ワカキコースケのブログ(仮)

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9月24日の聴くメンタリー・イベント報告と長いまくらとセットリスト

2016-10-13 21:05:06 | 日記

 

パソコン修理中のあいだ、仮に別のアカウントを立ち上げて、先日の聴くメンタリー・イベントの報告を書きました。復旧したので、更新し直します。


(10月6日更新)

9月24日(土)に行いました、「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリーatポレポレ坐Vol.Ⅱ」。無事に終了しました。おいでくださった方、気にとめてくださった方、ありがとうございました!

―半年ぶりのブログ更新で、やぶからぼうかな。今、ライフワークになるかもしれない予定の「聴くメンタリー」というのを、neoneo webでの連載とイベントの両面で進めており。合計3回目、ポレポレ坐では2回目の“実際におきかせする会”が、先日終わったのです。

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前日にパソコンを壊してしまい、その修理が、カフカの『城』ってこんな話だったよな、と思い出すほど首をかしげる理由―誰のせいとは言い切れないが、もしかしたら全員が悪いのかもしれない―の連続で、今も長引いている。報告のタイミングが遅れてしまった。
修理に出したところからレンタル機を借りて、ようやく当日かけた盤を紹介できる。

さて、SNSに書いたら長くなるけど、どうしよう。あ、こういうときのためにブログがあるんじゃないか。思い立って開くと、クモの巣(60日投稿されないと表示される広告)だらけになっていて、ギャー……となった。

しかも、ログインできないときた。IDとかパスワードとか、いちいち覚えてませんよ……。やむなく、別ページを作ることに。

なんで、こんなにブログをいじらなくなったのか。思い当たることはある。
初夏、マスコミ試写で『エルヴィス、我が心の歌』(12・アルゼンチン)を見てものすごく感じ入り、宣伝のイワイさんに、ワーワーと感想を伝えて帰った。
翌日、イワイさんから電話があり、「まだブログに書かないでくださいよ」。

若木さんはこの映画を丸ごと気に入ってくれた、かなり珍しいひとなので(難渋な面は確かにある映画なのだ。一般試写会では、試写会なのにアンケートに「金返せ」と書かれたと聞いて笑った)、どうせならパンフレットに寄稿してもらう。ブログに長々と書かれてしまうともったいない、とのこと。
ハハア、滅多にはないけど、こういう場合もあるのか。
これで、ヘンな抑制がかかり、ブログに書き留めておきたいほど面白く接したものごとも、スルーするクセがなんとなくついてしまっていた。


イベント報告が目的の更新なのに、まくらはまだ続く。約半月ぶりにキーボードで文を書けるのが楽しくて。
この期間、仕事では冷や汗をかいた。「売れない構成作家でよかった……」の一言に尽きる。がっちりしたものを受けている最中なら、降りざるを得なかった。

短い作業でも、
○事務所に出向いて手書きで書く。
○ひとのパソコンを借りて書き、電車に乗ってUSBを渡しに行く。
○スマホで打ち、メッセンジャーで送る。
これで、なんとかどうにか。十本の指を駆使してのキーボード、に慣れ切っていると、中指だけでスマホでナレーション原稿を、はまだストレスが強い。スマホ=あくまでメールを打つもの、という、脳みその認識の仕切りの問題ですね、多分に。

うわー、まだ本題に入るつもりにならない。ついでに、最近見た新作映画の感想を。


『シング・ストリート 未来へのうた』(2015 アイルランド=イギリス=アメリカ)

80年代半ばの貧乏な町の高校生が、かわいい女の子を「プロモーション・ビデオに出てよ」と誘ってしまい、慌ててバンドを組んで……という本末転倒な、MTVを浴びた第一世代ぶりが実にもう、自分とパラレル・ワールド過ぎて、悶絶してしまうような映画だった。
主人公の男の子がまずハマるのはテレビで見るデュランデュランで、次はザ・キュアーやスパンダー・バレエとか。兄貴に教えてもらうのは、ジャムやジョー・ジャクソンとか。監督ジョン・カーニーの「わかってますよ感」、いちいち挙げだすと、キリがない。

アラン・パーカーの『ザ・コミットメンツ』(91)を封切で見たときを、思い出す。
マネージャーを自認するアンちゃんが、強引にバンド・メンバーの構成を始める。あいつに任せて大丈夫か、とひとりが不審がると、そのアンちゃんの友達がこう言うのだ。
「あいつはこの町で最初にフランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドを買い、最初にごみ箱に捨てた奴だ」
それを聞いて、みんな黙って納得する。信用できるって。

