wakuwakuなエトセトラ

出来ればこのブログで、読書の経歴と韓流ドラマの変遷を残しておきたいと思っています。

高橋直樹の「曽我兄弟の密命」

2012-08-16 13:24:53 | 読書日記
歴史の醍醐味だ。

昨年10月頃から読み始め、今年の1月21日にやっと読み終えたこの「曾我兄弟の密命」(高橋直樹著)
  


東海道53次を歩いていると、大磯では、「化粧井戸」というところがあって、そこは大磯一の美女であったとされる虎御前、曾我兄弟の兄十郎の恋人が毎日使っていたとされるものがあったり、「鴫立庵(しぎたつあん)」というところではその虎御前が祀られていたり、小田原の箱根湯本駅の近くにある「正眼寺(せいがんじ)」では曾我兄弟が供養されていたりと、歴史的事件の破片的なものがちょくちょく出てくる。
そんな折、千ちゃんがあの嗅覚を働かせて、何とはなしに手に取って、買って読んだ本が、この「曾我兄弟の密命」である。いたく面白く読んで私に貸してくれたのである。全くもって大正解で、二人ともそれから頼朝や北条のことにも興味を持ち、頼朝が流されていた蛭が小島にも出向いたほどである。そして、この本は曾我兄弟の仇討ちのみならず、その当時の時代(平安末期から鎌倉時代の始め)背景や歴史的事実等をふんだんに織り込ませて書かれていて、私たちに歴史への興味を端的に開花させてくれ、また、大いに感嘆させてくれた本でもある。

作者のあとがきによると、「吾妻鏡(あずまかがみ)」(鎌倉幕府の手によって編纂された公式記録)に、「曽我五郎は頼朝の命を狙った」と記されていたとある。また、頼朝の弟の源範頼の家人に京ノ小次郎がいるが、それは「小次郎は曾我兄弟の同母の兄」という記述も吾妻鏡にある。そしてこの小次郎は商人であり、武士の範頼とも貴族の後鳥羽天皇の養父、高倉範季(たかくらのりすえ)ともつながりがある。そこから作者は、曾我兄弟→京の小次郎→源範頼→高倉範季→後鳥羽天皇という構図を展開し、壮大なスケールの大きい物語になった。

曾我兄弟が頼朝を討ったなら、すぐさま安田義定・義資父子が兄弟を囲って逃がし、範頼を上に立たせようと目論んでいた。結局失敗に終わり、安田父子は粛清され、討ち入りから3ヶ月後に小次郎も誅殺とあった。

1193年 曾我兄弟は頼朝が息子万寿(後の実朝)のために催した富士の鷹狩りの時に紛れ込んで討つ。
祖父の仇工藤佑経(すけつね)は頼朝の家臣になっていて、この鷹狩りにも一緒に来ていた。丑三つ時に討ち入りし、十郎によって討たれる。だが、十郎はその場で切られ絶命。
頼朝には弟五郎がその陣屋に忍び込むが、既(すんで)のところで、捉えられて、張り付けにされる。
頼朝はその張り付けにされた五郎のところにいって、柱ごと抱きしめ、「武家の天下に勝者はいない。ただ屍が累々と積み重なっていくだけだ。それでも前に進まねばならぬ。それでも天下を背負って進んでいかねばならぬのだ。」と、涙を流したという。同じ土台に立って慮(おもんばか)る頼朝に感動した。

平家の時代から源の時代に移り変わる変遷が分かりやすく書かれているので、歴史に興味を持ち始めた人にお勧の本である。



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