和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

小野君、辞めよってん。

2016-11-17 | 古典
ネットの古本で
復本一郎著「俳人名言集」(朝日新聞社)を
買ったのですが、これが楽しい。
ちょうど、連句のイロハを読み齧ったからなのか、
興味が尽きない感じです(笑)。

読んだところでは、
こんな箇所はどうでしょう。


多年俳諧すきたる人よりは、
外の芸に達シたる人、
はやくはいかいに入る。(芭蕉)

この言葉の記録者である許六(きょろく)には、
芭蕉のこの言葉の主旨が、よくわかったではなかろうか。
許六は画に秀でていた。
芭蕉は、有名な『柴門(さいもん)の辞』なる文章の中で、
『画はとつて予が師とし、
風雅(俳諧)はをしへて予が弟子となす』と述べている。
許六が芭蕉の弟子となったのは元禄五年(1692年)であり、
芭蕉晩年の弟子であるが、どんどん頭角を現して、後年、
芭蕉十哲の一人に数えられるまでになった。
許六が画に秀でていたことと無縁ではあるまい。
芭蕉の発する片言隻語は、それを理解する門人によって
書き留められていったのであろう。
それにしても、現代の俳人でも、やたらに俳歴(句歴)の
長いことだけを誇る傾向があるが、
右の言葉を何と聞かれるであろうか。(p69)

各ページが、このように名言を最初に、
それについての人物点描と俳諧解明との短文です。
おもしろいなあ。

おもしろいといえば、
岩波新書「歌仙の愉しみ」。
これは大岡信・岡野弘彦・丸谷才一。
この3名が歌仙を披露しております。
そのはじまりに丸谷才一氏の文があります。
その文の最後を引用。

・・・・ちよつと停滞気味かなと案じてゐた局面が、
誰かの一句のせいで急に活気づく意外性。
そして揚句(あげく)を宗匠が認めてめでたく巻き
終へたときの達成感。どれもこれも、
実地に参加した者でなければ味はへない喜びです。
そして一ぺん実地にやつてみれば、
これは当り前の話ですが、
芭蕉七部集や『此のほとり一夜四歌仙』が
今までとは段違ひにおもしろく読める。
古典の味がぐつと深まる。
さういふ快楽がまだまだ知られてゐないのは、
われわれの文明にとつてかなり残念なことと慨嘆したい。
俳句もいいけれど、わたしに言はせれば、
歌仙のおもしろさはまた独得のものである。
一度ぜひお試しあれ。先程、茶会に似てゐるなんて
言ひましたけれど、違ふのは千金を投じなくていいこと。
器に金をかけることもないし、禅坊主の墨跡だの
古今集切だのを飾る必要もない。じつに安あがりな遊びです。
この玩亭の説に信宗匠も乙三も大賛成であることは、
言ふまでもないでせう。


世の中、賛成ばかりじゃないので
ちがうのも引用しなきゃいけないですね(笑)。
ということで司馬遼太郎氏の「俳句的情景」。
これは藤澤恒夫句集のまえがきに書かれた
司馬さんの文でした。そのはじまりは

「俳句のことなど、私にはそらおそろしい。
が、亡き藤澤先生と俳句のことを書け、
と典子夫人からいわれ、いまくびをひねっている。
以下は、昭和三十年ごろの記憶である。・・・

句会もなさっていたようで、
当初小野十三郎氏が加わっておられた。やがて
『小野君、辞めよってん』
といわれたのが、なんともおかしかった。
町内で子供たちが遊んでいて、
一人、勉強のために帰ってしまったみたいな言い方だった。
このとききいた話では、
小野さんの言いぶんは、そんな句会でも、
句会にゆくために平素俳句のことばかり考えんならん、
あたまが俳句だらけになって
詩の邪魔になってかなわんのや、
ということだったらしい。」

うん。司馬さんの文は、
このあとが、まことに肝心なのでありますが、
ここまでで、ぶつ切りにしておきます(笑)。


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