和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

古池の音を聞きに来よ草の庵。

2017-01-03 | 詩歌
本を読んで、内容を忘れる。
再度読もうと思っていても、
そう思ったことも忘れる(笑)。

尾形仂・大岡信「芭蕉の時代」。
この本は、エッソ・スタンダード石油株式会社
広報部発行の『エナジー対話』第十六号によるもの。
それを朝日新聞社が単行本にしたのでした(昭和56年)。

内容が、印象深さのてんこ盛り。
またの機会に、読み返そうと思うのですが、
忘れる前に、鮮やかな印象の場面を引用。


尾形】 ・・・解釈とはその作品に
新しい意味を見出すことなんだと言われると、
それはそうにちがいないと思う反面、
だからどう解釈しようと読者の自由だと
いうことになると、私などはそうかなと
やや首をかしげたくなりますね。
ある時代の、かなり幅の広い文脈をたどれる人の句を、
百八十度ちがう解釈をしてしまっていいものかどうか。
そういう問題にも行きあたりますしね。(p27)

こうして、
「古池や」の句にまつわる時代背景の
話題へと踏み込んでいきます。

尾形】 あそこがひとつの転機ですね。
元禄二年(1689)の『江戸図鑑綱目』などを見ると、
俳諧師たちの住所はだいたい日本橋近辺に集中している。
日本橋近辺は商業の中心地ですから俳諧の旦那衆になる
人たちも多く、そこで俳諧師たちもそのへんに居をかまえ
たということでしょう。

大岡】そこを離れるというのは、かなり異常なことでしょう。

尾形】そうです。異常です。それはひとつには、
日本橋あたりで俳諧師としての看板をかかげて、
不特定多数のお弟子さんがくるのをあてにしないでいいだけの
パトロンがついたということがあったんでしょうね。
最低生活を維持できるだけのお弟子はできたということが、
芭蕉に深川隠栖をふんぎらせた現実的な理由だったと思いますけれども、
その生活の実践のなかから同志的な連衆だけを相手に
何か新しいものをつかみとっていこう、
低俗化した談林の俳風を革新しようということが、
あそこからはじまっていく。(p103)


尾形】 私は『古池や』の句についても・・・

 蓑虫の音を聞きに来よ草の庵

というのとおなじように、この蛙の音を聞きにこいという
誘いがあるのじゃないか。

大岡】 ああ、誘いがね。そこまで読みこむのは、
やっぱり僕なんかにはなかなかできない・・・・。

尾形】 『古池や』の句のあとで門人たちがあつまって
蛙合せの会をひらきますね。ということは、
門人たちが芭蕉の誘いにこたえたのじゃないか。
野球の解説みたいで結果論になりますが、
ただ自分の草庵に遊びにいらっしゃいというだけじゃなくて、
自分の新しい詩境に共鳴して、この句を中心に
新しい俳境をさぐっていこうじゃありませんか
という誘いでもあったと思うのです。(p32)







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