ポスケブログ with 田中助六

twitterを敷衍すべく作ってみました。それ以外のことも、随時書き散らかそうと思っています。平成26年11月13日設置

関税

2016-11-18 14:50:05 | twitter連動
江戸時代末期に江戸幕府が列強と結んだいわゆる「不平等条約」は領事裁判権と関税自主権に関するものだった。このうち改正が遅れたのは関税自主権の方だった。列強から見ると領事裁判権より関税自主権の方が重要だったということだろう。

現在の世界は自由貿易が正しいという言論で埋め尽くされているようだ。これはメディアを支配する勢力が自由貿易を望み推進していることを示している。自由貿易の核心が関税であることは論を俟たない。自由貿易推進とは、関税を限りなくゼロに近づけようという政治運動である。自由貿易は善であり保護貿易は悪であるという決めつけ(レッテル貼り)がそれを支えている。関税は保護貿易の切り札だからそれを潰すことは正しいとでも言いたいのだろう。

確かに自由そのものは悪ではない。しかし善でもない。野放図な自由は弱肉強食の世界を出現させる。我々は多かれ少なかれ社会制度による保護を受けることで自らの自由を享受している。つまり我々が自由は素晴らしいと考える場合の自由とは「保護装置付きの自由」なのである。自由とはそもそもそういうものなのだから、経済関係の自由についても同様のはずである。すなわち自由は保護装置付きでなければ我々は不自由を強いられ場合によっては命に関わるほどの損害を被る危険があるということだ。

現在推進されているグローバリズムは自由の保護装置を取り払えという運動である。保護装置を取り払えば弱肉強食の世となるのは目に見えている。強者にとっては自由度が増すがそれ以外の大多数にとってはいつ強者の横暴による被害を被るか分からない世の中となるのである。現に富者はますます冨み貧者はますます困窮するようになってきており、挙げ句に自殺も増加している。そして自殺を含めて敗者の自己責任とう一言で片付けられる。

TPPは自由貿易協定に分類され域内での関税を撤廃せよという条約である。すなわち域内諸国は関税という保護装置を取り払えというものである。それどころか関税以外の各国の制度的な差異すなわち非関税障壁も取り払えという過激なものである。しかも制度は基本的には米国流に合わせろというのである。つまり我々は保護装置なしの自由に直面し丸裸に近い状態にされるのである。

我々は自由という言葉をもう少し真面目に考えなければ、自由の旗印の下、ますます貧困と不自由に落ち込んでいくことになりそうだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