妻を追ってタイへ(タイ田舎暮らしの日々)

サザエを追って日本からバンコクの北500キロの所にあるルーイヘ来て、妻の仕事を手伝うマスオがブログでストレスを発散を。

スリンの親戚を巡る旅 Ⅱ

2008年01月17日 | 小さな旅
スリンから戻って来ても何かと用事があり、PCにユックリ向かうこともできません。暇よりはいいかもしれませんが・・・。

昨日は一日中、サムハイ村のあるアリちゃんの土地の関係に付き合いました。
前の晩から家に行き、結局今朝店に戻って来ました。
アリちゃんの土地の関係の手続きは内容は全く分かりませんが、アリちゃん名義の銀行口座にある程度の預金が必要で、他に身内以外の5人のサインが必要なようです。アリちゃんはこれを毎年やらなければならないそうです。
サザエの土地もあるのですがやらなくても良いと言っていました。チンプンカンプンです。



泊まった次の日は、外のガヤガヤした声で起こされました。
夜が明ける前から焚き火をして、近所の人たちが集まって大きな声で話をしているのでとても遅くまで寝ていられません。
泊まった家はサザエのお姉さんの父親(サザエとは父親が違います)の娘の家でした。
サザエが起きて一番にやったことは泊まった家の掃除でした。
泊まった家はおばあさんが2人と2歳ぐらいの女の子がいて、タイ式の高床の家が3棟ありその1棟を貸してくれたのですが、床に大きな穴が開いていたり壁板は隙間だらけでした。
手入れの行き届いていない大きなバンガローと言ったところです。
蚊を心配しましたが不思議とあまりいませんでした。
写真を撮りたかったのですが気が引けてしまいました。

この日は朝からオーちゃんの用件で出かけました。
今回の旅にオーちゃんがついて来たのは実の父親に会うためでした。
オーちゃんの父親がいるらしい住所を頼りに探すのですが、近所の遠縁の25歳ぐらいのお兄さんが道案内をしてくれました。

泊まった家から1時間南に走った所に住所の場所がありましたが、近所の話だと5年前に引越ししてもういないということでした。近所の人が引越し先までモータサイで先導して無事引越し先に着くことができました。



途中に人口の湖のようなものがあり、ノンビリと魚でも採っているようでした。

ガ、ガ、ガーン。
オーちゃんの実の父親は3年前にモータサイの事故で亡くなってたいました。
これにはいつも明るいオーちゃんも泣いていました。
お墓があるというのでそのお寺まで行きました。




小さなお寺でしたがお墓がたくさんありました。


サルのほかにも動物や鳥をいろいろ飼っている珍しいお寺でした。


実の父親の墓に手を合わせるオーちゃんです。

ここでまたハプニングが。サザエが前の場所に電話を忘れてきてしまいました。私の電話から電話をしてお寺まで持ってきてもらいました。モータサイで20分以上はかかるところなのにありがとうございます。


お墓参りの次はお坊さん二人を送り届ける番です。
サザエはお坊さんはスリンの出身だと言っていましたがシーサケット県でした。
226号線を東に走り、シーサケットで右折して221号線に入りカンタラ(kantharalak)のバスターミナルで1人のお坊さんの父親は床屋をやっていました。


カンタラのバスターミナルですがそれほど大きくはありませんでした。

ここで昼食を食べてもう1人のお坊さんの家へ行きますが、父親とあったお坊さんもいっしょに車に乗っています。父親との再会は30分で終わりのようです。


バスターミナルの近くに白い建物があったのでシャッターを切りましたが何でしょう?

もう1人のお坊さんの家までは20分ぐらいでした。
そこで水浴びをさせてもらいしました。ここでも1時間でお坊さんと母親との再会は終わりです。

白い建物のあった近くで2人のお坊さんを降ろしました。おそらく地元のお寺に行くのだと思います。

泊めてもらった家に帰ることになりましたが道案内のお兄さんが近道を行くと言って細い道を走らされましたが、道に迷ってしまい3時間もかかって戻りました。
大きな道を行っても2時で帰れたと思います。

戻ったら早速ビールで乾杯が始まりました。ビール代はもちろん私持ちです。
5、6人で飲んだのですが、コップが1つしか出てきません。1人が飲み干したら次の人が飲みます。道案内のお兄さんがスリンスタイルだと言っていました。


道案内のお兄さん(向かって右側)とその仲間達。
道案内のお兄さんは服を売る仕事をしているそうで、ティアと随分話をしていました。

この晩はこのお兄さんの家へ泊まりました。お兄さんは母親と二人暮しだそうです。この日は近くの甥や姪が泊まりに来ていました。
キレイに掃除されている家で、疲れもあったと思いますが熟睡しました。


