ポスケブログ with 田中助六

twitterを敷衍すべく作ってみました。それ以外のことも、随時書き散らかそうと思っています。平成26年11月13日設置

正当性と正統性

2016-10-13 13:56:30 | twitter連動
皇室典範改正を云々する人が増えている。しかし天皇とは何かということを議論している人はほとんどいない。これではGHQの掌の上から脱することは到底叶わない。

言うまでもなく天皇は日本独自の歴史に基づく地位である。その本質は祭祀王であり日本民族の族長たる神主である。その地位を明治の近代国家化のときに西欧流の仕組みに合わせ立憲君主的なものとして天皇の地位を定めたのが明治憲法である。当時は西欧列強による帝国主義全盛の時代であり、西欧流の国家の仕組みを作って国家を運営し西欧列強に認められない限りまともな国と認められず、従って不平等条約の改正もままならなかったという事情があった。西欧流の立憲君主という概念に無理矢理天皇という地位を押し込んだと言って良い。それが敗戦によりGHQの手による現行憲法に変わり天皇は憲法の定める国事行為のみを行う存在ということにされ、そのように国民は教育された。現行憲法に列挙された国事行為の中で天皇の本質たる祭祀に関わることは「儀式を行うこと」のみであり、その儀式とて「政教分離原則」によりその内容が著しく制限されることとなっている。すなわち現行憲法は天皇の伝統的な本質を変質させるよう設計されたとも言えるのである。このような現行憲法の天皇観を元に「ご公務の軽減」とかを理由に皇室典範の改正を言う限り、GHQの掌から脱することなど叶うわけがない。

今や日本は西欧諸国の流儀に便宜的であれ合わせなければ生存できないような国ではないはずである。そうであれば明治以降便宜的にまとってきた西欧流の衣を脱ぎ捨てて自らの民族の伝統に立ち返りそれを現在に合わせて衣を用意すべきである。そこにおける天皇は西欧流の君主を便宜的に手直ししたような存在ではなく、日本の伝統に立ち返りそのありようを定めなければならない。すなわち天皇とは日本民族の族長たる神主ということである。長きにわたり連綿と継続してきた日本民族の族長なのだから、その地位の正統性は日本民族の伝統の中にしか見いだすことは出来ない。伝統に反することはいかに理由を捏ねようとも正統性を持ち得ない。正統性は今現在を生きる者のみからでは生じないからである。その点で主に手続の正しさを示す「正当性」と「正統性」は区別されなければならない。正統性は実体的な正しさを示すのであり、実体的正しさは人々が伝統的に共有する常識の中にしか存在し得ない。我々の伝統的常識には我々一代限りでなく数代、数十代遡った先祖の意識をも反映されているのであり、そこにしか日本民族の総意たる正統性は現れないからである。

現代の日本人の総意は歴史の試練を経ないその場限りのバカさ加減の表明であることは郵政選挙、民主党政権交代選挙等々で明らかである。そのような日本人の総意は、正当性はあっても正統性など持ち得るはずがない。天皇とは何かということにつき思いを致さない者のその場限りの戯れ言で天皇の地位が揺らぐようなことがあってはならない。
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