親鸞さんのこと

2017-02-07 22:00:10 | 日記

 これから、これを読んでくれている方達と、ともに「歎異抄」を読んでいけたらいいなと思っています。どこまで読み込めるか、またはみな様に伝わるのか。この歎異抄をまったく知らない方も、もうずいぶん読み込んでおられる方も、あわせて読んでいくことができたらと思っていますのでよろしくです。なにか、質問なり、異議などあれば言って欲しく思います。コメントのところまたは、メールでお願いします。

waju@ca1.wannet.jp

 歎異抄の最初の出会いのことをすこしお話したいと、思います。

学生の時、坐禅を自分なりに懸命にやっていたのですが、どうにも「祗管打坐」(しかんたざ)、ただひたすら坐る。それは悟りを求めるためでも、いわゆる煩悩を追い払うためでもなく、ただ坐るというのです。アタマではなんとなくは理解できているようなかんじもするのですが、じっさいに坐るとじつにぼーぼーとしたままで、脚は痛いし、雑念ばかり湧いて、ろくに坐れない。気合いが足らないのだろうと、ちょっと有名な参禅会などに参加などしてみても、とんと効果なしで困っていた。そんなおり、ある研修会があり、講師が般若心経で有名な松原泰道老師であった。友に誘われて参加したのだ。講演が終わっての休憩の時、意を決して老師のそばに行き、お尋ねしたのです。ぼくのことですから、きっと緊張しどもりながらだったと思います。老師は温顔にて静かに最後までこちらの話を聞いてくださり、それからおもむろに、あなたは親鸞さんの歎異抄を読んだことがありますか。と言われたのです。梅原猛先生がその当時、ある出版社から、仏教論集を出しているときで、そのシリーズに唯識や中論というインド仏教から、空海などの日本仏教のことまで、専門家と論議しながら出しているものがあり、それを通して読んではいたのですが、あらためて老師から問われると、自分の問題として読んでないなと思い至り、読み始めたのです。今から思うと、よきご縁で、あの松原老師の温顔に助けられて、お尋ねすることができたわけで、そのせいでいまだに引っぱられるようにして読んでいるのです。

コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 沈黙 | トップ | 風邪の効用 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