ほぼ初めて、固有名詞ばなしが自分のリアルタイムな洋画を見ていることに、髪の毛が逆立つほどカンゲキし、笑った。『シング・ストリート 未来へのうた』は、これがほぼ全編なんだから。
音楽映画、バンドものは、トリビアにこそ神気が宿る。その法則をおろそかにしていない面は、満点に近い。えー、そのバンド聴いて、なんでアレやアレには行かないの? という疑問やツッコミももちろん、たくさん出てきて、それがまた、バンドのミーティングに参加しているような気分で楽しい。サントラすぐに買った。


『涙の数だけ笑おうよ 林家かん平奮闘記』(2016 製作委員会)

おそらくneoneoの関係者や読者のなかを探しても、「見といたほうがいいかな」と考えた人すら皆無ではないか、と思われるタイプのドキュメンタリー映画。
僕は決してアマノジャクではない。むしろ、文科省から推薦をもらっていいほどスナオな人間のつもりだが。『チリの闘い』三部作(75-78)みたいにガッチガチに世界的絶賛が定まった高級なものを見て、さすがはパトリシオ・グスマンである、とわざわざ書きつけるほど退屈な作業は無い。『涙の数だけ笑おうよ』なんて、タイトルからして(率直に言って)みくびられる質のものから、いいところを探すほうが生産的だ。そう思ってしまう生理の持ち主ではある。映画ライターとして、それで得したことは当然、ひとつもない。

で、探すまでもなく、この映画にはいいところがあった。それも、かなりの。
かん平さんは脳梗塞の後遺症で、半身マヒと言語障害が残っている。それでも、車いすで高座に出ている。そして最近は、苦労して古典をやるよりも、リハビリや通院経験をネタにした新作を作ったほうがのびのびやれるし、今の自分らしさが出るのではないかと模索している。そこで、病前からの後援会メンバーに集まってもらい、内々の試演会を開く。
この一連が、すばらしかった。

かん平さんは、みんなに励ましてもらいながらリハビリを続ける日々の感謝のこころを語るのだが、メンバーは、乗れない。ホンワカあったかに終始して、正直おもしろくない。おれたちは別に、身障者をやさしく見守るのが目的の集まりじゃない、噺家・林家かん平のサポーターなんだぜ、というプライドがあり、愛情がある。仲間だから、口ごもりそうになるのを乗り越えて、あえて、なかなかキツいダメを出す。かん平さんもそこは分かっている。ウーンと唸りながらも、聞く。しかし、それはムリだというのを越えたとき、カッと色をなす。ヘルパーさんの助けを借りないと風呂にも入れない身に、「もっと毒を」なんて、それは無いよ……と。

演芸と福祉の、いずれどこかで摩擦を起こさざるをえない接触点を、去年の『DOGLEGS』のように、バチーッと撮ってある。
この場面だけでも、僕の、今年のドキュメンタリー映画の収穫。


『君の名は。』
(2016 製作委員会)

始まってしばらくは、ああもう、ああなってこうなる展開から感動のラストになるまで見切った、帰ろう……と思った。
おみそれしました。もうしばらく見ていると、すれ違いメロドラマの道具立てがとても細やかに出来ていて、とても感心した。
あいにくもうオジサンなので、感動、とまではいかない。そういう感情は、お若い方々にきもちよく譲れる、という意味でだ。

僕らの中学高校の頃は、大林宣彦の〈尾道三部作〉という、キラキラした宝物があった。『ある日どこかで』(80)も。ハタチ過ぎた頃には『東京上空いらっしゃいませ』(90)があり、『新スター・トレック』の必殺エピソード「超時空惑星カターン」(93)だってあったよね。もう、それで十分。大人は、大人なんだから、いつまでも大ヒット作のキモが分かる、というアンチエイジングなエゴから卒業しなきゃ。蚊帳の外に置かれる不安で、あれこれ言うのはよそうじゃありませんか。
まさに「おれがおまえでおまえがおれで」な話が転がるこの映画の感動は、今の中学高校生のものだ。評論家やシネフィルのオジサンやオバサンに、ついていけない……と、いくらブチブチ言われても、すべて無視していいです。