今晩またバンコクへ仕入れに行く予定です。
アッシー君、大繁盛ですがマッサージにも行きたい心境です。


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 是非、両方とも一押しお願いします。



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5 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
親戚 (イサーン人)
2008-01-17 17:00:25
僕の場合、日本の両親の兄弟が27人いて、親戚の
数はよく把握できない位いるのですが、嫁の両親の
兄弟も25人位いるそうです。そのかなりの部分が
往来可能な地区に住んでいて、しょっちゅう行き来
があるようですが、僕は20人位しか把握してません。
あいついで亡くなった嫁の両親の葬式には数百人が
集まったようですが、その半分以上が親類との
ことでした。
まあ、こんだけいたら生活にこまっても誰かが
助けてくれるかな
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Unknown (朝太郎)
2008-01-17 20:00:44
数年前、初めてサコンナコンのパンナニコムの村に行った時、夜行バスでパンコーンの町に朝6時ころ着き、トラックが迎えに来てました。
家は「貧しい」みたいなことを聞いていたので、着くと 食事や寝る心配より、ウンコ出来んかもと思いました。
寝るの床の下は牛、壁無しで蚊帳をつってもらって。
寝るのも食事もトイレもバッチリ。
人達も良いし。
それから行く度に少しづつ建て増し。
最後には10数頭の牛も居なくなりました。
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スリンスタイル (w.hitoshi)
2008-01-17 20:32:12
そのようなコップの飲み回しがあるのですか。そうなると、ビールは必然的に「イッキ飲み」でしょうか?まぁ、日本みたいに、手拍子で「煽る」ことはないでしょうが。
コップの回し飲みとか、外国人と接する時、その辺の「衛生概念」が異なるので、気を付けないといけませんね。
私は、勿論、大して気にしませんが、中華料理の味見とか「おたま」に口を付ける?(実際には、付けていないかもしれません)とか、日本人は嫌がりますね。
でも、日本の寿司のように、人が手で握った「飯」を食べるのを、極端に嫌う国もあるようです。
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すりんスタイル? (チェンライの山並み)
2008-01-18 11:10:24
すりんだけではないので、タイスタイルでしょう、、このチェンライの田舎でも、ついこの間まではそれでしたよ。ビールのふきゅうまえだったので、40%の焼酎で。水のコップもありましたので1セットのコップです。始めの頃は若かったのが2時間くらい、今は、沢山コップが出てきますが、弱くなって、1時間くらいで逃げ出します。
焼酎の時は今でもしばしば回しのみです。弱い人は、文字通り1敗飲んでそのわから逃げ出します。

ビールをコップいっぱいに注がないというのは無いですか?
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スリン (ドラえもん)
2008-01-19 19:34:16
イサーン人さん へ

妻の8人兄弟の下から2番目ですが、2人亡くなっています。
母親の兄弟は全て亡くなっていて生きているのはサザエの母親だけなので、甥や姪などがよく会いに来ます。
タイは親戚付き合いを日本よりよくするので日本人には大変に感じられると思います。
私も大分慣れましが、それでもまたかと感じる時がります。日本人だから仕方がない事だと思います。


朝太郎さん へ

タイで一番心配なのはトイレですね。
タイ式のトイレだと何処に掴まっていいのやら・・・。(笑)
家の造りもそうですが、掃除が問題です。
前もって連絡をしているのだから掃除ぐらいしておいてほしいと思います。というのはサザエの考えです。
確かにサザエは人が来るというと掃除をしまくります。少し変わったタイ人なのかもしれませんね。(笑)


hitoshiさん へ

日本人とタイ人、日本人と外国人もそうですが習慣の違いなのでしょうね。
我家ではご飯を食べた後に水を飲みますが、1つのコップを使い回しです。
サザエはラッパ飲みをしています。(笑)
子供たちがラッパ飲みをすると私はコップを使うように注意しますが、私がいないときはラッパ飲みなんでしょうね。(笑)
私が笑ってしまうのが、バー君の洗濯物は赤ちゃん専用の洗剤を使い気を使っていますが、乾いた洗濯物をたたむ時に床の上で直にたたんでます。しかもゴイもナッも裸足で外を歩いた足の裏で歩いた床です。
タイ人も衛生概念はありますが、日本時とは少しづれているようです。


チェンライの山並みさん へ

私もそうではないかと思っていました。
気を許している仲間の印のような意味もあるかもしれませんね。
ルーイでも1人に1個のコップです。(笑)
タイ人も衛生面をかなり考えるようになっているんだと思います。

そうですね。ビールはコップに7分目ぐらいでした。
冷えすぎていたのか泡があまり立ちませんでした。
そういえば、タイのビールは泡立ちが少ないような気がしますが・・・。
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