゲラやアカゲラの好物だ
知り合いの精肉店の話だと、昔は脂身はほとんど捨ていたそうだが、最近都会からの移住者が増え必ずといっていいほどバードフィーダー設置し、脂身を求めにくるとのこと。どこで商売になるか分からないと苦笑い。

薪ストーブの上のやかんがシュンシュンと沸き立っている。
やわらかい暖かさが周りに広がる。
 
さて朝のコーヒーブレイクといこうか。