誰も誰も知らない

2016-10-18 04:23:56 | 加藤登紀子


http://blog-imgs-75.fc2.com/t/o/s/toshiichi/201506180448286d7.mp3

愛し 愛し 愛しあっても
何故か 何故か ひとりぼっちなの
私の胸の 奥深く
静かに眠る 悲しみは
誰も 誰も 誰も知らないの

すべて すべて 与えつくして
頬に 頬に ひとすじの涙
私を強く 抱いて踊る
あなたの目には 見えないの
誰も 誰も 誰も知らないの

いいの いいの さみしくないの
何も 何も 何も云わないで
ひとつになって 踊りましょう
二人の恋の 行く先は
誰も 誰も 誰も知らないの




安倍政権に新潟ショック 再稼働NO、選挙戦略に影響か

東京電力柏崎刈羽原発の再稼働が最大の争点になった16日投開票の新潟県知事選で、政権与党が敗れた。原発問題に絞って共闘した野党の戦略にあえなく沈んだ。政権が進める再稼働政策で打撃を受けただけでなく、次の衆院選を見据えた選挙戦略にも影響しそうだ。(朝日新聞デジタル)

告示前は圧倒的、告示後も断然有利、終盤は先行、結果は大敗、自公推薦、連合新潟支持の森氏でしたが、・・・。

原発問題に絞って共闘した野党の戦略にあえなく沈んでしまいました。

70%近い東京電力柏崎刈羽原発の再稼働反対の新潟県民がこのままではと投票に足を運んだからでしょうが、もしかしたら「森」という姓への反発も多少は、・・・・・誰も誰も知らない 。(笑)


1966年、アマチュアシャンソンコンクール優勝をきっかけに加藤登紀子さんはこの曲「誰も誰も知らない」でデビューします。
この時点での彼女は水木かおるさん、小林亜星さん、なかにし礼さんなどの職業作家の作品を歌う歌謡曲歌手でした。

一度目の大きな変化は、1969年、自ら作詞・作曲した「ひとり寝の子守唄」のヒットでしょうか、シンガーソングライターという言葉のまだ存在しなかった時代、彼女は商業のフィールドにいながらして、自らの言葉で表現する手段を獲得していきます。

次の大きな変化は71年、森繁久弥さんのカバー、「知床旅情」の大ヒットから、この年、加藤登紀子は、ロシア民謡の「ロシアのすたるじぃ」、シャンソンの「美しき五月のパリ」、歌謡曲の「日本哀歌集」と、三枚ものカバーアルバムを矢継ぎ早に発売しています。自作するだけにとどまらず、あらゆるところにあるすばらしい歌を自分の表現にしていく……。「カバーとオリジナル」。彼女の歌手活動の両輪が、この時、たちあらわれました。

そして、その活動スタイルがゆるぎないものとなったのは、個人事務所・揆楽舎の設立、藤本敏夫氏との獄中結婚、長女・美亜子の出産という激動を経て生まれた74年作品「この世に生まれてきたら」です。
以降、加藤登紀子さんは三人の娘を産み、育て、今でも関係の密なる様々なアーティストと親交を深めながら、様々な音楽ジャンルを軽々と越境し、歌を歌っています。


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