わじゅ カタル

山里・龍昌寺

歎異抄 2

2017-02-13 21:44:56 | 日記

先ずは本文を読んでみましょう。

1条 弥陀の誓願不思議にたすけられまいらせて、往生をばとぐるなりと信じて念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき、すなわち摂取不捨の利益にあづけしめたまふなり。弥陀の本願には老少善悪の人をえらばれず。ただ信心を要とすとしるべし。そのゆえは、罪悪深重煩悩熾盛の衆生をたすけんがための願(がん)にてまします。しかれば本願を信ぜんには、他の善も要にあらず、念仏にまさるべき善なきがゆえに。悪をもおそるべからず弥陀の本願をさまたぐるほどの悪なきがゆへにと云々。

  まずはこの文体に慣れていただかないと、なにせ800年以上の前の言葉ですから。それと唯円さんにすれば現代のぼくたちが、読むことを想定していない。つまり身内のものに、おなじ念仏者たちに言いたくて書いておられる。それゆえ、言うてみれば文章そのものにナマの迫力があるというもの。

 もうひとつの注意点は、意味や理由を知ることで日暮らしを送っているわたしなのですが、その意味や理由そのものを問うている。もうひとついえば、わたしと呼んでいるこれそのものを、問うている。これは聖書や禅書などでもそうなのですが、言葉の字義通りでは解釈できない。どうしてもわたしじしんのありようにふれて読んでいかないと、だめで。字義通りだと、まぁ抹香臭いおはなしに落ち入ってしまうのです。そして、あらためて申しますが、これは師匠である親鸞さまのことばを、唯円が耳に残っているまま、書いた。というものですから親鸞さんそのもののことばなのです。

 この1条でどこが面倒かといへば、ぼくならば「念仏まうさんとおもひたつこころのおこるとき」これが、こうだとうまく言えない。字義解釈はそれぞれの方が自分で調べてくれるのが一番なのですが。そこをいってみても、なかなか厄介なので一応は辞書の字義を開いて説明することにします。今日はこのへんでやめます。

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