倖せはここに

2017-08-03 14:50:20 | マスターお薦め曲
倖せはここに 舟木一夫 


http://blog-imgs-88.fc2.com/t/o/s/toshiichi/2016022109294249f.mp3

1 秋の夜は更けて すだく虫の音に
  疲れた心いやす 吾が家の窓辺
  静かにほのぼのと 倖せはここに

            (間奏)

2 星のまばたきは 心の安らぎ
  明日(あす)の夢をはこぶ やさし君が笑み
  静かな吾が窓辺 倖せはここに

3 静かに静かに 街の灯もきえた
  遠い空見てごらん 明日の夢がある
  小さな小さな 倖せはここに



日本におけるハワイアン音楽の草分けのひとり大橋節夫さんが自ら作詞・作曲し歌った曲がこの曲「倖せはここに」。

大橋節夫さんは大正14年生まれで、子どもの頃からハワイアン音楽に親しみ、やがてスチールギターを弾き始め、慶應義塾大学法学部を卒業後、「大橋節夫とハニーアイランダース」を結成、以後ハワイアン音楽一筋に歩んできました。

平成18年(2006)6月7日没。享年81歳。

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線香花火

2017-08-03 04:29:33 | NSP
NSP 線香花火


http://blog-imgs-75.fc2.com/t/o/s/toshiichi/20150604171210b57.mp3

はじっこつまむと 線香花火
ペタンとしゃがんで パチパチ燃やす
このごろの花火は すぐに落ちる
そうぼやいて きみは火をつける
浴衣なんか着たら 気分がでるのにね
湯上がりで うちわを片手だったらね
はじっこつまむと 線香花火
僕は燃えかす拾う係りでも

風を背にうけ 線香花火
僕はきみの機嫌が 気になるけれど
こうしてる二人は 絵になるわ
そうつぶやき きみは火をつける
きみの目の中で光っているんだ
こっちの方が本物よりすてきさ
風を背にうけ 線香花火
僕たちの恋も きれいに燃やそうよ

パチパチ光る 線香花火
来年も二人で できるといいのにね 



<内閣改造>外相に河野氏 総務相は野田聖子氏

安倍晋三首相(自民党総裁)は3日、内閣改造・党役員人事を行う。2日夜までに全19閣僚と党の新執行部の顔ぶれが固まった。党政調会長に岸田文雄外相(60)を内定し、後任の外相には河野太郎前行政改革担当相(54)を充てる。党要職を希望した岸田氏の意向を受け入れた。文部科学相には林芳正元農相(56)、経済再生担当相には茂木敏充政調会長(61)を起用する。茂木氏は安倍内閣が新たな看板政策に掲げる「人づくり革命」も担当する。首相と距離を置いてきた野田聖子元総務会長(56)は総務相兼女性活躍担当相として入閣する。(毎日新聞)

支持率急落を背にうけて内閣改造、

民の見方は気になるけれど、

この顔ぶれなら絵になるわ、

そうつぶやきながら今日発表、


線香花火にならなきゃいいけど。(笑)


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倍賞千恵子/青葉の笛

2017-08-03 00:45:36 | 童謡・唱歌・抒情歌
倍賞千恵子/青葉の笛


http://blog-imgs-76.fc2.com/t/o/s/toshiichi/2015042417393275c.mp3


1 一の谷の軍(いくさ)破れ
  討たれし平家の公達(きんだち)あわれ
  暁寒き須磨(すま)の嵐に
  聞こえしはこれか 青葉の笛

2 更くる夜半に門(かど)を敲(たた)き
  わが師に託せし言(こと)の葉あわれ
  今わの際(きわ)まで持ちし箙(えびら)に
  残れるは「花や今宵」の歌



明治39年(1906)発表。

『平家物語』のうち、一ノ谷の戦いを歌にしたもので、「敦盛(あつもり)と忠度(ただのり)」という副題がついています。
1番は無官大夫平敦盛、2番は薩摩守平忠度が主人公になっています。

一ノ谷で、源氏の武将・熊谷次郎直実(なおざね)は、海に逃れようとしていた若武者を呼び返し、組み敷きました。顔を見ると、自分の息子と同年配の少年だったので、見逃そうとしましたが、味方が近づいてきたので、やむなく首をはねました。それが平敦盛でした。
 
あとになって、熊谷直実はこのできごとに世の無常を感じて出家したと伝えられます。ただし、出家の原因は、母方の叔父との領地争いに敗れたことだったというのが史実のようです。

2番に出てくる「わが師」は『千載和歌集』の選者・藤原俊成(しゅんぜい)。俊成は藤原定家の父です。

忠度は平家都落ちの途中で京都に引き返し、深夜ひそかに俊成を訪ね、自作の何首かを託しました。そのうちの1首「さゝ波や志賀の都はあれにしを昔なからの山さくらかな」が『千載和歌集』に「詠み人知らず」で載っています。
俊成が「詠み人知らず」にしたのは、平家が朝敵(ちょうてき)のため、本名では載せられなかったことによります。

平忠度が箙(矢入れ)につけていた「花や今宵」の歌は、「行き暮れて木の下蔭を宿とせば花や今宵の主(あるじ)ならまし」。

かつては質朴な武士集団だった平氏は、権力を握ると公家化しました。それとともに忠度や敦盛のような文化人・教養人が何人も出ましたが、武家としては軟弱化したわけです。その結果、地方で質実剛健な生活を続けていた源氏に敗れることになったのでしょう。


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