人であるということがなんなのか、よくわからない。わからないからこうだろう、あーだろう。と思案する。一つ言えることは、思いがつまっている。それもぎっしりとある。その思い、自らも自分の思いに手こずりながら、日暮らししている。だからだろう、人の思いを基本的には聞きたいと思ってはいない。が自分の思いはどうでも聞いて欲しいと懸命である。
他人の思いを聞くことは、ある種の訓練が必要である。それほどに聞けないし聞いていないし、聞いていてもところところと言うか、こちらの聞けるところだけである。自分と言うものの思いも、じつはちゃんと聞いたことが無いのではないか、いったい自分というものがほんとうはなにを求めて、なにを探しているのか。という肝心のことも、じっくりと聞いたことが無いのではないか。ただなんとなくやりすごしているのではないか。それだけに、自分の思いを正面から聞いてくれるものが、おるというだけで、うれしいものである。