わじゅ カタル

山里・龍昌寺

考えるということ 2

2017-07-23 20:53:58 | 日記

 今日未明から激しく雨が降りそれ以後も、断続的に降り続けている。天気予報では大雨警報がでていた。最近の雨降りは油断がならない、雨粒が大きいのだ。それで、一気に降り続けると、とんでもないことになってしまうが、まぁ今更慌ててもどうにもなるものでもなく、去り行くまでじっと見守ることに。

 さて、考えるということについて。自分で考えるというのは、どういうことか。

言葉も知恵も知識も先人たちが遺してきたもので、自分でまるで考えているように錯覚している。が、じつは知らぬまにそのまま誰かの言葉なり、考えを踏襲していたり、並べ替えただけであったり、です。しかしながら、それがどういう形であれ、自ら言葉にしたとたん、やっぱり自分の言葉になり、考えになってしまっているようです。そんな流れのなかでも、また人からの言葉や考えでも、なにかそこにある種の輝きを見いだすときがあります。そんなことばの折り重ねのなかで、今これを(自身を)やっている。その惑いのなかで、他との窓になり、円いになっている。

 もうひとつはあたりまえのことながら、考える、自分で考えるにはとうぜん学ばなければならない。「学びは変り、変わりは生きる」という林竹二先生の教えはここでも生かされる。

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