ただ、演劇、音楽、小説、テレビ、世事、事件、ポルノなどなど、いろんなものを取りこんできた大鍋のような体質と歴史を持つ映画が、ここにきて、美少女RPGを咀嚼したアニメでも大ヒットを生んだか、と。その感慨は、なかなかのものがある。昔のメロドラマのすれ違いは、同じ地平で起きていた。時空のすれ違いをねっちりやる『君の名は。』には、〈ゲームから育まれた人生実感〉があると、僕はうっすらとだが、確かに感じた。
たとえば、さびしそうにポツンとたたずむ彼女の背中に、
「Aボタン・思い切って声をかける」
「Bボタン・次の機会を待つ」
次から次と現れる選択をひとつ間違えようものなら、次のステージで彼女に会えるかどうかさえ分からなくなってしまう。こんなドキドキ感は、もう、僕より年下のひとにとっては、血肉化したリアリティだろうと思うのだ。

そして、それでもきっと、ゲームの電源をONにし、プレーを続けている限りは、逢いたいと願う人にはめぐり逢える。明日に希望を持つ、とはそういうことではないか。監督の新海誠にとって、こうしたシナリオの組み立て方は、もはや確固とした人生観になっている気がする。ハッピーエンドを思想にまでしている人の作るものは、ブレてないぶん、どうしたって強い。ものすごく突然の連想だが、僕は武者小路実篤『真理先生』の読後感を、この映画を見て思い出した。つまり、白樺派である。理想主義である。

男の子も女の子も、どっちも優しく相手を慮れるいい子として描かれる。だから運命の絆を掴み、手繰り寄せあうのは、イケメンと美少女なのだ。リアルワールドでイケてない人たち(もちろん僕も含め)が、そこにケチをつけても仕方ない。長編アニメでは、性格のいい子ほど奇麗に描いてもらえるのがセオリー。意外とそこは、フェアな世界だ。

なにせ白樺派アニメだから、古風もいいところだし、甘いといったら、そりゃあ、とことん甘いのだが。いつまでたっても甘い=批判の喩では芸が無いでしょう、とも僕は考えている。新海さんは腰を据え、愛情をたっぷりかけて、甘い甘い、良いジャムをお作りになった。良いジャムがヒットするのは、いいことです。

さて、まくらはひとしきり終えて、イベントの件ですが……。なんだこの、心の底から湧きおこる、(ふう。ある程度書き終わったぞ感)は。
スミマセン、次の更新にさせていただきます。

(10月8日更新)

改めまして、9月24日(土)に行いました、「ワカキコースケのDIG!聴くメンタリーatポレポレ坐Vol.Ⅱ」の報告をいたします。

今回は、今後の定期開催を視野にいれるうえで、率直なところ、動員にこだわっていた。前回とトントンかマイナスになるようなら、一から考え直さなくては……と思っていた。
結果、前回比で1.5倍のお客様においでいただいた。大変にありがたいです。

もちろん、周知はまだまだの上に、まだまだ。音楽ジャンル以外のアナログ・レコードをお聴かせするコンセプトは、何度説明しても、やはりどこか、分かりづらいと思う。
個人運営のウェブサイトやミニコミ誌など、てづくりの媒体で「小さな記事にしてやってもいいぞ」と思ってくださるところ、無いものだろうか……と願っているものの、それも高望みの状態だ。

そんななか、覗きに来てくれた旧知のプロデューサーから翌日、BSの深夜番組の企画にできないかと連絡をもらった。大げさに言うと、初めてのメディアからの接触、というやつだ。構成作家業と聴くメンタリストは、自分の頭のなかで完全に別部署になっていたので、アッとなった。
先方の意向と僕のやっていることにズレはあり、すぐにどう、とはいかなかったのだが。ともかく、流行語も生んだ人気のコマーシャル制作で鳴らした人に、具体的な興味を持ってもらえたので。手探りでやっているぶん、自信になった。よーし、聴くメンタリーが話題を呼ぶまで、あと250歩のところまで来たぜ! という感じ。

以下、当日かけた盤のセットリストです。neoneoでの連載でこれまで取り上げた盤の紹介と、最近掘ったもののお披露目が、半々ずつぐらい。


【前半】

「あぶさん」江本孟紀(73/テイチク)

