禁じられた遊び

2016-09-19 01:59:05 | 懐かしの映画音楽
Paul Mauriat - Romance De Amor


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安らかに眠って下さい
過ちは繰返しませぬから

広島の原爆死没者慰霊碑に刻まれているこの碑文については、主語が誰なのかわからない、原爆投下は日本の責任ではなく過ちを反省するというはのおかしいのではないか、などとの論争がありました。

しかし、1945年(昭和20年)8月6日の原爆投下により、約14万人が広島で死んだという事実を前にして、この論争は、あまりにむなしいと思うのは、ぼくだけでしょうか。

結局、碑文のことについては、すべての人びとが、原爆犠牲者の冥福を祈り、戦争という過ちを再び繰り返さないことを誓う言葉であるという説明文を添え書きすることで、決着をみましたが、それにしても、本質を見誤った、なにか情けない話だと思います。

アメリカでは、原爆を投下したのは、戦争の早期終結に必要であったためで、それがなければ、より多くのアメリカの若き兵士たちが殺され、また日本の若者たちも玉砕で命を落とすことになっていたから、原爆投下は、結果として、多くのいのちを救った、などとの主張がなされているようです。

もっとも、日本でも、あの戦争は、欧米列強の帝国主義的侵略からアジアを守るために、民族自決に基づく大東亜共栄圏を作ろうとしたものであり、韓国併合は正しかったし、南京大虐殺というのもなく、侵略戦争ではなく、自衛のための聖戦であったなどの論調がいまなお根強く残っています。

立場が違えば、考え方も違い、ものの見方も、価値観も異なるのは、否定はしません。

でも、人と人とが殺しあい、多くの罪なき人々の命を奪ってしまうのが戦争であり、悲惨であることの事実の重みは、共通の認識であってほしいと思います。

全知全能の神ならぬ人であればこそ、思い違い、考え違い、間違いというものはあります。

仏の境涯に至らない人であればこそ、地獄、餓鬼、畜生の三悪道のこころで、修羅のごとくの争いをしてしまうことも、やむを得ないのかもしれません。

人であればこその過ち・・・。
だからこそ、また許されもするのです。

もっとも、そのためには、過ちに気がついたなら、それを反省悔悟して、こころから謝罪し、真摯に贖罪して、償うことが必要になります。

しかし、過ちを認めようとせずに、自己保身、自己弁護にはしり、責任から逃れるために、さらに過ちを重ねては、過ちを増幅し、繰り返すだけになります。

第二次世界大戦のあとでも、朝鮮戦争、ベトナム戦争、中東戦争、アフガン内戦、イラン・イラク戦争、湾岸戦争と、戦争の惨禍は、結局のところ、とどまるところをしりませんでした。

昭和20年代生まれの団塊の世代は、戦後の反戦、不戦の誓いの中で育って、まさに戦後の経済復興期の中で文字どおり「戦争を知らない子供たち」として育ちました。

あとに続く、ぼくのような昭和30年代生まれは、経済白書が言うところの「もはや戦後ではない」世代で、兄姉世代である団塊の世代の学園紛争や反戦運動の挫折と転向を目の当たりにして、無気力・無関心・無責任の三無主義世代と呼ばれました。

そして、その後の昭和40年代生まれは、「高度経済成長」の時代に育って、もはや理解不能の新人類として、扱われました。

しかし、いずれにしろ、この間、我が国は戦争の当事国にならなかった平和な時代にあり、戦争によって青春を奪われることがなかった世代、といえるかもしれません。

だからこそ、あの頃へ帰りたい・・・、生まれ来る子供たちが、平和な時代を、そんな風に懐かしむことがないようにしないといけません。

平和な時代を次代に引き継ぐことができるように。

大阪府堺市に生まれた与謝野晶子は、日露戦争(明治37年(1904年)~明治37年(1905年)で激戦地の中国旅順にいる弟のことを嘆き、詩を詠みました。

     ああおとうとよ 君を泣く
     君死にたもうことなかれ
     末に生まれし君なれば
     親のなさけはまさりしも
     親は刃をにぎらせて
     人を殺せとおしえしや
     人を殺して死ねよとて
     二十四までをそだてしや
                 (中略)
     君死にたもうことなかれ
     すめらみことは 戦いに
     おおみずからは出でまさね
     かたみに人の血を流し
     獣の道に死ねよとは
     死ぬるを人のほまれとは
     大みこころの深ければ
     もとよりいかで思されん
                 (後略)
            『君死にたまふことなかれ』 与謝野晶子

この歌が、もし日露戦争ではなく、狂気の軍国主義の第二次世界大戦中に詠まれた歌ならば、おそらく与謝野晶子は、ただちに投獄され、獄死も免れなかったかもしれません。

それにしても、当時における安易に天皇制を支持して、愛国心を鼓舞するような風潮に対して、この詩は勇気ある素直な抵抗、反戦歌だったといえます。

いま、ぼくたちは、こんな風に、生まれ来る子供たちに、語れるものをなにか持っているでしょうか。

     戦争は人の心の中に
     起きるものであるから
     人の心の中に平和の砦を
     築かなければいけない

これは、第二次世界大戦が終結した年、1945年(昭和20年)11月に作成された、国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational, Scientific and Cultural Organization=UNESCO/ユネスコ)憲章の有名な前文です。 

神仏に祈りをささげるのもいいのですが、まずは、人の心の中に、二度とそのような戦没者を出さないように、平和の砦を築くための努力をすべきでしょう。

God helps those who help themselves (天は自ら助くるものを助く)といいますから、そんな地道な努力を続けるようにすることにより、願いが叶うはずです。

しかし、一方で、国家が、特定の宗教団体や宗教施設に、戦没者を軍神として祀り、国家権力者が公的に参拝することを定着させようとする動きがあります。

戦没者追悼の美名に隠れて、かっての政教一致の時代に戻そうとする危険な動きだとぼくは思います。

戦没者は、国家のために、国家という組織や体制を守るために、死んだのではありません。
愛するものを守ることが、国を守ることだと信じこまされて、戦地に果てたのです。

国家は、国家のためではなく、国民のためにある。
それを忘れた国家なんて・・・・・・



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