わじゅ カタル

山里・龍昌寺

なんにもない

2016-11-05 23:02:55 | 日記
 今日は青空が広がっている。紅葉の木がだいぶ色づいて来て、ある瞬間はっとする光景がそこここにある。
それらは畢竟、なんにもない。このなんにもなさがじつに いいとおもえるときである。
 
 ぼくは坐禅をするものですが、坐禅はようするに、なんにもない、ただここにそのままにおかれている、
じぶんじしんというほとけさまに、はいとからだでおへんじをすることだと、おもっています。
 
 以前に伊勢神宮にお参りした時、昼過ぎに着いたからさっそくに参詣に。しかしながら、人の多さばかりが目について、幻惑されてと言うか、そんな気になって、よく日は朝一番にお参りをした。12月のことだったから、身が引き締まるほど寒かった。
鳥居をくぐって、参道に入ると、職員の人たちが砂利道を掃いていた。そうたいしてゴミが落ちている訳ではないのに、無心にほうきを動かしていた。本殿にお参りしての帰り道、砂利道が見違えるほどきれいになっていた。まさしく清庭といわれることが、しんから肯けられた時だった。それにしても、ほんとなんにもないなぁというのが、率直な感想だった。たぶんに、なにかきっとよきものが入るのだろうと予測していたのだ。それが裏切られたようにかんじた言葉だった。けれど、言葉として出してしまってから、気がついたのだ。ああ、なんにもないのだと、なにかよくわからぬままそう腑に落ちたのだ。
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