wadyのケインパトスクロウへの道

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田吾作と台風1

2016-10-04 03:25:32 | 小説類
山向こうから黒い雲が沸き上がってきたようだった。風も強くなり、粗末な家の屋根を田吾作は案じた。かかは今頃雨漏りを受ける瓶だの器だのを用意しているだろう。そう言えば補修が不完全な部分があった。だが、どちらにせよ修理している暇はなかった。
「今年はそうじゃなくと育ちが悪りぃんだ。いったい何だってこんな時になぁ」
秋口に入り、やはり天気は悪かったから嫌な予感はしていたのだ。そして良からぬ予想というものはしばしば現実になるもので、間違いなく台風が迫っているのだった。天候不順で稲の発育は遅れ、そうでなくても猫の額程度の田吾作の田から一体どの程度の収穫が見込めるのだろうか。そして不作でも年貢は変わらない。領主はそういう男だった。
田吾作は、ちらりと上の息子のことを考えたが、
「今家に居ねぇ者のこと考えったってしょうがねぇな」
と呟くに留め、首を振りながら家路についた。田吾作が田の作物にしてやれたことは、精々が酷く冠水しない様に、水門をしっかり閉ざしてやるくらいなものだった。

夜が来た。戸に閂をかけ、屋根にも心持ちの補強をして迎えたのだが、やはり雨足は強く、風も強く吹き荒れ、しかもどんどん強くなっていくのだから心細さは増すばかりだった。
ごぉーう、ごぉーう
ぴーるぴーる、ぴぴーるぴー
僅かばかりの夕食を済ませた後、田吾作は囲炉裏端に座り込んでいた。
目の前では真ん中の娘が、ろうそくの前で神妙な表情をしながらもそわそわしている。台風の夜が物珍しいのか。いつもは煩い位の末の息子は寝具に包まってしまっている。
『もし今年米が取れなんだら、いったいどうなる』
子供の様子を見やりつつ田吾作は先だってからそればかり考えており、そしていくら考えても明るい図が浮かばないことに苛立ちと焦りがない交ぜになったような、身を切るようなもどかしさを募らせていた。
深夜になった。火を小さくし、浅く寝入っていた田吾作は、雷の音に飛び起きた。雨風は更に強くなり、板葺きの屋根、壁に雨粒がぶつかる音と隙間風が合わさって大きな音を立てている。そして、もう一度雷鳴が轟いた。
「行かねば」
田吾作は蓑を引っ掴み、履物も履かずに豪雨の中へ転び出た。
田へ向けて走る。途中強風に何度もよろめいたが、その度に地面の草や根を掴んでは進み続けた。
果たして、彼の目の前に田吾作の田があった。見よ、その細く頼りない稲に、その先に小さく実った稲穂に、容赦なく降りかかり根こそぎ引き抜いて行かんばかりの雨風を。田吾作と家族の頼みの綱は正に風前の灯火であった。
田吾作は泥濘に額を付けて絶叫した。
「俺が何をしたってんだ!」
自然の暴威が彼の背をも容赦なく襲った。必死に泥に爪を立て、いつしか田吾作はうなされた様に唱え続けていた。
「神様、仏様、なんだっていいんだ、どうか、どうか俺らの稲を守ってくれろ。そしたら…」

何度それを繰り返しただろうか。ふと気が付くと、いつしか雨風は止んでいた。

泥だらけになった面を手でぬぐい、濡れそぼり重くなった蓑を振り捨てる。

目の前に広がる田には、奇跡的に無事な稲が並んでいた。
田吾作は天を仰いだ。抜けるような青空に、彼は舞い上がるような心地だった。

「おっとお、おっとお」

子供がかけてくる。田吾作は振り返り、二人を抱きとめるべく立ち上がった。

そして田吾作は、二人の手を引き、田を後にした。


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