『ガッツ!!カープ ≪25年の歴史≫』(75/東芝EMI)
・球団創設時を説明する部分と、75年初優勝シーズンの巨人戦勝ち越しを決めた実況

『栄光の756号/王貞治』(77/ビクター)
・756号を打った打席の実況と、試合後のスピーチ

『園遊会』(78/CBSソニー)
・王貞治、片岡千恵蔵、福田恒存、市丸ほか

「効果音大全集 家庭・人間」(75/キング)
・赤ちゃんのシャックリ

『日本の郷愁―失われゆくものの詩 二 四季の野鳥たち』(不明/リーダースダイジェスト)
・ヒバリほか

『東宝SF特撮映画予告篇集』(83/アポロン)
・「ゴジラ」


【後半】

『‘78 リオ・カーニバル』(78/キャニオン)
・当日の実況とボーナスディスクの曲「誰もいない海」

『日本の郷愁―失われゆくものの詩 三 懐かしき物売りの声』(不明/リーダースダイジェスト)
・朝顔売り、浅利売り、辻占売りほか

「『仁義なき戦い』の果てに ―死にそこねた男のモノローグ―」菅原文太(74/テイチク)

「七人の侍 ―侍のテーマ―」ジ・オールドタイム・フォークシンガース(不明/東宝)

『東本願寺 声明集 一』(不明/ミノルフォン)
・正信偈と御文「白骨」

『美空ひばりオン・ステージ』(75/日本コロムビア)
・ひばりのMCいくつか


前半は、ちらしを王さんにしたのと、プロ野球シーズン大詰めが近いことにちなみ、プロ野球特集。
王さんつながりの『園遊会』は今回、いちばん評判がよかった。
ところが、針の頭出しがいちばん上手くいかず、大反省の盤でもあった。おきかせしたい人が他にもいたのに出せなかったのは忸怩たる思い。ところが、焦って針を置いたところがちょうどピッタシ、昭和天皇の必殺フレーズ「あ、そう」だったりして、「あそこが面白かったよ」と複数人から。フクザツな心境です……。

休憩をはさんで、後半は、リオ五輪に合わせて連載で取り上げるつもりで、忘れてしまっていたリオのカーニバルの実況録音から。
これが、ワサワサした雑踏音の向こうから、うっすらと笛や太鼓が聞こえてくるのみという、なんともいえん代物。
「これでは売り物にはならない」とさすがに日本盤スタッフは考えたらしく、付けたボーナスディスクが、日本語の達者なブラジルの女の子歌唱の「誰もいない海」。

まつりのあとのさびしさを表現したかったのか?
だったとしてもさ、なんで、トワ・エ・モワでヒットしたこれなの?
ゆるゆるな謎に満ちた盤へのお客さんの反応は、けっこうあたたかった。当時のコンテンツが往々にして持っている脇の甘さには、どこか、人をホッとさせるものがあるようだ。僕が買って、外した……となる盤ほど、喜んでもらえる。おもしろい教訓だ。

「『仁義なき戦い』の果てに ―死にそこねた男のモノローグ―」と「七人の侍 ―侍のテーマ―」については、やや強引なセレクトでした。
作詞は、どちらも監督自身。
文太がうなる「ヤッパを抜き合った友情」の物語には、深作欣二がずっとこだわってきた、敗戦直後の焼け跡体験に根差した人間観(勤労動員先の工場で空襲にあい、バラバラになった友達の死体を運んだ経験が強烈な原体験、と本人が語っている。『バトル・ロワイアル』が友情物語に脚色された動因がよく分かる逸話だ)が色濃く出ている。
「七人の侍 ―侍のテーマ―」にも、やはり黒澤明の、『姿三四郎』『酔ひどれ天使』から『赤ひげ』『デルス・ウザーラ』まで一貫する、こういう男を描きたいし、そうでありたいと願う、単独でありつつ孤独を恐れぬ気概を持つ男性像が描かれている。

作詞という作業をすると、どうかすると、演出ノートや自作解題インタビューよりも作り手の赤心、メインテーマが素直に出るらしい。それを、ひとつの間接的ノンフィクションとして解釈させてもらった。

ひばりのMCについては、特に女性からの好意的な感想をいただいた。リアルタイムではそんなに知らない人ほど、ひばりが生きざま、(バッシングに負けたくない)意地を語るところがストレートに響いたみたい。
ライヴ盤の、曲ではなくMCの部分だけお聴かせするなんて、よく考えたら、ヘンな趣向だよなあ。これもアリ、と分かったので、紹介してよかった。

ひとさまの前で何かするからには、スベッてナンボとは言え。
思いだすだけでつらくなる部分は、そりゃーですね、いくつもありましたともさ。今後、場数を重ねて改善・改良したい。
といって、「今回はちょっとお上品でしたね」「おとなしめだった」と言われ、実際少し硬かった(自分のイベント史上最多動員だったもので……)のもまた、痛いほど自覚しているので。
洗練されていく方向では、ないと思います。

今後とも、よろしくおねがいします!

 


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